第七話 『魔女』に成る
────魔女の起源は、一千年ほど前にまで遡る。世界で初めて誕生したのは、童話でも有名な“毒林檎の魔女”だ。……とはいえ、童話に登場した時はまだ、魔女ですらないただの人だった。
記録では、義娘を虐げた罪により火炙りの刑に処されるその寸前に、魔女として覚醒したそうだ。
彼女が唯一、最初から魔女としての素質を持って生まれた人間だった。生まれた時から神に背叛していたとも言えるな。
とにもかくにも、そうして第一の魔女が発生した。そしてそれに呼応するように、世界各地で魔女に“成る”ものが現れ始めた。
『魔女』は魔法師ではなかった。もっと歪な何かだ。
彼らは全員、『神からその権利を委託された』などとほざいていたが、その当時の世界情勢を見れば、それが嘘だったということくらい分かる。
人々は干ばつにと飢饉に苦しみ、土地の奪い合いを始めた。
これを天罰と言わずに何と言おう? 神の怒りではないと、どうして言い切れよう。
ただの人が神の力を欲したせいで、その他の善良な人々は苦しんだのだ。……そんな人々が、自らを苦しめた異端を排除しようとしてできたのが、わたしの所属する異端審問所だ。無辜の人々を苦しめる異端を許さず、異端と差別されている無辜の人々を守るのが我らの理念だ。
しかし……異端審問官がどれだけ腕を磨いても、魔女を傷付けることはできなかった。殺すことができなかった。
お前も先ほど見ただろう。『魔女』の不死性に、ただの人が作った武器では敵わない。身が引き裂かれるほど憎いのに、その対象を傷付けることができなかった無念は、きっと市民には、『魔女』には分かるまい。
魔女を処刑できないと分かった異端審問所は、魔女の根絶ではなく、一般市民からの隔離という方法を取ることにした。不思議なことに魔女には身内がいなかったから、それはすぐに為すことができた。魔女たちを皆、人里離れた場所に追いやり、人に一時の平穏が訪れた。
……ところがどうだ、魔女は所詮化け物でしかなかった。自らの心の赴くままに、周りを傷付けるヒトデナシでしかなかった。
逆らった者は火炙りに。気に入らない者の四肢をもぎ。魔女の魔法の実証実験として子供を拐かし。時には『なんとなく』で国を滅ぼして。悪虐の限りを尽くしていた。
そんな魔女の中でも一定数、罪悪感を抱えるものがいたらしい。そのものたちは罪を犯した魔女を裁く『魔女裁判』の仕組みや、掟を作った。
最古の魔女である彼女が作った毒林檎は不死身であるはずの魔女にも効いたから、それが他の魔女たちを従わせることに成功した形だな。
彼女たちは違反した者を次々と処罰していった。ただ一人、“毒林檎”の人体実験が例外的に認められていたとはいえ、魔女たちが起こす事件は格段に少なくなっていた。魔女の数も、同じように数を減らしていった。悪い魔女はもういなくなったのだと、誰もが思った。安心した。
これで化け物は、減っていく一方だと、誰もが予感し嬉しさに震えた。
だが、魔女の大量処分が行われてから、半世紀が経ったころだ。
再び、魔女になるものが現れ始めた。
……それも、処分された魔女の性質を持つ魔女が、現れ始めた。
その時、人々は悟る。神はとうの昔に、愚かなる人を、我々を、見放していたのだろうと。
神の与えた奇跡は、よりにもよって“魔法”と『魔女』しか残されていないのだと。
災害も、悪も、何もかもを見守り、罰して、赦してくださる存在は、もういないのだ、と。
どうしようもない地上に残されたのは、人と動植物と、そして怪物。処分しても処分しても湧いて出てくる『魔女』というモノが、どうしたって異物でしかなかった。
いつしか『魔女裁判』の頻度が落ちた。掟の違反が、それ程重く受け止められなくなった。
永遠を醜く生き延びる魔女たちが人への興味を失ったことで、ようやく、ようやく我らに恒久の安寧が訪れた。
