まゆのデイトレ。コロナショックにて。

2020年3月。

まゆはコロナショックの時にほとんど現金しか持ってなかった。


彼女が証券口座で買っていたのは、JリートのETF、ヤマダ電機、マクドナルド、

吉野家だけだ。Jリートを買ったのはアベノミクスで不動産が好調だと

モーサテで聞いたから。他の銘柄は優待目的で100株ずつ買っていた。


「うげー。何この大暴落。私のは大して下がってないから良かったぁ」


投資総額は100万程度。含み損は25万だ。

現金は残り400万もある。確かに優待株などが含み損になったのは

痛いが、彼女の場合はトイレで吐くほどの苦痛ではない。


「えーっと、こういう相場の時は、チャートを分析して底値付近で

 短期的なリバウンドを狙えばいいんだよね」


まゆは、ファミマで買った投資本を読み込んでいた。

仕事を辞めてから暇になったので本をどんどん読んだ。

彼女は看護師に典型的なB型女性。興味のあることにはとことんまで

のめりこむが、逆に料理など興味のないことは絶対に覚えようとしない。


投資関係の本はアマゾンでも大量に注文し、小さな本棚に押し込んでいく。

スペースの都合で邪魔になってきた少女漫画や女性漫画を処分することに

決めていた。あとで近所のブックオフに売りに行くのだ。

でも外出するのがめんどくさいので宅配サービスを利用することにした。


元号が令和になり、平成と比べるとずいぶんと便利な世の中になったものだ。

一昔前はビデオをレンタルするのにお店に行く必要があったが、

今ではサブスクがある。パソコンやスマホがあれば映画やアニメが見放題。


看護師時代は交代勤務のためにどうしても日中の外出時間が少なくなる。

看護師寮にいた時もこんな感じでネットで映画ばかり見ていた。

音楽もユーチューブで何でも聞けるのでCDを買う必要もないし

かといってネットでの有料ダウンロードもしなかった。


30になって思うことは、高校の時に聞いていたJPOPを

聞いてもそんなに楽しくないこと。最新の曲にもそれほど感心がなくなった。

ああいうのは、やっぱり若い子の文化だったんだなぁとしみじみと思う。

最近は映像や音楽のようなメディアに触れるよりも読書が好きになった。


お金をかけない生き方。

図書館を利用すれば本は無料で借りられる。

化粧品やお洋服も最低限の物で済ませれば自然とお金はたまる。

その代償としてかつての友達とは疎遠になってはいくのだが。


ブブブ……。

スマホが振動する。ラインを開くと、どうやら男からのメールだった。


「あのブ男か……取引時間中に送ってくるなんてマジうざ」


例のマッチングで知り合った人だ。年収は良い。年収だけは。

日本法人のマイクロソフトの仕事を請け負ってるフリーランスのIT技術者。

これこれ、こういうシステム、このスマホに入ってるこのアプリの元になった

システムを私が作っておりまして……男はそう得意げに語った。

まゆが興味がないことも知らずに。


大宮(埼玉の都市)のカフェでその話をした時、その男は無礼なことに

まゆの胸元ばかりをチラチラとみていた。初対面なのにゲスな視線だった。

看護師時代を思い出す。スケベな老人の入院患者が、かいがいしく世話をする

若い看護師のお尻にそっと手を当てようとする。そんなことはめずらしくもない。


まゆにとって何より不愉快なのは、その男の顔が「カエル」にそっくり

だったことだ。背丈は平均的だが、体重は80キロはあるだろう。

男の売り文句は、37歳にして年収が800万を超えることだった。

所得税が高くてさぁ……と自嘲気味に笑う。

ちらっと見た彼のスマホの待ち受けはアニメの女の子が描かれていた。


(年収が高いからって何? 

