第十九話 あなたに翅を

 後夜祭が始まった頃に、少女達一向は街に辿り着いた。


「あ、もう祭り終わっちゃってる。あなたはここの夜景見たかった?」

「いや、別に……」


 分かりやすく肩を落とす異端審問官に少女は苦笑する。道すがら何度もこの街のパンフレットを眺め、また早足になっていたのだ。よっぽど見たかったのだろう。


(後で何か埋め合わせをしよう)


 楽しみがあるのは良いことだと少女は知っている。異端審問官の生きる理由が増えるのは、願ってもいないことだ。


『さて、もうすぐお探しの人間の元へと辿り着けるが……お前まだ変質してないぞ。さっさとどうにかしろ! 吾輩は魔女の肉など喰いたくないわ‼︎』

「だったらなんで全身バリバリ喰ってやるって脅したのよ」

『だって吾輩あいつに──いやいやなんでもないのである!』

「……ふぅん」


 少女は胡乱気に目を細めた。……やはりこの悪魔、誰かの思惑の元動いている。やはり、あの量の供物では悪魔など召喚できるはずがなかったのだ。


(その誰かは、召喚術に介入できるくらいに強い力を持っている。下手したら、世界を滅ぼすくらいの)


 そんな大物が少女に一体何の用なのだろうか。配下を使わすのではなく、自ら姿を現せばいいのに。“ひまわりの魔女”など、脅威ではないだろうに。


 釈然としないが、この犬の形をした悪魔がこちらに危害を加えてこない限り、対抗策も講じられない。。とりあえずは放置するしかないようだ。


(余命あと一週間もない魔女に何を求めているのかは知らないけれど)


 鬱陶しい。汗で額にへばりつく、髪のように。


 少女は露店でランタンが浮かんだ夜景を描いている絵葉書を一枚買うと、こっそりと異端審問官のポケットに入れた。


「それで、ここからあと少しなのよね? 次はどう動けばいいの?」

『あ、えっと……その、だな』


 なぜか急にゴニョゴニョと口籠る悪魔を見て、少女は嫌な予感に駆られた。


 悪魔が上目遣いで少女を見遣る。


『吾輩、大体の場所しか分からないって言ったら……どうする?』

「契約と違うって締めるけど⁇」

『ひえっ』


 異端審問官の足元に隠れるも、容赦なく蹴られる悪魔。


『吾輩の術、大雑把な所までしか把握できないのだ……いやいや締めないで! 動物虐待だ‼︎ え、お前は動物じゃないだろうって? いやそうですけど‼︎』


 悪魔によると、彼の能力は対象人物が半径一キロメートル以内にいる時、使い物にならなくなるそうだ。


 ということは、ここからは手探りで少年の居場所を探すしかない。約束の日まではまだ猶予もあるし、半径一キロメートル以内ならどうにかなる。


(半径十キロメートル、とかじゃなくて良かった……悪魔の感覚アバウトすぎて洒落にならないし)


 少女がほっと息をつくと、どこからか「……“ひまわり”?」と呼ぶ声が聞こえた。


(……あれは)


 ちょこちょこちょことこちらに近付いてくるのは。


「うん。あってた。久しぶり、“ひまわり”」

「……“薬師”?」


 数年前から行方不明になっている“薬師の魔女”だ。


(魔女の掟も無視して、どこにいたのか。……ううん。まずはどうして妖精になっているのか、だ)


 “薬師”は険しい目をしている少女に笑いかける。まるでこちらの思考などお見通しだと話しているようだ。


「やっぱりこれ、魔女にはばれる。とくね」


 強い風が吹いたかと思うと、“薬師”の擬態がとけ、長い耳があらわになる。身にまとう衣服も、重苦しい魔女の正装から、レースをあしらったドレスへと様変わりした。


「どうしてばれたの。……って訊きたいけど、愚問かな。翅、見えてるんでしょ」

「そりゃまあ、くっきりと。魔女じゃなくても、ある程度魔力のある人間は見えるわ」


 妖精特有の半透明の翅がゆっくりと動く。ぼんやりとしている彼女と翅の組み合わせは、どこか神秘的な雰囲気を醸し出していた。


「あの子とは、今も仲良くしてるの?」

「うん。妖精に成れる方法教えてくれたもん。“ひまわり”にお礼言っといてって」

「私、あの子の命を救った以外、何もしてないけど」


 少女が初めて精神保護の魔法を使った死者が、今“薬師”と共に行動する半妖だった。生まれた村から異端であると迫害され、しまいには殺されて少女の森へと投げ込まれた所を保護し、ちょうど近くを旅していた“薬師”に預けたのだ。


(懐かしい)


「うん。でもワタシには、死者蘇生なんてできないから。ありがと」

「こちらこそ、半妖の子供を引き受けてくれてありがとう。私には育てるなんてこと、できなかったから」

「うん。……ところで“ひまわり”」


 “薬師”がびっと少女の背後を指差す。


「どうして、異端審問官と悪魔なんて意味わかんないのと一緒にいるの?」


 少女はうーんと首を捻った。ここで詳細に説明してもいいが、それではお互いの時間を削るだけだろう。


「色々、事情があるの」

「そう。なら踏み込まない」


 “薬師”は相変わらず何を考えているのか分からない無表情でいるが、少女は不気味だと思わなかった。


(これまでずっと魔女だったんだもの。急に表情筋が解放されても使い方分からないだろうし)


 魔女の中ではまともな部類に入るであろう彼女が、魔女でなくなったのは惜しいが、これが彼女の選択なのだとしたら尊重したい。


(それに、これで計三名の謎が解けた)


