第二話 彼の提案

 少女は一人、森の奥へ進んでいく。道中、落ちている木の実や落ち葉などを手辺りしだいにバスケットの中へ放り込んだ。


(とんだ災難だ)


 あの少年が来たことも、そのせいで約束を忘れていたことも。


 この後繰り広げられるであろう嫌味の応酬を予期して、少女はげんなりと顔を曇らせた。もう今日は少年の相手で疲れてしまったのだ。面倒臭いことには関わらないのが一番である。だがしかし、今から家へと引き返した所で、勝手に約束を取り付けた主は押し掛けてくるだろうし、そして何より家には今少年がいる。何をしても、彼女がさらに疲れる未来は訪れるのだ。憂鬱である。


 少女は目の前の枝にいるリスに声を掛けた。


「あなたの主人はこっち?」


 リスはタタタッと木から走り降り、一度少女の肩に登った。ふわふわとした尻尾がなんとも愛らしい。リスはその尻尾を二度ほど揺らすと、少女の耳元で囁く。


『コッチ、コッチ。待ッテル。我ラガ魔女、“獣遣イノ魔女”様、向コウ、イル』

「そう、ありがとう。これお礼よ」


 少女は親切なリスに丸々としたどんぐりを手渡す。リスは嬉しそうに礼を述べると、森の奥へと消えていった。少女は手を振って見送ると、深いため息を一つ溢した。それと同時に、少女の肩に何か重いものがのしかかる。これはリスなどの小動物ではない。人の頭だ。


 少女は端的に告げる。


「どけ。重い」

「リスには優しいのに、オレに冷たいの何なの?」

「優しくしてほしいのか?」

「いーや、全然。オレに優しくなったお前なんて興味ないし」


 カラカラと少女の肩に頭を乗せ笑う男の脚を、割と容赦なく彼女は蹴った。悶絶する男を尻目に、少女はふんっと鼻を鳴らす。お望み通り、容赦しなかったぞ、と。


 灰色の癖毛と燻んだサファイアの色の瞳を持った容姿端麗な男は、なおも口の端に笑みを浮かべている。


「気色悪い」


 少女は思わず頭に浮かんだ形容詞を脳内で処理することなく発した。反省はしていない。なぜなら本当に気色悪かったから。むしろそう臆面もなく言ってやった自分を褒めてやりたい。


 男は少女から吐かれた暴言が、酷くお気に召したようで、腹を抱えて笑い出した。こいつやっぱり特殊性癖を持っているなと少女は確信する。この男は触れるな危険の毒草だ。ただし鬱陶しいのは、毒草から迫ってくる類のものであるということ。毒虫かもしれない。


「そうそう、お前の領域に人間が迷い込んだって? こいつらが教えてくれた。異端審問官くらいさっさと追い払えよ」


 男は脇に控えていた小熊や野うさぎを顎で示す。少女は顔を引き攣らせながら男の目を見た。


「人の領域にお前が使役する動物を送り込むな住み込ませるなって、私は何度も言ったぞ?」

「だって、お前に勝手に死なれたらオレ困るし」


 清々しいほど身勝手さを隠そうとしない男の脛を、少女は蹴ろうと足を振り上げた。が、今度は避けられてしまう。


 少女より頭二つ分高い男は、彼女を見下し、目を見開いた。


「いいじゃんか、他でもないこのオレに認められてるんだぞ? もっと誇れ。あと外に出ろもっと太れ」

「遊んでばかりいる貴様と違って、私は誇る相手がいないからな。……太れは余計だ運動不足も自覚している貴様に言われるまでもないっ」


 少女は涙目になりながらそう返した。そもそも彼女の体の成長はもう止まっているのだ。運動能力もまた然り。男はそんな少女の反応など意に介さず、軽やかに紡いだ。軽やかに紡ぐには、あまりに多くの感慨が籠った一言を。


