第二十一話 悪い予感は的中するもの
「──準備はいいか?」
「もちろん、って言いたいところだけど……この靴歩きにくい。靴擦れしてるわよ、絶対」
「そのくらい我慢しろ。はったりが大事なんだ」
「はったり、ねぇ……随分と大掛かりだけど、本当に大丈夫?」
「何かあったら、全て悪い魔女のせいにするから大丈夫だ」
「……ふふっ、それもそうね」
少女は異端審問官が用意した真白のドレスを身にまとい、ヴェールを被る。
情けない。不甲斐ない。女が精一杯の知恵と勇気で出してくれた計画だというのに、自分が不安を感じているなんて。あまりにも失礼な話ではないか。
少女はぱんぱんと頬を叩いた。異端審問官が少女に訊ねる。
「最終確認だ。……『お前は誰だ?』」
「『神の預言者で、世間には公表されていない教会公認の巫女見習い。神から授かった不思議な力を使えて、不治の病に冒された母を持つ少年の頼みで、町へ下りてきた』、でしょ」
答えながら、少女は一夜で準備したには上出来の筋書きだ、と思った。つくづく、人の行動力と発想力には驚かされる。
くあっとあくびをしながら悪魔が異端審問官に声をかけた。
『おい人間。少し疑問があるのだが』
「なんだ悪魔。お前に答える義理はない」
少女には分かる。今の異端審問官は悪魔に声を掛けられたから怒っている訳ではない。大して好きでもないやつに、あくびついでで適当に声を掛けられたことに怒っているのだ。難儀な人間であるなぁ面倒臭い……ときっと悪魔は思っているのだろう。
悪魔にとって人間は食い物である。格下の存在である。気遣うなんて芸当、するはずがない。
犬の形をした悪魔は、やはり気にせずに異端審問官に問うた。
『この馬車は本物だろう。どこから手に入れてきた』
「……異端狩りに使うからと頼んだら快く貸してくれたぞ、教会が」
それでいいのか教会。いささか盲目すぎやしないか教会。
異端審問官は教会を騙したことに罪悪感があるのか、拳を握りしめて震えている。
「すまないシスター……説教は異端審問所を潰してからにしてくれ……!」
(あれ、罪悪感抱いてない⁇)
異端審問所のことを真の悪と言うあたり、よほど今回の件で腹を据えかねている所があるのだろう。
少女が女にどう言葉を掛けるべきか迷っていると、いつの間にか足元に悪魔がいた。
悪魔にしては珍しく、じっとこちらを見上げている。
「どうしたの?」
『あいつは変わったぞ』
前足をぴっと異端審問官の方に向けた犬悪魔は目線だけをこちらに向けた。
──お前はまだ変わらないのか、と。そんな意を滲ませて。
「…………」
少女は目を伏せた。
変われなければ契約不履行。あの時の宣言通り、少女はこの悪魔にバリバリと食べられてしまうのだろう。
(それは嫌だ)
だって、少女は少年の母を治さねばならないのだ。途中で喰われてしまい、願いを叶えられなくなるのは、自分も少年もきっと後味が悪い。
それに。
「…………ねぇ悪魔」
それに、少女は。
「取引をしましょう」
『この後に及んで何の取引であるか?』
「私が変わらないとってあの約束、もうちょっと待ってくれない?」
『嫌である…………と、言いたいところだが』
悪魔はぴっとパンの入った袋を指さした。
『今日の吾輩は機嫌がいいので、特別にあれで許してやろう』
「パン一つ? あら、随分と気前がいいじゃない。じゃあそれで再契約ね」
悪魔の気が変わらないうちにと、少女はパンと手を叩き、契約の書き換えを行なった。この間僅か二秒である。
悪魔が悲壮な声を漏らす。
『あれといったらあの袋に入っているパン全てなのであるぅ……!』
少女は無視した。最初からきちんとそう言っておけばよかったのだ。言葉不足は悪魔との契約で致命的となるのだからと、古い魔法書にも確か書かれていたはずだ。……悪魔の方が自滅する話は聞いたことがないが。
地団駄を踏む悪魔を視界の端に追いやり、少女は再度瞼を落とした。
