第2話 婚姻の季節

▽第二話 婚姻の季節

 ケンタウロスはついに婚姻の季節を迎えた。

 といっても、ほとんどのケンタウロスたちはすでに婚姻を終えており、今更、恋だ愛だと囁く者は少数だ。


 だが、今年で十五になった義兄や実兄は、事情が異なってくる。

 彼らは子を持つべき年齢に至ったのだ。


 これが現代であれば、結婚したからといって子を持つ必要はない。自由に恋愛をするべきだし、子どもを持つも持たないも自由だ。

 かりに子どもが産めなくとも、それはしょうがないことなのだ。


 が、この草原ではややルールが異なる。

 子どもをしっかり作らねば、あっという間に全滅してしまうからだ。

 つまり、この群れの中では婚姻の季節は、とてもビッグなイベントとされている。


「義兄さん、やはり貴方は《穏やかなる瞳》を狙っているのですか?」

「ふふ、義弟。お前はませているね」

「俺が手伝えることなら、なんだってします」

「ありがとう。私もお前に手伝ってもらえるならば、嬉しいよ。それは祖霊の加護にも匹敵しうるだろう」

「はい!」


 義兄は狩人だ。

 群れからは忌み嫌われている。が、それでも彼は魅力的な男だ。


 強く誇り高く、優しい。

 そして線の細いイケメンである。

 弓を引かせれば天下無双であり、駆ければ草木が蹄に屈服するのだ。義兄よりも速く走れるケンタウロスは多いが、彼らは獲物をよく逃がす。

 が、ガルギルドの走りは不思議で、彼よりも速い戦士が引き剥がせないのだ。


 そのような男であるからして、群れの中にも義兄と仲の良いメスがいる。


 その名を《穏やかなる瞳》という。

 十四の清らかな娘であり、かなりの美少女と言える。ケンタウロスの成長は早いのだが、だいたい十六歳くらいの容姿で固定される。

 その年齢からは順当に老いるのだ。

 群れのオスたちからの人気は高く、誰もが栗色の髪に触れたく思っている。ケンタウロス的に良いのかは知らないが、胸も大きく、俺もよく盗み見ている。

 ケンタウロスに衣服の文化があることを憎む。

 といっても、布を胸に巻いているだけなので、ポロリは頻発する。スマートフォンもゲームもない世の中、数少ない楽しみのひとつだ。


 俺は生前、スケッチを趣味としていた。

 紙や鉛筆があったならば、絶対に写生させていただいた。悔しい。


 俺は義兄の代わりに剣鉈を研いでいる。

 これはガルギルドの仕事道具で、狩った獲物を解体するときに用いるらしい。鋭いことに損はないだろう。

 少しでも兄の役に立てることが、俺は嬉しい。


 研ぎながらも、俺は世間話を続けた。


「この前、義兄さんが《穏やかなる瞳(チトシーシ)》と花畑で語り合っているところを見ました。仲睦まじく、隣に並んで座って」

「教えてもらっていたのさ。花について」

「愛についても?」

「ふふ、その言い回しはどこで倣ったんだい?」


 チトシーシは群れ一番の目利きだ。彼女が選んで採取する薬草は効果が高く、もいだ果物は至高の味だ。

 薬師としての腕もあり、村のメスの中では美しさ以外でも注目人物だ。


 不謹慎なことながら、いま巫女が死んだら、彼女が巫女に選ばれるだろう。

 まだ次巫女たる幼馴染みは幼い。


 俺は数日前のことを思い出した。

 義兄と並んで、美しい花園で座り込む二人。下半身が馬ということも手伝い、座ると言うよりも横たわると言うべきかもしれない。

 しかし、その光景はどこか幻想的で、そして甘かった。


 つい、手と手が触れ合い、二人は弾かれるように手を離した。

 そして、顔を見つめ合い、一緒に揃って微笑んでいた。


 あれこそが愛である。

 前世でモテず、イケメン死すべしという思想を持っていた俺が、純粋に素敵だなあと感嘆するほどだった。

 まあ、単純に義兄が好きだから、幸せになってほしい、という贔屓目もあったけど。


「俺は楽しみです。義兄さんの子の世話は、是非とも俺に任せてください」

「そうなれば良いけどね……」

「義兄さんは幸せになるべきです」


 ガルギルドは群れから忌み嫌われている。

 ガルギルド自身も根っからのケンタウロスであり、祖霊の掟を重んじているのだ。だから、本当ならば彼だって弓を使いたくないはずなのだ。

 剣を持ち、他のケンタウロスのように誇り高く戦いたいはずだ。


 が、狩人がいなければ、群れの食事事情は致命的なダメージを受けるだろう。

 多くの戦士が死ぬだろう。


 それを防ぐためにガルギルドは弓を持って戦うのだ。

 どれほど群れに奉仕しても、群れは彼のことを忌み嫌う。迫害を止めぬ。


 弓持ちの誇り知らずだ、と見下すのだ。

 恩知らずだ、と現代人たる俺はケンタウロスたちを侮蔑した。


 が、義兄は違った。

 見上げても足りないほどに、彼の器は大きかったのだ。彼は幼い俺にこう言った。


『私は報いてもらいたいわけではないよ。私が狩ってきた獲物を喰らい、戦士が勇ましく戦い、女が笑い、子が育つ――それがたまらなく嬉しいのだ。それだけで私は報われているよ』


 その言葉を聞き、俺はこの人に幸せになってほしい、と思った。

 当時、義兄はまだ十二歳――ほんの子どもだ。

 だというのに、この人格の完成度たるや。そして、やはり、このような出来た人間――ケンタウロス――の子ども一人に負担を押し付け、あまつさえ差別する群れを嫌った。


 俺は《穏やかなる瞳》のことも気に入っている。

 彼女は本質を見る目がある。狩人たる義兄と仲が良いのだから。さすがは巫女より《穏やかなる瞳》――即ち《目》の二つ名をもらっただけはあるだろう。


 さて剣鉈を研ぎ終えた俺は、義兄に仕上がりを確認してもらった。彼は穏やかな目で頷き、俺の頭をゴツゴツした手で撫でてくれる。

 男に頭を撫でられているというのに、妙に嬉しく、誇らしい。


「上手くなったね、義弟よ。これは次の鍛冶師はキミかもしれないよ」

「いえ、俺は狩人になります」

「そうかい。キミは好きに生きれば良い。なりたいモノになれば良い」

「はい」


 義兄は俺に狩人になってほしくないらしい。

 が、かといって俺の夢に苦言を呈さない姿勢は、本当に頭が下がる。


「そうだ。キミが狩人を目指すというのならば、その剣鉈はキミにあげよう」

「え、ですが……」

「キミがもらってくれたら、私は新しい剣鉈を鍛冶師からもらえるんだ。私も身体が成長しているからね。もう少し大きい得物がほしかったんだ」

「そうですか……」

「ふふ、不服そうな顔をしないでおくれ。キミがその剣鉈でたくさん練習してくれれば、新しい剣鉈の研ぎもキミに任せよう」

「はいっ!」

「ふふ、本当にキミは素直で可愛い奴だ。《間断なき刃》には悪いことをした」


 俺たちは連れだって小屋から出た。

 遊牧民たる俺たちは、植物や動物の革を使い、簡易的な家を作るのだ。外に出た途端、心地良い風が頬を撫でていく。

 現代社会では感じられないほどの爽快感だ。


 この草原はやや特殊だ。

 地面を覆う低い草は、その色の多くが蒼なのだ。それが一面に広がる大草原は、さながら大海原のように見える。

 風にそよぐ草の音。


 幻想的で美しく、雄大な風景。私はスケッチが趣味だったので、紙と鉛筆があれば、この光景を描かずにはいられなかっただろう。

 いや、私の実力では、この蒼を表現できないかもしれない。


 ともかく、穏やかな日常を過ごしている。


「私は行くところがあるので、ここで一旦、別れようか」


 俺はニヤニヤしながら、義兄の横顔を伺った。


「女のところですか?」

「仕方のない奴だ」


 苦笑して義兄は行ってしまった。もう少しからかいたかった。

 俺はもらった剣鉈を鞘から出し、燦々と照る太陽に透かしてみた。無論、透けることなどあり得ないけれども、キラリと光る刀身が美しい。

 見惚れていると、肩に重さが増えた。

 

 見れば、俺の肩に幼馴染みが頭を置いている。

 長い白の髪が、俺の身体に掛かる。絹糸のように柔らしく繊細な髪は、身体に触れる度に心地よさとくすぐったさを与えてくる。


 不衛生なはずのケンタウロスなのだが、妙に幼馴染みからは甘い香りが伝わってくる。


 前にも述べた通り、幼馴染みは優れた容姿を誇る。まだ幼い顔立ちと雰囲気とは対照的に、どこかミステリアスな風情も持ち合わせる。

 アンバランスな魅力を持つ。


 が、下半身、馬なんだよなあ。

 俺、ケンタウロスの身体には三年で慣れ、精神性もかなりケンタウロスに寄ってきたけれども、馬には興奮できないぜ。

 上半身は完璧なんだけど。

 

 俺の下半身もまた馬であり、アレも馬並み。人間の女性に突入した場合、かなりの確率で殺してしまうと思う。残酷スプラッター劇場の開幕である。

 前世でも使わなかったけれども、今世は使ったら凶器になってしまう。


 悲しすぎる。

 悲嘆に暮れる俺とは対照的に、幼馴染みはウットリとした声音で、


「戦士の証」と俺の持つ剣鉈を指さした。


 俺は一歩、幼馴染みから距離を取った。

 む、と幼馴染みは紅い瞳に不満の色を混ぜた。俺は取りなすように言う。


「……急に現れないでくれ、我が幼馴染み」

「やはりお前には武器がよく似合う。祖霊の化身だ」

「そんなに高評価されるようなこと、俺はしてないんだけど」

「している。お前は強い。他の戦士とは違う」

「はいはい」


 たしかに俺は幼馴染みと比べれば強いだろう。

 だって俺、前世の記憶があるのだし。人生経験がまったく違う。喧嘩なんて前世ではしたことはないものの、やはり大人と子どもの経験の差は大きい。

 身体能力だけでいえば、じつは幼馴染みのほうが現時点では強かったりする。


 これはあれだ。

 小学生時代、低学年の男児と女児が殴り合えば、女児が勝つような話と同様だ。


「それで? どうかしたの?」

「どうかせねば、会ってはいけないのか」

「会っても良いけど」

「うむ」


 俺から見れば、幼馴染みは女というよりも妹分である。懐かれる分には嬉しい。義兄も俺に対して、同じような思いを抱いているのかもしれない。

 また寄ってくる幼馴染みに、俺は剣鉈を鞘に戻してから、手で拒んだ。

 