 正式手段でない方法で魔女から違うものに成った“獣遣い”と“薬師”に、記録室が誤作動を起こしたのだろう。


 安心している少女を尻目に、“薬師”はそれよりと懐から封筒を取り出した。


「『魔女裁判』、呼ばれたって本当?」

「……誰から聞いたの」


 ありえるのは“獣遣い”からだが、“薬師”は“獣遣い”を毛嫌いしている。顔すら合わせるのを嫌がる彼女が、彼から話を聞いたとは考えられない。


 “薬師”は首を横に振った。


「誰にも聞いてない。だって皆呼ばれてるから」

「皆……?」




「今回の魔女裁判、魔女全員が呼び出し対象」




 少女は目を見開く。それは、もう紛うことなく異常事態だ。


「魔女同士親交があるモノ達の交流で発覚した。どういうことだって皆“毒林檎”の所に行ったきり、帰って来ない」

「それは、本当?」

「ワタシが“ひまわり”に嘘をつく理由ない。……魔女の大量処分で世界が揺らいでる。だからワタシは魔女から抜け出せた。裏切り者は……分かるよね。唯一魔女を殺せる毒を作れるあの人」


 少女が当初予想していた通り、裏切り者は“毒林檎”だった。少女の予想を遥に超えた、とんでもない裏切り方だが。


 しかし、何のためにというのが少女の率直な感想だ。最古の魔女が、どうして魔女殺しをする必要があるのだろう。


(魔女の中で確固たる地位を築いていたはずの彼女が、なんで)


 少女の心の声を聞いた訳ではないだろうが、“薬師”がぼそりと呟いた。


「…………許せなかった、らしい」

「……“薬師”、あなた“毒林檎”に会いに行ったの?」

「向こうから来た。危機を察知していち早く妖精に成ったの、流石ねって。嬉しくない」


 その時に“薬師”は訊ねたそうだ。なぜ他の魔女を排したのだ、と。


「魔女は、畏怖されて、崇められるべき存在なのに、今の魔女は冷酷さのカケラもない。そんな紛い物、わたくしは魔女とは認めないって」

「……紛い物の魔女ね」


 確かに、“毒林檎”に比べれば自分も、目の前にいる“薬師”も、邪悪とは言い難い。魔女であることに誇りを持ってもいない。人が助けを求めれば助けるし、優しい笑顔の仮面を被って他人に寄り添おうとする。理解されようともがく。嫌われたくないと願う。それは魔女である前に、一人格を持つモノとして抱いて然るべき感情だ。


 それを否定しなければ魔女でいられないという規則がない以上、“毒林檎”の独断で魔女を殺すなどあってはならないだろう。世界をも敵に回す行為である。


「“毒林檎”は一人でそれを始めたの?」

「ううん。異端審問所を巻き込んで」

「え」

「は」


 異端審問官の声が重なる。“薬師”は異端審問官を一瞥すると、何事もなかったかのように続けた。


「人に魔女は殺せない。だから“毒林檎”が異端審問所に自分以外の魔女を害することのできる毒物を提供した」

「よく異端審問所は受け取ったわね」

「敵の敵は味方。大勢の魔女を排せるのなら、一人の超非道の魔女と手を組む方が効率的。……キミは信じられない?」


 異端審問官の顔を下から覗き込む“薬師”。異端審問官は怒りに身を震わせた。


「…………当たり前だ。どうして、異端と手を組むようなことを……!」

「さあ。ワタシも詳しいことは知らない。気になるなら、自分で訊いてみて」

“薬師”は肩をすくめた。二人の様子を遠い所からぼうっと眺めて


(……でも、やっぱり“毒林檎”が他の魔女を疎うようには)


 だって彼女は、少女に毒林檎を渡したのだ。生きたくなくなれば、簡単に楽になれるようにと。


 あの表情が、打算から来たものとは到底思えない。


 彼女にだって、“毒林檎”にだって、優しさがあるはずだ。


 そんな少女の考えを読み取ってか、“薬師”は冷淡に告げる。


「“ひまわり”。“毒林檎”は、最古にして唯一、神が手を入れた魔女だよ。……感情なんて、あるわけない」

「……ッ」

「それが『魔女』。……確かにあいつと比べたら、ワタシ達は紛い物。でもワタシは、それで良かったから、もっと生きたいと願ったから、妖精に成った。ジョブチェンジ。似合ってるでしょ? 魔女よりも」


 くるくると“薬師”が回ると、ドレスがふわりと広がり、きらきらと光る鱗粉のようなものが舞う。それは一言では言い表せないような“薬師”の性格を、美しさを体現しているかのようだ。


 気圧された少女の顔を、“薬師”は覗き込む。彼女の顔は変化が乏しく、何を考えているのか読み取れそうにない。けれどその瞳は、何よりも雄弁だった。

“薬師”の瞳が、少女に問い掛ける。


 あなたはこのままでいいの、と。


「ね。……だから後悔しない、選択を。何千年に一度の節目で、世界の法則が揺らぐ今だから。何でも叶う今だから。自分の好きなように、やってみてもいい」

「そ、れは……」

「ワタシが赦す。だからまた、生きて会おう、“ひまわり”」


 両目をすうっと細めた“薬師”は、少女に背を向け片手を振ると、スッと空気に溶け込むように消えてしまった。


 もう彼女は完全に妖精なのだ。魔女という鎖を取り払ったのだ。


 そして誰よりも“魔女”の立場に満足していた彼女が、自分に“魔女”から逃げろと言っている。誰よりも“魔女”であることを嫌い、それでも役目を全うしなければと生き延び続けていた自分を、赦すと言っている。生きて会おうと願ってくれている。


 それは、とても嬉しいことだ。


(でも……もう)


 少女は少女の信じる方へ、進むしかない。


 何が最善か問うのは、もう遅すぎるのだ。


 少女は独り、手をきつく握りしめる。


 その瞳は、迷いで揺れていた。

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