第十二話 とある昔話の結末は

 ────昔々、とある王国の城下町で、一人の女の子が生まれました。夫婦にとって念願の第一子で、彼らは溢れんばかりの愛情を娘に注ぎ、娘もその愛情を余さず受け取って健やかに成長していきます。


 しかし、彼女らが過ごしている生活は、幸せであれども、決して楽なものではありません。度重なる戦、重税、自然災害──借金こそありませんでしたが、生活は苦しくなる一方でした。


 そんなある日、城下町でパレードが開かれます。娘は初めて見る町の活気溢れた表情に、胸を踊らせます。


 ……両親から発せられた、憤りの言葉を聴くまでは。


『こんなものは、何の生活の足しにもならないじゃないか』


 少女はその言葉で、己や家族を取り巻く状況が非常に厳しいことを知り、その原因は国の中枢にいる者たちの振る舞いにあるのだろうと察しました。


 少女は自分より小さい、弟妹の顔を見比べ、決心します。


 ──自分が何とかしなければ。


 誰も動いてくれないのなら、自分が動くしかないと。


 少女は足りない頭で懸命に考えます。もし、自分が働けば。もし、王族が皆いなくなったら。もし……自分がいなくなれば。けれども彼女がどう頑張ったとしても、この状況を打破し、皆が幸せになる策は思いつきません。


 少女が諦めかけていたその時。


 少女は、出逢います。


『…………「魔女」』


 それが、平凡な少女の運命を狂わす、第一石でした。





『すみません! 私、魔女になりたいんです!』


 人の力でどうにもならないのなら、人外になればいい。そうすれば新しい策が思い付くかもしれない。そんな浅はかな考えで、少女は魔女がいったいどういうモノなのかも知らず、“ひまわりの魔女”に頭を下げました。


 魔女によっては不愉快だと不満をぶつけられることもありえましたが、その点少女は幸運でした。数多くいる魔女のうち、一際温厚な魔女の元に辿り着けたのですから。


『あら、あら……何がどうしてそんな考えに至ったのか、あたしには想像もつかないけど、やめといたら?』


 扉を開け出てきたのは、おとぎ話に出てくるような三角帽子を被った女です。その顔は語られている噂のように、醜悪ではありません。そうかといって、美しい顔立ちかと問われればそうではなく、どこにでもいるような普通の女でした。


『だって、あなた──全てを捨てる、覚悟はおあり?』


 女はクスクスと嗤いました。そんなもの、あなたには無いでしょうと暗にそう告げています。だからやめておきなさいと、警告しています。少女はそれら全てを理解し、正面を見据えて頷きました。


 女はそんな少女の様子にため息をついて、家に彼女を招き入れ、己の弟子として育てます。簡単な医術、魔法、生活に必要な知識を、惜しみなく少女に注ぎます。しかし、彼女は魔女について、肝心な所は何一つ少女に教えませんでした。


 女が少女に肝心なところを教えず、魔女になりたいという願いを肯定してしまったこと。これが第二石。





 第三石は女が思っている以上に、少女に魔法の才能があったことです。


 魔女に成るのに、性別や才能、努力や魔力は究極のところ必要ありません。しかし、世界が認めてしまうほどに、突出した力を持っていれば話は別です。世界が欲してしまうほどの力を持っていれば、それだけで新たな魔女が誕生してもおかしくないのです。


 少女の才能は、世界が異質と捉える、ぎりぎりの場所にありました。故に新たな魔女は誕生しませんが、次代の“ひまわりの魔女”はほぼほぼ少女で確定してしまいます。


 新たな魔女が誕生した方が、少女にとっては幸福だったのでしょうか。それとも何も、変わらなかったのでしょうか。もう、何を選べば彼女が幸福だったかなんて、誰にも分かりません。





 そして、第四石。それは少女が師である“ひまわりの魔女”の死に様をありありと見せつけられた点にあります。


 少女の師は、それはそれはお人好しな魔女でした。訪ねてきたものを誰であろうと皆招き入れ、一緒にお茶を楽しむほどに、お人好しでした。死後の楽園にはこういうヒトが似合うのだろうと、信教を捨てた少女が思ってしまうくらいに。


 しかしながら、少女は見てしまいます。彼女の師が、魔女に腹を貫かれる様を。人々の喜ぶ様を。師の死体を火で炙られてしまう様を。雨が降り頻る中、骨が路地裏に打ち捨てられている様を。