 あまり近づかれても困るのだ。下半身、馬だし。

 幼馴染みは不服そうだ。


「今は婚姻の季節」

「俺たちには関係ない季節ってわけだ」

「関係はある」

「ない」

「ある」


 ない、ある、と交互に言い続けながら、俺たちは並んで歩いていた。

 と、その時だ。

 ふと目に付いたのは、義兄と実兄……それから《穏やかなる瞳》の三人だった。


「解った」


 と義兄――《揺蕩う鏃》は困ったように頷いた。


「キミの提案を受け入れよう。祖霊の掟に従って、ね」

「待って! 駄目よガルギルド。貴方では《間断なき刃》に殺されてしまうわ」


 今にも泣き出しそうな顔で、チトシーシが義兄を止めようとしている。

 でも、義弟は困ったように微笑むだけだ。


「掟だ。婚姻を巡っての決闘は断れないよ」


 何やら口論をしているらしい。

 しかも穏やかではない言葉も聞こえてきた。俺は慌てて義兄たちの中に入った。


「どうしたんです、義兄さん」

「いやね、どうやら《間断なき刃》もチトシーシの魅力にやられた口らしくてね。私に祖霊の名のもとに《誇りある決闘》を挑んでくれたのさ」

「そんな……ですが、義兄さんたちは愛し合っているでしょう!」


 言い募る俺に対して《間断なき刃》が舌打ちを漏らした。


「いくら貴様が実弟であろうが、口は慎め。《穏やかなる瞳》ともあろう女が、狩人如きに心奪われるわけがなかろうが。恥を知れ。次期戦士長たる俺こそが《穏やかなる瞳》に相応しい。これは群れの総意である」

「女口説くのに、群れの総意とか出してる時点で負け犬だろうが」

「貴様、死ぬか? 愚弟」

「俺が死んだところで、お前が惨めなことに変わりはないだろ。ワンちゃん?」


 ラタトッパが腰の剣に手を掛けた。

 それを咎めるようにして、ガルギルドが歩き始めた。


「さ、行こうか。決闘は巫女様に願い出ねばならないからね」

「少し待て。今、愚弟を殺す」

「私との決闘が怖いのかい? それで実の弟を斬って時間稼ぎ? 良いから早く行こう」

「……ちっ、くだらない狩人めが」


 俺たちは連れだって巫女の元に向かった。


(まずいな)


 ケンタウロスの行う決闘というのは、一対一の戦いだ。

 俺は義兄のことを尊敬しているし、その実力を高く認めている。だが、ケンタウロスが行う決闘は――剣以外の使用は認められていない。


 ガルギルドは弓を持てば負けない。

 一方で剣術については、まったく心得ていないのだ。その上、狩人は魔物や獣を相手取ることには百戦錬磨であるが、対人戦の経験は皆無に等しい。


 対するラタトッパは――剣術と対ケンタウロス戦のエキスパートだ。

 義兄が草木に隠れて獲物を探している間だ、兄はずっと剣を使って対ケンタウロスの技術だけを磨き続けてきた。


(義兄さんがラタトッパに剣で勝てるわけがない……)


 決闘で殺しはアリだ。

 通常は殺すまではいかないにせよ、ラタトッパは強く狩人を嫌悪している。何をするか解らない。


(このままではガルギルドが殺されてしまう……)


「ガルギルドは幸せになるべきだ。だから――やるしかないか」


 俺は……覚悟を決めた。

 隣を歩く幼馴染みは、色の変わらぬ瞳のまま、俺をジッと見つめている。


       ▽

 一行が巫女の前に到着した瞬間、俺は誰よりも早く前に出た。


「巫女様、《繋ぐ巫女》ラウラヤッタ様……わたくしに《守護獣審判》の儀を行わせてください」

「其方……本気かえ?」

「無論にございます」


 俺と幼馴染み以外の人物――義兄・ラタトッパ・チトシーシ・巫女たちは揃って、やや怯えの混じった視線を向けてくる。

 慌てたように義兄が言う。


「待つんだ! 守護獣審判は……まだキミには早い!」

「そうよ! それにどうして、今……もしかして、貴方」とチトシーシ。


 俺はチトシーシに頷いた。

 キッと巫女を見据え、俺は言葉を続けた。


「わたくしの願いはひとつ。狩人の役職に限り、弓や槍……そういったモノを戦士の武器である、と認めていただきたいのです」

「――き、貴様っ!」


 反論しようと叫ぶラタトッパだが、巫女は発言を許さなかった。


「《守護獣審判》の要請は、いつ如何なる時も受け入れられる。口を慎め、《間断なき刃》……童よ、覚悟は良いのだな」

「無論にございます。すべては祖霊の導きのもとに」

「良い。では、守護獣の用意をせよ!」


 俺は腰から剣鉈を取り、ごくりと唾を飲んだ。

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