第九話 おとぎ話の世界なら、救いの無い結末がなかったのか

【魔女の掟】第二条 魔女裁判


 本裁判は半世紀に一度行い、暴食、色欲、強欲、憤怒、怠惰、傲慢、嫉妬の罪を多く犯した魔女(以下罪人とする)を罰する。最大七名まで召集可能。


 ここでは魔女が集められた罪人を惨たらしく殺すために魔法を使って良いとする。なお。罪人を殺すことはその魔女の罪に数えない。

 また、火急の事情により行われる臨時裁判は魔女の半数の同意を得て成立することとする。


 ・追記、変更(六〇〇年前)

 罪人は罪人同士で殺し合い、残った一人は罪を浄化したとして殺さず生かす。故に召集人数を最低二人、最大七名に変更する。

 魔女裁判外での魔女同士の殺し合いは禁じる。


 ・追記、変更(五五〇年前)

 “毒林檎”は本裁判において裁かないものとする。

 

・追記、変更(四〇〇年前)


 ……………………

 ………………

 …………

 ……




 ・追記、変更(一ヶ月前)


 本裁判は、正式な『魔女』にのみ有効である。




 ◯




 少女が日課である森の点検を終え家に戻ると、なぜか療養中であるはずの少年が待ち構えていた。その顔色は、お世辞にも決して良いとはいえない。


 体調が良くなるまであの部屋から出るなと伝えていたはずなのに、これはどういうことかと、少女は端の方にいる異端審問官を睨む。女は悪びれる様子もなく肩をすくめた。


「わたしは止めた」

「もっと頑張って止めてよ……」


 女も女だが、少年も少年である。昨日の今日で少女と対面するのがどれだけ身体に悪いか、分かっていないのだろうか。少女は大きなため息を吐いて、腕を組んで小年を見据えた。


「それで? 体調悪いのにわざわざ私を待って、どうしたの? 町に帰りたくなった? それならあと二、三日もしたら──」

「違う!」


 少年は少女の声を掻き消すくらいの大音量でそう否定した。少女は大声に驚き、ゆっくりと二度、瞬きをする。


 少年は拳を握り締め、視線を下の方へ彷徨わせながら、しどろもどろに言った。


「あのね、その……謝らないとって、僕、君に」


 その言葉に少女は眉を顰め、首を傾げた。少女が少年に謝らなければならないことは多々あるが、少年が少女に謝ることなど、さてあっただろうか。


「何を謝る必要があるの?」

「僕、何も知らずに魔女に成りたいって言っちゃった」

「それは少年が私に謝る理由にならないわ」


 知識不足は少年のせいではない。何かの為に願うことは罪ではない。ましてや『魔女に成りたい』という願いは、他でもない魔女の救いになることだってあるのだ。……それが命を奪うという方法でしか叶えられないとはいえ、少年はそれを知らなかった。


「『魔女』について詳しく話さなかったのは私。知りたいと言った少年に情報開示をしなかったのも私よ。少年が気を病む必要はどこにも見当たらない」

「でも、僕は君を、な、何の躊躇もなく、こ、ろそうとしてたんだよ⁉︎」

「私気にしてないから問題ないわ」


 心優しきこの少年の瞳には、人も魔女も、何ら変わりないものとして映っているのだろう。


(それは、とても素晴らしいことだけど……今は邪魔でしかない)


 そもそも魔女は人ではないのだ。人未満の存在なのだ。


 もっと邪険にしていい。乱雑に扱ってもいい。少年がどんな恐怖を、嫌悪を抱こうとも、少女は文句を言える立場にないのだから。


 少女はこの話題を終わらせようと、パンパンと二回手を鳴らした。


「じゃ、『これから』の話をしましょうか」


 この言葉にピクリと反応したのは異端審問官だ。彼女は胡乱気な目で少女を見据えた。


 少女は四本指を立てて、軽やかに告げる。


「異端審問官だったあなたは知っているかもしれないけど、あと四週間で私は『魔女裁判』に掛けられるのよね。多分生きて戻って来ない。だからそれまでに、『客人』の少年と、うっかり『客人』になっちゃったあなたの願いを叶えなきゃいけないの。だから至急、できれば今、何でもいいから願いごとを決めてくれる?」

