第二十四話 誰が殺した

「……それで、世界の味方をする、といってもどうするんだ? 策が無いとは言わせないぞ」


 この場では適当に誤魔化し、後から一人でどうにかしようと思っていたのに、中々どうして上手くいかないものだ。


 少女は勘案し、最も困難で長い時間を要する部分を伏せて説明することにした。


「神側の最高戦力である“毒林檎”を、殺す」

「そうか」


 異端審問官の返事はあっさりとしたものだ。明確に示された殺意に対しての反応が薄いのは、彼女が『異端審問官』であるからなのかもしれなかった。


「止めないの?」


 自分でも莫迦な問いだと少女は思った。


 異端審問官は鼻で笑った。


「止めて欲しいのか?」

「いいえ。でも、あまり良くないことかなって。それにあなたは神を信じているんでしょう? 止めなくてもいいの?」

「魔女を生み出すような神はわたしの信じる神ではないからな」


 そう告げる異端審問官の横顔は、すっきりとして見える。


(心境の変化かな)


 少女は相槌をうち、それじゃあ、と続けた。


「少年と二人でお留守番、よろしくね」

「……は?」


 素っ頓狂な声を上げた異端審問官。少女はきょとんと首を傾げた。何も脈絡のない話ではないだろうに。


「待て、どうして急にそんな話になった」

「だって私は“毒林檎”を殺しに行くのよ? どう考えてもあなた達が着いてきたら危ないでしょう? だからお留守番よろしくねって」


 “獣遣い”程ではないにしても、それなりに戦闘経験のある“毒林檎”を相手に立ち回るとなると、足手纏いはいらない。守るものがあるだけで枷になる。そしてその枷で生まれた隙を、かの魔女は必ず突く。突かないはずがない。


 そうなれば最後、少女も少年も異端審問官も、ろくな死に方はしないだろう。……それが分からぬ子ではないだろうに、どうして自分の話に理解を示さないのか。


 異端審問官は額に手を当てて、何やらボソボソと呟いていたかと思うと、大声で少年を呼び寄せた。


「おい、こいつ一人で危険地帯へ行くつもりだぞ。どう思う?」

「さっきの会話何も頭に入ってないのかなって思う」

「だそうだぞ“ひまわり”?」

「少年を味方につけないでくれる?」


 少女はため息を吐くと、少年の顔を覗き込んだ。きゅっと結ばれた唇からは、拒絶の意思が感じられる。言い訳じみたことは聞きたくないというわけか。少女は少年の手を握った。


「よく聴いて、少年。私は今から、魔女を一人殺しに行くの。とっても危険なの。それは分かるわよね?」

「危険なのは君も同じでしょ」

「私は──」


 魔女だからと、いつものように口走りそうになったのを、少女はすんでのところでとどめた。言ったが最後、喧嘩再勃発である。


 言葉を吟味する。うまく少年を丸め込めそうな一節は見つからない。


(こんなことなら、朝から晩まで魔法の研究に明け暮れるんじゃなくて、本をもう少し真面目に読んでおけば良かった)


「でも、私が行かなかったら、誰があなたのお母さんを治すのよ」


 少年の眉がぎゅっと寄せられる。そういう話ではないとでも言いたげだ。……あぁ、何も分かってくれていない。


(それなら、私が一人で行くのを止めるなら、誰が私の代わりに死んでもいいのか教えてよ)


 口の中で咀嚼し飲み込んだのは、答えの出ない問い。返答に困るであろう言の葉。少女の癇癪のようなもの。


 ──この役目を、『魔女』という名前ごと、誰かに押し付けられるのならそれでもいい。少女はさっさと只人に戻り、残りの人生を罪悪感に押し潰されながら過ごすことができる。天災でも人災でも寿命でも、自害でだって死ぬことができる。


 楽な方法だ。ずっと心の奥底で望んでいた、向こう側行きの列車の切符を手に入れる近道だ。


 だからその道を選ばないのは、少女なりのプライドで、『魔女』としての矜持だった。


 少女は腹の奥底で渦巻くものをひた隠しにする。少年と異端審問官が言わんとしていること──自分の命を粗末に扱うなということ──を正確に読み取った上で、敢えて粗末に扱ってみせる。……こうでもしないと、恐怖で動けなくなってしまうから。それを少女自身が許せなくなるから。