 深い深い絶望が、彼女の体を支配します。行き場のない怒りが、魔法という形をもって顕現します。


 世界を滅ぼしかねない威力を持ったそれは、しかし打ち出されることはありませんでした。


 間一髪で、世界が少女を次代の“ひまわりの魔女”に選定したのです。


 ……そうして、彼女は眠りにつきます。夢の一つも許されない眠りです。


 もしかすると、少女の運命を狂わせた第四石目は、少女がその気持ちを十分に発散することができず、魔女に選ばれたところにあったのかもしれませんね。





 少女が目覚めた時、月日は五十年ほどばかり過ぎていました。戦乱の世であったので、それほどの月日が経てば当たり前のように国の一つや二つ、無くなります。……少女が魔女になりたいその理由も、無くなっていました。


 少女は途方に暮れました。行き場の見つからない大きな怒りも、嘆きも、魔女に成ったことで抑え込まれてしまいます。誰に何を言って、自分が何を為せばいいのか、少女には分かりません。


 少女はふらふらと、昔師と住んでいた家がある森に向かいました。“獣遣い”に何度も止められましたが、それを振り切って向かいます。そこで目にしたのは、やはり目を覆いたくなるような現実で。


『あの人が、何をしたっていうの。私より、ずっとずっと、いいひとだったのに。ずっとずっと、優しかったのに。なんで、こんな……』


 家は全焼し、周辺の木々やひまわりも焼けて跡形もなくなって。


 けれどその何よりも、少女は一粒の涙も流せない自分に、失意を抱きます。殺意を抱きます。


 少女は跡地の中心に、何とかして手に入れた師の骨の一部を埋め、魔法で生成した花束を供え、周辺に保護魔法を掛けます。二度と、この場所を悪意を持った誰かが荒らさないように、念入りに魔法を掛けました。それから前の家よりも、もっと人里に近い場所に家を建て直します。二度と森の奥に、人を立ち入らせないために。少女は“ひまわり”を人々が恐れるように、荒唐無稽な噂を流します。


 少女は誰とも関わりたくありませんでした。


 けれど独りはやはり、寂しいようでした。


 見かねた“獣遣い”は、(動物たちの強い希望もあり)少女の森に己の使役する動物たちを配置します。彼女が言葉を忘れてしまわないよう、嫌われていることを承知で、少女の元へ通います。


 けれどそれらは、少女の孤独をより一層加速させるだけでした。


 春夏秋冬が瞬く間に過ぎます。彼女は鏡を見るのをやめました。成長が止まった己の顔など見たくなかったのです。


 もう春夏秋冬が過ぎました。少女は眠ることをやめます。時折見る、人間時代の夢が、辛くなったのです。


 そうして、何度も何度も四季が巡り、少女が目醒めてから十数年が経った、その年の夏のことでした。


 とうに外に出ることをやめていた少女は、しかし窓から見える外の様子に驚き、ドアを開けます。


 そこには、見渡す限り一面の、ひまわりの花が咲いていました。


『こ、んなの、誰が……』


 掠れた声で、少女は呆然と呟きます。ジリジリと太陽が照りつける中、誰かの言葉が、聴こえた気がしました。




 研究は、進んでいるの……と。




『…………ししょう?』




 少女の口からこぼれ落ちたのは、もういないはずのヒトの名で、けれどその名が出たのは、彼女が目にした奇跡を起こせるのはそのモノ以外には考えられないからでした。


 少女は目元を拭います。随分と水分を摂っていなかったせいで、涙はおろか、声でさえも上手く出ません。


 少女にとって、奇跡が呪いであっても、構いませんでした。ただただ、この現世から目を逸らす理由で、きっかけであれば、何でも良かったのです。


 こうして魔法について研究を進めた少女は、“ひまわりの魔女”に与えられた魔法の、その真価を知るのでした。


 それがきっと、第五石。




 ◯




「──あたしはね、今でも夢に見るのよ。もしあの子が生まれた町が、国が違っていれば、魔女に成ろうなんてと思わなかったんじゃないかって。そんなものを知らずに、魔法なんて一生触れずに、幸せに、ありふれた平凡と温かさを手に入れていたんじゃないかって。


 ……でも、あたしも魔女として何百年か生活していた中で、きっと人間の感覚を失っていったんでしょうね。疲れていたのかもしれないわ。魔女になりたい子がいるのなら、その願いを叶えてあげようって、あたしの逃げ道に人の子を使ったの。ひどいと思わない?」


