第7話 命名の儀
▽第七話 命名の儀
義兄とゾラの戦いがあってから、もう七年もの年月が流れた。
私の肉体もすっかり成長――していない。ケンタウロスの十歳といえば、人間規格では十五のサイズがあって良い筈だ。
だというのに、この身体は年相応――どうみても十歳である。
下半身の馬身は立派なモノだが、ゆえにアンバランスなのだ。なんだか恥ずかしい気分であるが、まあ、成長具合なんて千差万別である。
父と実兄らはガタイがよろしいため、私もいずれは、という気もする。
あれから色々あった――わけではない。
ケンタウロスの生活は平穏無事で、じつに代わり映えしなかった。
七年のうち、話せるエピソードなんて知れている。
強いて言えば、私は人間の冒険者に遭遇した。男女の冒険者である。かなり強い二人組であった。良い奴らであったのが幸いだ。
この世界に人間がいると確信できて、ホッとする反面、警戒も覚えた。
二人はやり手だったが、草原の悪意に負けてしまった。
この場所は足が遅い生物は、どうしても次々に襲われてしまう。体力が疲弊し、前衛だった男性がミスをして大怪我を負ったのだ。
それを私が助けた。
男性のほうが足を怪我していたため、動けるようになるまで数日、私は護衛代わりに行動を共にしたのだ。
その際、思わぬ報酬を得られたが、今は良いだろう。
「……さすがの私も緊張してきたな」
今日は命名の儀が行われる日となっている。
ケンタウロスとして生まれ、ようやく名前をもらえる日なのだ。だからこそ、つい、これまでの十年間を回想してしまうのだ。
私が向かうのは、村長の居住区である。
ケンタウロスは遊牧民族であるが、あるていどの建築技術も有している。他のケンタウロスたちは半ばテントのような家に暮らすが、村長と戦士長、鍛冶師は特別だ。
それぞれ木材で作られた家を持っている。
まあ、家と言っても床は草原であるし、そう大したものではないので羨ましくはない。
家々の間だを通り抜けていると、強い視線をいくつももらう。
私が狩人であるゆえ、群れのみんなからは侮蔑の目で見られている。お洒落なバーに、泥だらけの浮浪者が紛れ込んだような感じだ。
無論、私は気にしない。
堂々と歩いていれば、声を掛けられた。
「あら、今日は命名の日よね。良い名前がもらえると良いわね」
「そうだね、《穏やかなる瞳》。言いやすい名前であることを祈るよ」
「貴方らしいわね」
「今度、私と幼馴染みの命名記念に、美味しい魔物を狩ってくるつもりだ。良ければ一緒に食べよう」
「そうね。楽しみにしているわ」
そうやって穏やかに微笑むチトシーシは、あれから七年経っても、未だに少女のようだ。
結局、ラタトッパとチトシーシは番となった。
そしてチトシーシは子を孕んだのだが、結果はちょっと残念なことになってしまった。おそらくはストレスの所為ではないか、と私は思うのだが、ケンタウロスたちには理解できなかっただろう。
以降、チトシーシは子を孕めず、ラタトッパは三人の妾を取り、それで四人の子を作った。
どの子もラタトッパによく似て、私のことを嫌悪している。
軽く会釈した。
村長の住居に辿り着けば、私の他にも六人のケンタウロスが待っていた。馬の体躯が十あってもゆとりのある空間の中、六人は緊張の面持ちで直立不動だった。
表情はとても硬く、私がやって来てより強まった。
私は幼馴染みくらいしか交流がないが、彼らはいわゆる同期である。私は是非とも仲良くしたいのだが、狩人とは会話もしたくないようだ。
が、六人の中の男子、四人とは数度、話したことがある。
いわく「次巫女という貴重な存在に、狩人ごときが近づくな」とのことだった。
まあ、我が幼馴染みは大変に美しく、可憐であり、さいきんは小ぶりながらも発育してきたため、男子の目を惹くのはしょうがない。
おそらく、同期のみならず、後輩諸君の初恋を軒並み奪っていったのだろう。
(もしも幼馴染みが現代人だったら、絶対に他の女子連中から虐められてたね)
幸いにも幼馴染みは次の巫女候補筆頭であり、ケンタウロスたる群れの女子連中たちは、むしろ彼女を崇拝しているのだった。
私のことは害虫扱いである。
(べつに、私のほうから幼馴染みに話し掛けることは、そんなにないのだけど)
なんて幼馴染みに軽く文句を考えていると、いつの間にやら隣に本人がいた。
私は軽く目を見開き、溜息を吐く。
「いつになれば、私はキミの存在を認識できるようになるんだ? これでも一流の狩人のつもりなんだが、いつも自信を失わされる」
「いつでも練習に付き合う」
