第一話 『魔女』になるには

 鬱蒼とした森の中を少年が必死に駆けている。正しい道は地図のどこにも記されていなかったのか、同じ場所を行っては戻って、行っては戻ってを繰り返していた。


 野うさぎやリス、子熊が茂みの奥でそっと少年を見つめている。久しぶりの森の来訪者をもてなそうとしているのだが、あいにくこの少年にそんな暇はなさそうだ。うっかり彼の目の前に出ようものなら、何の躊躇いもなく蹴り飛ばされてしまうだろう。痛いのは嫌だ。それに、万が一でも彼女の客であれば、もてなした後どうしてすぐにこちらへ寄越さなかったのと、怒られるのは彼らの方だ。その事態だけはどうしても避けたい。そうヒソヒソと話していると、見かねた鳥がある提案をした。


 ──もう、我らが魔女様に相談した方がいいんじゃないか? この少年、森に来てからもう三日になるぞ。森の中で死なれては困る。処分が大変だし、何より魔女様の悪評にも繋がるぞ。


 鳥の提案に、森の動物たちはこぞって賛成した。うん、それがいい。名案だ、と。


 彼らの中で一番に足の速いものを彼と彼女の元へと遣わせ、残ったものたちは少年にバレないよう、気取られぬよう、彼女の住んでいる家への正しい道への目印をそこらじゅうに置いた。子熊の母にも協力してもらい、少年が誤った道へ行くことを阻止する。


 そうしてどうにか夕方までに、動物たちは少年を彼女の家へと送り届けた。




 ○




 少年には望みがあった。何にも変えられない、望みがあった。しかし、少年には望みや夢を語り合う友がいなかった──────否、いなくなってしまった。彼が塞ぎ込んでいた数年で、いなくなってしまった。頼れる者は誰もいない。だから少年は魔女がいると噂されているこの森へ一人でやって来たのだ。


 魔女を探し続け三日目。ついに少年は魔女の家らしい所に辿り着いた。少年は喜ぶより先に、眼前に広がる光景に首を傾げた。


「ここが……魔女の家?」


 そこに建っていたのは、『魔女の家』と村人に称されるには明るく、こじんまりとしたどこにでもあるような普通の家だった。もしやあの噂は嘘だったのではないか。そう少年が熟考する程に、この家は二つ名に似合わない。


 それでも不気味な所を一つあげるとするのなら、夏でも無いのにその家の周りに、何百本のひまわりが咲き誇っていることだろうか。ひまわりは季節の花々よりも明るく、堂々とそこに存在している。自然のものというよりも、誰かの絵を実現させたような光景だ。


 風が吹き、さぁぁと木の葉が擦れる音がした。


 少年は一歩踏み出す。続けて二歩目、三歩目と続けて踏み出す。


 扉の前で深呼吸をし、意を決してノックしようとした、その時。


 パァン!


 勢いよく扉が開かれ、それに対応できなかった少年の額に直撃した。彼は衝撃に尻餅をつき、続いて襲ってきたあまりの痛さに額に手を当てる。


「………いったぁ」

「あ、ごめんなさい。大丈夫?」


 謝罪の言葉と共に手を差し伸べたのは、見た目十五、六歳くらいの少女だ。長い睫毛に縁取られた新緑の瞳を大きく見開き、腰まであるだろう落ち着いた朽葉色の髪を緩く二つ結びにしている。手には空のバスケットを持っており、これから花でも摘みに行くつもりだったのか。


 少年が恨みがましい目で少女を見上げた。少女の方はまるで気にした様子もなく、にっこりと笑って少年を見つめ返す。


「あなた、何しにここに来たの? 迷子にしては準備が良すぎるみたいだし」

 少女は少年が背負っている大量の荷物を指差し、そう問う。年齢はそう違わないはずなのに、子供のように扱われていることが、どこか腹立たしかった。


 少年がどう答えるか迷っていると、見かねた少女が徐に口を開く。


「もしかして……魔女に用があるの?」

 少年は分かりやすく肩を跳ね上がらせた。今まで『魔女』の噂をしていた者はごまんといたが、実際に『魔女』がいるものとして話したのはただの一人だけだった。


 少女はすっと目を細めた。その見極めるような鋭い視線を受け、少年は思った。


(この少女、一体何者なんだろう? 魔女、ではなさそうだし……)


