第五話 枯れてもなお

「困るのよぉ〜死者蘇生なんてされちゃうと。生命の巡りが悪くなっちゃうでしょう?」


 魔女になってまもない少女の前に座るのは、唇を赤く染めた女性だ。彼女は手土産にりんごをいくつか籠に入れて持って来ていたが、少女は一切それに手をつけていなかった。なぜならば、このりんごには全て毒が含まれているからだ。


 ────そう、少女が相対しているのは“毒林檎”の魔女であった。


「今回は初犯だったし、わたくしたちもあなたも、あなたのその魔法の真価について知らなかったから仕方がないと不問に処されたけど、本来ならば臨時の『魔女裁判』を起こしても不思議じゃないのよ。その自覚はあって?」


 黙りこくっていた少女は、その単語にピクッと反応した。“毒林檎”はそれを見て、人の悪い笑みを浮かべる。


「あら、あなた『魔女裁判』が怖いの?」


 この魔女は人の弱みを握ることが何よりの趣味だった。人を実験台にするのは、その趣味の産物であり、そのこと自体に執着を持っている訳ではない。


 少女は新緑の瞳を丸くした。


「怖くなんかないわ。むしろどう考えたらそんな結論に辿り着くのか、是非教えてほしい」

「…………」


 ちなみに“ひまわり”と“毒林檎”の相性は“ひまわり”と“獣遣い”以上に悪かった。そもそもお互いに話が通じないのだ。


 “毒林檎”は顔を引き攣らせながら、少女が焼いたクッキーに手を伸ばして、“ひまわり”の家の庭に所狭しと咲くひまわりを眺めた。


 これも、“ひまわり”が蘇生したものだ。新参者がと“毒林檎”の顔が少しの間歪んだ。


「それで、わたくしが言いたいことはちゃんと理解したかしら?」

「いいえ全然、全く、これっぽちも理解できない」


 頬杖をつきながら悪びれもせず少女は言った。


「だってこの森に死体を投げ込まれたのよ? どう考えても私が被害者でしょう。死体を捨てた加害者に怒りもせずに、死者を生き返らせた私は褒められこそすれ、叱られるのは納得いかないわ」

