第二十二話 最古と偽物の魔法合戦

 『魔女』の代替わり。


 それは何百年も生きる魔女からすれば、数十年に何度か起こる、特別でも何でもない行事だ。


 調整期間中のモノをどの魔女が保護するのか、ということで魔女同士の押し付け合いが発生し、魔法合戦が起きたり起きなかったりするが、外部への影響、つまり異常気象が発生したり、動植物の数が激変したり、などといったことは全く起きない。『魔女』に選定されたものの中身が変質するだけだ。


 だからこそ、少女達の目の前に広がる、この光景は一体何なのであろうか。


 答えは単純。


(これは『魔女』の代替わりに関係するものではない)


 その証拠に、部屋の外で感じていたおどろおどろしい空気は、依然として少年の母の元から漂っている。


 ……ならば、この部屋には別の何かが眠っている。


 例えば。


 そう知覚すると同時に、少女は素早く魔法を使い、少年の母と自分たちの周りとを遮断した。


 その僅か数秒後、少女と少年が立っている所へ衝撃波が虚空から打ち出された。これも魔法だ。それも高火力の。


 ドオン、と爆音が鳴る。少女が魔法で生み出した遮断壁にはヒビが入っていた。


(調整期間中の魔女なら、私が保護すればって思ったけど)


 少年の母の方に近付こうとした瞬間に、パチッと火花が爆ぜ、少女の目の前に『保護済』という三文字が浮かびあがる。やはりそう上手く事は進まないようだ。


 少年の母は既に“毒林檎”に保護された後だった。


 さらに少年の母が寝かされていた部屋には、条件起動式の魔法が至る所に張り巡らされている。


 設定されている条件は至ってシンプル。──この部屋に“毒林檎”以外の魔女が入った時、その魔女を排除すべし、攻撃すべし、というものだ。


 そして、あれだけ勢いよく魔法がぶつかっていたというのに、部屋の壁が崩壊する素振りを全く見せないということは、つまり、ここが外界から隔絶された、『記録室』のような異空間であるということなのだろう。面倒臭いことこの上ないが、こちらもどれだけ暴れても、きっと現実の少年の家は傷付かない。不幸中の幸いと言うべきか。


(“毒林檎”の仕業か。……最古なだけはある。どれだけの魔力を消費しているのやら)


 絶え間なく降り注ぐ魔法の数々は、全て殺傷力が高いもの。少女が初めて見る魔法もあった。


(そろそろ限界、かな)


 初めに展開した魔法壁は、大きなヒビが三つ四つと入っていた。あと数分持てばいい方だろう。もう少し硬い魔法壁を展開しても良かったのだが、少年を守りながら広範囲のものを、となると消費する魔力量も多くなってしまう。万が一魔法を使い過ぎて失神なんてしてしまえば、少女も少年も命はない。


 少女は早口で少年に告げた。


「少年、今すぐこの部屋から出て」


 魔法の対象が少女だけなのであれば、少年が、ただの人間が逃げても追ってこないはずである。少女としても守るべき対象が一人減った方がやりやすい。


 少女の言葉に少年は頷くと、ゆっくりと扉の方へ後退する。足が震えて急には走れないのだろう。無理もない。


 少女はそんな少年の周囲に、気休め程度の新しく小さな魔法壁を張った。少女の心配症から張ったものだったが、結果的にそれが少年の命を救った。


 少女は誤解していたのだ。甘く見ていたのだ。“毒林檎”の執着を。執念を。


(……? 軌道が僅かにずれている?)


 小さな違和感。少女がそれを感じたと同時に、少年の方に張っていた魔法壁がパリンと音を立てて割れた。


(しくじった……!)


 ここから誰も生きては帰さない、外部への情報の漏洩を許すまじという意思。少女は今の魔女を認められないという“毒林檎“の想い。それら全てを、少女は見誤っていた。


 新たな魔法の発射速度に、少女が新たに展開する魔法壁は間に合わない。少女は必死になって叫んだ。


「っ、しゃがんで!」


 少年が頭を抱えて勢いよくしゃがみこむ。続く轟音。「大丈夫⁉︎」という声が聴こえてくるあたり、どうやら少年は間一髪で避けることに成功したようだ。


 少女は先程よりも強度の高い魔法壁を幾重にも張り巡らせ、少年の元へと駆け寄る。


「少年のばか、私より自分の心配をしなさいっ」


 少女が診たところ、少年に目立った外傷は無かったが、頭をぶつけていたり、内臓が潰れていたりするかもしれないのだ。いくら条件付きの、普段よりも威力が出ない魔法であるとはいえ、安心できるはずがない。