「お前ももっと、生を楽しめばいいのに」


 だからこそ少女は一瞬、返答に困った。どう答えればいいのか分からず、当たり障りのない言葉を選び、返す。


「……貴様は楽しみすぎだ。一体何人の女を泣かせてきたのやら」

「それはお前もだろ?」

「私はそういう輩と出会ったことはない。誰かれ構わず誘惑する貴様とは違う」

「似たようなものだよ、お前もオレも」


 彼の瞳が、元々何色をしていたのか少女は知らない。知っているのは普段のくすんだ青色と、今のように時たま彼が見せる、瞳の奥の鈍い煌めきだけだ。


「──だって、オレもお前も、『魔女』なんだから」


 少女がもう諦めてしまったものを、男もまた、諦めている。


 例えば人との関わり。例えば正常な人の心。例えば暑い寒いの感覚。例えば、自分の名前。例えを挙げればキリがない。そういったものを全て捨て、彼ら彼女らは『魔女』となったのだ。


 『魔女』とはただ異端審問所がつけた、普通の魔法使いとその者たちとを区別する蔑称である。彼らが崇拝する神の権利を奪った者たちとして(史実とは異なるが)、聖書に記されているのだ。そして彼らは、魔女を始めとした神に叛く異端者を撲滅することを命題として活動していた。


 それら全てを鼻で笑い飛ばせたら、どんなに楽であっただろう。


「無駄話をするためにここに来たのなら、もう帰れ。私は忙しい。ただでさえ無謀な願いを持ってきた輩をどうにかしないとならんのに、暇人の貴様に構う時間など」

「お前、『魔女裁判』に呼ばれたんだろ?」


 男は無表情で少女を遮った。そこに、いつもの人を小莫迦にしたようなニヤニヤ笑いはない。ただただ冷ややかな男の目が、少女を射抜く。


(やっぱり、嫌い)


 少女が嫌がると分かっていて、それでもなお彼女の命に関わる重要な案件だと思い込み、曲がりなりにも彼女のことを心配している男が。先代の“ひまわりの魔女”を殺した、張本人である彼が、少女は心底嫌いだった。


 『魔女』の発生条件は、『魔女』が死ぬこと。死ねば代替わりが行われ、新たな『魔女』が選出される。それは死んだ魔女の弟子である場合がほとんどだが、ごく稀に死んだ魔女と何の関係もないものが選ばれる場合もある。そうして選ばれた者の一人がこの男、“獣遣いの魔女”だ。そうであるから。


(そうであるから、貴様は……他の魔女を殺すことを躊躇わないんだ)


 無論少女だって、この男が無闇に殺しを行っているわけではないと理解している。そもそも先代の“ひまわりの魔女”が死んだのは、『魔女裁判』内での話だ。そのことを男に責める権利を、少女は持ち合わせてはいない。更に先代は『魔女』というものに疲れていた。だから、あの瞬間に解放されて、良かったのだろうと、最近少女は思うようになっている。


 ……けれどそういった事情を抜きにしても、少女は男が嫌いだった。これは単純に反りが合わないだけだ。


 少女は男とは違い、ずっと憶えている。自らが魔女になる前、目の前で行われていた光景を。魔女になった瞬間、押さえ込まれた激情を。魔女になった後芽生えた、微かな嘆きも。


 『魔女』になりたいと、願ったのは少女のはずだった。叶えたかったのは、少女のはずだった。しかし、こんなものは、力は、望んでいない。


『──全てを捨てる、覚悟はおあり?』


 この問いかけに、頷いてさえ、いなければ。


「…………だから何だ。貴様には関係ない」

「いや〜それが、あるんだよなぁ」


 男はポケットに手を突っ込んだ。くしゃくしゃになった封筒が出てくる。


「オレも、招待されたから」


 『魔女裁判』とは、五十年に一度執り行われる『魔女』の選別儀式である。暴食、色欲、強欲、憤怒、怠惰、傲慢、嫉妬を多く犯した魔女を罰することが主な目的だ。なぜそのようなことをするのかと問われれば、『魔女』は世界の権能を授かり、世界を円滑に動かすための歯車のような者であるから、としか答えようがない。──なればこそ、錆びた歯車は必要ない。さっさと処分するのが吉。