 こんな魔女、惨たらしく死んで当然よねと女は自嘲した。弟子である少女に好かれる資格も、彼女の運命を狂わせる資格も何もなかったのに、と。


「あたしは決して、優しいわけじゃないのよ。多分、全てを諦めていただけだわ。その方が永きを生きるには楽だから。きっと魔女としては正しい生き方だったのかもしれないけれど、一人の大人としては、駄目よね」


 死んでからしか、愛弟子の望みを見抜けなかった。彼女が魔女という道を選ばなくとも、その望みは叶えられるものだったのに、少女の話を詳しく聞かず、『魔女になりたい』という言葉を額面通りに受け取って、一つの運命を狂わせた。


 ────魔女とは何か。


 この問いに、少年は今なら答えられる気がした。


「……ねぇ魔女さん」


 思わず声が出た。


「なんだい?」

「魔女さんは、どうして魔女に成りたかったの?」


 女は小さく微笑った。


「そんなの…………もう、忘れたよ」


 その言葉が嘘か真か、少年には分からない。分かったところで、ただの人間が──誰もが、死者を救えやしない。


「……さて、そろそろ向こうに戻ろうか。あの子も心配してるしね」

「魔女さんは、どうなるの?」

「どうもしないよ。土に還るだけ」

「あの子に会っていかないの?」

「合わせる顔が、無いからね」


 こうして少年に幻像を見せられるのなら、少女にできないということはないはずだ。だというのに、女が少女に頑なに逢おうとしないのは、後悔ゆえだろう。


 少年はだからもう、訊くのをやめた。


「ねぇ、小さなお客さん」

「なに、魔女さん」

「君はあの子が、幸せに成ると思うかい?」

「…………分からないよ。でも」


 でもさ。


「幸せに成るのを、諦めないでくれたら──僕は嬉しい」


 女は顔を綻ばせた。それから鈴を転がすような声音で、希う。


「うん。本当に」




 ◯




 誰かが誰かの幸せを願うことは、罪なのだろうか。


 自分で自分の幸せを願ってはいけないのだろうか。


 もしそうであるのだとすれば、それは誰が定めた決まり事なのだろう。誰が何の権限をもって、それを制限しているのだろう。


 きっと本当は誰もが、夢見ている。


 定まった形のない『幸せ』を。


 幸福な一生を。


 だけど皆、大人になるにつれて諦めるのだ。


 大きな幸福より、身の丈にあったささやかな生活を求めるようになるのだ。


 それが間違っているとは、決して思っていないけど。


 けれど、それでも、誰もが。


 心の奥底で、今でも幸せを祈っている。


 だからどうか、諦めないでほしい。


 ──叶うのなら、それを叶えるまで。ずっとずっと。


 側で見守っていたかったけれど。


 …………だから、託そう。


 あなたのことが大好きな、人間に。




 ◯




 ──熱を孕んだ風が、少年の横を吹き抜ける。

 先程までとはまるで違う、強い意志を帯びた風に、また彼の目頭は熱くなった。涙が溢れる前に、手で強く拭う。


 悲しくて、哀しくてたまらない。


(泣くな)


 こんなことで泣いていては、きりがない。何よりそれさえ許してもらえなかったあの少女が、どんな気持ちで自分を見るのか。想像しただけで、胸が締め付けられる。


 寂しさと孤独の中長い時を過ごしてきた彼女に、今自分が、伝えるべきこと。それは、もう見つけた。


 少年は“彼女”の骨と、家の跡地をその目に焼き付けた。名残惜しいが、もう行かなければ。


 少年は脇目もふらず、走り出す。


 ──この枯れた地も、また小さな芽が顔を出す。ずっと同じ形であるものは、この世に一つもない。ひとも、ひととの関係もまた同じ。


 変わるのは、きっと両方で、片方ということはない。


 生じる変化は小さく、世界に影響を及ぼしやしない。


 でも、それがきっと、分かり合うということ。


 互いの幸せを願うということ。


(僕は、幸せな結末が好きなんだ)


 まやかしではない、仮初でもない、それこそおとぎ話の終わりのような、ハッピーエンドを。


(だからこれは、僕の為の願い事)


『少年自身のための願い事じゃなきゃ、魔女は叶えないから』


 これなら構わないだろうと、少年は心の中の少女に笑いかけた。

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