「……そんなことをしてたら、すぐに裁判にかけられるわよ」

「だから?」


 最古の魔女の脅しにも、少女は全く動じない。動じる理由がないのだ。彼女の弱みは、彼女が魔女になったその瞬間に、失われてしまったのだから。




 少女が魔女となる、その数十年の間に。




“毒林檎”はため息を一つこぼすと、籠からりんごを一つ取り出し、“ひまわり”の目の前に置いた。


「このりんごは、魔女にも効くわ。どうしようもなくなったら、食べればいい」


 少女は被りを振った。それだけはあってはならないと。そうしないことこそが唯一の贖罪だと、主張するかのように。


「きっと、そのりんごだけは一生食べないわよ、“毒林檎”。私は自分で終わりを選んじゃいけないから」





 ────昔々に存在していた、とある王国の城下町にある飲食店を経営する夫婦の元に、人間だった少女は生まれた。

 城下町と言っても、度重なる戦のせいで活気はない。どこの店も経営は苦しかった。満足に食べられない日もあった。

 それでも、少女と彼女の弟妹を等しく愛してくれる両親の元に生まれて、少女は幸せだった。




 ──その幸せを、少女は自ら捨てた。




 小国に数年かけ勝利したパレードが城下町で行われると、王宮からお触れが出た時、少女が両親が憤る様を目撃した。


『こんなものは、何の生活の足しにもならないじゃないか』


 そこで少女は、この一家が置かれている状況が厳しいことを知った。その原因が、どうやらこの国のお偉いさん方にあるのだろう、ということもまた、子供ながらに察した。


 少女はまだ自分より小さい、弟妹の顔を見比べた。どちらもあどけなく、姉である少女を見上げてキャッキャと笑っている。


 ……上の者は、下の者を守らなければならない。そう聖書には記されていた。それなら、私には何ができるのか。


 このまま暮らしていても、生活は苦しくなる一方で。


 かと言って出稼ぎには行けない。誰も雇ってはくれないから。


 木の実は売れない。そんなものに使う金は誰も持っていないから。


 ……もしも、私がいなくなったら、両親は、弟妹の暮らしは良くなるだろうか。


 ……もしも、あそこに住む高貴なかたがたがいなくなれば、市民の生活は楽になるだろうか。


 少女は足りない頭で懸命に考えた。しかし、どう頑張ったとしても、この状況を打破し、皆が幸せになる策は思いつかない。


 そんな時だった。


 少女が路地裏で、魔女狩りの張り紙を見つけたのは。


『…………「魔女」』


 人の理の外にいるもの。神の権能を奪ったもの。超常の力を得たもの。そういう『魔女』が国境近くの森にいるという噂は少女も知っていた。


 ……そうだ、人間の知恵で解決しないのなら、魔女に話を聴いて貰えば解決策が見つかるのではないか。魔法を使ってもらえば、皆が幸せになるのではないか。


 魔女に頼み込むのは、怖い。蛙にされるかもしれない。そうでなくても、魔女の機嫌を損ねれば、どんな結末が訪れるか分からない。


 ────それなら。


 ────私が、『魔女』になれば。


 思い付いたらもう止まれない。少女は家族に手紙を書き、その身一つで家を飛び出した。


 魔女の弟子になるために。そして魔女になるために。


 道行く人に助けてもらいながら、少女は森に辿り着き、ぽつんと建っている小さな家の戸を叩いた。




『すみません! 私、魔女になりたいんです!』




 ◯




 少女が目を開けてまず視界に映ったのは、絶望に染まった顔を手で覆い、泣き崩れている異端審問官だった。少女はどうやら少しの間、魔法を使った反動で意識を失っていたようだ。


 少女が冷めた瞳で異端審問官を見下ろしていると、向こうもこちらに気がついたのか、唇を戦慄かせて叫び出した。


「お、まえ……! わたしの体に、穢れた魔法を……‼︎ よくも、よくもよくもよくも‼︎ 覚えていろ、そのうちわたしの仲間がお前を処刑してやる……!」


(生きたいと願ったのはそちらだろう。私はそれに応えただけ。……まぁ、“獣遣い”がいなければそもそもこんなことにはならなかっただろうし、そこは同情する)


 ただ、いくら『魔女』とはいえ、好き勝手言われて何も感じないかと言われればそうではない。つまるところ、少女が森の外に放りだしてやろうかこの女と思うのも無理はなかった。


 そんな思いつきを実行する代わりに、少女は花瓶に一輪だけ挿しているひまわりを手に取って、一言。


「うっさい」


 異端審問官の目が点になった。もちろん、少女は何も魔法を使っていない。見目は可憐な少女とその発言に驚いたのか、あるいは少女が彼女の考える魔女像とは異なるものだったからか。どちらにせようるさい異端審問官が黙ってくれたので少女にとっては万々歳である。


 固まった異端審問官の横をすり抜け、少女は抜け殻となった死体を担ぎあげた。いくら女性のものとはいえ、大人の体重を小さな体躯で支えるのには無理がある。────だが、少女は部屋の隅に置いてあった荷車を使わなかった。使いたくなかった。


 それは、自分本位な世界への償いかもしれない。ただの感傷かもしれない。けれど彼女は、だれかの死体を処理する時、道具にも魔法にも頼りたくなかった。


 生物の死に対する思いを風化させたくない。


 痛みを憶えていたい。


 枯れてもなお、咲き続けたいと願う、庭のひまわりたちのように。


 それがいつか苦しく思う日が来るとしても、少女は自分で自分を赦したくなかった。


 少女はふらつきながら足を引き摺るように歩いていく。まだ微かに血の匂いがするのは、服に染み付いてしまったからだろうか。


 後方で、異端審問官が何か言っている。この国の公用語のはずなのに、少女には騒音にしか聞こえなかった。言葉を言葉として認識できない。疲労のせいか、少女の頭は朦朧としていた。ただただ不快である。


(最近は植物にしか使ってなかったから……体が驚いているのか)


 少女はぐにゃりと曲がって見える扉に四苦八苦して、どうにか開ける。あとは森に埋めるだけ、そう少女は息をついた。


 が、ここで問題が一つ。


「……え?」

「あ」


 少女は目に涙を溜めている少年とご対面。一瞬にして空気が凍った。


 今日の今日まで数百年間、ほとんど一人で暮らしてきており、更にはこの森には魔女が住み着いていると噂され誰も近付かなかったのだ、外に誰かがいたことを思い出せるだろうか。いや、誰も思い出せないだろう。体調不良ならば尚更だ。


 早口でそう捲し立てそうになった少女は、しかし少年の今にも泣き出しそうな表情に言葉を詰まらせた。そうだ、この少年は。


(ついさっき、私が『魔女』だということを知らされている)


 しかもよりによって、“獣遣い”から。何の前触れもなく。


 こんなことになるのなら、早く自分から言うべきだった。


 ────出会いの時に、ただ言いそびれただけ。教えたとしても、教えなかったとしても、少女には得も損もないのに、中々言い出せなかったのは。


(これまで、皆、魔女の家に住んでいるという理由だけで攻撃してきたから)


 でも、少年は違った。


 だから、ほんの少し、怖い。


(拒絶には慣れているはずなのに)


 ────いいや、違う。これは怖さではない。


 少女が怖いのは、何も知らない少年が、あの日の彼女になること。


 『魔女』になってしまうこと。


 ……ならばこの感情は、一体何なのだろうか。


 少年が震える手で、少女を──少女が担ぎ上げている死体を指差す。


「その、人……助からなかったの?」

「……え、と」


 どう説明したものか。


 どこまで話すべきか。


 本調子ではない頭で少女が逡巡していると、ガチャリと扉が開いた。あの異端審問官である。


「お、おい待て“ひまわりの魔女”! 話はまだ終わってな──!」

「…………」


(心の準備くらいさせろ)


 こめかみに手を当てて唸る。何もかもが台無しだ。こんなことなら布でも巻いて口を封じておけばよかった。


 少年は先ほどまでとは打って変わって、懐疑的な目で少女を見つめる。泣かれるよりはましかと、少女は現実逃避気味に考えた。


「どういうこと?」


 彼の唇がきゅっと結ばれた。少女はさっと目を逸らす。うまい言い訳が見当たらなかった。スカートをきつく掴む。


「……先ほどの子供か」


 異端審問官がしゃがんで、少年の視線に合わせる。少年の肩がびくんと大きく跳ねた。


「あの少女は……少女の形をした化け物が、“ひまわりの魔女”だ。神の権能を奪った憎き魔女の一人で、掟破りの魔法を使い人を騙す。……あれは、君を騙そうとしていたんだ」


(酷い言われようだ)


 反論はしない。反論する気力もない。それに、異端審問官に何を言っても無駄だと少女は知っていた。


 少年がゆっくりと、こちらへ近づいてくる。異端審問官の制止も振り切って、一体何を言うのだろうか。何をするのだろうか。


 怒って頬をぶたれるか。軽蔑の眼差しを向けられるのか。


 ……それで彼が、魔女になるのを諦めるのなら、それでもいいか。


 胸中に渦巻く感情は、彼女がよほど守ろうとしない限り、数秒ごとに消えてなくなる。今回もまたそうだ。


 これは、人間の寿命の数倍生きる元人間たちへの救済措置。精神が壊れてしまわないように、できるだけ長く同じ魔女が世界の部品となるように。


(そうでなければやってられるか)


 少女はわざと柔らかい笑みを作り、俯いていた顔を上げる。


 ────まずは、魔女になることを諦めてもらおう。それから、どんな暴力でも甘んじて受け入れよう。


 少年は後ろ向きな思考を繰り広げている彼女を見て、一言。


「魔女って魔法や治療だけじゃなくて、お菓子作りも上手なんだ……!」


 少女はあっけに取られた。自分よりもずっと幼いこの子供が、何の言葉を発したのか理解できなかった。


 彼女はふざけているのか、と憤った。揶揄っているのか、と。


 少年を睨もうとした少女は──彼の嘘混じり気が全く見受けられない瞳を見て、やめた。


 ────心の底から、思っているのだ。この少年は。


 そう理解すると、張り詰めていた緊張の糸が解け、安堵よりも先に眠気が襲ってきた。


(頭が……ふわふわ、する)


 頭が朦朧としているのは先ほどと同様なのに、なぜかこの感覚は、不快ではなかった。

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