幕間 ある魔女の話

 男は孤独だった。だから暴力が好きだった。暴力を振るうことも、振るわれることも、どちらも好きだった。自らの、そして他者の血を見ることで、『生』を実感でき、そうすることで何とか孤独を紛らわしていた。


 この世界は味気ないと男は思う。たかだか人の一生分の時間で各地を見て回れるほどに世界は狭く、変化が乏しい。その上、気に入った動物に限ってすぐ死ぬのだ。いつだって、男は置いて行かれる側なのだ。面白いわけがなかった。


 そうして日々を過ごしていると、段々と彼は自分がどんな状態であるかが分からなくなってくる。感じ取れなくなってくる。自らが世界の一部であるかのような錯覚を覚える。だからこそ、男は日常に『暴力』という名の生存確認を組み込んだ。相手は誰でも何でも良かったが、意思疎通が取れるとなお愉しかった。最後には、ただただ空虚さだけが残ると分かっていても、ひと時の愉悦を得るために、男は『暴力』を振るった。


 男はその『暴力』に、自らに授けられた魔法でさえも使おうとはしなかった。そんなものが無くとも、男は十二分に強かった。男の体は生まれつき頑丈だったのだ。……頑丈過ぎたと言っても、過言ではないくらいに。


 彼は人の痛みが分からなかった。人の気持ちもほとんど分からなかった。


 もし仮に男が世界に──『魔女』に選ばれなかったとすれば、今以上に彼は異質な存在だった。


 だから彼は、“獣遣い”は、己を『魔女』に選んだ世界を恨んではいなかった。むしろ感謝さえしていた。


 己が異質であることの理由に、『魔女』がぴったりと当てはまったから。

 そして、人間のままならば出逢えなかった、とある少女と邂逅したから。




『そんな薄着でいたら、寒いでしょう。これあげるから』




 その美しい花の精を思わせる少女は、どうやら“ひまわり”の弟子であるようだと男は風の噂で聞き、嘆いた。


 ──あぁ、なんて勿体無い!


 ──もう少し早くオレが見つけていれば、オレのモノにできたのに! オレの弟子にできたのに!


 ──……一生大事にしようと、思ったのに。


 “獣遣い”は異端の集まりである魔女の中でも異質であり、どの魔女からも疎まれていた。それ故に、あの少女に会いに行くことも叶わない。少女を慕う気持ちばかりが募っていく。このまま一生、あの少女と話せないのか……そう悶々と過ごしていた、ある日のこと。


 彼は次の魔女裁判で“ひまわり”が呼ばれたと知った。


 彼は喜んだ。今の“ひまわり”が死ねば、確実にあの少女が次代の“ひまわり”となる。そうなれば、同じ魔女同士、永遠を生きられる。話ができる……と。そう安易に考え、“獣遣い”は魔女裁判で、嬉々として他の魔女たちを殺していった。


 最後に“ひまわり”を残したのは、男の気紛れだった。──あの少女の師が一体どれほどの化け物であるのか試してみたい。そんな、その場の思い付き。けれども、男の期待とは裏腹に、その魔女に戦闘力は皆無だった。


