第三話 それは涙にも似た
「どうしたんですか」
『魔女の家』と呼ばれるところから、少年が出てきたのを見て、異端審問官は困惑した。どうしてこのような場所に少年がいるのだろうか。──もしや、この少年が“ひまわりの魔女”? いや、そんなはずはない。記録では人形のように美しい見た目をした少女だとされている。そして、“ひまわりの魔女”は幻術や変身の魔法を使えない。
だとすれば……誘拐されたのだろうか? しかし、それならどうして『魔女』の敵で市民の味方の異端審問官に助けを求めない?
……もしかすると、ここは『魔女の家』ではなく、普通の家であったりするのだろうか。
疑問符を頭の中に浮かべながら、異端審問官の一人は少年に目線を合わせる。子供扱いされたと思ったのか、少年は顔を曇らせる。まだ十代前半で伸びきっていない身長を、自分も不安に思っていたなあと彼は微笑ましく思った。
「……ちょっと道に迷ってしまってね。ここがどこか教えてくれるかい?」
少年の体がビクッと震えた。目が泳いでいる。……何か言いたくない事情があるのだろうか。異端審問官の目線が自然と鋭くなった。
「森の中。詳しい場所は、分からない」
異端審問官はその答えを聞いてほっとした。この少年はただ、自分が私たちの問いに答えられないことを恥じていただけなのだ。ならば、後はここが噂に聞く『魔女の家』ではないことを最終確認すればいいだけ。とんだ徒労だった。
「そうかい。すまなかったね……この家は近くの村から『魔女の家』と恐れられていてね。その誤解を解くためにも、一度中を見させてもらえないかな?」
「…………えっと」
異端審問は何も、異端を滅することだけを目的に掲げているわけではない。世に蔓延る根も葉もない噂を断ち切り、皆が幸せに暮らせるようにすることも、神より与えられた使命だ。
口籠る少年を、辛抱強く待つ。留守番中だからと断られたら、家に少年の親が帰るのを待てばいい。それで中を検分して、今日の彼らの仕事は終了。彼らの家へと帰れる。
──と、異端審問官たちは楽観的に思っていた。
それまで何の気配もなかった彼らの背後から、澄んだ鈴のような声がするまでは。
「────『魔女の家』に、異端審問官の皆様が何のご用でしょう?」
○
時は半刻ほど遡る。
「お前、オレの
「なるかこの野郎私はもう帰る!」
せっかく真面目に話を聞いていたのに、最後の最後でボケやがるとはなんたる所業。極刑に処してもなお余りある罪だ。
この男にしては珍しく、事前に訪問すると一報を入れておいて。茶菓子まで持ち寄って。『魔女裁判』の話までして。それで結局、告げたいことはその程度のことなのか。
少女は己が“ひまわりの魔女”であることを何よりも誇りに、そして呪いに思っているのに、それを踏み躙られた。そう彼女は受け取った。
少女は顔を真っ赤に染めて、“獣遣い”を睨みつける。ボケるにしても、その内容が内容だ。我が師を、そして私をも侮辱しているのではあるまいな? 少女は隠す気のない殺気をこれでもかと放つ。そんな彼女を男は面白そうに眺めていた。
揶揄い混じりの態度にも、無反応を貫き、尚も睨み続ける少女に、男は唇を尖らせる。
「なんだよ。それが一番、平和的な解決方法じゃないか。オレとお前が二人生き残れる、唯一の。お前は弟子なんて取らないだろうし、それならオレの……って思うのは、何もおかしいことじゃない」
拗ねた調子の“獣遣い”は、本気でそう思っているのだろうか。本気で少女を心配しているのだろうか。もしそうなら余計なお世話で、そうでないなら永い時を生きたその弊害で、きっと彼の頭は沸いて正常な判断ができていないのだ。
少女は幾らか怒気を収め、罵詈雑言の代わりに大きく息を吐いた。何もかもが莫迦莫迦しかった。
「……黙れたわけが。その頭はお飾りか? とにかく私はもう帰る。しばらく貴様顔を見せるな。というかもう二度とここへ来るな。それからこの森からお前の動物たちを連れて帰れ。この茶菓子もいらん」
「あ、お前反抗期? そんなこと言って本当にオレが二度と来なくなったら寂しいくせに」
「誰が反抗期だ。寝言は寝て言え。起きたまま寝言をいう者はただの異常者だ」
「じゃあ問題ないじゃん。オレたち異常者だし」
ここで『オレ』と言うのではなく『オレたち』と言うところがこの男らしい。目に見えている大火に臆することなく薪を焚べ、油を注ぐのだから。
少女は苛立ちをぐっと抑え、“獣遣い”に背を向けた。足元にいる子うさぎをうっかり踏まないように気をつけて、飛び越える。“獣遣い”の中身のない会話に付き合うほど彼女も暇ではないのだ。
ただ、黙って別れるのも悪かろう、次会う時は『魔女裁判』なのだから──そう律儀に別れの挨拶を告げるべきか、少女が逡巡したその時。
「──おい、『待て』よ」
感情が一つも載せられていない男の声。冷たく無慈悲な、相手に有無を言わせない命令。“ひまわり”は、これに逆らう術は持たない。少女は『待て』と命じられた通り、動きを止める。
(しくじった)
少女は内心臍を噛む気持ちだった。……もしもこのまま、背後から一突きされれば? ぞっとしない未来である。この森では自分の優位性が崩れないと慢心していた。認識を改める必要がありそうだ。
表面上は平静を取り繕い、少女は慎重に問う。
「……何だ、“獣遣い”? 迷惑だ。さっさと解け」
男は背後から、少女の肩に顎を乗せた。……貴様本当に人の肩に頭を乗せるの好きだな。重い。さっさとどけやこの野郎。あとでどうなっても知らないぞ。そう少女が口に出そうとしても、唇は思ったように動かない。“獣遣い”が許可しなければ、今の少女は話すこともままならない。
「今お前の家の周辺を、異端審問官のやつらがウロウロしてるぞ。帰っていいのか?」
男の情報は嘘か真か分からない。だが、たったそれだけの言葉に、少女は動揺してしまった。
ごくり、と少女が唾を飲み込んだ音が、やけに大きく聞こえた。
「ははっ、良い音〜……お前のそんな表情、いつぶりに見たかな」
細められた紅い瞳に射抜かれる。こうなったが最後、男が満足するまで情報を搾り取られるだろう。少女は抵抗することを諦めた。やけくそだ。
「で、誰がお前の家にいるんだ? まさか男か? 殺していい?」
得物をとりだすな得物を。魔女が物理攻撃に頼るなよ。
「『客人』だ。殺したら私が貴様を殺す。だから早く帰らせろ」
「男か?」
「……貴様私の恋人でもなんでもないだろう。なぜそこまで執拗に訊く? 私の恋愛対象がもしも女だったらどうする」
「オレが好みのタイプでしょ?」
「……は?」
「……え?」
何言ってんだこいつ、と互いに互いを見つめ合う少女と男。余程驚いたのだろう、いつの間にか“獣遣い”の魔法は解けていた。
呆然としている男を横目に、少女は柏手をうつ。──念には念を、目には目を、歯には歯を、魔法には魔法を。
少女は空を見遣る。雲が五割といったところか。十分だ。
「────『影』よ、喰らいつくせ」
少女が合図を出すと、たちまち男の影が、意思を持って動き出す。男の足を、胴を、頭を、黒い影だったものがすっぽりと覆う。そうして男の心臓を喰らおうとしているのだ。
影の隙間から、男がこちらを見ている。やってくれたな──そう口が動いた。
やってくれたも何も、先に仕掛けたのは貴様じゃないか。
少女は真っ黒になってしまった男を無視して、家へと急いだ。
──魔女とは何か。
その問いに、昔も今も、少女は確証を持って答えることができない。
それは、少女の憧れの象徴だった。崇拝の象徴だった。今の彼女の二つ名だった。
それは、世間の忌むべき者の代表だった。燃やされてしまうものだった。
そんな少女の大部分を占める魔女を裁く『魔女裁判』そのものに、彼女は興味がなかった。強者が生き残り、弱者が死ぬ。ただそれだけの、自然の理だ。その強者がどれほど気に食わないやつだったとしても、そんなことは些細な問題であった。
少女の記憶にこびり付いて離れないのは、『魔女裁判』の後、先代の遺体が燃やされる場面だったか。涙にも似た、雨が降りしきる路地に、ひっそりと捨てられていた自らの師を見つけた場面だったか。
少女はただただ、悟ったのだ。
魔女に、魔女になった者に、幸せな結末などはなから用意されていなかったのだ、と。
異端審問官と聞いて、真っ先に少女が脳裏に思い描いたのは炎だった。全てを焼き尽くす紅蓮。白と灰しか残さない悪魔。
……もし、もしもだ。ここまで来た彼ら異端審問官が、何も考えずただ『魔女の家』だからという理由だけで彼女の家を燃やせば、少女が帰るまで家から出るなと言われた少年はどうなるのだろう。逃げおおせることができるだろうか。骨以外の姿で残っているだろうか。
少年は“ひまわりの魔女”の『客人』である。少年が家を訪ねてきた時から、少年は少女の『客人』である。であれば、少女は少年を守る義務があった。数少ない『魔女』の決まり事である。たとえ『魔女裁判』に呼ばれた身であっても、堂々と違反をするのは好ましくない。『客人』についての規則を堂々と無視し続けるのは“毒林檎”くらいだ。人は実験台にしてはいけないと、何度言えば分かるのだろう。きっと最古の魔女であるから、聴覚が鈍っているのだ。そうに違いない。
閑話休題。そんなこんなで少女は何十年ぶりかの全力疾走で家へと急いだ。髪も服も乱れたが、少年の命に比べれば安いものである。
ドクンドクンと、少女の頭が傷んだ。温度差は感じ取れなくなっていたが、痛覚は魔女にも残っている。数十年森に引き篭もっていた少女にとっては、久しい痛み。そのせいで、正常な思考もままならない。
そのような状態の少女の目に映り込んだのは、少年が異端審問官に問い詰められている姿。二対一とはどういうことだろう。少年があまりにも可哀想だ。……ちなみにこの時の少女に少年と異端審問官の会話は耳に入っていない。心臓の音がうるさかったからである。
少年が危機的状態にある。そう誤解するに至った原因は、紛れもなく少女の運動不足だ。
少女は少年が作った空気をぶち壊した。
「────『魔女の家』に、異端審問官の皆様が何のご用でしょう?」
少年の瞳が、溢れんばかりに見開かれる。
……その一連の様子を、余さず見ていた者がいた。
○
(なっんっでっバラしたんだよあいつは)
それは“獣遣い”だった。彼は性懲りも無く少女を追いかけていた。こちらは普段から動いているので、この程度の運動に息切れなどしない。“ひまわり”とは違うのだ。
それはそうと、と男は思う。
(それはそうと、あの坊主、どこかで見たことあるんだよなぁ)
それも、比較的最近のことのはずだ。なぜなら全てのものに、男は基本興味を持たないし、記憶に留めようもしないから。同じ立場の『魔女』に至っても、パッと思いつく名前が二、三人しかいない。男は他人に対する執着が限りなく薄かった。代わりに気に入ったものへの執着は限りなく強かった。
今まで何人もの女と(あるいは子供と)関係を持ってきた男だったが、彼女らの顔は一つも憶えていない。いつだって彼の脳裏に浮かぶのは、枯れた花のような魂を持つ、一人の少女。枯れた花であるくせに、生花よりも、何よりも気高く美しい少女。“ひまわりの魔女”。
枯れた状態でああなのだ。瑞々しさを取り戻せば、どれほど綺麗に、あるいは汚くなるのだろう。想像するだけでわくわくする。そして、枯れた花にやる水が己だとすれば、これほど心躍ることはない。自分の意思一つで、あの美しい花が思いのままに操れるのなら、これほど楽しいことはない。
“獣遣い”の恋は、どこまでも純粋で、どこまでも捻じ曲がったものだ。幼子が感情の扱いを知らぬように、“獣遣い”も自分のこの欲求を制御する術を知らない。
(ど〜こだ…………あ、思い出した。一ヶ月前くらいに会ったんだな。『魔女』になりたいけどどうすりゃいいか分からないっつってたから、ちょっと助言したんだった。珍しくオレ嘘言わなかったから、それで残ってたのか……ん? でもこれまずくね? このままいったら今の“ひまわり”が死ぬことにならねえか? オレの責任? 自業自得? やっべぇあの坊主抹殺しねぇと)
“獣遣い”にとっての一番は二つある。自分の命と“ひまわり”の命。それらを守るためならば、たとえどんな罪を被ろうが何をやらかそうが知ったこっちゃないのだ。
とはいえまずは、目に見えた敵、異端審問官の始末についてである。殺して終い、なら手っ取り早いのだが、生憎ここは“ひまわり”の領域。彼女が嫌がる流血沙汰はできるだけ起こしたくないというのが男の本音だった。龍の逆鱗にわざわざ触れたいと思う者がいるだろうか。いや、いない。割と少女に会うたび怒られている気がするが、それは愛の一種であると“獣遣い”はポジティブに捉えていた。
(さっきアイツから贈られた魔法が、最大限の威力を発揮していなかったのは惜しいよな……。強制解除に時間がかかる類の魔法で、オレと言えども、何もせずじっとしていれば精神を喰われていただろうし。さてはアイツ、加減してたな? “ひまわり”には、オレを殺すだけの技量があるのに、なぜ出し惜しみをした? ……もしや『魔女裁判』で戦うのを楽しみにしていたとか? あんなに釣れない態度だったのに? これは、やっぱり相思相愛だな)
とある森に住むとある魔女が聞けば顔を思いっきり顰め、茶菓子か何かに毒を盛ってきそうな内容である。もちろん“獣遣い”は毒が入ってようと無かろうと、彼女が持ってきたものなら何でも食べるので、彼に精神的なダメージを与えることは不可能なのだが。
「……お嬢ちゃん、ここが『魔女の家』だというのは本当かい?」
ややあって、異端審問官の一人が、躊躇いがちにそう少女に問うた。男は危うく吹きかけた。アイツ、下手したらお前の曾祖母さんより年上だぞ。
「えぇ、そうよ。ここは『魔女』の住むお家。綺麗だけれど禍々しい。そんな彼女に我らが『魔女』に、ただの『人』が……それも異端審問官の皆々様が、何のご用で?」
少女はその呼び名に、気にした様子もなく答える。丁寧な言葉の節々に敵意が感じられた。それを感じ取ったのだろう、異端審問官たちも表情を険しくさせた。男はあっと思った。──こいつら、目の前の少女の正体に、気が付きかけてやがる。
異端審問官は肩に提げていた猟銃を構えた。……そろそろ出て行くべきだろうか。まだ見物をしているべきだろうか。男が迷っていると、驚き固まっていた少年が、少女の前に躍り出た。
「……少年退いて。邪魔よ。危ないから下がってなさい」
「嫌だ。そうしたら君が撃たれるじゃないか」
「私は平気。撃たれて困るのは少年、君よ」
(なんか距離近くない?)
男は眉を顰めた。端的に言って、面白くない。気に入らない。少女が猫を被っていることが、付き合いが短いただの人間と親しげに話していることが。自分を差し置き、虫と話しているとはなんたることか。
(……あの虫あとで殺る)
男は短気だった。男の辞書には我慢のがの字もなかった。忍耐のにの字もなかった。
だからこそ“獣遣い”は、魔女の中で随一の『魔女裁判』への出席率を誇っている。
そうしてどうしようもなく面倒臭い男は、名乗りも最善策も全て無視して、彼らの前に姿を現わした。
「────不愉快だ虫ケラども、さっさとこの森から失せろ」
少女に構って貰いたい、ただそれだけの理由で。
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