第18話 ゾラとの死闘

▽第十八話 ゾラとの死闘

 翌日の朝、私はバリスタの準備を完了していた。

 バリスタ以外にも投石器も用意してあるし、油や炎も準備してある。いざという時に逃げ込むための塹壕も用意してあるし、予備の槍や弓も潤沢に用意してある。


 それを四方に設置しておく。


 革袋にはチトシーシからもらった薬草の数々。

 指には魔法をストックする指輪もあり、敵の位置を見ずとも理解できる《縁繋ぎの指輪》も装備してある。


 全身には皮鎧。手甲だけは鉄製だ。

 背には義兄の弓と矢筒。二本の予備の鉄槍。腰には義兄から譲ってもらった剣鉈を差してあるし、手には《メルガトの避雷槍》を握っている。


「落とし穴も随所に準備済み。罠だっていくつか用意した……だが、これだけ準備をしていても、ゾラに勝てる気がしないのが怖いな」


 手は震えている。

 おそらく、純粋な脅威度で言えばシャオを越える。


 シャオは凄まじい戦闘力を有していたが、その強さは再生能力に起因していた。《風神憑依》を用いずとも、四人でならば戦えていたことから、それは窺い知れる。


 一方、ゾラが相手ならば、あの四人でも一蹴されていただろう。


       ▽

 いつの間にか寝ていたらしい。

 私は隠れていた塹壕――休憩中、魔物に襲われては堪らない――から這い出し、そして戦闘が始まることを理解した。


 ゾラがいる。

 見上げるほどの巨体。何メートルあるのかも解らないほどの姿は、もはや歩く巨大ビルという様相である。

 三本の鼻が鞭のようにして、何度も地面を叩き付けている。


「あと五分くらいかな」


 よく寝た。

 少しでも勝率を上昇させるため、私はあえて敵前で睡眠を取ったのだ。

 水を飲む。顔を水で洗ってから、チトシーシに譲ってもらった薬草を飲む。スタミナを上昇させる薬、血が流れにくくなる薬、痛み止めの薬――そういった薬である。


 さあ、戦闘だ。


「おおおおおおおおおおおおおおおお!」


 ゾラが私を発見、興奮したように速度を上昇させた。

 私は即座にバリスタを起動。数百もの矢弾がゾラに襲いかかる。矢の雨の中、ゾラは二本の鼻を用いて目を隠し、強引に前進してくる。

 どうやら、目には矢が立つらしい。


 続いて投石器に駆け寄る。

 巨大な石弾を発射する。が、ゾラは残していた攻撃用の一本を振り回し、それで以て石を打ち砕いた。


 無傷だ。


(まあ、想定内ではあるが、思ったよりもショックだな)


 仕方がない。

 私は動体視力強化にプラスして、矢避けの魔法、風神憑依も併用した。ごっそりと魔力を持っていかれるも、どうせ長期戦になった時点で敗北だ。


 まず、私は予備の鉄槍を一本、抜く。

 風神憑依の加速と身体能力で、全力を使って投擲した。槍は風を大いに切り裂き、それこそ稲妻のような勢いでゾラに命中した。

 轟音。

 ゾラが僅かに怯むも、鉄槍は刺さりもしない。


「おおおおおおおおおおおお!」

「ちょっとは痛かったかい? もう一発、あるよっ!」


 すかさず、もう一発も投擲した。

 地面に置いておいた鉄槍を二本拾い、背中に装備しておく。改めて《メルガトの避雷槍》を手に、私は草原を疾走した。


 ゾラはまだ目を隠している。

 今が接近の絶好のチャンスに違いない。本来ならば叫びでもして、気合いを入れたいところだが、せっかくの奇襲のタイミングを逃すわけにはいかない。

 ビルのような大きさの巨体に、私は突撃した。


       ▽

 魔力で強化したケンタウロスの速度は神速だ。

 しかも、今は風神憑依によって、その速度も莫大に強化されている。動体視力強化でも見失いそうになる、流れていく景色。

 百メートルの距離を、私は一秒で走破した。


 跳ぶ。

 跳躍すらも利用した、全身全霊の一撃をゾラにぶち込む!


 その、直前。

 ゾラの鼻が目から離れた。

 不思議とその瞳は――怪しく光っている気がした。


(まさか!)