「「…………」」


 少女は少年と異端審問官の答えをにこにこと微笑みながら待った。……が、いつまで経っても、彼らは口を開こうとしない。


 少年は異端審問官と顔を見合わせて、呆然とした様子で言った。


「僕、あと四週間なんて聴いてないんだけど」

「だって私、少年に言ってないし」

「……あと一、二年だとわたしは聴いていたんだが?」

「それ多分私たちの遺体がそっちに渡されるまでの期間よ。半世紀前から次の魔女裁判は四週間後って決まっていたわ」


 魔女の遺体は貴重な資源になる。そのまま異端審問所に渡しておもちゃにされるにはあまりにも勿体無い。だから魔女は各々が魔法の研究に最低限必要な分だけ、魔女裁判で死んだ者たちの遺体の一部を切り取ることを許されている。


 少女も一度だけ、遺体の髪だか指だかを採取して、“ひまわりの魔女”の魔法の実験に──体から切断された部位でも、魔法の効き目があるのかを試す実験だ──に使ったことがある。……結果は散々だったが。


「僕、残りの人生が短いって分かってる女の子に願い事するほど常識知らずじゃないんだけど」

「私女の子って言われる歳じゃないわよ? あと三十年くらいすれば二百歳になるし」

「そういうことじゃなくて! 倫理観の問題!」

「だったら尚更関係無いわ。私は魔女で、少年たちは人間。ほら、何も問題ない────」

「問題あるから!」


 残り一ヶ月も生きられないなら、まず自分がしたいことをしないと後悔するよ、と力説する少年を、少女はしたいことなんて何もないとあしらう。


 少女と少年の主張は食い違い、このままでは埒が明かない。


 どうしようかと少女が考えていると、彼女と少年がぎゃんぎゃんと言い争うのを無表情で眺めていた異端審問官が急に口を開いた。


「…………おい、“ひまわり”の魔女」

「なあに?」

「願いは何でも良いという言葉に二言はないな?」

「えぇ、もちろん」

「では──」


 異端審問官は晴々とした表情で、少女を指さす。




「お前の首を」




 ギョッと目を剥く少年を一旦無視して、少女は異端審問官に語りかける。


「本当にそれでいいのね? あなたが願うなら、あなたを知っている人たちの記憶を丸ごと改竄することもできるけど?」

「『魔女の命と引き換えに呪いを掛けられた異端審問官』の方が外聞が良いだろう」

「つまり、魔女裁判が始まる前に私の首が欲しいと」


 異端審問官は黙って頷いた。少女は少し困ったように微笑った。


「少年の願いを叶えてから……っていう条件はつくけど、それでも良いのなら構わないわ」


(この子に殺させるのは難しそうだし、私が死んだ後に首を切断するなりなんなりして持って行ってもらうか)


 魔女は『魔女裁判』にかけられぬ限り、永遠の時を過ごすことができる。それは、魔女は基本的に魔女の使う魔法によってのみ殺すことができるからだ。


 であればこそ、少女は己の魔法を使って自殺するか、戦闘慣れしている魔女(ただし“獣遣い”は除く)に頼み殺してもらう他ない。


 それもかなり面倒なことだったが、異端審問官からの要求としては妥当なところだろう。少女にしてみれば少し死期が早まっただけに過ぎない。


 もっと自分勝手な願い事でも良かったのになぁと少女は内心でため息をついた。少女と違ってこの異端審問官の生はまだまだこれからなのに、どうして自らの死が避けられないような選択をするのだろうか。


(まぁ……この子の真意なんて分からなくていいか。分かってほしくもなさそうだし。……体のデータは取ってあるから、後はどうとでもなる)