……きっと、まだ心が落ち着かないのは、不安になってしまうのは。
軽く深呼吸をして、少女は念じた。いつも通りの言葉。いつも通りの内容。けれど、今までのそれとは全くもって、違う。
(私は、魔女だ)
どう頑張っても、人ではない。人には戻れない。その事実は、今までも、これからも、きっと少女の心を縛りつけるのだろう。どうにもならない現実にうちのめされ、苦しくなってしまうのだろう。
だけど、少女が敬愛する師も、魔女だったのだ。人よりも随分優しかったけれど、魔女であったのだ。
だけど、魔女であっても、普通に接してくれる人間はいたのだ。
ならば、魔女であるという事が、そのものの本質であるわけではない。魔女全ての性根が腐っているはずがない。人間にだって、少年と異端審問官のように、対極の考え方を持っている者達がいる。異端審問所の中でさえ、必要悪だと“毒林檎”と組むような輩もいれば、女のように異端の全てに憤っている者もいる。
名は力だ。それが強力なものであればあるほど、与えられた名に縋りたくなる。それは時に、絶大な力を発揮する。
(でも)
それに雁字搦めになり、諦めるのはやめよう。
諦めていたことから、目を逸らすのはやめよう。
だって、そうでなくちゃ、私の信じた奇跡は起こせない。
(私は、
せめて、こんなどうしようもない魔女に好意を向けてくれた人を、善意を向けてくれた人を、がっかりさせないように。
いつか魔女である自分を、自分が認められるように。
とびきりの
「──じゃあ、行きましょうか!」
やるべきこと、成すべきことは決まっている。
残りの自由で一体何を掴むべきか。
少女は何を掴みたいのか。
答えはきっと、最初から彼女の中に埋まっているのだ。
◯
簡素な朝食を済ませた少年は、何やら家の外が騒がしいことに気が付いた。ふと窓の外を見遣ると、何やら少年の家の周りに人が集まっている。一体何事だろうか。
「……あ」
隣の家のおばさんと、窓越しに目が合ってしまった。彼女はずんずんと窓の方まで近付いて来て、慣れた調子で少年の家の窓をあける。怒っていいかなと、少年はまだ覚醒しきっていない頭の隅で考えた。
「えっと……おはよう、おばさん。どうしたの?」
「どうしたのってお前ねぇ……」
おばさんは呆れたように額に手を当てる。
「お前が依頼したんじゃないのかい。しっかりしな」
「依頼? 何の?」
「おっかさんの病気、聖職者達に治してもらうんだろ?」
彼女が指差した先には、いかにも教会が所持していそうな、荘厳な馬車が停まっている。なるほど、先ほどの騒ぎはこれが原因だったのか。
……いや、それにしても、だ。
「聖職者達?」
少年は首を傾げた。確かに、少年は少女に、“ひまわりの魔女”に母の治療を頼んでいる。しかし、彼女がこんな目立つ方法で来るとは思えない。
ならば、聖職者達とは一体誰のことなのか。敵なのか、味方なのか。
(魔法で何とか、目眩しくらいはできるかな)
手のひらほどの大きさの水の塊をいくつか魔法で生成した少年は、じっと馬車の方を見つめる。失礼だと思われるかもしれないが、前触れもなくやってきたのはそちらなのだ。顔を見て本当に聖職者であるのか確認するまで、家に上げるつもりはない。
馬車の扉が開く。中からは丁度、あの魔女の少女と同じくらいの背丈の、白いドレスとヴェールを纏った者が出てきた。
(……怪しい)
少年は警戒心を一段と強くした。なぜならばヴェールで顔を隠す者は、決まって何かやましい事があると相場が決まっている──そう、少女の家にあった冒険小説(“獣遣い”が彼女に贈った物だ)に出てきたからだ。ただの偏見である。
白いドレスを纏ったその者は、忙しなくあたりをキョロキョロと見渡すと、おぼつかない足取りで少年の家の方に駆けてきた。
聖職者がこんな奇行に走るわけがない。そう少年は結論づけて、迷う事なく水塊をヴェールに向けて発射させた。
