第4話 実兄と義兄の決闘

▽第四話 実兄と義兄の決闘

「そろそろ起きたらどうだい?」


 声が聞こえてくる。

 遠い夢のような声だった。朧気で薄くて――温かい。


「キミが起きないことには、私も安心して戦うことができないよ」

「……い、今。いま、起きるよ」

「っ! 巫女様! 目覚めましたっ! 誰か、巫女様を」


 重い瞼を開く。

 珍しく義兄がうるさい。偶には十五の子どもらしく、年相応に騒いでみれば良いだろうとは思うものの、寝起きに大声はシンプルにキツい。

 寝返りを試みて、全身に激痛が迸った。神経を雑巾みたいに絞られた気分だ。

 痛みで肩が上がる。

 身体を見てみれば、とくに出血もないらしい。

 腹には、謎の複雑な紋章が刻まれた、布が巻かれている。どうやら巫女の祖霊術により、俺は命を拾ったらしい。


 ちなみに、昔ならば感染症で死んでいたかもしれない。

 この群れに衛生の観念をもたらしたのは、何を隠そう俺なのだ。当時、草原竜巻――草原竜巻は生きていて、近くの生命に吸い寄せられる――によって群れが壊滅的なダメージを負った。

 回復術が使える巫女自身も負傷してしまった。


 その際、俺たちは神秘に頼らない治療を試みたが、多くが死んだ。

 が、俺が治療した者は、かなりの数が生き残った。幼馴染みの母親も俺が治療したおかげで助かったのだ。


 その際、俺が何かをしたことに気づいた鍛冶師に、俺は衛生の観念を教えた。

 昔のケンタウロスは汚れた布で止血したり、土にまみれた手で患部を触った。命を留めても感染症で馬鹿みたいに死んだのだ。


(まあ、異世界転生あるあるだよね)


 史実の人類は、衛生の観念を中々に受け入れなかった。

 されど、ケンタウロスの群れは幸いに数も少ないし、鍛冶師が強い権力を持っていた。彼が衛生を試した結果、本当に効果があると知られ、以来、ケンタウロスの死者数は激減した。


 俺は痛む身体を押さえ、立ち上がろうとした。

 ふらついて立てなかった。義兄が慌てて寄り添ってくれ、俺は転倒して骨を折らずに済んだ。以外とケンタウロスは骨折しやすい――体重が重いのだ――ので助かった。


「まだ寝ていなさい。巫女様が仰るには、意識を取り戻しても三ヶ月は寝ていたほうが良いらしいよ」

「三ヶ月もですか? 絶望です」

「キミね? メタルライノの突進を真正面から受けて、生きているだけでも奇跡なんだよ? まったく、キミの幼馴染みが『お前の義弟は祖霊の化身。正しく育てろ』としつこく言ってくるが、本当にキミは祖霊に守られているとしか思えないね」

「祖霊、殺しましたけどね」

「メタルライノはあくまでも、祖霊が宿っていただけだ」


 生き残るとは意外だ。

 そもそも勝てるとも、じつのところ、あまり思っていなかった。


(ところで、俺は何日くらい寝てたんだろう?)


 俺は咳払いをしてから、義兄の顔色を窺う。そこには一面の安堵があるのみで、絶望だったり不安だったりの色は見受けられない。

 勝ったのだろうか?


 だったら良いな。


「義兄さん、決闘はどうなりました? 《間断なき刃》は生きています?」

「いや、決闘はまだだ。見届け人たる巫女様が、キミの治療で疲弊してしまってね。ちょうど今日、今から行われるところさ」

「ほう! だったら、俺も見学して良いですか? ラタトッパがハリネズミになるところ、是非とも見ておきたいです」

「ハリネズミ?」

「ハリだらけの獣です。あるいは実兄の将来の姿です」


 ふと。

 ガルギルドの表情が暗く曇った。

 まるで子どもにサンタクロースの正体を告げる両親のような顔をしている。


「あのね、義弟よ。キミの誇りある戦は――見事だった」

「は、はい、ありがとうございます。すべては義兄さんのお陰です」

「私の教えを真っ向から無視しておいて、よく言うよ……それでね、私は今回の決闘にて、弓を使うつもりはないのだ」


 ?

 ……?

 今、この人は何を言ったのだろう?