 固まってしまった空気を変えるため、パンと手を打ち、少女は朗らかに笑って低い声を出した。


「それにしてもあなた達、お留守番を舐めているわね? そんな様子じゃ痛い目見るわよ?」


 少年と異端審問官の二人は頭上に疑問符を浮かべた。少女は大袈裟にやれやれと首を振る。


「これだけ大掛かりにここまで来ちゃったんだもの。何も敵は“毒林檎”だけじゃないわ。ねぇ、教会のシスターを騙して馬車を借りた異端審問官さん」


 仮に少年の母を連れて少女の家まで連れ帰ろうとも、そこへ至るまでに一悶着起きるのは目に見えている。最悪、他の異端審問所の面面に見つかれば、少年の母は射殺されてしまうかもしれない。魔女に成り掛けの段階では、まだ不死性を保持していないのだ。


 道中での危険を考えると、ここに留まる方が僅かに安全だ。ただ……。


「噂には尾ひれが付き物よ。不審に思った教会の人達がここを訪ねてきても不思議じゃない。うまく誤魔化しなさいね?」


 むしろ今までそうされなかったのが不思議なくらいだ。寝たきりになって何も変わらない母親と、それを治すために『魔女』になると町を出て行った少年。こうして言語化すると二人とも異端審問に掛けられていないというのがどれだけの幸運か分かるだろう。


(……ちょっと脅しすぎたかな)


 少年はさあっと青褪めている。恐らく少女の家に来たばかりの日のことを思い出しているのだろう。あそこまで過激なものはそうそうないだろうから安心してほしい、とは確証が得られなかったので告げられないが。


 少女は二人が何か言い出さないようにと、早口でこうまとめた。


「お留守番がどれだけ大変なのかは理解できたようね。私は私の、あなた達はあなた達の身の危険を犯すの。いい? どっちがマシとかないから。適材適所だから。それじゃあ、ちょっと行ってくる。この犬さん借りていくわね」


 犬の悪魔の首根っこを掴み、少女は足早に少年の家を去ろうとする。後ろから、焦ったような少年の声が聴こえた。


「いってらっしゃい!」


 必ずここに帰ってきてと願うものだと分かったからこそ、少女は振り返り、一度だけ手を振った。「いってきます」とは、言えなかった。





 町から十分に離れた所で、少女は悪魔の首根っこから手を離した。黒いもやが手に纏わりついているのを、魔法で小さな風を起こし、払う。


『それで、吾輩に何の用であるか。もう契約は済んだだろう?』


 不機嫌そうに犬歯を剥き出しにする悪魔に、少女は軽い調子で述べた。


「再契約のお誘いよ。大体見当はついているのだけれど、“毒林檎”の居場所、教えて」

『断る、と言ったら?』

「あなたの本体諸共、この世からさようならさせてあげる」


 悪魔が押し黙った。消滅への危機感ではない。少女の目の前にある体が本体ではないと悟られたことへの危機感。通常であれば分身体は本体よりも劣る。よほどの強さを持った悪魔であれば、その分身体とも契約することができるが……さて、この悪魔はどうであろう。


 異端審問官は言っていた。中の上か中くらいだと。


(この前の契約に、不審な所はなかった。そもそも召喚術で呼び出したものが、使い物にならない分身体であるはずがない)


 ならば分身体と入れ替わったのは、道中。


『……いつから気付いておったのだ』

「さっき。少年に触られた時、黒いもや出してたじゃない。私の家で触ってた時はそんなの一つも出さなかったのに」


 悪魔の瞳に浮かぶは焦燥の感情。魔女から他の生命体になったモノを化け物と断言する悪魔が、魔女の恐ろしさを知らないはずがない。


 同意の上であれば問題はないが、契約の履行も済んでいない状態で分身体になり変わるとは何事か。探知の術の精度が微妙に悪かったのも、そのせいだと考えれば納得できる。召喚術に介入できるほどの力を持ったモノが駒にしている悪魔だ。生半可な力しか持ち合わせていないとは考え辛い。


