第14話 吸血鬼対四人

▽第十四話 吸血鬼対四人

 鋼鉄の槍を全力で叩き付けた。

 もはや折れることなんて気にしない、全体重、全加速の乗った、渾身の一撃。


 凄まじい風きり音ともに発した攻撃は、


「キミだねえ。さっきの矢の雨、見たよぉ。すごかったねえ。あれ、余もほしいねえ。誰が作ったのか教えてぇ?」


 シャオはあっさり、私の槍を受け止めた。

 槍と爪とが鍔迫り合う。どれだけ力を込めても、一ミリも前に進まない。完全に力負けしていると理解させられてしまう。


 仕方がない。

 私はたしかに力自慢だ。

 だが、この戦場には私以外にも、力自慢が参戦してくれている。


「リッリヤッタ!」

「ん!」


 私が吸血鬼を止めている隙に、リッリヤッタが大剣を手に走っていた。


「祖霊術――戦の鼓動。大撃打!」


 技名とともにリッリヤッタの剣が振るわれた。

 その剣はリッリヤッタ専用の武器だ。剣というよりは、もはや壁と表現するべき大剣である。巨大であり、厚さもあり、重量は百を超える。


 斬るのではなく、ハンマーのように叩き潰す武器なのだ。


「おお、怖いねえ」


 言葉の直後、シャオが全身を大剣で潰された。

 水風船を割ったように、シャオの肉体が弾けて血が飛んだ。しかしながら、さすがに終わったわけではないらしい。


 血が瞬時に収縮、無傷のシャオが立っていた。


「っ」


 とリッリヤッタが目を見開く。

 シャオは構わず、リッリヤッタに手を伸ばす。さきほど族長を殺した手法を思い出し、私は慌てたように指輪を解放した。


 加速の魔法である《風乗りの軍靴》を私とリッリヤッタ、エミリーとアイザックに付与した。


「他の者はグールの殲滅を続行。我らは吸血鬼を叩く!」


 アイザックは即座に理解してくれた。指輪が光る。

 業火の魔法がシャオを撃ち抜き、リッリヤッタに伸ばしていた手が止まる。即座にリッリヤッタは前方に疾走、シャオとの距離を取った。


 私は槍で何度もシャオを切り払うが、そのすべてが無駄に終わる。


「無駄だよねえ。吸血鬼は無敵だよねえ。大人しく、綺麗な死体を残してほしいねえ。いやいや、キミらは強いから、余が直々に血を吸ってあげようかねえ」

「貴様の目的はなんなのだ、シャオ!」とアイザックが槍を構えて叫ぶ。


「余は言ったねえ。大陸の覇者になりたいねえ。そのためにはたくさんの配下が必要なんだよねえ。三等吸血鬼の身で、一等らに勝つには必要なことなんだぁ」

「……つまり、グールを増やすために、エルフの里を襲ったというのか!」

「だのに、キミらはたくさん余の配下を壊したでしょ? イケない子だねえ」


 キッ、とシャオの瞳が昏く光る。

 かと思えば、吸血鬼の姿は私の前から消えていた。


「アイザック!」

「解っている、続けノアメロ!」


 吸血鬼が襲いかかったのは、アイザックだった。

 アイザックは《メルガトの避雷槍》で以て、シャオの抜き手を辛うじて防ぐ。槍はよくしなり、その攻撃の威力を大いに減退させた。


「良い武器だねえ。ほしいねえ」

「これは我が里の誇り! 貴様ていどには惜しいわ!」

「ああ、違う違う。その槍じゃなくて、その槍を持ったキミ自身のことだねえ。それではいただきまぁす」


 シャオが牙を剥き出しに、アイザックの首筋に噛み付こうとする、寸前。


「させないわ」


 今度はエミリーが魔法を発動させた。

 沼の魔法だ。

 それをシャオの足元に発動した。瞬間、シャオの身体が地面に埋まり、彼の噛み付きは不発に終わった。

 姿勢を崩したところに、アイザックの蹴りが炸裂した。


 そこに私とリッリヤッタも、槍と大剣をぶち込んだ。


 だが。効かない。

 瞬時に回復されてしまう。


 シャオは困ったかのように首を振り、愚者に説教する賢者のような口調で言う。


「早く諦めてくれないかねえ。キミたちレベルの戦士ならば、上手くいけば眷属にできるかもしれないんだよねえ。眷属化前に四肢を断ってしまったら、吸血鬼の再生能力があっても治らないの」


