チャラ男。コロナショックの洗礼を浴びる。
2020年3月某日。
チャラ男はいつものように会社に遅刻をした。
「あいーっすww みなさーん。はよーっすww」
両手をスラックスのズボンに入れながら挨拶をする。
「おーい。チャラ先輩が出社したぞー」
「チャラ男さん、おはようございます!!」
「チャラ君ったら、また遅刻?」
後輩の男性社員や、事務のお姉さんたちは微笑ましく見守っているが、
50過ぎの男性部長の表情が大変に険しい。
「君ぃ、今日はいつにもまして遅いじゃないか。もう10時過ぎだぞ」
「あ、ほんとだ。やべー。させん。ちょっと寝坊したっすww」
「はぁ……。まったく」
チャラ男は遅刻が多かった。その頻度は週に2回以上。多い時で4日連続の時
もある。普通の社会人なら解雇の対象となるだろうが、チャラ男の父親が
埼玉県の県議会議員のために上司も口を出せないでいた。
しかし、コロナショックのせいで世界経済は急速に悪化し、
日本全国でも対面型の接客業を中心に大量の失業者が出てしまった。
まさにリーマンショック以来の阿鼻驚嘆の地獄である。
この時は未知のウイルスの恐ろしさに地球人類が脅えていたものだ。
我が社でもこの際、経営の合理化のために人員の削減を……
というのが昨日の会議で決まった内容だ。
部長は、これを絶好の機会だと思っていた。
「ちょっと君。チャラオ君」
「おっわ、びっくりしたぁ。後ろから急に肩掴まないでくださいよ~~w」
チャラ男が、いつものように全員分のマグカップを並べ、
コーヒーを淹れる準備をしていたのでそれを止める。
チャラ男は仕事が回してもらえない窓際なのでお茶くみも仕事の一部になっていた。
「で、なんすか?」
「会議室に来なさい。大事な話があるんだ」
その5分後、チャラ男に整理解雇が告げられた。
表向きは早期退職希望の同意書に署名しろとのことなので、
チャラ男は不本意ながらも名前を書く。印鑑は不要だとのこと。
今月分の給料に加え、給料3か月分の退職金を支給することが約束された。
彼がこの職場で勤まったのは2年だけだった。これでも一番長い方だ。
父親の権力を借りながら今まで職を転々としてしていたのだ。
どこも良い職場を与えられたのだが、肝心の本人にやる気と根気がなかった。
彼が自分の荷物をまとめて会社の玄関を出た際、
澄んだ青空を見上げながら出た言葉がこれだった。
「まじパネーわ」
頬から涙がこぼれ落ちた。
チャラ男の特徴は立ち直りの速さにある。
これは前話で紹介した「まゆ」にも似た特徴があり、楽天家だ。
ミカはその逆で何事も深く考えすぎてしまう。また疑り深い。
血液型はチャラ男がO、まゆがB、ミカがAである。
職場ではチャラ男はチャラ男型、あるいは人種国籍不明と呼ばれていた。
およそ血液型で大雑把に分類できるレベルではないからだ。
一部からは「ああいう男は将来大きくなるぞ」と真顔で言う者までいた。
チャラ男はまっすぐ帰宅し、自宅のベッドでたっぷり昼寝した。
こんな時間に帰るなんて珍しいと心配してくれた専業主婦の母には
「ちょっと仕事変えることになった」
とだけ告げてある。それだけで母は察したのか、それ以上の追及はない。
夕方。チャラ男は目が覚めた。
スマホで自分の保有銘柄を確認する。この前にお父さんに
怒られてからはさすがに反省し、信用取引からは手を引いた。
しかしマザーズの弱小銘柄で組まれたポートフォリオは、
なんと資産額が7割も減っていた。半値以下だ。
投資総額1億4000万に対して含み損が9,800万円。
並の精神をした人なら飛び降り自殺をするかもしれない。
これは、資産額の減少幅が少なかったミカとは対照的だ。
現在のプライム市場とグロース市場でこんなにも暴落時の下落幅が違うのだ。
しかもチャラ男のは新興株で占められるために配当金は実質ゼロだ。
成長の途上にある企業の財務活動は、
債務の返済や設備投資を優先するから配当を支払う余裕がないのだ。
「まっ。しゃーねーわな。暴落が起きた時なんてこんなもんだ」
チャラ男は不敵に微笑んだ。
飲みかけのペットボトルのウェルチ(果汁濃厚)を飲み干す。
彼はチャラ男だが下戸なので酒は飲まずジュースを好む。
まだ夕飯まで時間がある。暇つぶしにスマホでウマ娘のアプリを開く。
「ふはっ。俺の馬、まじ最強っすwwwサトイモ最高~~」
ゲームに夢中になると含み損のことが頭から消えてしまう。
30分以上はゲームをした。
それにしても、なぜ彼は平気な顔をしていられるのか?
