第十五話 骨と乾パン

 がたんごとんと揺れる荷物の音で、少年は目を覚ました。寝ぼけて目を擦っていると、馬の手綱を握った中年の男が、人の良さそうな笑みを浮かべて振り返る。


「おはよう! よく眠れたか?」

「あ……ありがとうございます」


 ぺこりと頭を下げると、男は少年に乾パンを投げて寄越した。どうやら今日の朝ごはんはこれらしい。


 この男とは昨日、森の近くの村で出会った。人の住む場所に辿り着いたはいいものの、一文なしとまではいかないが宿に泊まるような大金を持ち合わせていない少年を見兼ねて助けてくれたのだ。もちろん、無償ではなかったが。


『いや〜助かった助かった。ちょうど売り子やる予定だった奴が逃げ出してな。向こうの街でやる祭りの日、店番してくれるなら、そこまで送ってやるし三食飯もつけてやる。どうだ?』


 少年は迷うことなく頷いた。出店を出す場所が家に近い街だというのもあったが、一日三食が確約されるというのが魅力的だったからだ。


 乾パンはもそもそとして、口中の水分が吸い取られる。懐かしいなと感じるのは、ずっと少女の家で高級品ばかり食べていたせいだろう。あの少女は何でもないような顔で出しているが、砂糖をふんだんに使った砂糖菓子は市井にも滅多に出回らないものなのだ。いつもどこから調達していたのだろう。


 ぼうっと上の空でいる少年に、男が話し掛ける。


「そういや坊ちゃんは、どうしてあんな場所を彷徨いていたんだ? あそこの森はおっかない魔女が住んでるっちゅう噂もあっただろうに? 俺ならよう近付かん」

「えっと、魔女に会いたくて」


 うまい誤魔化しが思いつかなかったので、少年は当初の目標を話す。魔女に会って追い出されたなんて言った日には、どんな噂が広がろうものか。人の想像力とは恐ろしいものである。


 男はきょとんとしたあと、大声を上げて大笑いした。


「あっはははは! ふっ……そうかそうか。魔女には会えたのか?」


 一応首を横に振っておく。そうだろうなァと男は感慨深げに呟いて空を見上げた。


「ま、そうだよな。魔女なんてご本の中の存在だもんな……夢も何もねえか。ここは現実。俺らはそこに生きてんだ」


 男の出した『現実』という単語が、少年には不自然に聞こえた。だって少年は知っている。魔女がいることも、魔女がいる世界が、本の世界ではないことを。だからそれが、人間と魔女とを線引きするものに思えてしまった。


(この人がもし、あの子に会ったら、どんな反応をするんだろう)


 怖がって、拒絶するのだろうか。異端審問官に通報するのだろうか。打ち解けて、少年にするのと同じように話すのだろうか。


 少年には、どれも違うような気がした。


 気不味くなって、少年は話を変える。


「……あ、そういえばおじさんはどんな仕事をしているんですか?」

「坊ちゃんは、俺が何してるように見える?」

「雑貨屋さん、とか?」


 少年は積荷の方に目をやり、そう答える。布の隙間から覗く形も色も、少年の知らないものだった。異国からの行商人だろうか、なんてぼんやりと考えていると、男はニッと口の端を吊り上げて笑う。


「大ハズレ。ま、当日のお楽しみってことで」


 大して上手くもない自作の歌を口ずさみながら、中年の男は手綱を握って馬を走らせた。




 ◯




 ──早朝。少女は異端審問官と共に、召喚術に用いる素材集めをしていた。素材といっても一括りではない。木の枝や、花、きのこなど比較的見つけやすいものから、今朝産卵したばかりの卵、抜けてから数日経った羽毛など、癖のあるものまでさまざまだ。


 顔ほどの大きさの葉を拾い集めながら、異端審問官はあくびをして訊ねた。


「……何を召喚するんだ?」

「大っきくて、鼻のいい動物か魔獣。話が通じるのならどちらでもいいわ」


 召喚術とはその名の通り、この世に存在する何かを召喚する術である。魔法ではなくもっと合理的なもので、そのため消費する魔力も魔法と比べて格段に少ない。魔を嫌う異端審問官でさえも、その利便さから召喚術を使う者もいる。


 また、召喚術で呼び出すことが可能なものは以下の三つである。


 一、人や獣など魂と実体を持った生命体。


 二、魔獣や妖精などの半神生命体。


 三、悪魔や精霊などの精神生命体。


 精神生命体に近いものを召喚する時ほど代償──供物の量が多くなり、正確な計量を必要とするが、今回召喚するのは下位の生命体なので、おおよその数と量、種類があっていれば問題ない。木の枝がないのなら蔓で、花がなければ果実でと代用も効く。


(それにしても……大きな動物の死骸か骨って、あんまり落ちてないしなぁ)


 少女は召喚術の本を片手に、森の木々の隙間から覗く日光に目を細める。紅塗料を使ってその項目に線を引いてあるのを見るに、下位の生命体の召喚といえども、これは欠かせないのだろう。他の素材を集めるついでに探していたが、骨は一向に見つかりそうにない。


