第十八話 ワタシの幸せ、僕の後悔

 祭りも終盤に差し掛かり、仕事方法も分かってきた少年は中年の男に休憩を言い渡された。男曰く、ずっと未成年を働かせていると外聞が悪いらしい。


(それを口実に遊んでこい、ってことなんだろうけど)


 少年にはまずお金がないのだ。祭りで使うお金があるのなら、母の治療費にまわしたい。それに。


(今はどう頑張っても、楽しい気分にはなれないや)


 芳しい匂いやきらきらとした光から逃げるようににして、少年はずんずんと街の奥へと進んでいく。大通りを抜けて、路地裏へ。人通りの少ない場所を選んで歩くのは、あまり褒められた行為ではない。しかし少年は分かっていて、こうしないとどうにかなりそうだった。明るい色、暖かい光が、今の少年にはきついのだ。


 路地裏の行き止まりに辿り着き、地べたに座り込む。


(そもそも、あの子にとって、魔女にとって、生きることは幸せなのかな)


 少年が考えられないような長い長い時間を一人孤独に過ごす彼女達は、疲れたりしないのだろうか。先の見えない未来に、辟易としたりしないのだろうか。


(でも、もしあの子の本当の幸せが死ぬことだったとしても、僕は受け入れられない)


 それだけは、どうしも認め難い。


 生きて、幸せになってほしい。


 それが少年と彼女の師の、共通の願いだ。


(やっぱり、あの子のためじゃないや)


 究極のところ、少年は少女が幸せになって欲しいわけではないのだろう。彼女が死ぬのが嫌だから、生きてほしいと願うのだ。


 清々しいほどに、自分勝手。だから少女の気持ちなどほとんど考えず、一人で突っ走った。


 少女のことを理解しようとしなかったのは、他でもない少年の方だ。


(……あと、どのくらいで、またあの子と顔を合わせるんだろう)


 その時、少年は何と言えばいいのか。


 分からない。ただひたすらに、分からない。


 何か言うべきだと思うのだ。何も言わない方がいいと思うのだ。

 相反する己の気持ちに折り合いをつける術を、少年は知らない。


 ひんやりとした地面に少年は寝転がる。見上げた星空は、らんたんの明るさのためか、いつもより星数が少なく見える。やはり雲は一つもない。人肌よりは低い、しかしほんの少し熱を帯びた風がさあっと吹いた。




「──……ねぇ、そこの、アナタ、占い、どう?」




「…………」


 突如、少年の知らない囁く声がした。人気のないこの場所を選ぶ占い師がいるとは思えないが、誰かが音もなく現れるという経験は、この三週間何度かしている。驚きはしなかった。


 警戒しながら、しかし相手にはそう悟られぬよう、少年は返す。


「僕、お金持ってないよ」


「お代は、いらない。ワタシが、そう、したいから、するの。やっても、いい?」


 途切れたように聞こえるのは、わざとそう喋っているからなのか、それとも魔法か何かで遠いところから語りかけているからなのか。


 何にせよ、彼女、あるいは彼の機嫌を損ねてはいけない。少年は徐に上体を起こす。少年のすぐ側に、三角帽子を目深に被り、水晶玉を手に抱えた女が立っていた。


「こんばんは、人の子。ワタシは、魔女。魔女の占い、いかが?」


 いらないと突っぱねるのは簡単だ。ここが人目のない路地裏でなければ、少年はきっとそうしていた。


 周りをそっと見渡すも、人一人見当たらない。同じ魔女でも、“ひまわり”と“獣遣い”のような気性の差があるのを少年はもう知っていた。ため息を吐きそうになったのをどうにか堪える。


「じゃあお願いしてもいいかな」

「分かった」


 女が頷いた瞬間、ぽうっと彼女の手の中にある水晶が光る。


「………………うん。みえた」


 数秒も経たない何が見えたのだろうか。抑揚のない声からは何も読み取れない。少年は黙って女の言葉の続きを待つ。


「…………」

「…………」


 しかしながらいくら待てども、女は一向に口を開こうとしない。


「えっと……あの、結果は?」

「聞きたいの?」


 少年は本当に不思議そうにそう訊ねる女に頷いてみせた。結果が怖くないと言えば嘘になるが、このまま何も告げられずに終わる方が嫌だ。


「それは、困った。ワタシ、みえたもの憶えてない。占い初心者。最近始めたばかり。そんな占い、当てにされたら困る」

「じゃあなんで占いなんて勧めたのさ……」


 女はきょとんと首を傾げた。そのまま「なんでだろ、ね?」と少年に同意を求める。掴みどころのない魔女だ。


(今のうちに、おじさんの所戻らなくちゃ)


 そそくさと女に背を向けて少年が歩き出すと、くいっと服の端を引っ張られた。まだ何かあるらしい。


「ね、人の子。半妖、知らない?」

「半妖?」

「半妖は、人と妖精の混じりもの。この祭りで、待ち合わせ、してるのに、どこにいるのか分からない」

「占いとかで分からないの?」

「ワタシ、未熟。役に立たない。だから、手伝って、人の子」


 女が少年の腕を掴み、明るい方へと強く引く。厄介ごとの匂いがぷんぷんとしたが、彼女が少女と同じ魔女だと思うと、少年は強く拒絶できなかった。





「これなに、人の子」

「あれは、食べ物」

「らんたん、綺麗だね」

「人の子は、遊ばないの」

「これ、偽物だね」

「これは、本物」

「あれはなに、人の子」


(本当に半妖さんと待ち合わせしているのかな)