 少女は異端審問官の願いを叶えるとは言ったが、これっぽっちも彼女を死にに行かせる気はなかった。……少女にだって、『魔女』にだって譲れないものがあるのだ。


「ちょ、ちょっと待ってよ……! どうして二人ともそんな平然と話してるのさ!」


 混乱した様子で少女と女の間に割り込む少年を、少女は冷めた目で見据える。初めて己に向けられる温度のない視線に、少年はたじろいだ。


「少年の普通と私の普通は違うの。違いを認められないのは仕方がないわ。だれど、それなら黙らっしゃい。これは私とこの子の契約よ。少年に口を挟む権利は無い」


 少女は一息でそう言い切ると、ふぅと息を吸って幾分か柔らかい口調で少年に訊ねる。


「それで、少年の願いは決まった? ……あぁ、私に生きて欲しいって願うのは却下よ。少年自身のための願い事じゃなきゃ、魔女は叶えないから」


 あらかじめ横道を塞いでおく。少年は少年のために願わなければならないのだ。


 ……とはいえ、魔女になりたいと願ってやって来た少年に、急に他の願いごとを作れと言っても、そうすぐには作れないのは自明の理だろう。


 黙ったまま俯く少年に、少女は戸棚からティーポットを出しながら確認する。


「まだ決まってない?」

「……うん」

「じゃあ決まるまで、ここで魔法と医学の勉強でもする?」

「…………いいの?」

「私からのちょっとしたお詫びよ」


 水を沸かし、ポットに茶葉を入れ、沸騰したてのお湯を注ぎ、蓋をして蒸らす。


 これらの行程を全て魔法でやって見せた少女は、キラキラと顔を輝かせている少年と渋い顔をしている異端審問官に苦笑し、今度は魔法を使わずに新しく作り始めた。


(賑やかになりそうだ)


 それがたとえ、四週間だけのものであっても。


 人と暮らすことは、少女の憧れで、いつかの彼女の夢だった。




 ◯




「おい、言われた通り作っていたのに焦げたぞ。どうなっている」

「このオーブンちょっと壊れてるのよね。急に強火になったり弱火になったりするから」

「それで今まで作ってたんだ……温度を感知してるの? 魔法?」

「勘よ、少年」


 少女は型抜きを手に不思議そうにしている少年の鼻をつついて笑う。異端審問官は炭となってしまったクッキーを集めて袋に入れた。


 少女が水を沸かす前に寝かせておいた生地を焼こうとしていると、また魔法を使われると思ったのか警戒している異端審問官が手伝いを申し出た。それなら一番楽な焼き行程を任せようと少女が女にクッキーの焼き方を教えたのが二十分ほど前のこと。そして……見事に焦げた、というか真っ黒の物体に生地が成り果てたのがついさっきの出来事だ。


「でも、焦げ臭い匂いがするな〜って思ったらオーブン一回止めて確かめるでしょ? どうして確かめなかったの?」

「……そういう菓子かと思ってだな。というか何故オーブンが壊れていることを先に申告しなかった“ひまわり”! ……まさか油断させてわたしたちを食べようと」

「誰が好き好んで人肉を食べるか‼︎ あなたは私を何だと思ってるのよ!」

「邪悪な魔女だそれ以外にあるか」

「二人ともぶれないよねぇ」


 口調こそ悪いが殺気は何一つ込められていないと信じている少年は、のほほんとしながら自らを挟み睨み合う女性陣を眺める。……実際はどちらもそれなりに敵意を持って睨み合っていたのだが、焼き菓子作りに夢中な──鈍感な少年には伝わらない。


 少年は何の形かよく分からない型抜きで生地をくり抜く。楕円に似たぐにゃぐにゃとした形だ。


 それを見ながら、少年はふと少女に何をすれば喜んでもらえるのだろうと思った。まだ少年は、少女へのお詫びをしていない。謝ったと言えば謝ったし、少女も気にしていないと言っていたが、それで済むとは到底考えられない。


(花とか、好きかな。それとも食べ物? 服は……僕には買えないし)


「少年? 手が止まってるけど?」

「あ、ごめん」


 作業を再開した少年は、次に渡されたクッキーの型が腸のような形をしていることに気付き、思わず声を上げた。


「これもしかして、人の体内の臓器の形してる……?」

「よく分かったわね。医学の勉強するのなら、臓器の名前から覚えたほうがいいと思って」


 少女はなぜか誇らし気だ。


(……臓器の形をしてるって分かると、中々リアルな形してるな、これ)


 形がおどろおどろしいとはいえ、ただのクッキーである。味は保証されているはずだ…………多分。


 どうして臓器の形をした型がここにあるのか、なぜクッキーで人体の臓器を覚えなければいけないのか……訊きたいことは多々あったが、少年はひとまずごくりと生唾を呑み込み、黙々と作業を続けることにした。その型が怖いからではない。少年は……この一分一秒の間にも、少女の死期は近づいていると、知っているからだ。


(残りの時間を自分たちに費やすと決めたこの子に、僕は何ができるだろう)


 何を彼女に、願えるのだろう。


 母を治したい。そのためなら何だってするつもりだったし、その気持ちは今でも変わっていないけれど。


(皆が生きて、幸せに終わりを迎える未来は、ないのかな)


 この世界が魔女がいるおとぎ話の延長線上にあるのなら、少しくらい、救いがあってもいいだろう?

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