2-2.応接使
宛てがないようなふりをしつつ、月聖岩の集まる場所へと江間を誘導していた郁は、突然立ち止まった彼の横顔を見上げた。
「――人、だ」
緊張を含んだ声に、郁は彼の目線の先を確認し、生唾を飲み込んだ。
おそらく彼らが『応接使』だ。郁たちがここにきて六日、恐れていたはずのそれについに行き会ったことに、奇妙な安堵も湧き上がってくる。時間からして惑いの森に接するディケセル国か、バルドゥーバ国のどちらかだろう。
目深にフードをかぶった、五人連れの上半身とフードに覆われた頭部が、赤い松明の光を受けて闇に浮かび上がっている。赤く照らし出された顔の下半分、唯一見えている口元は、一様に硬く引き結ばれていた。
こちらを向いた一人の胸の部分に菱を四つ、×の形に並べた模様が見えた。あれはディケセル――祖父の故国を表す模様だ。
そう認識した瞬間、郁の中に懐かしいような、出て行って声をかけたいような、奇妙な感情が広がった。
目の前の一行のうち二人は、ひざ下まで届く白の縁取りのある青い巻頭衣をまとっている。その下は袴のようなゆったりしたズボン、確かゲレタと呼ばれているはずだ。足元はそれに隠れて見えないが、おそらく獣の皮をなめし、縫い合わせた履物だろう。右手には蛇のようなものが巻き付いた長い杖を手にしていて、その先には水晶っぽい対の月がついている。彼らのうちひどく太った一人の巻頭衣の前面には、銀糸の月の刺繍があって人目を引く。彼はひどく億劫そうに歩き、肩で息をしていた。
残りの三人の服装は、祖父の死後、押し入れの奥から出てきた服と同じ――つまり、彼らは祖父と同じディケセルの『グドルザ』ということなのだろう。戦士というか騎士というか、職業軍人に相当する者らしく、精悍な体つきをしている。
グルドザたちの巻頭衣の色は黒で、胸にディケセルを表す菱形の刺繍が四つ。その衣の裾丈は、腰より三十センチほど下で、腰は太い皮製のベルトで締められており、両サイドに帯剣している。片方は短めの両刃剣、もう片方はパリングダガーに似た、両刃の脇に枝が一本もしくは二本ある、スオッキと呼ばれる短剣なはずだ。身に着けている胸当てと籠手、ゲレタの上から付けた脛当ては金属製で、月夜の光に鈍く反射していた。
「見た目は“人間”だな。どうする? 声をかけるか?」
「……敵かもしれない。無人島生活から文明社会に行き着く可能性のために、そのリスクを許容するかどうか」
探るように郁を見ている江間に、意識して淡々と返した。
祖父たちの国ディケセルであれば、見つかった時の扱いは、バルドゥーバよりはましなはずだ。だが、それは奴隷か、待遇のいい囚人かという違いで、どちらも自由ではいられない。
加えて父方の祖母トゥアンナのことがあるから、郁としてはディケセルからも全力で逃げたい。
(それを隠したまま、不審に思わせずに、江間を説得するにはどうすべきか……?)
「それこそゲームや小説じゃ、異世界で初めて会う相手は友好的と相場が決まってる――宮部、お前は勇者になりたいか、お姫さまがいいか?」
「武器屋の主人」
「そうくるか。なら、なんで村人じゃない?」
「現状を不安がるだけで自分は努力せず、他人にただ何とかしてくださいと頼みながら、それでも金は払わせる。いざ救われれば、救ってくれてありがとうと、村人同様のお礼だけですむじゃないか、武器屋」
「……怠惰なだけじゃなくて、本気で性格わりぃな、お前」
「ご理解どうも」
戯言を交わす間も、郁と江間は睨むように五人を観察する。今後を決める分岐点だ。命に関わる。
(違う、六人だ……)
郁は目を丸くした。五人に囲まれるようにして、一人子供がいる。
視線の先で、その子はだぼだぼの袖からのぞく手で、フードを取り払った。
「っ」
(シャツェラン……)
郁は驚きで声を上げそうになった。小さい頃に夢で見るようになって、そのうち不思議なことに話をするようになって、中学に入るぐらいに喧嘩別れした彼がなぜ――
「子供? 何だってこんなところに」
呆気にとられた顔をしている江間の横で、郁は口元に手をやり、食い入るようにその子を凝視した。
フードの下の髪の色はわからない。けれど、炎に照らされて浮かび上がる卵形の顔形も、女の子と間違えるような目鼻立ちも、小さな頭と長めの手足もすべて同じに見える。だが、シャツェランは郁よりひとつ年上だったはず。
(ああ、でも時間の流れが、あちらとこちらで同じだとどうして言える? その辺は、ええと、何がどうだったっけ? 確かさっきそんなことを考えて……)
