2-3.裏切り

『コクラミの洞窟を見てくる。過去の稀人の多くが、そこに留まっていたと伝え聞いておるのでな』

『このような森に我らを残してか?』

 威風堂々とした年かさのグルドザの言葉に、細身の青い巻頭衣の者が不満を露にした。


(理解できる――)

 郁は安堵すると同時に、奇妙な感覚に襲われた。遠い、遠い言葉。祖父母が使うのと同じ言葉を自分も使いたい、夢で会う友人とちゃんと話したい。そんな願いで身につけた言葉が実際に役に立つ日が来るなんて、夢にも思わなかった。


『貴殿らに付き合って到着が遅れている。既に他国が来ている可能性もある。そうなれば戦闘になるだろうが、貴殿らは耐えられまい?』

『ぶ、侮辱するか』

『事実を述べたまで』

 年かさのグルドザの声には、有無を言わさない威厳があった。

『幸い今宵は大双月だ。ここで神木を焚いている限り、めったなことでは襲われぬ。まして、いやちこなる首司祭殿がおられるではないか。不安になる必要はあるまい――なんとかという神に、イェリカ・ローダを退ける力がないのであれば、知らぬが』

『ふ、不安になってのことではない。先ほどといい、おのれ、タジボーク神と、お仕えする我らを愚弄する気かっ』

『コクラミ洞窟の周辺の森は、不浄なるイェリカ・ローダの巣窟ですし、先ほどご説明した通り、血生臭い事態が起こることもあり得ます。足の御怪我もありますが、そもそも司祭さまにお越しいただくには不向きな場所かと。一刻ほどで戻りますので』

 明らかな嫌味を交えたそのグルドザに神官が気色ばめば、一番若いグルドザが二人をとりなした。


 『イヤチコ』は分からないが、文脈的に「聖なる」とか言う意味だろう。『首』は首、筆頭という意味もある。『司祭』とは何らかの宗教の職に在る者。つまり、あの青い巻頭衣は何かの宗教の神官の祭服で、腹の出たあの男が細身の男より高位にある。ただ、『タジボーク』神?は覚えがない。ディケセルは多神教で、王家をはじめ多くの者は、始まりの神コントゥシャを中心に信仰すると聞いた。

 一刻は、向こうでの一時間十二分に相当するはずだ。こちらの世界は基本的に十進法が使われることが多く、一刻は半日を十で分けた時間だ。


 彼らの会話を慎重に検証する郁の目線の先で、三人のグドルザが神官と荷から離れていく。子供がその後を追ったが、細身の神官に話しかけられて立ち止まって何かを言い、結局グドルザたちと共に行った。残された神官は苛立たし気に落ち葉を蹴ると、荷の上に腰を下した。


「武器を持ってる。気づかれないように迂回するぞ」

 その様子を見届けた江間と郁は、そろそろと動き出した。

「なあ、魔法とか使うかな」

「科学的にない。風を吹かすか火を起こすか瞬間移動か、なんにせよ結局エネルギーだ。あれが肉体を持った生物であるかぎり、そういうエネルギーを恣意的に、しかも他に作用しうるだけの量で操れる可能性は低い」

「……夢いっぱいに知的生命体の存在を信じるって言ったのは、宮部だろ。事実いたんだから、魔法とか期待したっていいじゃねえか」

 魔法などないと知っている郁と、信じていないまでも確信しきれない江間。彼は緊張を軽口で紛らわせているらしい。神官たちの炎に照らされて、額に汗がにじんでいるのが見えた。


 二人は会話を止め、音を殺して神官たちの後方、樹冠の合間から漏れ入る月明かりを頼りに森を忍び歩く。神官たちが焚く炎はひどくまばゆくて、彼らの半身を闇の中に赤く浮かび上がらせていた。

 向こうからもこちらが見えているのではないかと、足元で踏まれた枯葉が立てる度に郁は心臓を縮めた。隣の江間にはその音が聞こえているのではないかと思う。


『……気持ちはわかぬでもないが、言葉を慎め。あれでも一応は亡くなられたガミデュさまの子、つまりは前総主教様の甥ではないか。女王陛下にとってもはとこにあたる方だ』

『ですが、アーシャル王子の最近の行動は目に余ります。まさかとは思いますが、バルドゥーバに稀人を引き渡すのを邪魔なさるおつもりでは?』

『王子の腹積もりはどうでもよい。万が一蜥蜴兵が失敗して、稀人がディケセルに渡ることになったとしても、アーシャル王子がいれば、稀人をアーシャル王子の預かりにできると陛下はお考えだ。後は我が国の思いのまま。バルドゥーバに引き渡すもよし、ディケセル王を操るもよし』

 首司祭は薄く笑った。

『なに、アーシャルについてはどの道気にせずとよい。あれは既に用済みだ。我らを裏切るのであれば、捨てるだけのこと』


「……」

(今、彼らはなんと言った? アーシャル王子とは多分さっきの子。やはりシャツェランではない)

 会話に意識が向いて、郁の歩みが遅くなる。

(彼らはディケセルからの使いで、アーシャルはディケセルの王子。なのに、稀人をバルドゥーバへ引き渡す。なのに、その子はそのバルドゥーバにとっても不要……)

 ――裏切りだ、それも二重の。

 郁は眉をひそめて立ち止まった。


『ところで国に稀人到来の予兆があったと知らせているのだろう? なぜ接触がないのだ? 蜥蜴兵が既にここらに伏せているはずではないのか』

『ゼイギャク・ジルドグッザが任に加わったことを知らせておりますので、その報が既に届いていれば、警戒しているのかもしれません』

『稀人をバルドゥーバに引き渡すとなると、やはりそのゼイギャクが難だな――どさくさに紛れて始末できないか』


(ゼイギャク、はシャツェランがよく話していた、ディケセルの英雄と同名……)

 同一人物であれば、無敵と評される名高いグルドザなはずだ。その彼を始末する?

 『蜥蜴』は、確かトカゲに似た生き物のことだ。カナヘビを見て、祖父が故郷の世界にもいた、小指ほどのものから象の三倍ぐらいのサイズのものまで色々だ、と話していた。


「言葉はやっぱり違うな」

 当たり前か、と江間が小声を漏らした。その彼が自分へと視線を移し、目を眇めたことにも気付かず、郁は両眼を見開いて神官たちを見つめる。


(一体何がどうなっている……?)

 郁は祖父の話を聞いて、ディケセルの脅威はイェリカ・ローダぐらいで、平和で穏やかな国なのだろうと思っていた。隣国のバルドゥーバとも、彼の国の王子がディケセルの王女であった父方の祖母トゥアンナと婚約する程度の仲ではあったはずだ。

 昔シャツェランに、祖母の婚約破棄によりバルドゥーバとの関係は悪化したと聞いたし、祖母がいた頃より国力が落ちているようだったが……ディケセルの王子が自国に背いてバルドゥーバを利する? そして、そのバルドゥーバからも捨てられようとしている?

「……」

 先ほどのあの子の荒んだ目つきを思い出した瞬間、“イラナイ子”という言葉が思い浮かんだ。実の親が郁に向けてきた視線を思い出して、胃の腑がギュッと縮む。


 冷や汗が流れそうになったところで、落ち着け、と郁は自分に言い聞かせた。今は、そう、言葉の話だった。

「それこそ魔法か、耳なし青猫ロボットのこんにゃくみたいなのの存在に期待するしかないんじゃないか」

 郁はなんとか江間に軽口を返すと、拳を握りしめた。あの子は多分シャツェランの弟か甥か、その辺だろう。どのみち自分には関係のない話だ。自分がこちらの血を引くなどと、間違っても知られては困るのだ。


「お前があのこんにゃくを知っているとは意外な……どうした、宮部?」

 郁は踏み出しかけた足を、神官らへと向け直す。そして、蔦で腰に吊るしていた化け物の一部だった鎌を手に取った。鎌の持ち手部分の鱗のじゃりっとした感覚が手のひらに伝わってくる。もう片方の手には三叉の枝を握った。


「あの荷物、盗んでくる」

「は?」

 これはディケセルのためでも、あの子のためでもない。自分がこの先生き残るのに必要だから、それだけだ。

「正気か……」

「食料も欲しいけど、彼らはこちらの世界の人間だ。この森を抜けるのに必要なものを持っているはずだ」

 口をぱっくり開けた江間の顔を、彼の顔を崇拝する女性たちに見せれば、きっと幻滅するだろう。


「ここを打ち据えれば、死なないまでも気は失う」

「知ってる。けど、さすがに道徳心が……」

「見ていていい。ただ手間取ったら、足止めだけして。頼りにしている」

「隠し事だらけの癖に都合よく頼るなよ……」

「じゃあ、隠れてて」

「……俺もやる」

 盛大にため息をつきながらも、郁と一緒に神官たちの様子を窺い始めた江間を、ふと不思議に思った。彼は実はものすごくお人よしなのではないだろうか?


「なあ、あいつら、人類、そもそも哺乳類だと思うか?」

 ――そうだ。基本的な身体能力は、どっちの人間も大差ない。生殖可能で、その子も生殖能力を持つ、つまり生物学的に同種だ。

「……哺乳するかどうかはともかく、あちらでいう哺乳類に似た生物はこっちにもいた」

「一昨日食ったやつか。じゃあ、あれもその仲間だとして――となると、身体能力が極端に高いという可能性は低いな」

「筋組織や神経組織が同じと仮定すれば、体格と体型が似たり寄ったりなのに、飛躍的に特定の能力が高いということは考えにくい」

「筋肉はこっちの哺乳類もどきも一緒に見えたが、なるほど脳が違っていれば、反応速度なんかは違ってくるかもしれないな。まあ、俺たちより鈍いことを祈るか」

 既知の事実をまるで推察であるかのように答えた郁に気付かず、江間は肩をすくめる。そして、こちら来てから常に携帯している長めの棒を正眼に構えた。


「……剣道」

「代々の趣味でガキの頃から強制的に。そうそう使うことはないと思ってたけど、人生わかんねえもんだな」

 江間が呼吸を整えていく。隙のない構えと鋭利な目つきは、普段の軽い様子からは想像しにくいものだ。

(やっぱりかなりやり込んでたのか)

 その様子を横目に、郁も鎌と三叉の枝を構え直した。祖父に教えてもらった『スオッキ』が、彼の祖国の人間にどこまで通じるかはわからないが。

「……」

 両手に武器を持った郁に、江間が一瞬鋭い視線を注いだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る