 吸血鬼は遊んでいる。

 私たちの意志を挫き、五体満足で自身の配下に加えようとしているのだ。彼が本気であったならば、すでに私たち四人は全滅しているだろう。


 シャオが土から飛び出し、爪を振るう。

 この四人の中、どうにかシャオに拮抗しているのはアイザックだ。元々、速度に特化した槍術の彼は、シャオの連打にも辛うじて防戦できている。

 槍が折れないのも手伝い、シャオと近接戦闘ができるのはアイザックだけだ。


 リッリヤッタは火力が凄まじい。

 吸血鬼とて身体を粉砕されれば、少しの間だ、動きが停止するのだ。それ以外にも祖霊術によって軽症を回復させることでも貢献している。


 エミリーの働きも良い。

 水の支配魔法を巧みに扱い、シャオの動きを妨害できている。


 唯一、私だけが役に立っていない。

 速度ではシャオに遠く及ばず、力負けしている上、肝心の破壊力も無限の再生能力を持つ吸血鬼には通用しない。


(もっと何かがなくては、勝てない)


 せめて《風乗りの軍靴》の効果が六割上昇ではなく、もっとあれば……。


(いや、もしかしたら――試すしかないな)


 とあることを思い付いた。

 成功の確率は薄いが、試さねばいけない。このまま何もしないのでは、いずれ訪れる敗北を受け入れるのと同義である。


 私は指輪にストックしていた魔法風乗りの軍靴を再起動した。

 対象は、私の《上腕二頭筋》《大胸筋》《三角筋》《前腕屈筋群》《僧帽筋》《回旋筋腱板》《上腕三頭筋》《広背筋》……ともかく、私の知りうる限りすべての筋肉。

 

 そして骨、臓器、血管、神経、皮膚を指定して、速度上昇の魔法を行使する。


 直後。

 全身に風を纏ったかのような感覚に陥る。

 試しに腕を軽く振ってみた。刹那、自身の腕の動きを見失ってしまう。それだけの動作で筋肉が悲鳴を上げたが、気にせず、もう一度だけ手を振るう。


 凄まじい速度だ。

 二倍や三倍では効かない。もっともっと速いだろう。


 風の強化魔法風乗りの軍靴は、指定した対象すべてに速度上昇の効果を付与する魔法である。その上昇量はおよそ六割上昇。

 しかし、それを自身の肉体に細かく作用させることにより、膨大な速度を得た。


(一つの動作は、小さな動きの積み重ねだ。だからこそ、その小さな積み重ねすべてを六割上昇させれば、結果は何倍にも、下手をしたら数十倍にも膨れ上がる)


 武術の達人もそうだ。

 ただの突きひとつとっても、武術の達人は速度が違う。それはただ腕を前に出しているだけでなく、腕を引き、腰を捻り、地を蹴り――数多の細かな動作を洗練したからこそ、極めた一撃が放てるのだ。


「生前の趣味がスケッチで良かったね。人体や馬の筋肉については、何度も何度も描いてきた。まあ、医学生だったら、もっと詳しく強化できただろうが」


 ともかく、光明だ。


「この魔法の使いかたは《風神憑依》と名付けよう」


 あとは、自身の動きに追いつくため、動体視力強化の魔法も用いる。

 これならば、いける。


「さあ、吸血鬼。第二ラウンドだよ」


 私は地を蹴った。

 ただの踏み込みの勢いで、大地に巨大な穴が開いた。


       ▽

 閃光が迸る。

 それは私が《風神憑依》を用いて移動したことによる、残像の光だ。


 アイザックと壮絶な打ち合いをしていた吸血鬼に、全加速を乗せた槍の突きを見舞う。爆発の音とともに、シャオの肉体の九割が消滅した。


 私は止まることができず、それから一息で数十メートルを駆け抜けた。

 全身が悲鳴を上げるのもお構いなく、反転。

 動体視力を強化したおかげで、どうにか身体の制御はできている。すかさずリッリヤッタが回復の神法を発動してくれた。


「今の突撃は、吸血鬼とは相性が良くないな。シンプルに斬り合わせてもらう」


 アイザックが咄嗟にバックステップを踏む。邪魔をしないためだ。

 直後には私が暴風の勢いで、シャオに向かって斬り付けていた。


「なっ、き、キミ、今の一瞬で、何がっ、あっ!」

「遅い」


 シャオが高速の連打を放ってくるも、すべてを槍で叩き落とす。

 代わりに私は一息で十の突きを放った。吸血鬼の肉体に十の風穴が開き、遅れて彼の肉体が後方に吹き飛ぶ。

 十メートルほど後方まで、シャオの肉体は後退した。


「蝙蝠化!」


 シャオは反射的に蝙蝠に身を転じさせた。

 私の攻撃による衝撃を殺すためだろう。だが、私はすでにシャオの真正面に立っている。槍の突きによって蝙蝠を一頭、一頭ずつ仕留めていく。

 瞬時に二十四体を屠る。


「ば、化け物がっ! キミは一等吸血鬼にでもなったのかねえ!」


 しかし、私の攻撃は無駄に終わる。

 結局、シャオはすぐさまに回復してしまうし、蝙蝠を何頭倒そうが、ダメージにはなっていないらしい。


 焦燥に満ちていたシャオの顔に、また余裕が返り咲く。


「ふ、ふふ、いくらキミが強くなろうが、余は吸血鬼! 不死なのだねえ!」

「このまま朝まで殺し続けてやろうか?」

「っ!」


 シャオがギョッとした顔をした。

 しかしながら、自分で言っておいてなんだが、絶対に先に力尽きるのは私のほうだ。強化のしすぎによって全身にガタが来ている。


 おそらく、この《風神憑依》はもっと少ない部位で行うべき魔法だ。

 リッリヤッタが絶えず回復してくれているので、僅かな時間だけ強引に成立している奇跡と言えよう。


 奇跡を起こしても、なお、吸血鬼の命には届いていない。


 シャオの視線がリッリヤッタを捉えた。

 おそらく、私の強化の秘密が彼女にあることを見抜かれたのだ。


「アイザック、エミリー! リッリヤッタを守れ!」


 解った、と兄妹は珍しく、息のあった様子で応えてくれる。

 今の私の速度であれば、シャオを一方的に――とまで考えた直後、私の視界がブラックアウトした。


       ▽

 アイザックは挫けそうになる精神に鞭打ち、咄嗟に前に出た。


 吸血鬼がノアメロにトドメを刺すのを制止する。

 突き出した《メルガトの避雷槍》で腕を串刺し、そこに跳んできたリッリヤッタが大剣を打ち付けた。


「回収するわ!」


 エミリーが水牢でノアメロを捕らえ、彼の肉体を空中に逃がす。


 ノアメロが倒れた。

 おそらく、急激に見せた神速の動き。あれは何らかの魔法だと思われるが、負担が強烈すぎたのだろう。


(あのノアメロの速度でさえも、吸血鬼を仕留めることは不可能……どう殺せば良いのだ)


 絶望。

 その二文字だけが脳裏を埋め尽くす。

 エルフ族最強の戦士が聞いて嗤わせる。


 よそ者たる、世界樹に何の興味もないノアメロでさえも――命を賭して戦っているのに!