 祭りの出し物に女が一々吸い寄せられている様子を見ていると、そんな疑念が頭をもたげる。まるで初めて祭りに来てはしゃぐ子供だ。


「あっ、忘れてた。半妖と待ち合わせ」

「……君って自分が魔女だっていうこと隠す気あんまりないよね」

「隠す必要ない。『魔女』はワタシのアイデンティティ」


 胸をはる女。自分に自身があるのはいいことだが、いかにも魔女ですといったいでたちで魔法を堂々と使っているのはどうかと少年は思った。


「そういう、人の子は、どうして魔女、恐れない?」

「魔女に会ったことがあるから、かな」

「誰?」

「……“ひまわりの魔女”と“獣遣いの魔女”」

「わ、どっちも癖強い。生きて帰って来れたアナタは豪運」


 ぱちぱちぱちと拍手する女は、帽子の陰から物珍しいものを見るような目付きで少年を見ている。女も中々に癖が強いのだが、本人は気付いていないらしい。


「君の名前は?」

「魔女名? ワタシは“薬師”。“薬師の魔女”。薬草栽培が趣味。よろしく、人の子」


“薬師”は所々シミのついた手袋をしている右手を差し出した。少年も右手を差し出す。


「ん」


 どこか満足そうに女は頷き、少年の頭を撫でた。


「魔女との接触も、怖がらない。いいこ、いいこ。……でも不用心。気をつけた方がいい。ワタシが“毒林檎”なら、握手した瞬間に、林檎口の中放り込んでた」


 ペンッと指で少年の額を弾く女からは、緊迫感が一つも伝わってこない。のんびりとした口調で魔女との接触を注意する様子を目の当たりにすると、少年は当初警戒していたのが莫迦らしくなってしまった。


(……あ、そうだ)


 少年は、ふと少女と同じ魔女である女が何を幸せと捉えるのか訊きたくなった。


「“薬師”さんは」

「“薬師”でいい」

「“薬師”は……魔女になってから、どんなことで幸せを感じた?」

「人と同じ。沢山」

「例えば?」

「道端の花が咲いた、とか。雨が降った、とか。そんな感じ」


 その情景を思い出しているのか、女は目を細めた。少年は予想外の答えに、戸惑いながら続けて訊ねる。


「…………君にとっての、幸せって何?」

「心が弾むもの。癒されるもの。楽しいもの。……意外? 魔女は皆苦しんで生きてるって思ってた?」

「そんなことは」

「ある。そういう顔。でもまあ、仕方ない。人も魔女も、何を幸せと定義するのかは、色々。ずっと幸せを見つけられないままのヒトも、やっぱりいる。人や魔女に限らず、それはそう。魔女は長く生きる分、定義が曖昧になっていって、暗い方にしか目がいかなくなる根暗もいる。幸せなんてなんでもいいやって、欲望に忠実な快楽主義者もいる。それはワタシから見れば幸せなんかじゃない。だけど、その人たちにとっては、そうじゃないって言うヒトは、傲慢。


 ……ワタシはずっと満足だった。魔女の暮らし、気に入ってた。ワタシは不足した。だからワタシは、現状に満足してないワタシは、ワタシのアイデンティティを塗り替えた。選択した。そうしてまた、幸せを手に入れた。──人の子、一個訂正。ワタシ、。だから“薬師”という呼び名は不適切。でもワタシは確かに“薬師”で、幸せだったから、“薬師”って呼んでもいい。許す」


(また、魔女でなくなった元魔女)


 魔女は魔女裁判でしかなくならないのでは、なかったのか。“獣遣い”といい、目の前の“薬師”といい、どうして魔女から、魔女という世界の仕組みから逃れられたのか。


 ざわざわと嫌に胸が騒いだ。裏切りという言葉も、みょうに引っ掛かる。


「人の子は、今に満足してる?」

「……まさか」

「なら急いだ方がいい。今でなくちゃ、叶えられないこともある。何千年に一度の節目。、何でも叶う今だからこそ、後悔しない選択を、必ず」


(僕にとっての……後悔は)


 少年がそう考えていると、前方からあの中年の男が走ってきた。はっとして時計台を見ると、とっくに休憩時間は終わっている。どう“薬師”を説明したものか。『魔女』をご本の中の存在だと言い切った彼に、そのまま伝えるわけにはいかないだろう。


 しかし、そんな少年の懸念は空振りに終わった。


「おーい坊ちゃん、探してたんだぞ……ってお前⁉︎ なんでここに⁉︎」

「………………あ、半妖だ」

「え、二人とも知り合い?」

「「うん」」


 同時に頷く二人。と、いうことは……。


「おじさん、半分妖精なの?」

「……お前そんなことまで話したのか」

「だって、口止めされてない。あと、ワタシ半妖の名前、知らない。覚える気もない」


 “薬師”は懐から財布を取り出すと、通りかかった青年から果実水を二つ買い、そのうちの一つを少年に手渡した。


 ひんやりとした感触が、心地よい。随分と火照っていたようだ。


「はい、人の子。お礼。多分美味しい」

「おい“薬師”、俺のは?」

「半妖は自分で買って。そもそも、ワタシに正確な居場所を伝えなかったせいでずっと歩き回る羽目になった。慰謝料請求する」

「はぁ⁉︎」


(賑やかな人たちだ)


 その表情には、自らが異端であるということを歯牙にかけている様子はない。少女や“獣遣い”と違うのは、性格の差なのだろうか。……いや、きっと違う。


 男は言っていた。『一人もいないのと一人いるのとでは、大分勝手が違う』と。


 彼らは互いに互いのたった一人の味方なのだ。だから心を許せる。自らの異端をアイデンティティと認められる。吹っ切って笑える。


 たった一人の味方がいるか、いないか。


 それだけで、これ程までの差が生まれる。


「──人の子。くれぐれも、後悔しないように」


 別れ際の“薬師”の言葉が、やけに耳に残った。

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