幕間 ある悪魔の話

 ──この世には化け物が多すぎる。


 それは常々、グラシャ=ラボラスが感じていることだ。


 そして目下彼、あるいは彼女を悩ませているのは、新興勢力の増加だった。


 掃いても掃いても出てくる塵芥のように、湧いて出てくる悪魔たち。


 どうやら人間界に……というよりこの世界に異変が起こっているようだということは想像に難くなかった。


 とはいえ、ラボラスにそれをどうこうする力は端から備わっていない。若いぽっと出の悪魔に階級を抜かされるということは一度や二度ではなかった。


 己に上へ上り詰めるほどの才はない。だがしかし、それを分かっていてもラボラスは悪魔をやめなかった。神が生み出した原初の悪魔に名を連ねている己が、悪魔でいなくなるなど考えられなかったからだ。


 ラボラスは悪魔が元来より持つ欲求に従い続けた。


 人の世に混沌を。人の世に殺戮を。


 心地よい悲鳴を聞かせろ。


 奈落の底まで突き落とされたような絶望を見せろ。


 契約をしよう。お前の美味しい魂と引き換えに。


 ラボラスは悪魔らしい悪魔だった。だからこそすぐ人に封印されてしまった。


 悪魔は不滅だ。例え業火や聖なる光に焼かれようと、聖剣で貫かれようとも、封印されようとも、存在自体がなくなるということはまずもってありえない。


 ただ、自我が摩耗するだけ。擦り切れてしまえば、消滅してしまった自我とは似て非なるものが生まれ、何事もなく定着する。


 長い長い封印だった。悪魔としての欲求が満たされない、苦痛の時間が長く続いた。怒りが溜まった。憎しみが溜まった。だがそれらはラボラス自身の生命力へ昇華される形で消費されていった。


 摩耗しない精神。ラボラスは考えることをやめ、ただ数を数えることにした。


 六十三億五千二百六十七万千八十一。


 唐突にその時はやってきた。


『な』


 ラボラスが声を上げたのは、封印が解かれたからでも、久々に月の光に照らされたからでも、目の前にいるモノに己の羽をもがれたからでもない。……否。羽をもがれた痛みもあった。トレードマークを奪われた怒りもあった。けれどもそれを掻き消すほどの強い感情が、胸中を占めていた。


 ぐちゃぐちゃの肉塊。途轍もない魔力量。格上。魔女。そんな言葉がラボラスの頭の中を駆け巡る。本能が跪けと叫んでいる。……お前もあんな風になりたくはないだろう、と。


 そこでラボラスは、この肉塊が悪魔達のものであると知った。本体は実体を持たないはずの、悪魔達のものであると気が付いた。


 ……一体どのような禁忌を犯せば、このようなふざけたことが可能になるのだ。


 背中を見せれば、己もああなってしまう。


(化け物が)


 内心でそう毒吐きながら、ラボラスは己の封印を解いた怪物と相対した。相手が何者か、自然と情報が頭の中に入ってくる。ラボラスは過去と未来と人文科学をよく知る悪魔であった。


『……悪名高―い“獣遣い”が、一体この吾輩に何の用であるか』

「お前原初の悪魔だろ」

『…………』

「悪魔になるにはどうすればいい?」

『教えるわけがなかろう』


 ラボラスは間髪を容れずに拒絶した。教えたが最後、史上最悪の凶悪な悪魔が出来上がってしまう。人の文明が一夜にして滅ぶだろう。それはラボラスの望むところではない。各種族のパワーバランスも、一瞬にして崩壊するだろう。


 どうしてだかこの世のどんな生命体も、悪魔や妖精、人や魔女、果てには龍にまで成り得てしまう。変質には多大な代償と痛みが発生するが、それでも成り得てしまう。


 だからこそ新しい悪魔が生まれているのだ。


 分かったなら早く羽を返せと、ラボラスが短い前足で“獣遣い”を引っ掻いていると、かの化け物は満足そうに呟いた。


「あるわけじゃないって言わねぇってことは、あるにはあるんだな?」

『隠しても無駄であろう? さっさと吾輩の羽を返せ。現物があるのとないのとでは、傷の治りが違うのだ』


 “獣遣い”は興味がない、といった風に、もいだラボラスの羽を放り投げる。己の体に所狭しと張り付いていた肉塊も、適当に落としていった。


 この四十三万秒後に“獣遣い”が己が『魔女』になった時の感覚を頼りに、何の文献も調べず自力で悪魔となるなど、ラボラスは予想すらしていなかった。





「というわけで、お前は“ひまわり”のお守りを頼む」

『…………えぇぇぇ』


 “獣遣い”はその圧倒的な力で、悪魔へと変質してから僅か一日足らずで大王の位まで上り詰めた。勿論大総帥であるラボラスに、大王からの頼みを断る権利はない。断ったが最後、首と胴が別れを告げてしまう。