 ──よくも魔女を欺こうとしてくれたな。


 少女は悪魔を睥睨し、“獣遣い”を相手取る時のような威圧感を滲ませ、強い口調で悪魔に命じた。


「誘いが誘いであるうちに、早く再契約をしましょう。それとも血生臭い戦闘がお好み? グ=グラシャ=ボラボラ=ラボラボ」


 “ひまわりの魔女”は、温厚な魔女などでは決してない。あいつらと何も変わらない化け物じゃないか。そう思い知った悪魔は『吾輩そんな名前じゃ……な…………い…………』と言い残し、泡を吹いて意識を飛ばした。


 もちろん少女の魔法によりすぐさま意識を取り戻し、半泣きになりながら簡易的な契約を交わしたのだった。





 さて、このようにして少女は“毒林檎”の居場所を知り、そこへ向かうのだが、その肝心な“毒林檎”の居場所とは、一体どこであったのだろうか。


 答えは単純明快。今回の『魔女裁判』が執り行われるとされていた土地、大陸の北東に位置する寂れた都市の一角である。


 引きこもりでただの一度も魔女に成ってから、人里での目撃情報がない今代の“ひまわりの魔女”は、必然的に魔女との交流も少ない。故に何も警戒せずにのこのことやってくると“毒林檎”は踏み、そこで待ち構えているはずだ。


 どうすれば相手の思考の裏をかけうるのか、不意を突くことができるのか、少女は移動時間中に熟考した。正面から正々堂々? そんなことをすれば少女の命は直ぐに散ってしまう。最古の魔女で魔法の知識も豊富に持っており、また日頃から他人の体を借りて人体実験をしている“毒林檎”とは、不測の事態へ対応するための経験の差が天と地ほどに離れている。


 どうすればいいのか答えが出ないまま、三日間の短い旅を終え、目的の都市に到着した少女は、彼女に無理やり引っ張ってこられた悪魔が何やら挙動不審な動きをしていることに気が付いた。


(嫌な予感がする)


 だが、問わないという選択肢はない。


「何かあった?」

『対象の……“毒林檎”の反応が途絶えたのである』

「途絶えた? 探知できない範囲に入ったんじゃなくて?」

『ぷつんと、消えたのである……うぅ……』

「…………」


 ガタガタと震える悪魔。……もう連れ回せない。役に立たない。そう判断した少女は、約束のパンを手渡し、早くここから離れるように指示した。


 悪魔と別れた彼女は、早足で目的地へと向かう。旅の道中で半ば恐喝するようにして聞き出した悪魔の探知術は、ほぼ完璧なものだった。鮮明なイメージと魔力の巡り方さえ一致していれば、対象が世界のどこにいようが探し当てることができる。


 そんな術が、そう易々と失敗するはずがない。加えて、少女の記憶が間違っている、ということもあり得ない。


 ならば導き出される原因は、一つしかないだろう。


(そうなれば、もう……)


 辿り着いた目的地。悪夢の体現地。


 人気のない廃墟の前で横たわるのは、“毒林檎”の死体。


 少女は乱れそうになる呼吸を必死で整える。


(誰が殺した)


 魔女ではない。辺りに魔法が使われた形跡もない。妖精や悪魔が“毒林檎”を殺す必要性もない。


 誰が、誰がと思考が渦巻く少女の脳内で、警鐘が鳴り響く。


 ──違う。違う。今考えるべきことは。手遅れになる前に。


(“毒林檎”を殺した相手から、私がどうやって生き延びるか──!)




 ────バンッ!




 正常な思考がままならない少女が銃弾から逃れることができたのは、ただただ幸運だったからだ。


 タイルで舗装された地面に、弾丸が転がる。


 ぱち、ぱち。ぱち、と拍手の音。


 物陰から現れたのは。


 “薬師”との会話が蘇る。




『“毒林檎”は一人でそれを始めたの?』

『ううん。異端審問所を巻き込んで』




「────初めまして、“ひまわりの魔女”。ワタクシは……異端審問所に勤める者です」


 何もかもが、おとぎ話のようにうまく収まらない。


 誰も彼もが、役割を放棄して踊り出す。


 それが吉となるか凶となるかは、もはや誰も、世界や神でさえも知るはずがない。


 少女は頬を引き攣らせながらスカートの端と端を摘んで礼をした。


「ご丁寧に、どうもありがとう」


 だから少女は今ここで、おとぎ話の延長戦で、もがくしかないのだ。

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