 ただし、『魔女裁判』に呼び出された魔女全てが処分されるわけではない。『魔女』を創り出す、あるいは選出するのにも、多大なエネルギーが必要となる。五十年なんて高頻度で七人もの『魔女』を処分するのは中々に骨の折れる作業である。それゆえ、呼び出された者の中から一人だけその罪を赦すのだ。


「貴様、これで六回目か? 連続出廷も大概にしろ。真面目に過ごせ」

「忘れんなよ、オレは累計で十回目。お前も呼び出されたんだから人のこと言えねえじゃん」


 何を隠そうこの男、“獣遣い”は、『魔女裁判』への呼び出し率脅威の八十パーセント越えのやべえ奴である。呼び出されるその度に一人勝ち残っているやべえ奴である。度々各地の人間とトラブルを起こし、“ひまわり”とは違って人間からもそれはそれは恐れられている、何度でも言うがやべえ奴である。


 この男が呼び出される罪状は決まって色欲か怠惰か傲慢だった。今回もその内のどれかだろう。


「また女子供に手を出したのか? 前回呼び出されたことも忘れて」

「いや……それがオレ、今回のこの五十年、結構真面目にしてたんだ」

「………………へぇ」

「うわ信じてねぇ」

「不満なら日頃の行いを顧みろ」


 つまるところ、この男の用件は、自らがどの罪に当たるのかを教えてほしいという所だろう。


「それにしても、わざわざ敵になる私に訊きに来なくてもいいだろう。死にたいのか?」

「お前に殺されるのなら、それはそれでありだとは思うよ。でもまだ、オレお前と遊びたいからさあ」


 だから死にたくないと、男は言った。少女の疑念が更に深まる。何故その台詞を今この場で発したのか。悪寒で少女の体が震える。この後男が何かやらかす気しかしない。嫌な予感というやつだ。嫌な予感は悲しいかな少女の空想で止まる気がしない。


 男は大真面目な顔で、今日一番のボケをかました今日の用件を告げた


「お前、オレの弟子恋人にならない?」

「なるかこの野郎私はもう帰る!」



 ○



 一方、少年は魔女の家の中を散策していた。二階の部屋を使ってとは言われたが、あちこち歩き回るなとは言われていないので、大丈夫なはずである。少年はかなり図太かった。


 少女の言葉を信じるのなら、“ひまわりの魔女”は今この家にはいない。


 それならば、『魔女』の暮らすこの家にきっとある、『魔女』の痕跡を探そうと少年は思い立った。


(何か『魔女』になるための手掛かりが、あるかもしれない。日記とか)


 そうして少年は、挙動不審に家中の押し入れを開けたり閉めたりしている。あの少女にバレればどう怒られるか分からないから、あくまでコッソリと。出した物は元あった場所に戻し、証拠を隠滅する。


 されど、探しても探しても、『魔女』に関連するものは何もない。時間ばかりが無情に過ぎ、少年の体には疲労が、髪には埃が蓄積してゆくだけ。


 窓の外へ目を向けると、もう日も暮れそうだ。少女はまだ帰ってこない。


 そろそろ散策を止めようかと、少年が思案していると、コンコンコンと、玄関扉をノックする音が彼の耳に届く。


 少女ではなさそうだが……一体、誰が何の用だろう。少年は覗き穴から外の様子を伺い、腰を抜かした。


 扉の向こう側にいたのは、ぴっちりとした礼服を纏った異端審問官だ。


(何でこんな所に異端審問官が……まさか、魔女狩り?)


 想定しうる限り最悪の事態だ。もしや、少年が森へ入ったことを近隣の村人が連絡したのか。


『魔女』も『魔女』に与する者も、異端審問所に見つかれば、例外なく火炙りの刑に処される。そうして炭になった人の話を、少年は何度も聞いてきた。


 異端審問官は二人いて、こそこそと何かを話している。この家に突入されるのも時間の問題だと少年は感じた。


 少年は拳を握り締める。やるべきこと、なすべきことは初めから分かっていたような気がした。


 意を決して、少年は扉を開ける。


「どうしたんですか」

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