 俺は転生して最初の頃、まったく言葉が解らなかった。が、必死に努力をした結果、どうにかケンタウロスの言葉を覚えたのだが、どうやら不完全だったらしい。

 息を呑んでから、俺は震える声で、問う。


「ゆ、弓は……俺は勝った! 祖霊に願いは通じた! 狩人は弓や槍、狩りに使う道具を戦士の武器として認められたはずだっ!」

「そうだね。しかし、違うんだ」

「何が違うって言うんだ!」


 俺は起き上がろうとした。

 おそらく、まだ実兄が何やらしているのだろう。もう良い。グダグダ言うのならば、いくら同じ群れであろうとも、もう殺す。


 罪に問われたら、また守護獣審判で勝てば良いだけだ。

 立ち上がった途端、俺は血を吐いた。ごほごほ、と咳き込む度、血液が吐瀉される。俺の寝床は瞬く間に、深紅に染まりきった。


 頭を撫でられる。


「これは婚姻決闘。群れのみんなを認めさせるための戦いだ。いくら弓を使うことが許されたとしても、弓で勝っても誰も――お前以外の誰も――結果を認めない」

「そんなこと知ったことか!」

「ただ勝てば良い決闘ではないのだ」


 義兄の言っていることは、よく解る。

 ケンタウロスと人間とは、まったく思考が異なるのだ。


 何よりも誇りを――掟に定められた誇りを大切にする。

 多くのケンタウロスたちは、拷問されたとしても弓を使わないだろう。それほどまでにケンタウロスたちは弓を嫌悪しているのだ。


 現代人的には、騎兵が弓を使うとか最強じゃん、と思う。

 しかし、ケンタウロスはたとえ戦いで負けようとも、弓を使うことを拒むのだ。


「……義兄さん。貴方は誰よりもこの群れに貢献してきた。群れの戦士たちは全員揃っても、貴方の十分の一も肉を取れない。貴方が群れを生き残らせてきた」

「祖霊の導きだよ」

「他のケンタウロスよりも、この群れが立派なのも、ぜんぶ、ぜんぶ貴方のお陰だ」

「嬉しい言葉だ」

「少しは報われてくれ! あんたが、あんたが幸せになれないことで、不幸になる奴がいるって、どうか知ってくれ!」


 俺の言葉に、義兄は目を見開く。

 が、しばらくしてから、悲しそうに首を振った。腰の剣に指を添え、困ったような笑みをした。よく見る笑顔だけれども、今日の笑顔は――痛々しい。


「私は……キミのようには生きられない。自由は私には……重すぎる」


 義兄の瞳に映るのは、羨望だった。

 こんな、こんな俺の生き方に――憧れているのだ。


(手を伸ばせば届くのに)


 だが、義兄は――ケンタウロスの《揺蕩う鏃》は、星に憧れる子どものような目をするだけだ。手を伸ばしても、届かないと思い込んでいる。


 扉もない室内に、幼馴染みが入ってきた。

 彼女は血溜まりの寝床を見て、軽く仰け反った。が、すぐにいつもの調子を取り戻し、準備していたらしい布を手にした。


「《揺蕩う鏃》、決闘に行くと良い。我が幼馴染みは面倒を見る」

「もう軽く祖霊術が使えるんだったね? 凄まじい才能だ。まだ名付けもされていないというのにね。任せたよ」

「任される」


 慣れたように言い交わす二人。

 俺は止めるために声を発しようとしたが、言葉よりも血が先に出る。咳き込んでいるうち、義兄の背中は遠ざかっていった。


「ま、ま、て」

「治療する。そこに寝る」

「……つ、連れて行ってくれ。俺を。決闘の場所に」

「だめ」

「頼む。何でもする」

「巫女様が三ヶ月は安静にすると言っていた。お前は今から寝る」

「見るだけだ。じゃなけりゃあ、俺は暴れてここで死ぬ」

「……む」


 幼馴染みは気乗りしない様子ながらも、解った、と頷いた。

 俺に肩を貸しながらも、祖霊術を行使して止血してくれる。便利な魔法――厳密には魔法ではなく、神法というらしい。神に願い、その力を借りる技術だ――である。

 