 その魔女は諦めた顔で、最後に少しだけ、と前置きをして話し始めた。


『あたしにはね、弟子がいるの』

『…………』


 知っていると、“獣遣い”は心の中で呟いた。


 だって彼はその少女だけを追い求めていた。


『その子にね、「魔女」の末路を見せてやろうと思って。今もこの辺りで、あたしたちのことを見てるわ。……だから、思いっきり、残虐に殺して』

『なんで?』

『だってあの子に……やっぱり、「魔女」になんてなって欲しくないんだもの』


 人の子として、幸せに暮らしてほしいと、女は言った。


 莫迦げたことを、と男は鼻で笑った。それなら弟子になんて、しなければよかったのだ。大罪を犯さなければ良かったのだ。


 そうしていれば、きっと……。


『……オレがやらなくても、異端審問所のやつらがお前の遺体をぐちゃぐちゃにする』

『そうね、そうだったわ……じゃ、お腹に穴を開けてくれる?』

『腹を刺しても直ぐには死ねないぞ』

『だから頼んでるんじゃない。罪の数を数えたいのよ』


 “獣遣い”は無造作に、手を振り上げた。女は静かに目を閉じる。


 女の腹に男の拳が到たちする寸前、彼女は小さく呟いた。


 ────そして、鮮血が舞う。血の海が、またかさを増した。


 子供が啜り泣く声が聞こえる。


 愉しいはずの『暴力』に、好きなはずのそれに、“獣遣い”の心はなぜか弾まなかった。





『次代の“ひまわり”が調整期間に入った。誰か────』

『オレが保護する』




 少女が魔女に成るまでの期間、保護を引き受けたのに理由はなかった。獣遣いにとって、物言わぬ生物は生きていないのと同じだ。それは心を寄せている少女であってもそうだった。


 少女の美しい寝顔を観察しながら、“獣遣い”はあの世の“ひまわり”に毒吐く。


 ──結局お前の弟子は『魔女』に成る。


 お前の末路にショックを受けても、『魔女』に成りたくないと願っていても、お前が『魔女』になれるよう鍛えたから、世界に選ばれた。


 ……お前のせいだぞ。こいつが泣いたのは。


 『魔女』に成るのは。


 野ネズミが少女の枕元に木の実を置き、心配そうに彼女の顔を覗き込む。寝たきりの人間を見るのは初めてなのだろう。“獣遣い”の肩に飛び乗り、しきりに鳴いては何かを訴えている。そんな野ネズミにあと五十年は目醒めないと説明すれば、ガタガタと震えた。少女が餓死すると思ったのか少女の口に木の実を押し込もうとしている。少女は苦しそうだ。


 男はくつくつと笑った。必死な野ネズミがおかしかった。少女の顔がおかしかった。まだ己と少女が人間だと思われていることが、おかしかった。





 五十年は瞬く間に過ぎ去り、“ひまわり”の目醒めが訪れる。


 少女の長いまつ毛が微かに動いたことを察知した男は、できるだけ陽気に声を掛けた。


『あ、起きた。おはよー』

『………………あんた、は』

『ん? オレ? オレは──』

『さっさとくたばれ人殺し』

『久しぶりに会ったのにそれは酷くない⁉︎』


 少女は男に上着を渡したことなど忘れていた。


 さらに“獣遣い”のことを『魔女裁判』の一件があったからか完全に敵だと認識している。男の想いびとが持つ彼への印象は最悪だ。


(せっかく人間であった頃の記憶を残してやったり、魔女に必要な制限を緩く調整し直したりしたのに!)


 魔女に成るというのは、人から世界の一部品へと成り下がるということだ。ただの部品に余計な感情も感傷も必要ない。調整期間はそういった魔女には必要のない物を削ぎ落としていく期間である。そしてその削ぎ落とす過程に、調整期間中にその者を保護する魔女は介入することができた。


 “獣遣い”がこのような愉快な人格を保っているのも、調整期間中の彼を保護した『魔女』がそれらの過程を全て切り捨て、一般の人間の感性を持った魔女がこの世界にどう影響を与えるか、という実験をしたかったからだ(その実験対象が魔女になるまでの成り行きはともかく、人格がどう考えても一般の人間とはかけ離れており、実験が成立しないような気もするが)。


 ちなみに“獣遣い”がこれらのことを行なったのは、少女は魔女になっても人間らしくあって欲しいという極めて自分勝手な願いからである。もちろん、少女はそんなことをして欲しいとは頼んでいない。