「宮部? どうした?」
「っ」
江間に肩を叩かれて、郁はぎくりと体をふるわせた。怪訝そうに自分を見ている黒い瞳になんとか状況を思い出す。
「いや、あの子……なんだか親戚に似ていて」
なんでもないという言葉で江間はごまかされないだろう。咄嗟にそう判断すると、郁は事実を述べた。「私、クォーターで、そっちのほうの親戚」とそれらしく付け加えることも忘れない。
「それは知っているが、似てるって……まあ、確かに目は二つ、鼻と口は一つ、手足がそれぞれ二本ずつ。触角が生えているわけでも、毛むくじゃらなわけでもないし、ちゃんと“人”だな、俺たちによく似ている」
親戚と似ていたって不思議じゃないか、と呟いた江間は、意識を向こうにとらわれていて、郁の様子には気付かなかった。
「あの髪、地毛かな」
江間が言っているのはグルドザのうちの一人、毛先に行くほどピンクがかっていく赤い長髪の男のことだろう。
あっちとこっちの“人間”は、基本的には同じだ。だが、髪色のバリエーションが豊富だとか、犬歯が多いとか、体毛がほとんどないとか、短い尻尾が残っている人がいるとか、耳がとがっていることがあるとか、指が六本の者が多いとか、その程度の差はあると聞いた。
(江間はその違いを殊更に嫌悪したり、怯えたりするタイプの人間だろうか)
江間の様子を気にかけつつ、郁は再び子供へと意識を向けた。
その子は見れば見るほど、郁と別れた頃のシャツェランに似ていた。けれど、表情は別人だった。まっすぐな気性で明るく、自信に満ち溢れていた彼と違って陰鬱な感じで、グルドザの一人の影でひどく冷めた顔をしている。体つきもしなやかさと丈夫さの両方が滲み出ていた彼と違って、ひたすら細い。
「……」
郁は江間を適当に丸め込んで、一行をやり過ごすつもりだった。
十数年から百年に一度程度、向こうの世界からこちらに迷い込む人々は、稀人とされる。その時々で神とあがめられたり、神への捧げものという名の生贄にされたり、悪魔と呼ばれて殺されたり、異国の技術者として珍重されたりと扱いは色々らしいが、なんせすべて監視付だ。関わりたくはない。
(けど、あの子……)
「やめだ。離れるぞ、宮部」
「え?」
江間はひどく険しい顔で、荷を地におき、火を起こし始めた一行を見ている。そして顎で一行の右手を示した。青い巻頭衣の二人の背後に置かれた袋から、金属製の円環が複数のぞいている。それぞれの大きい輪には、先に八の字の輪がついた鎖が二本繋がっていた。
「……拘束具?」
「ああ。それも多分人用だ」
「うそ……」
彼の父から聞かされたという話を、祖父が郁にも教えてくれたのだ。祖父の父が若い頃応接使に選ばれたこと。正装し、危険な惑いの森の奥深くにまで入って行って、応接の栄誉に授かったこと。その人が病に侵され、ディケセルを出て、隣国に行くまで親しく交流していたこと……。
「嘘……? ……や勘違いならいいが、そうじゃなかったら冗談じゃすまない。見た目は一緒でも、“人権思想”ってやつがあるとは限らないだろう。俺たちの世界だって、そんなのができたのはつい最近の話だ」
苦々しく「あったところで、それが「異人」に適用されるとも限らないしな」とつぶやいた江間の横で、郁は拘束具を見つめ続ける。
多少の矛盾はあるものの、豊かで平和な国、人々は親切で穏やか……祖父の故国のイメージが、ガラガラと崩れていく。
(シャツェランが、国の状況は昔に比べてあまり良くないというようなことを言っていたけど、何が起こっているんだろう……)
「……そう、だな。向こうは武器を持っているし、その方がいい」
(そうじゃない、可能性はあったんだ――)
郁は動揺を飲み込むと頷いた。祖父が見ていたディケセルは、ディケセル人から見たもの、シャツェランに至っては、為政者の立場から見たものだ。けれど、郁たちはディケセル人ですらない。
こちらの人間があちらと同様、群れて暮らす生物である以上、よそ者に対する感覚もさほど変わらないと考えるべきだ――“人”は異なるものに対して、基本的に非寛容だ。郁たちが彼らの同胞でない以上、親切が期待できるかどうかわからないし、最悪“人”扱いしてもらえない可能性もある。
(江間の言う通りだ。この先確実に生き延びたいなら、相手が誰であろうと、足元を見られるこんな状況で接触してはダメだ)
そう納得しながらも、郁は大人の中にいる小さな少年から目が離せなかった。
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