 少年はへらっと事の重大さが分かっているようないないような笑みを浮かべた。


「僕って結構運いいから大丈夫だよ」

「三日も森で迷ってた人の台詞だとは思えない……信用できない……」


 安静にしてて、ともこの状況下では言い辛い。……そもそもこの状況を、何と説明するべきか。


 少女は悩みに悩んだ末、少年に問うた。


「少年は」


 少女の言葉が途切れてしまったのは、何故だろう。少女は首を振り、気を取り直してもう一度口を動かした。


「……少年は、お母さんが『魔女』に成ってしまう未来を許せる?」

「母さんが、君みたいになるってこと? それとも……」


 勘がいい子だ。


「残念ながら、それとも、の方。正真正銘、御伽噺で語られるような邪悪な魔女。ただただ世界を円滑に廻すだけの部品に成り下がる。……それでもいい?」


 『魔女』は部品だ。部品であらなければならなかった。部品にしては、あまりにも自由でありすぎた。


 『魔女』が“毒林檎”が思う通りのモノであったのなら、少年の母のような被害者は出なかったのだろうか。


(いつもいつも、私たち魔女は間違ってばかりだ)


 どう頑張ろうとも、元が人間であるから情が捨てきれない。完璧な部品には成り得ない。


 それでもいいと、認めてやらなければどこにも進めない。


 とても歪な歯車だ。


 歯切れ悪く、少年が答える。


「……それは、ちょっと」


 そう言うと思った。


 少女はほっと口元を緩めた。


 あなたはずっと、“ひまわりの魔女”じゃなくて、“私”を頼ってくれていたから、だから、そう言うと思った。


「うん。だよね。私もそんな風になるのは嫌だし」


 少女は自分が思っている以上に、『魔女』という役割にしがみついて生きてきた。それを苦しいと思っているくせに、そこを否定すれば自分の全てが壊れてしまう気がして。そうなってしまうのが怖くて。


 『魔女』という名が何の理由にもならないと、それが全てではないのだと気がつくまでに、随分と長い時間を掛けてしまった。


 少年の先程の言葉は、決して少女を否定する言葉ではない。


 ちゃんと受け入れられる。


 ちゃんと向き合える。


「じゃあ、やることは一つ」


 何が怖くて、何が嫌なのか。


 何がしたいのか。何がしたかったのか。


 罪と罰は消えない。少女が何者になろうとも、少女はずっと汚れたままだ。


 けれど。


(それでもいい)


 どこかに進めるのなら。


 幸せな結末を、自分で用意すればいいのだと知ったから。


 可哀想と言われるのが嫌なのであれば、誰がどう見ても可哀想ではない結末を用意してやろうではないか。




「“客人規定“に従って、ちゃんと少年の願いを叶えてあげる」




 ああ、なんて気分がいいのだろう!


 少女の『魔女』である部分が、やめろと制止するのも、お前のやろうとしていることは、世界への排反だと詰るのも、魔女に成るという僥倖をお前が奪ってはならないのだと怒っているのも、魔女の数を減らすつもりなのかと嘆き問う声も、全く気にならない。鼻で笑い飛ばすことができる。


(私は掟で定められた規定に従っているだけなのに、おかしなことね)


 少女はパチンと指を鳴らして、周囲に氷の矢を生成する。水の球体を作る魔法の応用だ。消費魔力も少ない。


 ちらりと少女は少年の方を見遣った。


「いい? 今から絶対に、私のそばを離れないで」


「分かった」


「素直でよろしい」


 少女は目を細めると、魔法壁を消滅させた。無数に降り注がれる高火力の魔法に、全て氷の矢を放って対抗する。同火力の魔法を使い、相殺しなくとも構わない。同じ場所に留まるのであれば、少し軌道を変えて着地点をそこからずらせば済む話だ。力と力をただただぶつけるなんて、バカのする所業である。


(軌道、順番、威力……全て覚えた。もう見誤らない)


 条件起動式の魔法にはいくつか欠点がある。一つの命令しか受け取れない。複合魔法や複雑な魔法、魔女固有の魔法は条件起動式魔法に組み込めない。


 少女だけでなく、他の誰もが不便すぎて使おうとは思えない代物だ。保険や補助として仕込むことはあれど、それを主戦力として使うことはしない。欠点があまりに大きすぎるから。


(その点“毒林檎”は上手い)