(それにここの森で骨が落ちてたら、確実に知っている子のだし、それも嫌かも)


 “獣遣い”は嫌いでも、彼の使役する動物に罪はないのだから、わざわざ召喚術のためだけに一匹殺すなんてことはしたくない。


 少女は家に戻り、奥の部屋に眠っていた動物の頭蓋骨を取り出して、陣の中央に置く。生憎これが何の動物の骨でどういった用途に使うものなのかは分からないが、それに括り付けられていた紙には『“獣使い”』と乱雑な字で書かれていたのできっと、いや絶対碌なものではないだろう。さっさと処分してしまうに限る。


 少女は見本図と寸分違わない円を描く。細かい模様の一つ一つは、数も位置も一致させなければならない。神経が摩耗しそうな作業だったが、難なくこなして少女は一息つく。


(これくらい、なんてことない)


 答えを書き写す作業なんて、苦ではない。答えが定まっている問題を解くのは、とうの昔に飽いている。


 正解のない問いは、返答に困る。


『この森から、いますぐ、でていってよ、しょうねん』


 あの時、少年はどんな顔をしていたのだろうか。


 どんな顔を、させてしまったのだろうか。


『ちゃんと約束は守るわ。少年の願いは、知ってるから。お母さんのことでしょう。あなたの願い事。ちゃんと来週中には、叶えるから。だから先に、家に帰って』


 こうは言ったものの、もしかすると少年はもう自分に願いを叶えて貰いたくはないのかもしれないのだ。


「……はぁ」


 少女はそのため息に、胸の靄を全て押し込む。ただで切羽詰まっているのに、失敗してまた一からなんてあり得ない。


 少女は自らの描いた陣の外側に立ち、瞼を落とす。召喚術で大事なのは、イメージだ。池から泥を掬いあげる、そんなイメージ。


 ぽちゃんと、雫が落ちる音がした。幻聴である。しかし、少女には


 ──水が。その中で、蠢くモノが。


 間違ったものを選ばないように注意して、少女は黒い塊を一つ掬い上げた。


 真白、いやほんのりと山吹色掛かった光が、天を貫いた。


「ッ」


 遅れてやってきた豪風に、彼女は吹き飛ばされないよう足に力を入れる。後方にいる異端審問官を気遣う余裕はなかった。


(想定していたより、大きな子がくる……?)


 協力してくれるだろうか。一抹の不安が少女の頭をよぎった。


(あんまり、乱暴なことはしたくないけど)


 力の差を見せつければ、ほとんどの獣は強者に従う。しかし少女にはそれをする気力も、そんなことに使う魔力もない。息を呑んで、光と風が収まるのを待つ。果たして、そこに現れたのは──。


『ワンッ』

「…………………………犬だな」

「…………犬、ね」


 先行きが大変危ぶまれた。




 ◯




 少女が犬を召喚して頭を抱えていたとはつゆ知らず、少年は順調に進んでいた。道中獣や賊などは一人も出現せず、また大きな天候の乱れもなく、順風満帆過ぎたというのは少し気に掛かったが、些細なことである。前途多難な旅路よりかは断然マシだ。


(思えば森に行くまでも、色々な人に助けてもらったっけ)


 風変わりな旅商人、帰省途中のお貴族様に、遊牧の民。彼らは皆、魔女になりたいなんて願いは馬鹿らしいと笑いながらも、手を貸してくれた。ご飯を共にした。励ましてくれた。


 大した金も持っていない少年が、あの街へ辿り着けたのは、彼の生来の運の強さか、それとも彼の必死さか。きっとどちらも必要だった。


 ──きちんとありがとうって、言えていたっけ。


 空を見上げながら、少年はぼんやりと物思う。


(あの時は、何が何でも辿り着かなきゃって必死で……あの人達のこと、何も分かっていなかったのかも)


 もう一度、彼らに会えるのなら、少年は彼らに何を返せるのだろうか。お礼の言葉以外に、何を贈ることができるのだろうか。


 そこで初めて、少年は今の自分が成せることが本当に少ないことに気がついた。料理も家事もできない。文字も書けないし、読めない。言葉も一種類しか話せないし、専門的な知識も持ち合わせていない。


 そんな状態で、一体何を返すと言うのだろう。返せると言うのだろう。……狂言にも、程がある。


 浮かぶのは、数日前の少女の姿。


『もう私に、話し掛けないで。可哀想だなんて言わないで』


(あの子が幸せになるのを諦めないために、僕ができることなんて、一つもないじゃないか)


 少年がしたことといえば、少女の幸せを知るために、彼女の柔らかな部分を踏み荒らしたこと。ただそれだけ。


(どうして、僕なんかがあの子を助けられるなんて、思い上がっていたんだろう)


 


「おーい坊ちゃん、そろそろ街に就くから準備しな」


「……はい」

「ん? 声が暗いぞ、酔ったか?」

「い、え」


 沈んだ少年の心とは裏腹に、空は雲一つなく澄み渡っており、お日様は祭りの準備で賑やかにしている街を明るく照らした。

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