 俺は祖霊術によって現出した、ぽやぽやした煙に包まれながら、家を後にした。


       ▽

 決闘はすでに開始されていた。

 義兄が持つのはシンプルな剣。剣鉈でないのは、どうやら勝負を諦めていないかららしい。普通の刀剣に対し、剣鉈では致命的にリーチが不足しているからだ。


 対峙する実兄――ラタトッパが繰るのは、二刀の剣である。

 間断なき刃、その二つ名の由来こそが、あの二刀流にある。彼は二振りの剣を用い、息つく暇もない攻撃を連打する。


「――っ、祖霊のもとに行くが良い、穢れた弓持ちが!」

「今、私は剣を持っているよ?」

「剣を穢すな! 汚れた手めっ!」


 ガルギルドが剣を横に薙ぐ。

 ケンタウロスの四足によって、かなり安定した体軸から繰り出される、必殺の一撃だ。見惚れるような剣戟だった。


 しかし、


「温いわ!」


 ラタトッパが一枚上手だ。彼は右の剣でガルギルドの一撃を、刀身で滑らせるように逸らして見せた。

 空を切り、隙を晒すガルギルド。額に汗が伝う。


「避けて、義兄さん!」

「――っ! ああああ!」


 呻き声を上げ、義兄が力尽くで剣を戻す。腕の力ではなく、上半身を捻るようにして、無理矢理に剣を戻したのだ。

 ラタトッパの左の剣を受け止める。


 鍔迫り合いに火花が散る。


 どうにか食らいつくガルギルドだったが、そこまでだ。

 片方の剣に釘告げにされた瞬間、すでに義兄の敗北は決定していた。フリーになった右の剣が、義兄の横腹を抉った。


「――っ。まだっ、まだああ!」

「否。狩人ていどに剣は解らぬだろう」


 義兄は傷を構わず、剣を振るおうとした。だが、傷を負ったのも手伝い、その斬撃にはさきほどの美麗さがない。

 苦肉の一閃。

 ラタトッパは上半身を反らして、義兄の剣をあっさり躱した。


「なっ」


 動揺に義兄の瞳が、揺れる。

 ケンタウロスの安定した下半身に任せ、ラタトッパは人間の上半身を、馬の背中にぴったりと合わせたのだ。

 攻撃は終わらない。

 ラタトッパが剣を振るう。本来、そのような姿勢で振るわれた剣に威力はない。


 が、ラタトッパはケンタウロスだった。

 一歩だ。

 一歩だけ、ラタトッパはケンタウロスの脚力で前に出た。


「が、があああああ!」


 義兄は悲鳴を上げ、吹き飛ばされた。

 仕組みは簡単だ。

 剣を持つ手を固定して、あとは腕の力ではなく、足で前に進む力で叩き付けたのだ。正直、人体の膂力で振るう剣よりも、馬の脚力を利用しての斬撃のほうが重い。


 義兄は腹を大きく割かれ、もはや立ち上がる余力もないようだ。


「勝負ありじゃ! 勝者間断なき刃ラタトッパ! よって勝者たるラタトッパは《穏やかなる瞳》チトシーシを妻とする権利を得た。これにて終結じゃ」

「ふん、当然だ。そして――」


 勝者たるラタトッパは、余韻に浸ることもなく、ガルギルドに寄っていく。

 よもや敗者に手を貸し、互いの健闘を讃える――なんてことをするわけがない。それは今までの言動を思い返すまでもなく、ケンタウロスが剣を振り上げている姿で解る。


「止めろっ! 誰かっ!」


 叫ぶ俺の声は、誰にも、届かなかった。

 剣が消えた――と思われるほどに速く振るわれた。気づけば義兄が絶叫を上げており、そこには一本、腕が転がっていた。


 右腕を、切断、した。


「おまええええええええええ!」


 俺は血を吐くのも構わず、ラタトッパに向かっていこうとする。が、幼馴染みに力尽くで抑えられてしまう。

 そもそも力で負けている。

 しかも重傷の身体だ。止められてしまう。


「止さぬか!」と巫女が怒鳴り声をあげた。

「こやつは狩人。剣を穢したのだ。これくらいの罰、当然であろう。そもそも、俺の女を苦しめたのだ。この恥知らずは」


 まるで演説するように、ラタトッパが言う。腕を広げ、堂々と。

 魔女を裁く、愚かな民衆のように。


「俺は見た。あの《穏やかなる瞳》が自分の口で『私を妻にしてほしい』と言っていた。いや、言わされていたのだ。この狩人は卑劣にも、群れ一番の美姫に何らかの脅しをかけ、メスの口からはしたなくも求婚させたのだ」


 ケンタウロスの婚姻は、オスからメスに申し込まれる。

 メスから声を掛けるなんて、まずあり得ない状況だ。だとしても、どうしたら義兄が脅して告白させたなんて思うのだ。


 いや、思うのだろう。

 昔の人間は、納得できないことがある度、すべてを魔女の所為にしたという。

 狩人と魔女は似ている。


 一説によれば、魔女狩りの最初の犠牲者は産婆だったという。

 怪しげな薬を用いて出産を助ける。が、当時は出産を成功させることは難しかった。母や生まれてくる赤子をたくさん救えなかった。

 村のために赤子の口減らしもさせられた、という話もあるほどだ。

 産婆は忌み嫌われ、村はずれに追いやられる。


 疫病が蔓延すれば、真っ先に怪しまれる。

 魔女が……何かをしたに違いない、と。


「ち、違うわ! 私は本心から《揺蕩う鏃》を愛しているの!」チトシーシはそう主張する。

「ふん、狩人の怪しげな毒でも使われたか? 構わん。すでに祖霊の沙汰は下った。何を言おうとも、そなたは俺の妻だ。番だ」

「い、嫌よ! 私は――」


 言い募る《穏やかなる瞳》に向けられるのは、冷たい瞳。

 およそ仲間に向けられる視線ではない。


 これが。

 これがケンタウロスの祖霊の掟なのだ。どのような過程があろうとも、事実があろうとも、掟で決定したことは覆らない。


 俺はまた《守護獣審判》を挑もうとした。


「無駄。決闘の結果は《守護獣審判》で変えられない」


 決闘の結末は、決闘を行った者同士でなくては覆せない。

 他者が何をしようとも、意味はない。

 だからこそ、決闘相手を殺害したり、それこそ腕を切断するような行いは、礼儀を失してはいるが許されている。


 決闘に勝っても、何度も決闘を挑まれては適わないからだ。

 といっても、ケンタウロスは決闘を重んじる。通常、決闘の結末が納得いかなかろうが、再戦を望むことはしない。

 

 それは誇りを懸けた決闘を、穢す行為だから。


 ゆえに、やはりラタトッパの腕の切断は、やり過ぎだ。何よりも、


「惨い」と幼馴染みが嫌悪したように、ラタトッパを睨む。


 右腕だ。

 その右腕の手の甲には、入れ墨が入っている。

 ケンタウロスは二つ名を付けられる際、同時に入れ墨を刻む。

 

 義兄の手の甲には「揺蕩う」と「鏃」を意味する二つの入れ墨が、重ねられてひとつのデザインとして刻まれている。

 これは他のケンタウロスも同様だ。

 あの入れ墨こそが自身の存在証明。祖霊から加護を得た証明なのだ。


 それを奪われた。

 

 死よりも苦しい、とケンタウロスたちは捉える行為だ。

 何よりも義兄は弓使いだ。二つ名もまた弓を意識したモノであり、腕をなくせば――その二つ名の由来さえも失うのだ。


 ケンタウロスならば自害するレベルの屈辱だろう。


「行くぞ、チトシーシ」


 乱暴に言い放ち、ラタトッパがチトシーシの腕を引く。抵抗しているようだが、あれでも一流の戦士の膂力。まったく問題になっていない。

 泣き叫ぶ少女は、必死に手を伸ばす。


 ――手は届かない。


「最悪だ」

「……」

「俺はどうしたら良かったんだ」

「……お前も《揺蕩う鏃》も、よく戦った」

「誇りってなんだよ。そんなもん守って、幸せになれるのかよ」

「知らない」

「今すぐラタトッパを殺したい。でも……」


 俺は立っているのがやっとだ。

 複数の臓器を貫かれている。今、急に死んでもおかしくない。


(勝てるのなら、今すぐ、チトシーシを助けてやりたい)


 いや、命を捨てるのなんて平気だ。

 勝てなかろうとも、俺はラタトッパに挑むことが可能なのだ。しかし、俺の手を幼馴染みが離してくれない。


 勝ち目の薄い《守護獣審判》にさえ、顔色ひとつ変えることなく送り出してくれた彼女が、今は手を離してくれないのだ。


「行っても死ぬだけ。いや……お前なら勝てるかもしれない」

「だったら――」

「もう一生、戦えなくなる」

「どうでも良い」

「それは許すことができない」

「ふざけるな! お前は、俺の何が――」


 怒鳴りつけようとした時、俺は見てしまった。

 幼馴染みの眦には、一粒の涙が浮かんでいた。

 かつて彼女の父が死んだときも、彼女が涙を流すことはなかった。表情を変えることすらしなかった。


 悲しまなかったわけではない。

 幼馴染みは、涙の流し方が解らないほどに幼かっただけなのだ。


 その彼女が、泣いている。


「お前の……お前の戦いを、止めたくない。でも、死んでほしく、ない」

「……最悪だ」

「ぐす、ひっく」


 子どものように嗚咽する幼馴染み。いや、彼女はまだ三歳なのだ。ケンタウロスの生態が異常なだけで、本来、幼馴染みはまだ子どもでさえない。

 赤ん坊と変わらないのだ。

 グチャグチャになった感情を制御できず、彼女は泣いている。


 俺はもう項垂れることしか、できなくなった。


 誰よりも誇り高い義兄が苦しむなら、間違っているのは――祖霊じゃないか。

 巫女が術で義兄を治療するのを遠くに眺め、俺は。

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