一章 三部 因縁の決着
第17話 病
▽第十七話 病
リッリヤッタが倒れて三日が経過した。
そう。
我が幼馴染みたるリッリヤッタは、病に倒れてしまっていた。
エルフの里から帰還したその夜、彼女は意識を失った。理由のひとつとしてはシャオとの激戦が挙げられる。
里を守護するために一日中、グールの大群と戦い続けた。
その後もシャオと戦い、エミリーを救うために《降誕・御霊降ろしの儀》も使用してしまった。あれはかなり負担の掛かる技だと聞いている。
「で《継ぐ巫女》……貴女の予知はたしかなんだね」
「《天賦たる稲妻》よ、あやつの襲来を予知することは、我ら巫女の仕事のひとつじゃ」
「理解した」
そして、現在、私は《継ぐ巫女》――リッリヤッタの前任の巫女である――によって、とある予知をもらっていた。
それは――ゾラの襲来である。
かつてケンタウロスの群れを襲い、義兄が命を賭して足止めをした相手だ。同一の個体かは定かではないが、ともかく、この群れにはゾラが向かってくるという。
私はリッリヤッタが休んでいる小屋を見ながら、
「あと何日で来るのかな?」
「……二日後じゃ。解っているとは思うが、《告げる巫女》は動かせぬ」
弱ったリッリヤッタが罹患したのは、ポワポワ病である。
病名はふざけているけれども、その内容は中々に熾烈だ。異常なまでに体温が上昇し、体内のタンパク質が固形化してしまう。その調子であっという間に死んでしまう。
幸い、リッリヤッタは祖霊術が使える。
すぐに死亡する病気であるが、彼女は自身の能力で延命。その後、私が自力で薬草を採取し、彼女に飲ませた。
薬さえ飲めば、回復は早い病気だ。あと七日も休めば問題ない。が、
(あと七日は安静にしないといけない。群れの移動に連れて行けば衰弱死……置いていけばゾラに殺されるだろう)
八方塞がりであった。
私は撤収作業を慌てて行う群れを観察しながら、深く溜息を吐いた。
▽
病室、と言っても良い場所だった。
私は呻き声を上げ、大量の汗をかくリッリヤッタの隣に座り込む。清潔な布で額を拭き、水に浸して絞った布を額に置く。
その他、身体の汗も拭いていく。
「リッリヤッタ、予知は知っているかな?」
「…………ん」
「そうか。ゾラが来る。キミは群れの移動についていけない」
「ん」
息も絶え絶えにリッリヤッタが呟く。
私は用意していた、よく煮た草と卵を幼馴染みに食べさせる。薬を飲めば大丈夫な病とはいえども、体力がなければ万が一があり得てしまうからだ。
群れのみんなはリッリヤッタの世話をしない。
私と《穏やかなる瞳》くらいしかリッリヤッタに構わない。数日前、具体的には《継ぐ巫女》がゾラの襲来を予知するまでは、多くの者が来たがった。
そのすべてを《継ぐ巫女》が拒んだらしいけれども。
今はもうリッリヤッタは諦められている。
ゾラが病人を殺さないかもしれない、という可能性が残されているくらい。だが、私以外のケンタウロスは、リッリヤッタの死を確定として扱っている。
だから、もう誰も世話に来ようとしないのだ。
「安心して寝ていると良いよ、リッリヤッタ」
疲れ果てて眠ってしまったリッリヤッタ。
その頬に軽く触れてみる。まだ幼い少女の顔だ。
私はリッリヤッタとの付き合いが長い。生まれて一年くらいから、すでにリッリヤッタは傲岸不遜で不敵で、些事になんて惑わされない、強い精神力を持っていた。
幼い頃はかわいい妹分。
今は頼れる歴戦の相棒、として彼女のことを扱ってきた。
(でも、まだこの子は十歳、なんだよなあ)
横になっていることによって、白い髪は床一面にぶわりと広がっている。その艶やかな絹髪に指を通す。
「私はキミを喪うつもりはない」
ケンタウロスの群れは、ゾラから逃亡するためにリッリヤッタを置いてく。連れて行った場合、彼女は確実に衰弱死してしまうからだ。
数日もの行軍に彼女は耐えられない。
一方、置いていけばゾラに殺されてしまうだろう。
彼女のために命を賭けて戦うケンタウロスは居ない。
「私以外は」
私はリッリヤッタの頭を撫でた。