はらりとヴェールが外れた。ついでに少年の隣の家に住んでいるおばさんは顎が外れんばかりの表情を見せている。住人達の騒めきが、水を打ったように静かになった。
そして現れる、雫だらけの端正な顔立ち。翠玉にも負けない新緑の瞳。形の良い眉は顰められており、頬を伝って水滴が落ちている。
(あ)
「……出会い頭に随分なご挨拶ね、少年」
そこに立っていたのは少女だった。
水をぶっ掛けられ、大層おかんむりの。
「はい。ちょっと汚いかもだけど」
「ありがたく使わせてもらうわ」
少年は少女にこの家で一番綺麗な布を手渡した。色々と問いたいことはあるのだが、流石にこの状態の少女を無視して話を進められない。
少年はちらりと玄関の方を見遣った。そこで異端審問官と喋る犬(悪魔らしい)が先ほどからずっと口喧嘩をしている。キャンキャンとどちらも犬のように(片方は犬の形をしているのだが)吠え合っており、このままでは騒ぎを聞きつけた近隣の住人が、また集まってしまうかもしれない。
率直にやめて欲しいなと少年は思った。無論、女の性格上、あの喧嘩を止めに入っても無駄だということは分かりきっていたので、何も口出ししないが。
「えっと……お茶はないから水でもいい?」
少年は緊張で胃をひっくり返しそうになりながら、コップを取り出してそう訊ねた。少女とあのような別れ方をしてまだ数日しか経っていないのだ。
赦されているとは、到底思えない。思ってはいけない、けれど。
「喉が渇いてないからいいわ。それより先に、お母さんの容態を見せて?」
少年の困った様子を見て、安心させるように優しく微笑む少女。
喧嘩別れする前と全くと言っていいほど変わらない態度に、少年は思わずほっとして、そんな自分に呆れた。
彼女が変わることを望んでいたはずなのに。変わらないことで酷く救われた気持ちになるなんて。
(最低だ)
唇を噛んでみても、血さえ滲まない。そんな自分を軽蔑しながら、少年は少女を母の寝室まで案内した。
◯
(少年、目の下の隈がひどいな……)
きっと、母のこと、自らのこと、日々の暮らしのことで頭がいっぱいいっぱいになっているのだろう。
これは一刻も早く、少年の不安の芽の一つを摘まなければ。
決意を新たに、医術書の内容を頭の中で暗唱する少女は、けれども次の瞬間、息をするのも忘れて凍りついた。
(これ、は)
つぅっと冷や汗が背筋を流れる。
予感していなかったと言えば、嘘になるが。
(的中してほしくはなかった)
◯
「えっと、この部屋にお母さんがいるんだけど……」
ふと、少女の方を振り返った少年はぎょっとした。少女の額には脂汗が浮かび、血の気が失せた顔で、目を見開き、何かぶつぶつと呟いている。心ここに在らず、といった表情だ。
少年は少女の肩を揺さぶった。
「大丈夫? 顔、真っ青だよ」
少女は信じられないものを見るような目で、少年を射抜く。
「…………少年は何も感じないの?」
震えた声で、紡がれる。少女の怯えは、少年にも伝わった。
「こんなにはっきり、分かるのに」
長い睫毛が、伏せられる。そう言われても、少年の目の前には見慣れた部屋の扉しかない。何も感じない。
少女は、少しだけ口の端を持ち上げる。歪な笑い方だ。
「……いいわ。開けて、少年」
少年は言われた通りに、扉を開いた。
──
(ここは、どこだ?)
朝だと言うのに部屋は夜の闇のように真っ暗で、チカチカと小さな星のようなものが点滅している。ぽちゃん、と音がしたかと思うと、赤や紫の色が滲み黒に溶け出す。星座線のように空中に描かれたのは、古代文字だ。
どう見ても、感じても、少年がよく知る母の寝室ではない。
これは一体何なのか、と少年は少女を見遣る。
少女は少年の方に一瞥も投げなかった。
ただぽつりと、呟いただけだ。
少年の母が昏睡している、その
「『魔女』の、代替わり」
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