たまに暴走して人里に降りてくる魔女を追い返すことが異端審問所の仕事の一つとなった。魔女裁判で処分された魔女の死体を火炙りにして、四肢をもぎ、彼彼女の家を潰し、それらを民衆に見せつけて人々の溜飲を下げることが仕事の一つとなった。
……死体蹴りに意味がないことなど、誰にだって分かっていたさ。愚かなことだと、皆知っていた。それでも、そうしなければこちらが狂ってしまいそうになる。魔女から受けた仕打ちを、忘れることなどできやしないのだ。それは恐らく、魔女も同じだろうが……この時代に、互いを尊重なんてできるはずがなかった。
そうして今に至り、魔女は表舞台から姿を消し、時折ひっそりと人々の間で語られる存在となった。魔女を知らない世代も増えてきた中、異端審問所だけは、変わらず“毒林檎”から『魔女裁判』などの情報提供を受け、人々を守ろうと奔走していた。
現存する魔女は、二十人ほど。その中でも特に有名なのが最古の魔女“毒林檎”と『魔女裁判』で何度も生き残っている“獣遣い”。ここ百年ほどの間に魔女と成った“ひまわり”。行方不明の“薬師”。代替わり中の“瑠璃石”。……どいつもこいつも、悪名高い魔女だな。
ん? 代替わりとは何か? ……本当に何も知らないのだな。いや、それが普通か。
魔女の総数は、一千年前に増え切った時から変わらない。つまり、魔女に成るためにはその成りたいと願う魔女を殺し、神のいなくなったこの世界に選ばれるしかない。神から奪った権能の依代として機能できることを示さねばならない。
ある魔女が死んでから、新たに魔女が生まれるまでのおよそ六十年間を代替わりの期間という。その間に、素質のある者の中身がゆっくりと変貌していく。そうして魔女に成るのだ。
それで、お前は──どの魔女になりたいのだ? ……あぁ、安心するといい。幸いなことに、あと一、二年の間に次の『魔女裁判』が行われる。さらに今回の裁判では、“ひまわり”と“獣遣い”を含めた七人が招集されている。七人中、生き延びるのはたったの一名だから、選び放題だ。成りたい魔女の素質に合うよう、“ひまわり”なら鍛えてくれるだろう。
何せお前は“ひまわり”の『客人』で、魔女は己の客人の願いを叶えなければならないからな。
お前が“ひまわりの魔女”に成りたいと願っても、叶えてくれるはずだぞ?
……なぁ、少年。
お前は一体、何に成りたいんだ。
◯
びちゃ、と少年の吐瀉物が床に落ちた。少年が慌てて口を拭っても、次から次へと溢れ出す。胃液の匂いが漂った。
優しい少年のことだ、前半の魔女がどれほど醜いか、恐ろしいかという説明よりも、自らが魔女に成るということが、一つの命を奪うことと同義だという説明の方が堪えたのだろう。
“ひまわり”はこういう攻め方をすれば良かったのかと思ったが、それで吐瀉物を撒き散らされるのは嫌だし、何より少年の精神を半壊させてしまうかもしれなかった。客人である少年に、そんなもてなし方はできない。
(それにしても、結局異端審問官は少年が魔女へ成ろうと思わせないような語りをしてみせた。まだ守るべき範疇に、少年がいるということか……なら、私が意識を失っていた時に少年にした攻撃はブラフ? ううん……“客人規定”を知っていたのなら、私に反撃されることは目に見えていたはず。じゃあどうして……あぁ)
少女はほぅと息を吐いた。身に覚えのある感情だったから、理解することが容易かったのだ。
死にたかったのだろう、異端審問官は。
私という魔女に、体を弄られてしまったから。
(それなら、あの時願わなければ良かったじゃないか)
もちろん、人間誰しも生存本能があるのは少女だって分かっているけれど。
死なせるために、治療した訳ではないのだ。
「………………ねぇ」
ゆっくりと体を起こし、少女は蹲っている少年に近付く。異端審問官が彼を庇う素振りを見せたが、気にせず側に歩みを進める。
「少年」
