第9話 由梨の望み
「え? え!? たっくん?」
驚いたように、由梨が男性を見上げる。由梨が名前を呼ばなければ、和季にはわからなかった。ちょっとした変装といった感じの姿だ。だが、和季はあまり驚かなかった。昨日の様子を見ていたら、彼が由梨を一人で歩かせるとは思えない。
「死んだのに幸運だとか言うなよ! 幸運なわけないだろ!?」
「え、と、どうしてここに」
感情が抑えきれない様子で怒鳴る汰一に、由梨が困ったように問い掛ける。
「時間が限られてるんだから、ずっと一緒にいたいに決まってるだろ! それにまたなんかあったらと思うと心配で……」
で、後をつけてきた、ということらしい。由梨の死亡原因は交通事故。生き返りが三日経過する前に再び死亡することは無いが、心配になるのはわかる。本当は三日間ずっと一緒にいたいと思っているに違いない。
和季だって、汰一の立場ならそう思うに違いないからだ。短い時間を無駄にしたくはない。
「たっくん、ちょっと落ち着いて。ほら、とりあえず座って」
由梨に促されて、汰一は彼女の隣に腰を下ろした。和季は二人と向き合う形になる。いくら周りから見えにくい構造の席になっているとはいえ周りの客からの視線は感じる。だが、汰一にはそんなことを気にしている余裕は無さそうだ。
「もう、たっくんてばしょうがないなぁ」
由梨が苦笑している。だが、本気で嫌がっている訳ではなさそうだ。
「お前、なんでそんなに落ち着いてるんだよ」
喉から絞り出すように、下を向いたまま汰一が言う。
「そう、見えるかな」
「ずっと落ち着いてるだろ」
「……」
由梨が悲しげに目を伏せた。
「結婚式はしても婚姻届は出さなくていいなんて、親の前で自分から言い出すし。もうすぐいなくなるからか? だからもう、どうでもいいのか!?」
「どうでもよくなんて、無い」
きっぱりとした声だった。
「どうでもよく無いから、出さないって言ったの」
「それって、どういう……」
「だってね。私はもうすぐいなくなるけど、たっくんはこれから先も生きていかなきゃいけないんだよ」
由梨は汰一に向かって微笑んだ。とても綺麗で強い微笑みだった。
「明日が結婚式なのにこんなこと言うのおかしいけどね、いつか他に好きな人だって出来るかもしれない。私は邪魔になりたくない」
「由梨以外好きになんてならない!」
「うん」
「だから、そんな心配しなくていい」
「うん」
「お前と離れたくない」
「うん。……でもね、人生は長いんだよ」
「それでも、お前だけなんだよ! 信じてくれないのか!?」
「違う!」
穏やかに頷いていた由梨が急に声を荒げる。目には涙が浮かんでいた。
席を外すタイミングを逸してしまった。完全に和季は邪魔者だ。もしかしたら、二人の目にすら入っていないかもしれない。もはや気配を殺して空気に徹するしかない。
「私は、私がいなくなってもたっくんには幸せでいて欲しいの」
「でも、結婚してないと同じお墓にも入れないし。だから、」
「そんな先のことまで考えてるの?」
由梨が泣きながら笑う。
「結婚式の前日にお墓の話なんて縁起悪いんだから。たっくんはすぐにこっちに来ちゃ駄目なんだよ。ちゃんと長生きしてくれないと。それにね、そんなことで悩むくらいなら、私、お墓はいらないから」
「え?」
「海に撒いて欲しいって思ってるんだ」
「……お前、何言ってるんだ?」
「昨日から少し考えてたの。あの石の下よりは海がいいなって。いつかたっくんが年を取って私のことをまだ、ずっとずっと好きだったら、その場所に来てくれればいいなって。私に会いたくなったら、いつでも会いに来てくれればいいんだよ。二人で行った思い出の海とかよくない? そういうのテレビで見たことあるんだ」
由梨が和季の方を見る。急に目が合って少しどぎまぎした。恋人同士の会話を聞かされて、かなり気まずい。
「ね、萩本さん。そういうの出来ますよね?」
「は、はい。きちんとした業者に依頼すれば、そういったことは可能、だと思います。あまり詳しくないので調べてみないと確実なことは言えませんが」
突然話を振られると焦る。存在を忘れられていた訳ではないようだ。
「そういうのドラマの中だけじゃなくて、本当に出来るってことですね」
「断言は出来ませんが、おそらく」
由梨は嬉しそうに頷いた。それから、汰一の方を向いて微笑む。
「海は広いからね、私はどこにでもいるってことになるんだよ。だから、淋しくないよ。お父さんとお母さんにも話そうと思う。きっと、最後の頼みだから聞いてくれると思うんだ。死んだ後に自分でこういう意見を言えるのってすごいことだと思わない? ほら、やっぱり、生き返らないよりはずっと幸せだよ」
汰一は言葉を失っている。
「あの、すみません。こんなこと頼んでいいのかわからないんですが」
由梨が言いにくそうに切り出す。
「散骨のこと、調べてもらうことって出来ます? よかったら手続きのこととか。多分、私達にはその余裕が無くて」
「大丈夫です。任せてください」
和季は頷く。こういうときのために、和季はここにいるのだから。
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