 何せ百年近く生きているのが魔女なのだ。こんなに若い、ということはないだろう。


「──まぁ、いいか」


 少女は人当たりの良さそうな笑みを浮かべた。さながら、ひまわりのような笑顔である。


 少年は不意打ちの笑みにたじろぐ。客観的に見て彼女の容姿はとても可愛らしいお人形さん、と称される類のものだ。仮に少女が『美人画の中から出てきた者です』と話しても全くの違和感を抱かない。そんな少女に笑いかけられれば、たとえ恋心を持ち合わせていなくともドキッとしてしまうだろう。


 少年は深呼吸をし、高鳴る胸を押さえつける。


「その、ここは、『魔女の家』で合ってる?」

「うん。そうだよ」


 くるりと少女が一回転する。スカートが空気を含んでふわりと広がった。芝居掛かった口調で、彼女は続ける。


「ここは『魔女』の住むお家。綺麗だけれど禍々しい。そんな彼女に我らが『魔女』に、ただの『人』が何の用?」


 ただの質問だ。ここにくるまで何度も脳内で繰り返した問答だ。……だというのに、少年はすぐに答えられなかった。


「…………笑わない?」


 答えの代わりに少年の口から出たのは、疑問。何度も周りから聞かれ、答えるたびに幾度も笑われてきた経験が、彼の望みを霞ませる。


 少女は目を瞬かせた。


「あなたにとってそれは笑い事じゃあないのでしょう? 叶えたいから『魔女』にまで会いに来たのでしょう? 何を躊躇うことがあるの?」


 少年は少女の心底不思議だと言いたげな態度に苦笑した。──そうだった。ここまで来たのだ、怖気ついてどうする。


 少年は意を決して口を開けた。



「────『魔女』になりたい」



 それが、少年の願いだった。




 ○




 『魔女』。

 それは異端審問の最たる標的。

 生者でも死者でもない何か。

 『魔女裁判』にかけられぬ限り、永遠の時を過ごすモノ。

 生者が近づいてはならぬモノ。

 そんな『魔女』になろうと考える者は、一人や二人ではない。

 それではどうすればなれるのか?

 どの状態の者が『魔女』と呼ばれるようになるのか。

 魔力? 性別? 才能? 努力?

 そんなものに、価値はないというのに。

 『魔女』になるには────。




 ○

 



 甘い香りが少年の鼻腔をくすぐる。有無を言わさず食欲をそそるその香りの主は、焼き立てのクッキーだ。


 白い皿にこれでもかと大量のクッキーを載せた少女は、それらを落とさぬよう、慎重に少年の元へと向かう。


「はい。ただの焼き菓子だけど。あなたとてもお腹が空いてそうだったから。紅茶は後で淹れるから、ちょっとだけ待ってて」

「食べてもいいの?」

「もちろん。これはあなたのために焼いたから、あなたが食べてくれないと困るわ」


 久しぶりのお客様だと嬉しそうに鼻歌を歌う少女は、戸惑いながらクッキーに手を伸ばした少年に背を向け、戸棚からティーセットを取り出した。


 少年は久々に食べる焼き菓子に瞳の中の星をキラキラと輝かせる。素直な少年の反応に、少女の口角が自然と持ち上がった。


「……おいしい?」

「ふぁい」

「そう」


 もぐもぐと口を動かしながら少年は、こっそりとこの家の内装に目を向けた。予想していた通り、魔女と聞いて連想するような意味深に飾られた髑髏や、人が丸々入れるような大きな鍋は見当たらない。隠しているだけかもしれないが、きっとここに来て正解だったんだと少年は確信した。ここに住む魔女が噂通りの魔女なら、少年の願いを叶えてくれるだろう。


 ────現存する魔女の中で、最も寛容で扱いやすいのが“ひまわりの魔女”である。


 それは、何十年前程から密やかに囁かれた噂だった。当時最年少で『魔女』になった彼女を世間は見下していたのだ。所詮は十七の娘、“獣遣い”や“毒林檎”などと比べれば恐るるに足らず、と。


 その噂は、“獣遣い”が牽制したことによりほとんどが霧散してしまったものだったが、古い世代では、いまだに“ひまわりの魔女”を見下す者が一定数存在する。


 しかし、少年はそういった者達からの話も、魔女を畏怖する村人たちからの話も知っていた。だからこそ、ここに来るまで、どちらを信じればいいのか分からなかったのだが……この家の様子を見るに、そう警戒しなくてもよさそうだ。