先ほども説明したが、彼の含み損は【約1億円】である。
これはバブル経済期での価値(実質賃金や生活レベルを考慮)
で換算すると3億にも匹敵するかもしれない。
筆者が仮に同じ立場だとしたら練炭自殺を考慮する。
ましてそれが親から借りたお金だとしたら死んで詫びるしかあるまい。
しかし…
「もう夕飯の時間かよ。時間経つの早過ぎっしょww」
チャラ男が歩き出す。大きなキッチンでエプロンを付けた。
この家は埼玉北部の片田舎にある古いお屋敷だった。
冷蔵庫を開け、ムール貝やエビなどの高級食材をボールの中に入れていく。
大きな鍋に水を入れてガスコンロの火をつける。
「あら、チャラ男ちゃん」
「あ、おかーさん。ちょりーっすwww」
古風な着物を着た年配の女性が、彼の母親だった。
いかにも時代劇に出てそうな女優の容姿である。
父親が権力者なだけあってお見合い婚。東京出身の名家のお嬢様だった。
「今日はチャラ男ちゃんがお料理してくれるのかしら」
「うっすww 俺、しばらく転職活動で暇になるからさww
たまには本気出して料理しちゃっていいすかww」
「そう。じゃあ任せるわね。私はあっちでテレビでも観てるわ」
母は廊下の奥に消えた。その歩き方だけで優雅さが際立つ。
ちなみにチャラ男は実の親からも「あだ名」で呼ばれていた。
母曰く、気が付いたら息子の本名を忘れてしまったとのこと。
それはあまりにも彼の言動がチャラすぎるからだろう。
料理が完成した。
チャラ男の得意料理はパスタとサラダだ。
魚介パスタには炒めた玉ねぎの他にムール貝、ホタテ、エビが
贅沢に乗せられている。ママが作ってくれた特製のパスタソースで
味付けするとお店を任せるほどの出来だった。
サラダもすごい。本格的なイタリアンサラダだ。
大皿に敷き詰められたレタスの上に刻んだキャベツが乗り、
焦げ目がつくまで炒めたウインナー、ベーコン、スライス玉ねぎ、
輪切りのトマトが色どりする。レタスの中にコーンフレークも入っていた。
母に気を使って白ワインも開けてあげた。カマンベールチーズを添える。
ここは古風な屋敷なのに食事のスタイルはなんとも洋風だった。
母はお腹がすいたのか、料理の匂いにつられて食堂にやって来た。
「今日の料理は豪勢なのね」
「まーねw 俺の場合は記念日って感じなんで」
「記念日?」
「俺の人生の転換期っつーの? ちょうど仕事も変わるし
世界はコロナで滅茶苦茶になってるし、資産額も減っちまったし、
こーゆーのってさ。世界の変革期だと思わね?
これからは世界全体が変わるしかないっしょ」
チャラ男ママは上品にサラダを食べている。
厚切りベーコンのたれが付いた口元をナプキンでぬぐう。
「まあまあ。コロナショックで資産額が減っちゃったのね」
「うん。それなりに」
「どのくらい減ったのかしら」
「ざっと9,000万くらいかなぁ」
わざと過小に報告した。正確にはあと1,000万足らない。
チャラ男は内心ビクビクしていた。
今回のお金は、お父さんではなくお母さんの財産を借りたものだ。
母との約束で現物株を買うことにしているが、それでも
資産額がこれほど減ってしまえば説教だけでは済まないだろう。
普段は温厚でニコニコしてる母だが……。
「資産額が減ったといっても所詮は時価だし、
あなたが怪我したわけじゃないんだったら、それでいいわね」
「う、うっす」
意外にも怒られなかった。
チャラ男の母の名前を「アケミ」と言う。
アケミは、息子に対してどこまでも甘かった。
夫と喧嘩ばかりの日々が続いたのは主に長男の教育方針を巡ってだ。
厳しく教育して議員を継がせようとする父と、子供の自由にしてあげたい
母とで意見が対立した。息子の高校受験を控えた時期、夫婦が離婚寸前の喧嘩を
したことがある。チャラ男はあの時の母の剣幕を今でも覚えていた。
「コロナ。コロナ……ねえ」
母がワインを飲む。
コロナによって本当に世界は大きく変わってしまった。
ストレスが溜まってないわけではないだろう。
今日はいつもより飲む量が多い。ただ息子に当たることがないだけだ。
「ねえチャラちゃん。今株を売るべき時じゃないのは分かるわよね」
「それはもちろんっす。俺は暴落時には売らないっすw今までに学習したんで」
「実は私も株を買おうと思ってるのよ」
「え? おかーさんもやるんすか!?」
「いけない? 今年の初めに松井証券で口座を作っておいたの」
「いやいやいや。母さん。株はマジやばいっすよww
母さんみたいにのんびりした人には向いてないっつーか、
下手に手を出すと火傷する可能性があるんでー」
「私の知り合いに投資に詳しい人がいてね、
その人からお勧めの銘柄を教えてもらったのよ」
「あ、それって一番ダメなパターンっすねえww
人に聞いた銘柄を買うとか、それって素人の典型っつーかww」
――ド素人のあなたがそれを言うの? 母は言葉を飲み込む。
「東証一部上場(現プライム)の有力な企業を逆張りで買うのよ」
「ほーん。で、どの銘柄っすか?」
「ブリジストン、トヨタ、ホンダ、キヤノンなど」
チャラ男は思わず失笑した。
しかし母に悪いと思って咳払いする。
「おほん。それはもうとっくに成長が止まってる企業っすよ。
たぶん配当狙いで買ううんでしょうけど、配当が高い銘柄って
成熟企業で、もう成長の見込みがないから株主に配当を払ってるんでー」
「むしろ逆じゃない?