「キミ以外の気配は読めるから、べつに練習する意味はないな」
「裏切らないと確信してもらえているようで嬉しい」
「諦めているだけだ。キミが裏切ったら、私は死ぬだけだ」
「だったら、お前は死なない」
「べつの理由でも死ぬんだけど」
幼馴染みの指が、私の指に絡みついてくる。
無表情でテンションがダウナーなわりに、幼馴染みはスキンシップが多い。愛情表現というよりも、私的には懐いてくる猫のような感覚である。
それにしても楽しみだ。
私はともかく、幼馴染みの名前を呼べるのは良いことだ。この十年間、ずっと彼女のことを幼馴染みと呼び続けてきたが、面倒であることこの上ない。
それは幼馴染みも同様であるようだ。
「お前の名前を呼べることを楽しみにしている」
「そうかい」
「最初にお前の名を呼ぶ」
「まあ、頑張りたまえ」
「お前も呼ぶ」
「はいはい」
「……む。お前は雑」
私たちが和気藹々と喋っていると、同期たちは鬱陶しそうに咳払いをした。あまりにも緊張感が欠如していたらしい。
これは一応は神聖な儀式だ。
とても大切な式であり、彼らにとっては一生の思い出だろう。
(ちょっと静かにしておこうか。邪魔するのは悪い)
私が反省した直後、ずっと目を閉じていた村長が目を開けた。
「揃ったようだ。始めるぞ――《命名の儀》を」
隣にいた巫女が頷き、大きな丸太に火を付け出す。その丸太には複雑な文様が刻まれており、いわく、祖霊の存在する世界を再現しているようだ。
それを燃やし、煙が発生している最中は、擬似的にここは祖霊の世界と言うことだ。
白い煙の中、私たちは祖霊への呪文を唱える。
何度も練習させられたため、私たちは詰まることなく、謎の言語で呪文を唱えた。
今、この室内には名付けられる人物、役職付きの四名、そしてその下に付く補佐がいる。全員が濃い煙の中、謎の呪文を唱える様は、なるほど儀式的だ。
「名を授けられたい者、来い」
「祖霊よ、我が道しるべを魂に刻みたまえ」
同期のひとりが前に出る。
巫女が慣れた様子で、魔物の血を使い、同期の顔面に文様を刻んでいく。あの血は同期本人が狩ってきた魔物の血だ。
かなり弱い魔物だったが、彼はかなり苦戦したらしい。
それからも名付けは続く。
基本的には、巫女に謎の文様を書かれ、何かやら巫女が唱えた後、
『今日より其方は《淀みなき雲》――ヤーナグドを名乗るが良い』
みたいな感じで終わる。
さて、ようやく私の番がやって来た。顔に血を塗りたくられるのは、決して良い気分ではなかったが、これくらいは耐えておこう。
ちなみに、この血は私が討伐した魔物の血だ。
メタルライノの血である。
かなり手こずったが、今の私ならば怪我もなく、どうにか倒すことが可能だった。
巫女がムニャムニャ言う。
それからカッと目を見開き、その皺だらけの唇が言葉を紡ぐ。
「今日より其方は――!?」
「……? あの、どうした巫女?」
「そ、其方は《天賦たる稲妻》――ノアメロを名乗るが良い」
ノアメロか。
なんだか可愛い感じの発音になってしまったが、べつに構わないだろう。アホカスやチビボケとかにならなくて良かった、と私は胸を撫で下ろした。
そうやって、次の幼馴染みに場所を譲ろうとした時だった。
「お、お待ちくだされ、巫女様!」
戦士長補佐として列席していた実兄――妾三人持ちのラタトッパが声を荒らげた。
私は「また面倒なことが始まったか?」とウンザリした目で実兄を見た。
▽
ラタトッパが叫ぶのを、私はボーッと聞いていた。
この後が幼馴染みでなければ、おそらく、私はもう帰って槍の訓練に戻っていただろう。
ラタトッパは唇から泡を飛ばす勢いで、
「あり得ませぬ! たかが狩人が《稲妻》の名を与えられるなど! どうか、どうか巫女様よ、もう一度でよろしい、名付けを行っていただきたい!」
「ならぬ。これはすでに祖霊よりいただいた名。変えることは何人にも許されぬ」
「しかしっ! この者に稲妻など……」
めっちゃ物申されている。
私としては変えてくれても良い。稲妻よりも、風とかのほうが好きだ。
あるいは、義兄ほどではないが弓も使うので《鏃》の名前を継いでも良い。槍術も嗜んでいるため、槍とか矛とかでも良いだろう。
私が私に相応しい二つ名を妄想していると、幼馴染みが手を引いてきた。
「なんだい?」
「すごい。やはりお前は祖霊の化身」
「え、何が凄いの?」
幼馴染みは珍しく、その瞳をキラキラと輝かせている。
私の耳に唇を寄せて、こそこそと話す。甘い吐息がくすぐったいがこらえた。