 私の接近が気づかれていた。

 気づけば二本の鼻が私を挟撃していた。空中では回避は難しく、すでに絶体絶命。二本の鼻、一本一本が私を叩き潰すことが可能だろう。


「いきなり賭けか!」


 私は喜んで《メルガトの避雷槍》を、右の鼻に叩き付けた。この槍は世界樹の枝から出来ており、かなりよくしなる。

 叩き付けた勢いを利用し、私は棒高跳びの選手よろしく、さらに高く飛び上がる。


 左の鼻が足元を通過していく。

 鼻薙ぎの風圧でバランスを崩しながらも、私はゾラの顔面の前にまで辿り着いた。


「喰らえ! 《爆雷》」


 雷を纏った槍が、ゾラの顔面にぶち込まれた。

 雷鳴。

 途方もないエネルギーが込められた一撃は、ビルのような巨体のゾラをして効いたらしい。数歩、その肉体が後退った。


 着地。

 したのも束の間、私はゾラの足に向け、槍を一閃した。

 軽く切り傷を刻む。武器が良い。あらかじめ毒を塗布しておいたのだが、これがゾラに回るとはあまり思えなかった。


 足間を抜け、私は完全にゾラの背後を取った。


(とりあえず、一合目は私の勝利、か)


 全身が汗に濡れている。

 一度、すれ違い、敵に軽傷を与えるだけで命の危機が数度もあった。

 割に合わない。


 ゾラが素早く振り向く。

 そして、私は目撃してしまった。


「あ、あれは……」


 ゾラには三つの目がある。けれども、その瞳のひとつが潰れている。凝視してみれば、その目には小さな鏃が無数に突き刺さっている。

 弓の矢ではない。

 強いて言うなら――吹き矢の――、


 瞬間、私の全身に粟が立った。


「《揺蕩う鏃》と戦ったのは――あなた、、、なのか!」


 理由は知れない。

 しかし、ゾラは数年前の傷をあえて残しているのだ。ゾラであれば抜けるであろう鏃を、あえて肉体に残している。

 激戦の証だ。


 傷もまたゾラにとっては、誇りなのだろう。

 義兄は言っていた。

 ゾラもまた誇りある狩人であるのだ、と。


 私は誇りある狩人に敬意を示し、腰を折ってお辞儀をした。


「あなたほどの狩人に名乗らず申し訳ない。我が名は《天賦たる稲妻》ノアメロ――我が義兄揺蕩う鏃ガルギルドの弟子だ」


 私の名乗りにゾラは嬉しげに、その三本の鼻を大地に叩き付けてみた。土埃が舞う中、私はジッと敵を見つめた。


 素晴らしい。

 義兄が戦った相手は、これほどまでに――恐ろしい。

 だが、私とて負けてやるわけにはいかないのだ。敗北とはすなわち、リッリヤッタの死を意味するのだから。


 そして何よりも、私はこの狩人に勝ちたくなってしまった。

 私は爪が割れる勢いで槍を握り締める。バチバチ、と《メルガトの避雷槍》が帯電している。その雷鳴さえも掻き消すように、私は叫んだ。


「ゾラ――あなたの命を、寄越せええええええええ!」


 駆け出した私に、ゾラはまるで長年の宿敵でも見つけたかのように、獰猛に笑った。

 狩人同士の正面衝突が……幕を開けた。


       ▽第十九話 因縁、決着

 爆音と雷鳴。

 ゾラの鼻鞭と《メルガトの避雷槍》が正面から激突した。

 両者、破壊力は拮抗。大地が砕け、私の五百キロはあるであろう肉体が、いとも容易く後方に吹き飛ばされる。


 威力は同じくらいでも、ゾラのほうが体重がある。

 敵はびくりともしない。


「強いなあ!」


 私は《メルガトの避雷槍》を地面に突き刺して急停止、背から抜いた鉄槍を投擲する。

 ゾラは牽制に応じず、すでに追撃に入っていた。


 頭上、左右、鼻の三連撃。


「《風乗りの軍靴》百パーセント!」


 全筋肉に《風乗りの軍靴》を発動。

 強烈な反動を帯ながらも、私は三本の鼻鞭をかいくぐり、ゾラの右足付近に接近した。《メルガトの避雷槍》を振るう。


 ゾラの足を半分まで断ち切った。

 しかし、太い骨に阻まれて攻撃が停止させられた。


「《メルガトの避雷槍》よ、力を貸せえええ!」


 雷撃。

 敵の肉体に槍を突き刺した状態で、強引に雷を発動した。

 さしものゾラといえども、激痛のあまり姿勢を崩す。その隙に槍を引き抜き、背に負った鉄槍の一本を、代替に傷口に差し込んだ。


 巨象の悲鳴。


 私は《風乗りの軍靴》を四割にまで落として再起動した。

 離脱。


(瞬間的に百パーセントを使って回避、攻撃してみたが……)


 もはや意識を失いそうだ。

 まだまともに攻撃も喰らっていないというのに、百パーセントの反動だけで終わりそうだ。


 これで指輪のストックは三つ。

 三度、ゾラと向き直る。さすがのゾラも右足に受けたダメージは深刻らしく、巨体を左右にゆらゆらと揺らしている。

 血が流れ続け、小さな沼のようになっている。


 が、にたり、とゾラの口は楽しそうに歪んでいる。


「ああ、あなたとは本当に気が合うよ!」

「おおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 鼻と槍とが、またもやぶつかり合う。

 ゾラの攻撃は熾烈だった。まったく間断のない、三本の鼻による乱打。てきとーに鼻で地面を叩いているようにも見えるが、そこには技巧が見え隠れしている。


 対し、私は全力で猛攻をいなし続ける。

 一度でもミスをすれば殺されてしまう、重い一撃の数々。

 汗が飛ぶ。血が跳ぶ。骨が軋む。


「最高だ! 最高だ! 楽しいな! あなたのような強敵が、よくぞ義兄と戦ってくれたっ!」


 私の防御は、雷撃を纏っているため、同時に攻撃も兼ねる。

 ゾラが一瞬、痺れで動きが悪くなる。


 すかさずに突破、私はゾラの右前足に毒液を投げる。


 足元を通り抜けていく。後ろ足が振り上げられた。踏み潰し。

 私は反転した。来た道を刹那で戻る。またもや右前足を狙って槍を一閃させた。

 後ろ足を上げる、ということは前足に負担が懸かっているということだ。


「前足、折らせろおおおおお!」


 ゾラの体重を支えるため、ただでさえ足に負担がある、この瞬間ならば。

 槍を叩き付けた。


 ゾラの骨に罅が入り、直後には砕けるように折れた。

 巨体が傾く。


「まだまだ終わりじゃないだろっ!」


 ゾラは耐えることをしなかった。

 私を押し潰すため、折れた足を捨てて伏せのような体勢を取ろうとする。

 圧殺されるよりも早く、私はゾラの腹下から脱出した。


 ゾラは起き上がらない。

 死んだわけではない。ただ私に向けて三本の鼻を一閃させてみせた。私は慌てて脱出したため、姿勢が回避に繋がらない。


「っ!」


 直撃は回避できない。

 仕方がなく、私は《メルガトの避雷槍》を防御に回した。この槍は耐久度が高く、何よりもしなって衝撃を殺す性質がある。

 正面の鼻を受け止め、衝撃で背後に跳んで逃げるしかない。


 ――できなかった。


 正面の鼻が動きを止め、鼻腔が私を向く。

 次の瞬間、私の肉体は鼻に吸い寄せられていた。ゾラが巨体に相応しい肺活量で以て、私の身体を吸引したのだ。


 目を見開く。


 肉体が持ち上げられ、次の瞬間には大地に叩き付けられていた。


(っ、息が、できなっ!)


 聞いたことのない音が、私の身体から聞こえてきた。

 何の骨を折られたのかも解らない。反射的に革袋から痛み止め――ほとんど麻薬に近い――を飲んだが、全身から熱は引かない。


「おおおおおおおおおおおおおおおお!」

「おおおおおおおおおおおおおおおお!」


 ゾラが私に向け、鼻の乱打を再開した。

 私は《メルガトの避雷槍》で攻撃を受け止め、衝撃を殺し続ける。一ミリも間違えられない防戦だ。周囲がクレーターと化し、私の肉体がみるみる地面に埋まっていく。


 強度の薬でも誤魔化せない、激痛。

 脳が揺れるほどの衝撃。

 何故だか鼻血が止まってくれない。息もろくにできない。


 意識が掠れてくる。

(これは――もう無理だ)


 最後の一撃が……三本まとめての一撃が、迫ってくるのが見えた。


       ▽

「ケンタウロスではゾラに勝てない」

「愚かな狩人が」

「弓持ちは頭がおかしい」

「ここで死んでおけ」

「はっ、巫女に媚びを売っていたようだが、貴様も巫女もここまでか」


 群れの面々が脳裏に過ぎる。

 私がゾラに挑む、と聞きつけた人々の言葉だ。いつもであれば、まったく気にならなかったはずの言葉が、不思議と威力を持っている。


 絶対に受け入れなかったはずの言葉たちが、胸に入り込んでこようとする。


 意識が薄れる。


 たしかに群れの言うことは間違っていない。

 私は転生者で、魔力を使うことのできるケンタウロスで、エルフの里の兵器を所持しており、オリジナル魔法の領域にある《風神憑依》を使える。


 驕っているつもりはない。

 私はたしかに強くて――ただゾラには及ばなかった。


(ケンタウロスではゾラに勝てない……結局、私は誰も守れない)


 口元に笑みを浮かべる。

 ゾラは強敵だった。義兄が命を賭して挑んだだけあり、私が最期に挑む相手としては――、


『おまえは――』


 リッリヤッタの期待に満ちた瞳を思い出す。


(そうだったね、リッリヤッタ)


 群れの言葉は、私の心を犯し、諦めさせようとした。

 たしかに諦めは、諦念は、心地良い感情なのかもしれない。

 だが、すでに私の心の中は、義兄やリッリヤッタのことでいっぱいだった。諦めが入り込む余地なんて――まったくなかった。


 私は諦めない。

 だって、私はこの草原で一番……自由なのだから。


「私はケンタウロス最強の狩人っ! 《天賦たる稲妻》のノアメロだあ!」


 意識が覚醒。

 直後、迫り来る三本鼻が直撃するよりも先に、私は《メルガトの避雷槍》を地面に叩き付けた。


 肉体が地面に埋まる。

 鼻による凄まじい衝撃が来るも、その威力の多くは大地に逃げた。


「《風神憑依》百パーセント!」


 大地から脱出、大空を舞う。


「来い、ゾラっ!」

「おおおおおおおおおおおおお!」


 高く跳んだ。

 巨体のゾラと目と目が合った。


 きっと二人は笑っていた。


「命を、寄越せえええええええええええええええええええ!」


 掬い上げるように三本鼻。

 私は鼻のひとつに手を掛け、鼻の上に乗った。ケンタウロスの走破力で以て、樹木のように太い鼻を疾走していく。


 ゾラは暴れる。

 私は死に物狂いだ。倒れそうになりながら、吹き飛ばされそうになりながらも、一瞬のうちにゾラの顔面に辿り着いた。


 突撃の勢いを乗せて、私は槍を突き出す。


「《穿雷》!」


 槍先に雷を凝縮。莫大な突破力に変換する!


 穿つは眼球。

 槍はまるでガラスでも突いたかのような感触を投げかけてくる。わずかな拮抗の後、我が槍が眼膜を突き破った。


 雷撃した。


 びくり、とゾラが震えた。

 残されたひとつの瞳が、静かに私を見つめている。温かな色だと思った。


 すべての力を振り絞った私は、ゾラの顔面から落下してしまう。数メートルもある。無防備に落下してしまえば、頭から落ちて死んでしまうだろう。

 けれども、もう、指一本も動かすことができなかった。


 ふいに身体が軽くなる。ゾラの長い鼻のひとつが、私を受け止めてそっと地面に横たえてくれたのだ。

 直後、ゾラが目を閉じる。

 口元が笑っているように見えた。どこか満足そうな顔。死んでいる、ということに気づくのに、数秒もの時間を要した。


 私は気力だけで立ち上がり、偉大なる敵に腰を折る。


「見事な死に様だ。あなたはやはり誇りある狩人――ゾラ」


 私はゾラの死体から目を逸らさない。

 義兄の仇であると同時に、彼は誇りある狩人であり、最高の敵だったから。


「ケンタウロスの狩人天賦たる稲妻の名の下に、最強のゾラである貴方に名を送る。今日から貴方の名は――《鏃堕とし》。私が戦ってきた中で、貴方は最強だった」


 言葉の途端、私はふらりと倒れた。

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