「《メルガトの避雷槍》よ、いつになったら我らを赦すのだ! 今こそ、今こそ、その力を見せてくれ! 今度こそ世界樹を我らの手で守るのだっ!」


 情けない。

 情けない、情けない。


 攻撃を連打する。

 止めれば死ぬのは、こちら側なのだ。


「うーん」とシャオが槍で貫かれながらも、首を傾げた。


「支配魔法が厄介だよねえ。我も魔法は使えるけれども、闇の攻撃魔法を使うくらいならば、素手のほうが強いんだよねえ……」


 シャオが悠々、歩き始める。

 向かう先はノアメロを逃がしているエミリーのもとだ。彼女は魔法の制御に精一杯で、シャオの動きに気づくのが遅れた。


 シャオが加速し、姿が消える。


 止められなかった。

 シャオの手がエミリーの首を掴み、そうして――地面に叩き付けた。首が妙な方向に曲がり、美しい少女の唇から朱が吹き出た。

 ぐるん、と美しかった瞳が、眼孔の中でひっくり返った。


「エミリー!」


 駆け出すがもう遅い。

 だが、必ず仇は討つ。アイザックはエルフ族最強の戦士であり、同時にエミリー・ブロウの兄なのだから。


「シャオ!」


 攻撃の余韻で隙だらけの、シャオの頭部を槍で串刺しにした。


「祖霊術」

 と、リッリヤッタが呟く。

「降誕・御霊降ろしの儀」


 リッリヤッタの身体が真白に輝いたかと思えば、次の瞬間にエミリーの身体が光り出す。何らかの神法が行使されたのだ。

 ハッ、と絶命したはずのエミリーが息を吹き返す。


 動くことはできないらしいが、生きている。

 ただし、後方でリッリヤッタが膝を突いたのが解る。相当な力を行使してくれたのだろう。報いねばならない。


「我の命ていど惜しくはないっ!」


 頭部を串刺しにしたまま、全力でシャオを地面に叩き付ける。何度も何度も、何度も何度も何度も何度も何度も。

 シャオが絶叫をあげた。


「と、頭部は、やめ。脳が再生する度、こわ、壊れ!」

「そ、そうか! このまま朝まで殺し続けてやる! 我の体力は尽きぬ! 意地でも尽きさせぬぞ!」


 脳が再生する度に破壊される。

 突き刺したまま、ということが吸血鬼打破の条件だったのだ。

 シャオの油断塗れな戦いが、この勝機を生み出したのだ。


 朝まで数時間。

 物理的に持ちこたえることは不可能だ。だからこそ、アイザックは寝ているケンタウロスに向け、絶叫を飛ばす。


「起きろ、ノアメロ! ここで屈するのが貴様の生き方なのか! 違うだろ!?」


 アイザックの必死に応え、ケンタウロスが立ち上がる。

 全身を血塗れにしてながら、さながら幽鬼の如く、《天賦たる稲妻》がゆっくりと立ち上がった。周囲を見回し、倒れたエミリーやリッリヤッタを眺めている。


「遅れた」

「こいつの弱点は頭部を串刺しにすることだっ! 我が倒れたら、貴様が朝までこれを続けるのだ。そうすれば――」


 ――アイザックが吸血鬼の打倒方法をノアメロに教授している最中。

 声が聞こえた。


「――嘘ぴょん、だよねえ! 馬鹿だよねえ! 純粋な間抜けだよねえ!!」


 シャオの抜き手が胸を貫いた。

 誰の?

 アイザックの。彼の目が途端に虚ろ色に染まり、その場で両膝が地面に着いた。


 シャオは頭を後ろに振り、貫通したままの槍から抜け出す。

 嘘だったのだ。

 脳を貫かれている限り、吸血鬼は再生の度に脳を破壊されて動けなくなる。――それはシャオの悪質な演技であった。


「キミはけっこう強かったからねえ。でも、油断したら簡単に殺せるんだよねえ」

「ぐっ、は……っ」

「吸血鬼は嘘つきなの。流水の上も歩けるし、鏡にも映るんだよねえ。嘘の弱点を喧伝して騙し、喰らうのが吸血鬼スタイルだよねえ!」


 シャオの手が胸から引き抜かれる。

 血みどろな手をシャオが舐り、幸せそうに涙を流した。


「おいちい、ねえ……おかわり、ほちいねえ」


 シャオの目が倒れ伏したエミリーに向けられた。


       ▽

 アイザックは致命傷だ、と私は結論した。

 胸を完全に貫かれている。エルフの臓器構造は知らないけれども、人間でいえば心臓がある位置を正確に貫かれている。


 今、アイザックが辛うじて意識を保っているのは、奇跡だ。

 しかし、その奇跡は長く続かない。


 アイザックの虚ろな瞳が、ノアメロを見つめる。

 死人の目だ。

 死人は静かに、悔しそうに涙を流している。涙と血、鼻水でぐちゃぐちゃな顔面は、命を賭して戦った戦士の顔だ。


 無様だと嗤う者が居たとしたら、きっと私は許さない。


 今まで見たアイザックの顔の中で、一番、格好良くて綺麗だと思った。


 アイザックが最期の力を振り絞り、己が槍――《メルガトの避雷槍》を投げ寄越してくる。


 咳き込みながら、エルフ最強の戦士が言う。


「た、たの、む。世界樹、を。いもうとを……頼む」

「アイザック」

「か、勝って、くれ。たの…………む」


 アイザックが顔面から地面に倒れた。

 シャオが腹を抱えて嗤っている中、私は渡された《メルガトの避雷槍》を強く握り締めた。


(まったく、格好良い奴だ!)


 私はエルフ族の切り札を手に、小さく、闘志を瞳に燃やしていく。


(エルフ族最強の戦士――アイザック・ブロウ。お前は私の知る限り、この草原で出会った誰よりも――自由な男だ!)


 そうだろう?

 嫌っているはずの、見下している、魔物であるケンタウロス。

 いがみ合っていた相手に、里の誇りである武器を託し、エルフ族の悲願である世界樹の守護を、命よりも大切な妹の守護を、私に委ねると言い切ったのだ。


 それを告げるため、心臓を貫かれてなおも話す、という奇跡さえも起こした。

 理屈を根性でねじ伏せた!


(頼む、か)


 あれだけ私を嫌っておいて、よくもまあ言えたものだと思う。

 つまり、アイザックは誰よりも我が儘であり、自由なのだ。


 誰よりも自由な生き方をしたアイザックのことが、私は気に入った。


「義兄さんが憧れた自由。《揺蕩う鏃》がキミの生き様を見たら、さぞや喜ぶだろうさ。敬愛する義兄を喜ばせてくれた、礼だ」


 ストックした《風乗りの軍靴》を起動する。

 さきほどのようにすべての筋肉ではなく、全身の四割ていどを強化する。これでも負荷は激しいが、しばらくは戦うことが可能だろう。


「アイザック、キミの行動はすべて正しかった」

 つまり。

「私がこの槍で吸血鬼を殺す!」


 私の決意と呼応するかのように、突如として雲一つなかった闇夜に雷鳴が迸った。その稲妻は一直線に、手の中の《メルガトの避雷槍》に直撃した。

 雷が槍に吸い込まれていく。

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