サカイ

 俺は中学の頃、ずっといじめられていた。

 理由なんて無い、と思う。相手にはあったのかもしれなかったが、少なくとも俺には分からなかった。


 いじめというのは、ただ肉体的な暴力だけが怖いのではないのだ。全く気にならないと言えば噓になるけど。

 一番つらかったのは、自分の味方だと思っていた人がそうじゃないのだと理解してしまった時だ。


 いつがなのかは思い出せないし、思い出したくもない。けれど、決定的な境はどこかにあったのだと思う。

 ある日を境にして、いじめられるようになった。ある日を境にして、友人だと思っていた人から相手にされなくなった。ある日を境にして、自分以外の全ての人間が、俺から離れていったのだ。


 中学を卒業して遠い高校に入学したけれど、恐怖は消えなかった。厳密にはソレは、いじめられる事への恐怖では無かった。

 確かだと思っていた繋がりが途切れる事に、親しかったはずの人間と『距離』を感じてしまう事に、恐怖していたのだ。


 誰一人知ってる人のいない、新しい高校生活。俺をいじめていた人も、俺から『距離』を離していった人も、ここにはいない。それでも、再び誰かと親しくなれば、またそれが無くなった時に傷ついてしまう。それが怖くて、気づけば学校に行かなくなっていた。


 物理的に距離を取る事でしか、俺には『心の距離』の保ち方なんて分からない。そんなも事は誰も教えてくれないのだから、当然と言えば当然だ。

 言いたい事だけ言っていた教師の言葉にも、眠い頭で何度も読まされた教科書にも正解なんて無く、結局誰からも教わる事の無いモノだった。


 それが、俺が心の距離を離し続ける理由。全ての人から離れたいそんな俺だから、誰もいないような深夜の町を歩いているのだ。

 そこまで大それた理由でも無く、もちろん褒められるような事じゃない。とても個人的な悩み。ただ俺が臆病なだけなのだ。


「……まったく、情けない話だよ」


 自室のベッドで寝転がりながら、そう言葉を漏らす。臆病な自分が情けないのもあるし、それを自覚していても治そうと動き出さない自分がひどく情けない。そして、本音ひとつも人に話せない事についても、少しだけだが情けないと思っている。


 あいつと出会って一か月は経ったが、俺は自分の事をあいつに話した事は無い。離れた距離を保ち続けているつもりだが、あいつはお構いなしに接して来る。心の距離を感じさせないような、苦手な人だ。


「心の距離、か……」


 人間同士の心には『距離』があるだなんて、俺じゃなくても分かっている事だろう。俺はそれがある日を境に変わってしまった事を恐れ続けているが、他の人はどうやって生きているのだろうか。


 相手が何を思っているのかなんて、自分には当然分からない。相手が自分の事をどの程度の『距離』で見ているのかは、分かるはずもない。

 誰も心の距離を測るモノサシなんて持ってないのだ。誰もが他人との距離を、探り探り生きている。


「…………」


 目の前にあるペットボトルとの距離は、およそ一メートル弱。メートルという『基準』があるからこそ、ペットボトルとの距離は分かる。

 心の距離にはそんな基準が無い。誰も人のココロは読めない。だからこそ、時にはぶつかって、時には離れて、また近づいて。そうやって距離を測っているのではないだろうか。


 心の距離の測り方なんて、誰も教えてくれない。

 だからこそ、自分で見つけなければいけないんだ。


「……話してみるか」


 今夜、彼女に会えるのなら。未だどんな『距離』で接すればいいのか分からない彼女に、会えたなら。

 俺の考えを、俺の気持ちを、自分から言ってみよう。


 次の日、いつもの夜道で彼女と出くわした。俺と違って毎日散歩してる訳でもなさそうなあいつとは会ったり会わなかったりだが、今夜はタイミングよく再開出来た。

 昨日と違って覚悟を決めて家を出て来た俺に対して、眼帯に手を当てて訳の分からないポーズを取る彼女は昨日と何も変わっていなかった。たったそれだけの事実に、何故だか分からないが少しだけ安心する。


 他人へ自分から距離を詰めるなんて、何年ぶりか分からない。離れた時のショックを考えるとまた臆病になりかけるが、今日こそはちゃんと話すと決めたのだ。心の距離を測るには、自分からぶつかっていく事が大事なのだから。



「……なるほどね。そんな事を考えてたんだ」

「何がおかしいんだ」


 全てを話し終わった後、彼女は何故か笑っていた。こんな話をした後だというのにだ。だが不思議と嫌な気分ではなかった。俺の事を笑っているわけではなく、嬉しい感情が表に出て来た、という感じの笑みだった。


「いやね、最初会った時から何か距離感じるなーって思ってたんだよ。だから何か悩みでもあるのかとは思ってたけど、まさか私に話してくれるとはねー」

「それが嬉しいのか……?」

「嬉しいよそりゃ。君の『心の距離』ってヤツは、私に少し近づいてくれたんでしょ?」


 まあ、確かに捉えようによってはそうなるかもしれない。けど、改めて言われると何か恥ずかしい。俺が言った事なのに。


「でもまあ、これで悩みが万事解決って訳でもなさそうだね」

「……まあな。まだやるべき事は残ってる」


 人との『心の距離』を探るためには、実際に話しながら、お互いを知らなければならない。であればまず、不登校を治さなくてはいけないだろう。半年ほど離れていた学校へと、また行かなければならない。


「まだイマイチ覚悟が決まってないところあるけど、立ち止まる訳にはいかないよな。お前にも話しちゃったし」

「あははっ、それでこそ男だ!」


 バシッ、と背中を強く叩かれた。相変わらずなれなれしい所がある少女だが、それでも今は苦手意識は無くなっていた。心の距離の測り方を知った今なら、彼女と仲良くなれそうな気もする。


「人間の心なんてしょっちゅう変わるものだけど、君みたいに失敗と挑戦を繰り返せる人が最後には成功するんだろうさ」

「さすがにそれは買いかぶりすぎだ。きっとまたどこかで失敗するかもしれないし」

「一度乗り越えられた君なら次もきっと大丈夫さ。もしまた困ったら、私も力になってあげるよ」

「……そうだな。深夜徘徊する堕天使とは、またいつでも会えそうだしな」

「くっくっく、ようやく理解したか。私の正体を」


 少しばかりからかったつもりなのだが、彼女は嬉しそうに厨二台詞を吐く。本当に掴みどころのない奴だ。

 輝くような顔いっぱいの笑みで拳を突き出す彼女を見て、俺は苦笑しながらも拳を打ち合わせた。


 堕天使なんて物騒なキャラをした変わった奴だが、彼女には助けられた。人と話す事が、現状を良くする事に繋がっていると教えてくれたのかもしれない。


 俺が周囲の人達と心の距離を置きたくて物理的な距離まで離していたように、傍に寄り添って話を聞いてくれる人となら心の距離も縮まると、気付かせてくれた。


 彼女との心の距離も、少しだが確実に縮まった気がした。

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