 “獣遣い”は気を取り直して少女に問いかけた。


『「魔女」になった気分はどう、“ひまわり”? 最高でしょ』


『最悪だ』


 即答した少女は──“ひまわりの魔女”は、ふらふらとベッドから立ち上がり、そのまま玄関の方へと歩いていく。


『おい、どこに行くんだ?』

『あんたには……貴様には、関係ない。私は私の家に、帰る』

『それって先代の“ひまわりの魔女”の家か? それとも家族のいる所か? どちらにせよやめた方がいい』

『なぜだ』

『お前が目醒める前から、五十年が経っているから』


 少女は絶句した。新緑の瞳を真丸に見開いて。硬直した。


『……何を思って魔女に成りたいと願ったのかは知らねぇけど、この五十年の間に人の世は目まぐるしく変化している。


 国が幾つも興り、廃れ、統合され、侵略された。五十年前の王なんてもういない。


 人口もずいぶん減った。大陸中に未知の病が流行ったから。医療技術は大分進化している。


 国の政治に議会が取り入れられた。王族の命令一つでは、もう国は動かない。


 それから、魔法災害。身の丈を超えた魔法に手を出して失敗し、制御の効かなくなった魔法が街を吹き飛ばす事例が増えたな。


 …………もう、お前の望むものは、大抵が叶えられたかしてるんじゃないのか』


 少女の体から力が抜け、彼女はペタンとその場に座り込む。彼女は震える手を見つめ、ふっと自嘲した。


『それじゃあ、私は……何のために魔女になったの……?』


 ────こんな顔をさせるなら、記憶の大部分を削ったほうが良かったのだろうか、と男は自問する。彼は少女に、それこそひまわりのように笑ってほしかっただけなのだ。あの強く美しい瞳の少女に、もう一度会いたかっただけなのだ。……こうして、虚な瞳で壊れたように笑って欲しかったわけではない。


『ま、そういうわけだし、しばらくここにいれば? 「魔女」のこととか、仕組みとか、その様子だとほとんど知らないだろうし』

『……………………いい。自分で調べる』


 男が差し伸べた手を払って、少女は立ち上がりドアノブを乱暴に掴んだ。このまま魔女に成りたての者を放り出せば、他の魔女がどれほど怒るだろうか。


 面倒臭いことはごめんだと、“獣遣い”は静かに魔法を組み立てる。少女の動きを封じるための簡単なものだ。


 しかし、少女の動きは“獣遣い”が魔法を使ってもいないのに、彼女が扉を開けた瞬間にピタリと止まる。


『……おい、これは貴様の差し金か?』


 扉の向こうには、熊や鹿、野うさぎや狐などが各々食べ物を持ち寄って、家を取り囲むように並んでいた。


 “獣遣い”はまるで図っていたかのように集まってきた動物たちを心中で労うと、笑いを堪えながら少女の肩に腕を回す。


『お前の回復祝いだってよ。せっかくこいつらが用意してくれたのに、まさか主賓が参加しないなんてことは……ないよな?』

『…………』

『そこの野ネズミなんかさぁ、ずっとお前のこと心配してたんだぜ? 調整期間の魔女は何も食わなくても死なないのにさ、口の中に木の実突っ込んで』

『………………』


 なおも黙る少女の元へ、小さな小動物たちがテチテチテチと近寄って、各々飛び跳ね全身で喜びを表現した。


『ゲンキ! ゲンキ!』

『ヨカッタネエ、木ノ実食ベル? ドングリ食べレル?』

『寝タキリ体ニ良クナイノ。ダカラ一緒ニ遊ビマショウ』


 小動物からの猛攻を受け、確実に揺らいでいる少女に、男はトドメの一撃を放った。


『そうだよなー。……でも残念、“ひまわり”は参加せずに帰りたいんだと。悲しいなぁ』

『エ、オ姉チャン……帰ッチャウノ?』

『アタシたちノコト嫌イナノ?』

『ヤダアアアアアアアアア!』

 大声を上げて泣き始めた小動物たちを見て、少女は焦ったように声を上げた。

『………………あぁっ、もうっ、帰らないから! ちゃんとここにいるから!』


 だからどうか泣かないでくれと、少女は彼らの涙を指で拭っていく。


『私はあなたたちのこと、嫌いじゃない。嫌いなのはそこにいる性根の腐ったヒトの気持ちも分からないクズよ』

『……ホント? 嫌イジャナイ? 好キ?』

『えぇ』

『一緒ニゴ飯、食ベテクレル?』

『勿論』

『一緒ニオ花、植エテクレル?』

『とびきり綺麗な花の種を用意するわ』

『ズット一緒ニ、イテクレル?』

『ずっとは難しいかもしれないけど……できる限り、一緒にいましょう』


 困ったように微笑む少女は、魔女に成ってもやはり、あの日の少女そのものだ。男は懐かしさに目を細める。


 ────いつか彼女が、また心から笑えればいい。


 オレのものにならなくとも、幸せに『生きて』くれればいい。


 多くの者を見送ってきた自分と、同じ時代に生きてくれているだけで、オレはもう、救われている。


 そこまで考えて、男は自分が無意識のうちに助けを求めていたことに気付き、愕然とした。


 それはこんな感情と呼んで捨てるには、勿体ない気持ちから抽出されたもので、だから男は素直にそれを受け止められた。


 男は口の端を吊り上げて、偽物の笑顔を貼り付け、祝いの言葉を少女に捧ぐ。

『ようこそ我らが「魔女」の世界へ。歓迎するよ、名も無き少女!』




 ◯




 こうして“獣遣い”は“ひまわり”に鬱陶しがられながらも、なんとか今まで親交を深めてきた。人の心が分からない彼ができるだけ彼女に嫌われないように、努力をしてきた。


 ……そうだというのに。


『もう……二度とここへ来るな。血で塗れたその手で、この地を汚すな』

 数日前に少女から齎された拒絶を、男はどう受け止めればいいのか分からない。


(ここへ来るなって言ってるんだし、あそこへ行かなけりゃ何の問題もないか……? いや、しばらくあいつの機嫌が治るまで待った方が……ああ、でも近々魔女裁判で会うよなぁ)


 うーんうーんと唸る男の元に、一匹の鹿がやって来た。彼が“ひまわり”を見守るためにあの森に配置していた鹿だ。


(職務怠慢だったらこの場で首を刎ねてやる)


 いちいち物騒な“獣遣い”は、鹿が少女からの伝言を預かっていると聞き目の色を変えた。それもおかしなことに、喜びではなく焦りと緊張の色へ。


「魔女裁判ノ前ニ幾ツカ現在ノ魔女ノ人数ニツイテ確認シタイコトガアル。二週間後ニアノ家デ待ツ。……ト四日前ニ仰セデシタ」


(あいつ……オレの計画に勘付いているのか?)


 男は眉を寄せる。それなら少し厄介なことになりそうだ。


 “獣遣い”は数秒迷い、了承の旨を“ひまわり”に伝えるよう鹿に命じた。


 ──勘付かれていたとしても、この計画を止めるわけにはいかない。


 なぜならば、今度の魔女裁判に“獣遣い”と“ひまわり”の両方が招集されているからだ。




 魔女裁判で生き残れるのは、一人だけ。

 ならば一人生き残るのは、“獣遣い”か、それとも“ひまわり”か。




 神無き世界で決定されてしまったその運命を、どうにかひっくり返したいが為だけに、男は今や『暴力』よりも好きな少女に嘘をつく。


 魔女が人に戻れる方法を、あるいは他の何かに成り果てる方法を模索する。


 ────もう、戻れない。


 次に少女に会う時、彼女はうまく騙されてくれるだろうか。……いや、聡い彼女のことだ、男の隠し事などすぐに見破ってしまうに違いない。


 それなら、男の企みに、気付かないふりをしてくれるだろうか。


(いつか夢見た未来のためなら、オレは)


 何だってしてやる。


 昏い目で“獣遣い”はそう呟いた。

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