「あの……」

「どうしたの、少年」

「『魔女』は、どこにいるの?」

「さあ。少年の心の中にでもいるんじゃない」


 肩をすくめておどけてみせた少女は、缶の中に入っているお茶の葉を取り出し、ポットへ入れた。彼女がお湯を注ぐと、華やかな香りが部屋を満たす。


 ほうっとそちらへ気を取られていた少年だったが、少女の笑い声で意識を取り戻す。


「ふふっ、ごめんなさい。でも、用件が用件だったものだから」

「それは……」


『魔女』になりたいだなんて、やはり叶いようがない願いだったのだろうか。魔女の力でも、無理なのだろうか。


 けれど少年に、『魔女』になるには『魔女』の元へ訪ねるのがいいと言った人がいるのだ。その僅かな可能性にかけ、少年はわざわざここへ来た。『魔女』に会わずに帰るわけにはいかない。


「あなた、どうして『魔女』になるのに、“ひまわりの魔女”を選んだの?」

「選んだ?」


 少年がそう問い返すと、少女は形のよい眉を顰めた。


「もしかして、少年……『魔女』へのなり方、知らずにここまで来たの?」


 少年はこくりと頷く。少女の双眸が冷ややかに細まった。少年の無知を軽蔑しているのではない。それならばなぜ、少年がここに──よりにもよって「『魔女』になりたい」などという願いを持って──やって来たのか、その理由を推測っているのだ。


 もちろん、少年にそんな少女の意図が分かるはずもない。温和な雰囲気を消して、こちらを睨みつけている(ように見える)彼女に萎縮していた。


 怯えるような少年の視線に気が付いたのか、少女はにっこりと微笑んだ。……ただし、先程までのものとは質が違う、明らかに作ったと分かるものであったが。


 少女は紅茶を自分と少年のカップに注ぐと、幾分か硬い口調で少年に話しかけた。


「それなら、もう帰ってくれる?」

「でも──」

「『魔女』へなんて、誰もなれないから、ね?」


 少女は見え透いた嘘で、これ以上の会話を拒んでいる。けれど、こんな優しい嘘で、素直に帰る少年ではなかった。


「それでも一度『魔女』に会いたい」

「我らが『魔女』は多忙なの。無理よ」


 言外にお前なんかに構っている時間はない、と匂わせた少女は紅茶を飲み干すと椅子から立ち上がり、外へ通じる扉を開けた。


「この道をまっすぐ行けば、村に着くわ。日が暮れるまでに──」


 帰りなさい、という言の葉は、少年の声で掻き消えた。


「『魔女』に会えるまで、帰らない」


 少年の強情さに、少女が初めて呆れの色をその整った顔に浮かべる。


「ずっといられたら、迷惑なんだけど」

「迷惑なだけだろ。帰れとは言ってない」

「誰が頓知を効かせろと言った」


 少女の言葉遣いが荒くなるも、少年は気にしない。一度開き直れば、この人形みたいな少女なんて何も怖くなかった。


 しばらく両者は睨み合い、沈黙の神の使いがその場を支配する。お互いの落とし所(落とすも何も、少年も少女も何も譲る気はなかったのだが)を探っているのだ。まったくもって無意味な時間である。


 その膠着状態を終わらせたのは、少女の方だった。少女はぷいとそっぽを向いて、吐き捨てるように告げる。


「……もういいわ。一週間だけ、ここにいさせてあげる。その間に『魔女』になることを諦めればいい」


 少年も負けじと言い返す。


「一週間で、絶対『魔女』になってみせる」


 少女がふんと鼻で笑った。莫迦にしていると、誰もがわかる形で。


「『魔女』へなる条件すら知らないあなたが?」


 言葉に詰まった少年を尻目に、「二階の部屋を使って」と少女は鍵を放り投げる。それから彼女はもう用はないとばかりに、バスケットを持って扉に手を掛けた。


「あぁ、そうそう」


 ふと思い出したとばかりに、少女は少年の方を振り返り、彼の眼前まで迫る。あまりの近さに少年は硬直した。少しでも動けば、肌が触れそうだ。


「──少年。あなた私が帰ってくるまで、この家を出ないでね」


 新緑の瞳に、これまでにない程の真剣さを滲ませて、少女はそう釘を刺す。


 少年は、ただ言われるがままに頷くことしかできなかった。

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