成熟企業だからこそ倒産のリスクがないから買い向えるのよ。
4、5月の決算発表を見たけど、どこの企業も財務もしっかりしていたわ。
あれほどの大手企業ならまず倒産することはないし、
たぶん24年くらいまで持ってれば含み益になると思うけど」
「24年かぁ。確かにそこまで長期で持ち続ける気でいるなら
上がるかもしれねえっすけど、ちっと長くねえすか?
それにコロナの影響で配当金が半減になってるから
そう簡単には資産が増えないと思いますけどね」
チャラママが飲み干したワイングラスを音を立てて置いた。
息子はびっくりした。
「私はねぇ、とにかく現金よりも株を持っていたいのよ。
私はもう若くないからデイトレーダーみたいに頻繁に売買するのは無理。
パソコンの画面をじっと見るのも疲れるわ。肩も凝るしね。
だけど四半期ごとの決算短信をじっくり読むのはできるつもりよ。
お母さんはね、中学生の時から父親、つまり、あなたの
おじいちゃんの会社の経理のお手伝いをしていたこともあるのよ」
「そっすか。おかーさんが自分なりの投資方法を決めてるなら俺は反対しないっす。
おかーさんの投資がうまくいくことを祈ってますよ。
それとさっきは失礼なこと言ってサーセンした」
わざわざ頭を下げる。母は息子のそんな素直さが可愛くて仕方なかった。
「でも一応、俺からもおすすめできる銘柄があるんで、
それをこれから教えてあげるよ!!
もちろん話を聞くだけでいいからさ!!」
「あらいいわね。どんな銘柄なのかしら。またマザーズの銘柄?」
「今回はスタンダードや東証一部の企業も含めてるっすよ!!」
息子が説明したのは、確かにコロナ化で儲けられそうな企業だった。
中古バイク専門店、サブスクなどのネットサービス、通販大手など。
日本株だけでなく米国株まで含まれていた。
茶、羅男はまるで自分が経営者になったかのような気分で
それらの企業の特徴を説明する。人前で説明するにはそれなりの
知識が必要だ。彼はチャラい割には企業の情報をしっかりと調べていたのだ。
会社の仕事には興味がないが、投資で儲かりそうな企業を調べるのは好きだった。
その説明に対し、母は「あらそうなの。すごいわね」と言う。
微笑んではいるが、全く興味はなかった。
それらの銘柄は確かにコロナ渦で特需になるだろうが、
旬が過ぎたら暴落するのが目に見えている。
市場の変化は早い。金利、為替、債券、株式。
幅広い視点で市場を俯瞰(ふかん)しなければ、その変化に気づくことは
できない。毎日相場を眺めているプロでさえそれに気づくことができずに
負けるのだ。その機敏さを年老いた母に求めるなど、そもそも無謀である。
二人の投資スタイルは長期と短期で異なるが、母と息子、親子仲は良好だ。
ただし、
「おかーさん。投資を始めるならおとーさんにも知らせてあげたらどうっすか?」
「なぜ?」
「いやだってさ、一応家族に関係することだし」
「だから、なぜって聞いてるのよ」
「あ、いや、その。さーせん」
チャラ男、思わず謝罪する。
母が怒った理由は父と会話するのが我慢ならないからだ。
この夫婦の関係は険悪そのもので、息子が中学を卒業してからは
緊急時を除いて「筆談(メール)」のみでやり取りをしていた。
現在の住居は妻アケミの母方のお屋敷だ。祖母はすでに他界しているから
ここの登記人の名義はアケミになってる。ならば、あんな旦那と
住むこともないと思い、埼玉の都市大宮から北部の田舎に引っ越してきた。
(別々に住み始めて10年以上って、別居期間が長すぎねえか……?
これって実質離婚してるようなもんだよな……)
チャラ男はそう思っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます