第十話 計三名
少年が魔女の家に来てからたったの二週間、それだけで少女の生活リズムは激変した。
まず、健康的な食事を摂るようになった。健康に気をつけなければすぐに死んでしまう人間が二人も増えたからである。元々少女は食事に深いこだわりを持ち合わせていなかったので、彼らの食事のついでに自分も全く同じものを食すようになっていた。
次に、運動量が増えた。これは少年の魔法の練習に付き合っているからだ。
最後に、睡眠の質がよくなった。日中に運動をすることにより、適度に疲れ、朝までぐっすりと眠れるようになったのだ。
生活リズムが激変し、人間にとって健康的な生活を送るようになったといっても、魔女である少女の健康には──不死性には関係ない。関係はないのだが、少女が人間らしい生活を得たというのは、先代の“ひまわりの魔女”と暮らしていたとき以来のことで、少女はこの生活に、とても満足していた。
……だが、決して良い点ばかりではない。人間らしい生活を送れば、感性も人間に近付いてしまう。
だから少女は時折、魔女の自分と人間の彼らとの間に線を引かなければならなかった。
自分は人間ではないと、言い聞かせなければならなかった。
それは苦痛ではなかったが、少女の心に重い何かが沈澱していったのは、確かなことだった。
むむむと、難しい表情をして少年は目の前に浮かぶ水の球体をじっと見つめる。水の球体は時間が経つにつれ形が歪み、しまいにはぺしゃんと地面に落ちてしまった。その拍子に、少年の顔に水がかかる。彼は肩を落とした。
「また失敗かぁ」
「大丈夫よ少年、昨日よりも持続時間が長くなってるわ」
「……わたし個人としては、魔法など使えない方がいいと思がな」
「少年のやる気を削ぐこと言わないでくれる?」
少年と少女は毎日午前中に医学を、午後に魔法をと予定を立てて勉強していた。午前中に魔法の鍛錬を行わないのは、魔法がどうしても体力を使うからだ。
少女は再び水を球にする少年を横目で眺めながら、監視のつもりかこちらをずっと見つめている異端審問官に声をかける。
「毎日見てても仕方がないわよ? 魔法使いが──人間が使う魔法と魔女が使う魔法は、全くの別物だから」
「……そう、なのか」
初耳だったのか目を瞬かせる異端審問官。非常に珍しい。
「具体的にどう違うんだ?」
「そうね…………」
異端審問官に訊ねられ、少女は頭を悩ました。二つの魔法の相違点は、感覚では理解できるのだが、言葉にしようとするとなかなか難しい。たっぷり数十秒悩んだ後、少女は迷いながら言葉を紡ぐ。
「……魔法使いの魔法は、『魔法』っていう名前が使われているけれど、神様に認められている部分を書き換えている感じで、魔女の魔法は世界そのものを変形させる感じ、かな」
これでも分かりやすい言葉を選んだつもりだったのだが、異端審問官には伝わらなかったらしい。要領を得ない、といった風に眉を顰めている。少女は頭を抱えながら補足していった。
「そもそも、あなたは『魔法』って何だと思う?」
「世界の形を変える力」
「ま、おおよそその認識で合ってる」
また少年の作った水の球体が弾けた。先ほどよりも二秒近く、持続時間が長くなっている。
「魔法は、この世界に散りばめられている公式を使って、自然法則ではあり得ない場所に何かを生み出すっていう現象のこと」
「火を焚き木や燃料を使わずに作り出すというようなことか」
「そう。普通は木を倒して薪を作って、燃料を撒いてマッチで火をおこして大きな火を作る。そういう過程が必要で、その通りに進めていったら火がおこせますよって公式が定められている。……その公式を、体内にある魔力を使ってなぞっていって、その過程をクリアしたことにして、火をおこす。それが『魔法』」
そして、その公式を自ら作る権利を与えられたのが魔女で、その作った公式を使うのが魔女の魔法だ。
ただしその公式はより世界に相応しい造りをしたものが優先される。そのため魔女同士が争い、魔法が拮抗した際に勝敗を分けるのは、体内の魔力の大小ではなく、その点だったりするのだ。
「…………なるほど」
魔法使いに異端審問官が手を出さないのは、世界の規則に則った奇跡を行使するからで、責められる謂れが全くないからだ。魔女が迫害されるのは、誰がどう見ても世界の規則から外れたとしかいいようのない奇跡を行使するからだ。
(もしも、世界から魔法がなくなったらどうなるのだろう)