 異空間を作り出し、その全てに条件付きの魔法を仕掛けた。光を鏡で反射されるように、魔法を何度も跳ね返し、そして跳ね返された分だけ魔法が強化されるよう細工を施していた。


 部屋に入った瞬間に、魔法の塊が飛んで来なかったのは、そういう理由だ。最初に打ち出されていたのが、あまりに小さく弱い魔法であったからだ。


 そうして油断させ、一瞬で意識を刈り取っていく戦法なのだろう。


(魔女裁判外での魔女同士の殺し合いは禁じられていたはずなんだけど、な)


 魔法は魔女でないからいいという理屈なのか、それともその掟も使い物にならなくなっているのか。


 “毒林檎“の元に行った魔女が帰ってこない、ということからして、この疑問は今更なのであろうが。


(とりあえず、この部屋から出なければ)


 話はそれからだ。少女は手を振って、今もまだ尚降り注ぐ魔法を対処していく。かなり集中力のいる作業だったが、魔法についてずっと研究していた彼女にとっては全く苦にならない。


 それにしても、と少女は思う。……流石の“毒林檎“でも、短期間で多くの代替わり中のモノを見つけ出し、そのモノひとりひとりの周囲にに完璧な魔法を張り巡らせるのは不可能だったらしい。所々に雑な部分や未完成な部分が見受けられる。宙に描かれた古代文字などがその最たる例だ。所々擦れて読み辛くはあるが、魔法を何年か研究していたものならすぐに分かる。これは魔法の概要が言語化されたものだ。


(星、滲み、結界、壁、魔、贋物、射、加、乗、反応、熱、振動……)


 一見意味のない単語の羅列。可視化された魔法だ。文字や楽譜、形にして魔法の原理を分かりやすくするという手法。その手法で生み出されたものを読み取り理解すれば、その魔法を知らないものでも使用方法が分かるという優れもの。魔法書などによく使われる手法だ。ただ、数多くあるメリットよりもデメリットの方が目立つ。なぜならば、可視化された魔法は、膨大な量の情報の塊であるからだ。


 魔法は可視化するべきではない、とどこかの専門家が論じていたことを少女はふと思い出した。あまりに膨大な量の情報の塊である魔法は、可視化してどうこうするよりも、使用者の頭の中に留めておいた方がいいと。感覚で使えるのなら、そちらの方がよほど効率的だと。


(その通りだ)


 大きく複雑な魔法になればなるほど、扱いづらい魔法になればなるほど、魔法を可視化した時、必然的に情報量は増える。いちいち理解しながら書き記していれば、いつか脳が焼き切れてしまうだろう。


 だがそれは、一般の魔法師や魔法使いの話だ。体に限界のある、人間の話だ。どれだけ脳を酷使しても、魔女は死なない。


 唯一の例外が、魔女が唯一扱うことのできる魔法たちであろう。少女も一度、精神保護の魔法を書き記そうとしてみたが失敗に終わっていた。


(久しぶりの解読作業だ)


 少女は集中して魔法を読み解く。この魔法の要を。突けば一瞬で壊れる隠された脆い場所を探す。常人ならば眩暈がするほどの膨大な情報量を、必死で取り込んでいく。読み込んでいく。没頭する。


 息をするのも、忘れるほどに。


 そうして、十数秒が過ぎた。たった十数秒。無限にも思える十数秒。魔女である少女には、それで十分だった。


(この空間に穴はない。硬い性質も持っていないから、一点集中で壊そうとするのは悪手。なら)


 痛む額を左手で抑えながら、少女は謳う。


(内側からかけられた圧の分だけ、押し返そうとする力は働いているみたいだけど)


「──さ、力比べをしましょうか」


 新緑の瞳が爛々と輝き、何千、何万の小さな氷の矢が少女たちを取り囲むように顕現する。一つ一つの殺傷能力は高いわけではない。人に向けても、精々一瞬の間チクッとするだけだ。


(この異空間から脱出するのに、穴を開ける必要はない)


 風船に空気を入れ過ぎると破裂するように、内側を膨張させればそれで全て事足りる。押し戻そうとする力に、単純な力と速度で対抗すればいい。


 少女は氷の矢一つ一つに等加速の魔法をかけ、異空間の壁を埋め尽くすよう一斉に放つ。追加で氷の矢を生成し、放つことも忘れない。ズドドドドと轟音が鳴り響く中、彼女は微笑って呟いた。


「押し出せ」




 ────ビリッ。




 はらはらと、魔法の残骸が舞う。


 滑稽なことに、完璧でない最古の魔女の魔法は、百数十年生きただけの紛い物の魔法に敵わないのだ。

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