 因みにラボラスの元へ“獣遣い”がやってきたのは変質してから二日後のことだ。ふらっと虚空から現れた“獣遣い”から溢れ出すあまりにも禍々しいオーラ。ラボラスが大層驚いたのも無理はない。


 そして彼の企みの全てを、共犯者として既にラボラスは知らされていた。実に化け物らしい企みで、化け物ではないラボラスには到底理解できないものだった。


 やり場のないもやもやとした感情をラボラスは内に秘めて、代わりに嫌味を投げた。


『一番大事な宝物を、吾輩に任せていいので?』

「お前ただの犬だし」

『…………』


 ああ、全くもって腹立たしい! 嘗ては殺戮の悪魔と呼ばれていた吾輩の力を見せてやろうか……と、大して力を持っていないラボラスは後ろ足で地を蹴り付けながらそう考えた。


「必要なことがあれば言え。あいつに関わることなら、何でも協力してやる」


 “獣遣い”は──ホルンフェロンテは、無表情で告げた。


 ラボラスはふんと鼻を鳴らす。それを不敬だと戒めるモノはここにはいない。


『異端審問所の破壊、魔女裁判の廃止……やることが多過ぎるのである。吾輩のような犬ではなく、もっと有能な悪魔を徴用して吾輩の負担を減らすべきなのだ』


 何より数が多い方が出所を知られにくい。かの“毒林檎”のように徹底的に何もかもを欺きたいのなら、ホルンフェロンテは自ら動かず、指示を出すだけに留めたほうが良い。


「多過ぎると動き辛くなるだろ。オレは悪魔の王になるつもりはない」


 王の素質を持つ癖に、大王の位についている癖に、責任は負おうとしない。どの悪魔よりも自由なホルンフェロンテを、ラボラスはどこか羨望の眼差しで見上げる。


 ラボラスはそれ以上何も言わず、大人しくホルンフェロンテの命令に従うことにした。






『ワンッ』

「…………………………犬だな」

「…………犬、ね」




 召喚術が行われる気配を察知したラボラスは、召喚術に介入し(もちろんホルンフェロンテの助力あってこそ成せたものだったが)、無事“ひまわりの魔女”の元へ辿り着くことができた。……できたのだが。


(なんであるかこの森ぃ! 規格外の魔女が管理しているにしても、壊れっぷりが凄まじいんだが⁉︎)


 森の荒れ具合に内心悲鳴をあげていた。人語を操る動物。何度も生き直した跡があるひまわり。歪んだ空間の残骸。戻ってこい正しい生態系。消え去れ残骸。いったいどう放置していればこうなるのか。自称潔癖症のラボラスにとって有り得ない事態だった。


 今すぐにでも『正しい形』に戻したいと心から願うラボラスだったが、優先順位を見誤ってはいけない。最優先事項は“ひまわりの魔女”との契約と見せかけての護衛である。時間稼ぎである。彼女の考え方を、少しでも「生」の方へと変えることである。……子犬扱いされたからって怒ってはいない。いないのだ。現在進行形で守れていないが、いつでもレイセイチンチャクがラボラスの信条だ。




「グ=グラシャ=ボラボラ=ラボラボさん。グ=グラシャ=ボラボラ=ラボラボさん。グ=グラシャ=ボラボラ=ラボラボさん。グ=グラシャ=ボラボラ=ラボラボさん。グ=グラシャ=ボラボラ=ラボラボさん。グ=グラシャ=ボラボラ=ラボラボさん。グ=グラシャ──」

『も、もうやめろぉぉぉぉぉぉぉ‼︎』




 名前を忘れてしまったり、間違った名前を覚えられて連呼されたり、これまた|自力で妖精に変質した元魔女化け物と遭遇してしまったりと散々な目にあったラボラス。


 そんなラボラスは固く決意した。もう二度と、化け物達とは関わらないと。


(早くこの騒動が終わってくれぬかなぁ……)


 「少年」の家で、異端審問官のニンゲンと適当に言い争いをしながら、ラボラスはふわっとあくびをした。




 ────バリバリバリ‼︎




『…………』

「…………」


 ラボラスの苦労はまだまだ続きそうだ。

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