 最低の男と結婚するくらいなら一生独身の方がまし)


まゆはスマホの電源を切ってテーブルに置いた。

二度と連絡を取るつもりはなかった。


なにより、まゆは以前から


(男に依存することだけが女の生き方じゃない)


と思っていた。


20代の半ばを過ぎる頃から友達の結婚式に招待されることが多くなった。

同僚の看護師ではない。高校時代からの古い友人がほとんどだ。

他人の幸せを祝いに行くたびに惨めな気持ちにもなったが、

冷静に考えればそうでもないと気づいた。


中には結婚して3年もせずに離婚する人もいた。

乳幼児を抱いたまま女で一人で子育てをする。帰る実家もない。

離婚した時点で多くの女性は貧困に陥る。

それは二度と出られないタコつぼの中に自ら足を突っ込んだのと同じだ。


「結局は、お金だよ。どんな綺麗ごとを並べたって

 生きていくのに必要なのはお金。人はお金を得るために生きてる。

 お金を持ってる人が一番偉い。これは資本主義の真実」


彼女は自分自身をリアリスト(現実主義者)と称する。

夢(恋愛)には投資しないと決めた。


マウスを小刻みに動かしながらそう言う。

デスクトップのパソコンには今日の出来高ランキングや

株価上昇、下降ランキングに入るたくさんの銘柄が表示されている。


その中からデイで入れそうな適当な銘柄を見つける。

マザーズ市場のボラ(価格変動幅)が高い銘柄だ。

まゆはIT主義者。いかにも革新的そうな銘柄を好む。

その銘柄は、もちろん世間一般の人には知名度のない上場したばかりの企業だ。


「よしっ、いけ」


買い注文を出したら直ちに約定した。

あとは相場の波に身を任せるしかない。


「さあ、上がれ上がれ。お願い上がって。あっ少し下がった。

 でも大丈夫。さあ、あと少しあと少しでいいから上がって。

 さあさあ。ああああぁぁ!! また下がってるぅ!!」


デイをするとパソコンから目を離せなくなる。

わずかでも値幅を取るためには文字通り一分一秒を争って売り注文を

出さねばならず、その緊張感はすさまじい。なにせこれはゲームではなく

自分のお金がかかっているのだ。まゆはお金を命だと思っていた。


お金は命よりも重い。お金に比べたら人間の命なんてゴミみたいなものだ。

元看護師とは思えない発想だが、看護師だからこそ出た発想ともいえる。

医療従事者として働いて一番に思うことがある。


どんな患者も国の保険制度に守られているのだ。

患者が個人でガンやその他難病の手術をするための費用なんて出せるわけがない。

入院だってそうだ。主に民間の医療保障があるから入院費を払える。


まゆが28歳の時に気づいたのは、この国の財政は崩壊しかけている事。

年金2,000万問題がテレビで大きく報じられたが、

職場にいる中年のドクターは「いずれ医療保障も破綻する」と断言する。


後期高齢者医療保険は、従来の1割負担から2割まで引き上げられた。

金融広報中央委員会の調べでは、老人の3人に1人が貯金がゼロ。

その一方で金持ちの老人もいて、

家計の金融資産における7割の資産を70代以上の老人が占めている。


国民民主党のタマキ君の衆議院での演説である。

【お金持ちの老人から、お金のない老人へとお金がいきわたるように、

 老人に課税し老人に分配する仕組みを我が党は提案します!!

 そうすれば現役世帯に税負担をする必要がなくなります!!】


この案に、多くの老人が反対した。当然だ。

彼らは等しくバブル経済の恩恵を受けた世代だが、

現在お金がある人は、その絶頂期に無駄使いせず堅実に生きた人が多い。

それで、若い時にたくさん散在して楽しんだ人が今になって

「お金がないから分けてくれ」と言ったところで納得できるわけがない。


もちろん、お金がない理由の詳細は誰にも分からない。


人によっては病気で働けない人もいただろう。

子供を医学部に進学させるために貯金を全部使った人もいるだろう。


だが、ある人はパチンコや競馬で貯金をすった人もいるだろう。

海外旅行、高級車、外食など人生を謳歌した浪費家もいるだろう。


とにかく、確かなことはこれである。


「金がない奴は将来、飢え死にするってこと」


まゆは30歳になったばかりだが、知ったような口の利き方である。

しかしこれは的を射ていた。


「でも私は負けない。私は生きる」


デイ銘柄が、にわかに上昇を始めた。今売却すれば5,000円の利益。

まゆの選んだ銘柄は運が良いことに最初の下落からしっかりと

リバウンドしてくれた。


(で、でも、あと少し待ったらもっと利益が取れるんじゃ)


