第6話 もう戦えない

シユは目を開けた。体当たりして、床に落ちたのに、どこも痛くない。


非対称の色の双眸が、静かに自分を見上げている。


もう、戻らないのではないか。どこかで、そんな風にも考えていた。


「シユ、どこなの?ウェンさんが、ウェンさんが大変なの」


その時、女の叫び声が、屋敷中に響き渡った。声の主は、洗濯場の下女だ。


「行ってやれ」

シユに、ギヨウが促す。だが、シユは俯いたまま、顔を上げない。


ギヨウは再度、声を掛けた。

「どこへも行かないから、行け」


それを聞いて、ようやく、シユは掴んでいたギヨウの深衣から、手を離した。


下敷きにしていたギヨウの体から降り、部屋を飛び出していく。


シユが去った後で、オウエンが姿を現した。

「このような蛮行を許すな」


ギヨウは、天井を仰いだまま動かない。無理もなかった。


成長し、もう子供ではないシユの全体重を、受け止めたのだ。


オウエンが、そばまで来ると、ギヨウは片腕を上げ、手の甲で目頭を覆った。


オウエンは、袖から覗くギヨウの手首や腕が、黒く変色しているのに気づいた。


意識を失っても剣を手放さぬよう、腕に縛って戦っていたのだ。


限界まで酷使された体は、元には戻らないかも知れない。


体だけではない。見えないだけで、心とて、同じだ。


この戦が終われば、自分は用済みになる。オウエンは、ギヨウの言葉を思い出していた。


望めば、すべてを手に入れられるのに、この男は、それを望まないのだ。


惜しいことだ。

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