少年が震えながら少女の顔を見上げる。
気の毒に、とは思わない。だってこれは、少年が魔女に成るのなら、今向き合わなくてはならない問題だ。
「まだ、魔女に成りたい?」
それは最終確認だった。
少女には与えられなかった、最終確認だった。
それに、少年は。
「…………」
首を振って答えた。
「……そう、分かった」
少女はしゃがんで、少年の背をさすり続けた。
「……寝たか」
「えぇ、ぐっすりよ」
何せ三日間も森を彷徨っていたのだ、先ほどの一件がなくとも、到着した瞬間に倒れていてもおかしくなかった。
少女はハーブティーを用意した二つのカップに注ぐ。突っぱねられるだろうかとダメ元で異端審問官に渡してみたところ、案外すんなりと受け取ってくれのだ。拍子抜けである。
彼女曰く『調理している時に魔法を使っていた痕跡はなかったから』だそうだ。調理の際に使っていなくとも、ハーブを栽培している時に使っていたらどうするのだ、とは訊ねなかった。どう考えても藪蛇である。今日これ以上口論する元気は少女に残っていなかった。異端審問官も同様だろう。
少女は一口ハーブティーを啜り、異端審問官に話しかけた。
「…………一応、礼を言っておく。少年を引き戻してくれてありがとう」
「魔女に礼を言われる筋合いはない。わたしはわたしのすべきことをしたまでだ」
「そうかもしれないけど……でもやっぱり、『魔女』になんて成るものじゃないでしょう」
「…………」
異端審問官は怪訝そうに少女の言葉を聞いている。それほど魔女が分の存在を否定していることが珍しいのだろうか。
「お茶菓子あるけど、あなた食べなさそうね」
「……夜食は体に悪い」
「ふふっ……そうね、そうだったわ」
体に悪い。その言葉が魔女の敵であるはずの異端審問官から出てきたことがなんだか無性におかしくて、少女は静かに笑う。──そうね、あなたちょうど体型も気になるお年頃だもの。乙女に夜食は敵よね。
焼き菓子の入った缶を片付けながら、少女は徐に問うた。
あなた、これからどうするの、と。
まさか死ぬつもりじゃないでしょうね、と。
「……だからなんだ。お前には関係あるまい」
「あるわよ。だってあなたもう、私の客人だもの」
あ、と異端審問官が目を見開いて静止した。“客人規定”を知っているはずなのに何をやっているんだか、と少女は呆れる。
「ちなみに私からは話しかけてないから。あなたから尋ねたのよ、『寝たか』って」
「……」
「まさかこれも、魔女が使った魔法のせいなんて言わないわよね? いくらあなたが元異端審問官だといえども。……魔法の気配くらい察知できるように訓練されてるでしょう」
「…………」
自らの失態に恥じているのか俯く異端審問官を尻目に、少女は立ち上がる。少年ほどではないが、彼女もまだ子供なのだ。こんな夜中に森を出ていくのは危ない。
「今日はここに泊まっていきなさい。明日以降のことは明日考えればいいわ」
魔女である少女の善意は異端審問官に届かない。
だから、ハーブティーに睡眠作用のあるものを混ぜていた。
異端審問官の体が、かくんと大きく揺れる。
「あなたもせいぜい、考えておくことね」
少女は眠ってしまった異端審問官に毛布を被せると、自身の寝室へと歩を進める。
「残り寿命の少ない私に、何を願うのか。この先の人生を、どう生きるのか」
人間に効く程度の睡眠作用など、魔女には効かない。睡眠も魔女には必要ない。そんなものをしなくたって、魔女の不死性は揺らがない。
それでも魔女が眠るのは、きっとまだ、夢見ていたいからだろう。
どうしようもなく苦しくて、誰にも優しくない世界から、目を逸らしたいからだろう。
それはきっと、人も魔女も同じだ。
そのことを少女は、ずっと前から知っていた。
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