「稲妻はケンタウロスに与えられる名の中で、もっとも名誉ある名前。もっとも強く、そして勇ましい者に与えられる」
「もっとも強いかは定かじゃないけど」
「次期村長はお前に決まった」
「あー、そういう系の名前なんだ?」
「うん」
それは嫌だな。
私はあくまでも狩人である。村長なんかになりたくない。もし兼任できるのだとしたら、私よりも幼馴染みがやるべきだろう。
群れから慕われているのは、彼女である。
「つまり、ラタトッパが物申しているのは?」
「嫌いなお前が良い名前をもらったから」
「おいおい、ラタトッパ……少しは器のほうも、自分の身体のデカさを見習えよ」
溜息を零し、私は口論の行く末を見守る。
ラタトッパが嬉しそうに口元を綻ばせているのが見えた。
「解りました、巫女様。では――」
ラタトッパが剣を抜き、その切っ先を私に向けてきた。
よく手入れされた刀剣が、炎を反射して赤く燃えている。
「我が愚弟……俺は貴様に決闘を申し込む! 己が名誉と名誉とを懸けた一戦。よもや断ってはくれまいな?」
「え、名前って決闘で変えられるんです? 巫女様?」
「ふん、できぬそうだ。が、名付けられるよりも先に、その命がなくなれば――名付けされぬも同様よ。何よりも稲妻は優れたケンタウロスの証。我に敗北するようでは相応しくない」
巫女様に尋ねたのだけど。
どうやら、実兄は巫女になったつもりらしい。
へえ、と私は目を細めた。
私には義兄との約束があった。
ケンタウロスの群れを守護することを誓った。その群れの中には悲しいかな、ラタトッパの存在も含まれている。
性根が腐ってもラタトッパは次期戦士長に選ばれるほどの凄腕だ。
私が狩りなどで留守にしている間だ、群れを守ってもらわねばならなかった。本当は殺すつもりであったが、生かしてきたのは、義兄との約束を優先したからだ。
(けれども、さすがに命が懸かっているんだ……私もそういう覚悟で臨まねばならないか)
七年間だ。
私は七年間、ひたすらに群れを守れるくらいの強さを得るため、修業してきた。
もちろん、それはラタトッパも同様なのだろう。
七年前、単独でメタルライノを打破した私に、彼はひどく怯え続けていた。が、この七年で肉体的・技量的に成長――精神は残念賞だ――した結果、私を殺せるつもりらしい。
「良いですよ」
私は気負うことなく、実兄の決闘を受け入れた。が、
「しかし、私は
「ふ、本気で言っているのか? 弓や槍……そのようなモノで名誉ある決闘ができるか!」
「祖霊ができるって言ったが?」
「剣も使えぬ弓持ちが!」
「私が怖いなら決闘を断ってやっても良いよ? いやあ、嬉しいなあ。どうも初めまして《間断なる刃》ラタトッパ、私は《天賦たる稲妻》ノアメロです」
「くっ、くだらぬ挑発ばかり! 貴様――貴様と比べれば《揺蕩う鏃》のほうがまだ立派だったな!」
私は肩を竦め、口元を歪めた。
目の前の馬鹿に教えてやる。
「何を当たり前のことを言うんだ。私よりも義兄さんが立派なのは当然だし、お前よりも義兄さんのほうが立派なのは、もはや言うまでもない」
「は? 俺よりも《揺蕩う鏃》が立派だと? 戯言も極まるわ! 俺は次期戦士長――誇り高き戦士である!」
「義兄さんに生かされて? その犠牲の上に成り立った誇りってなんだ? 敵から逃げた奴の誇りってなんだ? 逃げ足のことを言っているのか?」
「あああああああああ!」
ラタトッパが悲鳴のような叫びを上げ、私に向けていた剣を振りかぶった。
こいつヤバ。
私はそう思いながら、迎撃しようと――、
「あとにして」
透明色の声が耳朶を撫でる。
直後、実兄がその巨体を吹き飛ばされていた。木製の壁を突き破り、ラタトッパは無様に地面に転がされている。
先程までラタトッパがいた場所には、幼馴染みが立っている。
何でもないことのように、拳を放った姿勢で制止していた。
祖霊術――戦の鼓動、である。
効果は単純。
身体能力の上昇である。
ちなみに、命名の儀に用いられる魔物の血液は、命名される本人が採取してくる必要がある。そのような中、我が幼馴染みは私と同様、メタルライノから血を得ている。
私と数体のメタルライノに遭遇し、ともに撃破したのだ。
地面で呻くラタトッパを見下ろしながら、私は安堵に胸を撫で下ろしていた。仮に、幼馴染みがいつもの剣を持っていた場合、この家は実兄の臓物でさぞや汚れただろう。
水を汲んでくるのも一苦労なのだ。
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