少なくとも、人の寿命が今よりも長くなることは確かだ。魔法は人体に負荷がかかりすぎる。魔力は人の生命力から抽出され、二度と戻ってこない。すなわち魔力の多さとは、その者が魔法を使わなかった際の寿命の長さである。
今少年が使っている魔法も基本の魔法で魔力の消費が少ないとはいえ、使い続ければ確実に彼の寿命を削るだろう。
少女は遅かれ早かれ、魔法は衰退していくと考えている。使い手の命を削る奇跡よりも、より安全な方法で為される当然を求めて行くようになるのは必然だ。
魔女が世界に求められるのも、魔法がなくなるまでだ。医学の担い手が世に溢れるまで。
そうなればきっと、異端審問官も、不必要なものとしていなくなる。
「ねぇねぇ見て! 一分間維持できたよ!」
「凄いじゃない。……じゃ、今日の訓練はお終い。私、これから予定あるから、夕飯の準備進めておいてくれる? 私の分はいいから」
「どこに行くんだ?」
「ちょっとね」
行き先を詳しくは告げず、少女は身支度をして森から立ち去った。
「──は⁉︎ まだあのクソガキと異端審問官お前の家にいるの⁉︎」
「何かお前に不都合でも?」
近況報告に、いちいち騒ぎ立てる“獣遣い”を少女は絶対零度の視線で突き刺す。生活リズムが変わったからといって、嫌いなものへの態度が変わるわけではない。
「不都合っていうか……疑問が二割、嫉妬が六割、寂しさと羨望がそれぞれ一割ってとこ?」
少女は呆れた声で言う。
「嫉妬の割合大きすぎないか? そんなに羨ましいのならお前も人と交流を持てば良い」
「誰が人間なんかと……じゃなくて! オレはお前にじゃなくてお前の家にいるあいつらに嫉妬してんの! ほら、オレってお前のこと好きだし?」
「は? ……どの口が」
たちまち嫌悪に顔を歪ませた少女を無視して、男は廃墟の中を見渡し、懐かしそうに目を細めた。
少女が指定した“獣遣い”との面会場所は、“ひまわり”の調整期間中に男が買った家──誰にも手入れされずに廃墟になってしまった──だ。少女の住んでいる森から二町ほど離れた場所にある。
ここを少女が指定したのに、大きな理由はなかった。
ただ、ここが適切だという気がしたのだ。
「それで、『記録室』の閲覧はできそうか? お前の子飼いの鹿が伝えてくれたとは思うが、現在の魔女の人数を確認したいんだ」
「もちろん、そこはばっちり。他の奴らに悟られないように適当に理由つけて、中央に申請送っておいた。……ていうかお前も悪い女だよな。自分で申請すればいいのに、中央に貸しがあるオレに頼むんだから。オレが断るとか考えなかったわけ?」
「断られたら断られたで違う方法を取るつもりだった。はなからお前に期待はしていない」
「……相変わらずオレへの当たりは強いよな」
何を今更と、少女は思う。昔からそうだったじゃないか。
「……なぁ」
「何だ」
「お前が人間だった時、道端にいたオレに上着を渡したの……憶えているか?」
「人違いだろう」
この話も、昔から何度も聞いていた。“ひまわり”にそんな記憶はなく、また嫌いな“獣遣い”にそんなことをした自分がいたとすれば、そんな世界線ごと消し去ってやりたい。
男は俯き、ボソリと呟く。
「…………人違いなら、良かった」
その横顔に少女は違和感を覚えたが、“獣遣い”に深く関わると大抵厄介なことに巻き込まれると経験済みだ。
たまに出てくる感傷のようなものだろうと少女は放っておくことにする。
「なぁ、“ひまわり”」
男が妙に真面目腐った顔をして、冗談だとしか捉えられないようなことを言った。
「覚えておけ。オレはずっと、お前の味方だっていうことを」
だから少女は、咄嗟に何も返せない。
“獣遣い”の熱量に見合った返しが、できない。
「…………はいはい。貴様も『記録室』を見ていくか?」
「オレはいい。お前一人で見て来い」
「……そ、う」
言い淀む少女を尻目に、名残惜しそうにしながら男は廃墟から出て行く。がちゃんと音をたて、扉が閉まった。
(何か変なこと、企んでないといいけど)
少女はその背を見送り、こっそりとため息をついた。いつもと“獣遣い”の様子がおかしかったから少し、ほんの少しだけ心配していただなんて、決して本人には告げないが。
(私は多分、あいつのこと嫌いだけど……憎んでは、ない)
それだけのことだ。知り合いの様子が普段と違っていれば、誰だって気に掛ける。他意はない。
(……あいつのことはひとまず横に置いておこう)
“獣遣い”の思惑がどうであれ、今は分からない。今から少女がしようとしていることに、関わっているとは思えない。