口の中が緊張のためにカラカラになる。目は充血してずきずき痛む。

例え利益は少なくてもお金はお金。私は生きるためにやってる……。

でも少しのお金じゃ……。どうしよう。


まゆは大きな利益を得たい自分の意志に反してマウスを動かして売り注文を出した。

結果的に税引後で4,250円の益となった。

売り注文を出したその瞬間にも値が動いていたのだ。


「よしっ!!」 ガッツポーズ。そして安堵のため息。


時刻は10時半。この時間はちょうど中国市場が開くから

日経が下がりやすい時間となる。まゆの銘柄はその逆を行ったのだ。


少しコーヒーでも飲もうかと2階の自室を出る。

階段を降りてリビングに行くと母親のティータイムをしていたようで、

カプチーノの良い香りが漂う。眼鏡をかけた母は新聞を読んでいる。

まゆは何げなくマイカップにお湯を注いで自室に戻ろうとしたが、


「まゆ」


と呼び止められる。母の表情が険しい。


「なに?」

「あなたがこの家に戻って来てからもう半年たつわね」

「う、うん」

「そろそろ決めたのかしら」

「何が?」

「あなたの将来についてに決まってるでしょう」


母の声が怖い。相当に怒っているようだ。


「お父さんから聞いたわよ。あなた、婚活のアプリってのに登録して

 いろんな男性と他所で会ってるようだけど、まったく進展がないとか」


「ああ、そのことか。やー、なんつーか、

 やっぱ理想的な人ってそんな簡単には見つからないもんだよねぇ」


「そのふざけた口調、やめなさいっていつも言ってるでしょ。

 私は真剣に話してるのよ!!」


バシンとテーブルが叩かれ、まゆの肩が揺れた。


「就活もせずにいつまでも家でパソコンばかりやって、

 たまに出かけるかと思ったら出会い系の男に会うため? 

 あなたは自分がいくつだと思ってるの。

 そろそろ真剣に結婚を考えてほしいものだわ」


「……私が出会い系を使ってることが気に入らないの?

 私の場合は職場とかで男性との出会いがなかったから

 どんなものかな~って思って試しにやってみたわけじゃん」


「ダメだと分かったら次の方法を考えなさい!!

 女はねぇ、いつまでもモタモタしていられないのよ!!

 そのまま歳を重ねて子供が産めなくなったらどうするつもり!?

 だからこそ私が前からお見合いを勧めてるわけなの!! 

 どこの馬の骨かもわからない男と結婚するよりは

 親同士が決めた相手との結婚の方がいいでしょうが」


「んー、前にも言ったけど私はそーゆーのって無理っぽいんだよね……。

 ほら。やっぱ好きになる男性って最後は自分で判断したいし。

 親が決めた相手なんてそれこそ私にとっては赤の他人なわけで」


「はぁ~~。本当に子どもね。あなたって本当に……子どもね。

 学生の時から全然、まったく成長してないのねぇ」


母がそこに座りなさいとソファの一角を指すが、

まゆは用事があるからと言ってコンビニに逃げてしまう。

玄関先から母の怒声が聞こえるが、構うものか。



結果的にまゆは優待株もJリートも暴落時に売ることがなかったため、

コロナ前から持ってる資産で確定損失は出なかった。


3月から4月にかけての大底相場では400万の余力の内、

100万だけ使って現物株でデイを繰り返し、全体の成績は6勝4敗。

利益と損失を差し引きして12万の手取りだった。

素人にしてはこの成績は天才的だ。

多くの投資家はデイをしても最終利益がプラスにならないのだから。


月収が最大で30万を超えた看護師時代に比べたら低すぎる給料だが、

まゆにとって職場以外でお金を稼げることが分かったのがうれしかった。

今の時代では一つの職場だけに依存して生きることは不可能。

昭和の時代は復職を禁じていた多くの企業も現在では兼業を認めているのだ。


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