思い出すのは義兄の死に様だ。絶対に勝てない戦いだった。それを承知の上で義兄はゾラを相手に、単独で出撃したのだ。
すべては群れを守護するために。
「私は恵まれているな」
義兄はどうしようもない群れのために戦いを挑んだ。無論、その中には私やリッリヤッタ、そして当然のように《穏やかなる瞳》の存在があった。
だけれども、私はリッリヤッタのためだけに戦えるのだ。
しかも相手は義兄すらも打倒してみせた、絶対的な強者。
今の私には武器もある。魔法もある。
かつての義兄のようにメイン武装である弓を持てない、というハンデさえもない。
「敵の襲来は二日後……だが、二日も待ってはいられないね」
二日後に戦闘を繰り広げるわけにはいかない。それはこの周辺も争いに巻き込んでしまうことになり、勢いでリッリヤッタも巻き込んで殺してしまうかもしれない。
準備は今日中に終えて、明日には仕留めに行かねばならない。
▽
「本当に戦うつもりなのね、《天賦たる稲妻》」
心配そうに瞳を揺らすのは、私が義姉のように慕う《穏やかなる瞳》だ。いや、実際に彼女はラタトッパの妻であるため、本当に義姉なのだが、私にとっては義兄の相手というイメージが強すぎる。
私は微笑みながら頷く。
受け取るのは、彼女に依頼していた毒薬の数々。それから止血薬、スタミナを少しだけ増やす薬に、痛みを止めるための薬。
つまり、対ゾラ戦の札の準備である。
「ゾラと戦えるんだよ。行かないわけがないさ」
「本当に誇らしいわ。貴方は――《揺蕩う鏃》に育てられた貴方は、この群れの誇りよ」
「私が一番、喜ぶ言葉をよく知っている。さすがは《穏やかなる瞳》だ」
「群れはまた逃げるそうよ。……ケンタウロスって一体、なんなのかしらね」
「誇り高い戦士、だそうだよ。まあ、戦士の仕事は死ぬことじゃない。勝てない相手と戦って死ぬくらいなら、逃げるほうが賢いと思う」
でも。
「私は勝てる。戦える。それだけの話だ」
「貴方は自由ね、羨ましいわ」
「義兄は勝てないのに戦った。私のように魔法も使えず、腕さえ失って、弓も持てないのに戦いに行った。本当に強い魂だった」
「ええ」
神妙に頷いた《穏やかなる瞳》は、ぎゅ、と私の手を握った。
「お願いよ《天賦たる稲妻》――勝ってきて」
「当たり前だよ」
「リッリヤッタのことは任せて。この場所に残ってお世話をするわ。貴方が凱旋してきて、彼女が事切れていた、なんてことにはさせないわ」
「……良いのかい? 危険だよ」
「この《穏やかなる瞳》もケンタウロスだもの」
私の懸念がひとつ消えてくれた。
戻った時、世話する者がいないために病に負けてしまう、という確率が大いに減少した。
また、人が居なくなったこの場所に、魔物や獣が入り込み、動けないリッリヤッタを喰らうということも心配無用となる。
とはいえども、あるていどの強さの敵が現れた場合、《穏やかなる瞳》ではどうにもならないだろうが。
それはもう仕方がない。
雑魚に殺されるよりはマシだ。
「ありがとう、チトシーシ。心置きなく勝ってくる」
私はチトシーシに頭を下げ、改めてリッリヤッタのもとに向かった。
リッリヤッタは起きていた。身体を起こすこともままならぬようだが、それでも私の気配に気づいているようだ。
「リッリヤッタ。私は明日、ゾラを殺しに行く」
「……行く必要は、ない。ぼくは死んでも良い。お前は生きてほしい」
「予知で私が死ぬと出たかい?」
「一人でゾラには勝てない……」
「私は《天賦たる稲妻》だ」
「いくらおまえでも、アレはケンタウロスが勝てるようにはできていない」
ケンタウロスではゾラに勝てない。
ゾラはケンタウロスを主に狩る、生粋のケンタウロスキラーである。それはグーでパーに勝利しようと目指すような、あまりもの愚行。
だから、どうした。
私は一度たりとも、賢く、堅実に生きていこうだなんて思ったことがない。馬鹿は怖いのだ。何をしでかすのかが解らない。
だって、私だって私が何をしでかすのか、終わってから知るくらいだ。
よく考えたら怖くない?
考えるのを止めた。
「リッリヤッタ」
私は可愛い幼馴染みに。
かわいい妹分に。
大切な相棒に。
言葉を掛けた。思わぬくらい、私は素直な気持ちになっていた。
「私はキミのことを妹のように、あるいは戦場をともにする相棒のように思っていた。キミのためにならば死ねる、そう思っている」
「……うん」
悔しそうに。
もしくは、悲しそうにリッリヤッタが頷いた。彼女が私のことをどう見ているのかは、この十年間、私はずっと知っていた。
すなわち、彼女の悲嘆の要因は、私に女として見られていない、これに尽きる。
(……でも、リッリヤッタは可愛い)
前世も含めて、リッリヤッタを越える美少女には遭遇していない。あの美形で有名なエルフたちを含めたって、私はリッリヤッタこそが最高であると主張可能だ。
……
「はあ……そうだね」
と私は大きく溜息を吐いた。正直になろう。少しくらい。
私はリッリヤッタに近付き、その熱い頬に手を添えると、そっと唇に唇を重ねた。味なんてものはよく解らなかったけれども、唇の柔らかさにドキリとした。
信じられないくらいに美しい顔が、本当に目の前にある。
驚いたように、リッリヤッタが深紅の目を見開いた。宝石のような瞳は戸惑ったかのように、グルグルとした様子を見せる。焦点が正常に合っていない。
「む、むぅ!?」
直後、顔が真っ赤に染まる。
さっきまでも赤かったけれども、それはまだ序の口だったらしい。
唇を離してから、私はリッリヤッタから距離を取る。肩に《メルガトの避雷槍》を担ぎながら、少しだけ、私も頬に熱を感じながら話す。
「よく考えれば、私がキミを受け入れねば、キミは別の人と子を作ることになるだろう。それが嫌だと思った」
「ぼくはおまえ以外、要らない」
「だったら尚更だ。ずっと可愛い幼馴染みを未婚にはしておけないさ」
「……消去法?」
「私はキミを命懸けで救う。だから、キミのすべては私のモノだ。構わないな」
リッリヤッタの言うとおりかもしれない。
私は正直に白状してみれば、ケンタウロスの下半身にまったく心惹かれない。だってお馬さんである。お馬さんの性器を見ても興奮はやって来ない。
でも、そのような生理的な趣向よりも、私のリッリヤッタに対する独占欲が勝利した。
お馬さん、けっこう。
やってみたら良いかもしれない。何事もチャレンジである。
前世を含めたら大人の私が、十歳の少女に手を出すのか、という問題もどうでもよろしい。私は今世では絶賛十歳であるし、何よりも、私はこの草原でもっとも自由なのだ。
前世での法律なんて知ったことか。
この草原にそのようなルールはないし、あったとしてもねじ伏せて見せよう。
つまり、だ。
「リッリヤッタ。帰ってきて、キミが元気になったなら、私の子を産め。良いね?」
「――っ!」
リッリヤッタは顔を真っ赤にして、嬉しそうに何度も頷いた。
じつにケンタウロスらしい告白だった。しかしながら、私はこれでも十年間もケンタウロスをやって来た、ケンタウロスプロである。
これで良い。
リッリヤッタもとても嬉しそうだ。
下手にロマンチックなやり取りよりも、むしろリッリヤッタの好みだったように思われる。一番は、私がこの場で襲うことだろうけれども、弱っているしね。
私はちょっと怖いしね。
私は笑う。
「楽しみにしていろ」
「楽しみにしている」
「私の勝利だけを思って、キミはここで休んでいれば良い」
「うん」
「キミを孕ませるために、絶対に私はここに戻ってくる。私にはそれが可能だ。解るね?」
ようやくリッリヤッタは、私のことを信じるつもりになったらしい。
軽く頭を撫でれば、彼女は安心した様子で眠りに就いた。これで気力も十分になっただろう。私を心配するあまり、心が弱ってしまっては困るのだ。
私はゾラを殺す。
リッリヤッタは病を殺す。
そういう戦いが始まろうとしていた。
それにしても。
穏やかな寝息を立てる少女を見下ろしながら、私は高鳴る心臓を抑えた。
「ノリで凄いこと言っちゃったな。オラオラ系過ぎる」
やっぱり、私の行動を一番に理解できていないのは、私なのかもしれない。
その後、私は寝ているリッリヤッタの髪を一房、勝手に切った。それを弓の弦に混ぜるつもりだ。人毛と弓との相性はすこぶる悪い。
しかし、ゾラ戦に多用するつもりはない。
これは要するにお守り代わりなのだ。
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