少女は被りを振り、埃だらけの椅子に腰掛け、自らの中にある世界との接続部に意識を向ける。『記録室』の閲覧は申請から承認まで半月ほどかかるが、その分受理されればどこからでも閲覧できる。魔女が世界の一部だからこそ使える技だった。
(『記録室』の閲覧要請…………受理済み。“ひまわりの魔女”の『記録室』閲覧許可。選別作業……開始)
【魔女の掟】
第一条 魔女の定義
魔女とは神なき世界を円滑に回すためにその身を捧げ、世界の部品の一つとなったもののことを言う。世界の維持のためならば、新しい魔法を創り使っても構わず、また魔法の行使により寿命を縮めないよう不死性を与える。自死は認めない。精神が擦り切れ魔女の役目が続行不能になった時、また魔女裁判にかけられた時、例外として死を認める。
第二条 魔女裁判
本裁判は半世紀に一度行い、暴食、色欲、強欲、憤怒、怠惰、傲慢、嫉妬の罪を多く犯した魔女(以下罪人とする)を罰する。最大七名まで召集可能。
ここでは魔女が集められた罪人を惨たらしく殺すために魔法を使って良いとする。なお。罪人を殺すことはその魔女の罪に数えない。
また、火急の事情により行われる臨時裁判は魔女の半数の同意を得て成立することとする。
・追記、変更(六〇〇年前)
罪人は罪人同士で殺し合い、残った一人は罪を浄化したとして殺さず生かす。故に召集人数を最低二人、最大七名に変更する。
魔女裁判外での魔女同士の殺し合いは禁じる。
・追記、変更(五五〇年前)
“毒林檎”は本裁判において裁かないものとする。
・追記、変更(四〇〇年前)
……………………
………………
…………
……
・追記、変更(一ヶ月前)
本裁判は、正式な『魔女』にのみ有効である。
第三条 客人規定
魔女は神の権能の一部を授かってはいるが、その魂は人以下の価値であるから、魔女は己の家を訪ね、言葉を交わした者を守り通さねばならない。また、その者の願いを最低一つ、叶えなければならない。
違反すると『魔女裁判』での減点対象となるが、世界の巡りに必要な違反であれば前述の通り不問とす。
この規定は家を持つ魔女にのみ適応される。
第四条 代替わり制度
第五条 調整期間中の魔女の保護について
……………………
………………
…………
……
(違う。ここじゃない)
現存する魔女について記された箇所は、どこだ。
無限のように思える夥しい数の情報の海に潜り、少女は目当てのものを探す。一つずつ手に取り中身を確認して、棚に戻す。
どれだけ時間が掛かろうとも、構わない。膨大な量の情報のせいで、本来ならあり得ない痛みが生じるが、これも想定済みだ。そんなことよりも、不安要素を潰す方が先である。
『記録室』の中身は本来、魔女の脳髄に刻まれたものであった。その程度の情報量しか無かった。……だが時が流れ、その数も量も多くなる。それに耐え切れない“魔女”が、それに押し潰される“魔女”が、笑えない程大量に出て来てしまう。それゆえ、魔女たちは『記録室』なるものを世界の中心部に増設しなければならなかった。情報の置き場所を作らなければならなかった。
【現在の魔女の継続年数】
初代 毒林檎の魔女(一〇五六年)
二代 煮込みの魔女(七九八年)
斧の魔女(三一一年)
泉の魔女(八七三年)
三代 石の魔女(一五二年)
鳥の魔女(五七四年)
四代 お菓子の魔女(二二九年)
……………………
………………
…………
……
(違う。けど……近付いて来てる)
少女は近くに散らばる情報を、手当たり次第に集める。少女が今欲しているのは、現存する魔女の数の情報か、代替わりの選別中、あるいは調整期間に入っている魔女の数の情報だ。
どうして少女がわざわざそんなことを確認しようと思ったのか。理由は単純だ。
──少年の母が患っているという病気の症状が、調整期間の魔女の状態と酷似していたから。
もちろん、魔女の数が減ったとは、到底考えられない。酷似しているだけで全く別の、例えば過眠症の一つかもしれない。むしろそちらの可能性の方が高いと思う。
けれどそれが自分の考え過ぎであったと安心するために、少女は記録を探すのだ。
目当てのものを探すこと一刻と四半刻。少女はやっと、調整期間に入っている魔女の情報に辿り着く。
高鳴る鼓動を抑え、自らの予感が間違ったものであってくれと願い──情報を、読み取る。
【調整期間中の魔女】
瑠璃の魔女
──計三名
少女は呆然と呟いた。
「………………どういう、ことなの」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます