第18話


 ダークは弟とは似ていないし、スウィーテンの一族にしては社交性もないが、この能力を見ると、やはり彼女も王家の人間なのだとわかる。元々、スウィーテンの虫使いは、情報収集のために使われる能力だ。交渉相手の悪意を暴いたり、嘘や危険を察知するためのものだが、こんな使い方を聞いたことがない。こんなに自由に操れるものなのだろうか。それに、ダークが使うと、虫でさえこんな風に攻撃的になるのだなとマリーは感心した。

「マリー様、早く早く」

 バトラーがマリーを急き立てる。マリーのドレスは走りづらい。かといって、ルルみたいにバトラーはマリーを担いで走れるだけの体力はない。

「何か手はないの?」

 マリーが尋ねると、バトラーは息を切らしながら首を捻った。

 やがて、マリーとバトラーは虫に追いつかれた。

 バトラーが必死に虫を踏み潰すが、数が多すぎる。やがて靴からズボンに乗り移り、服の中に入った。バトラーは服を脱いで踊るように虫をかき出す。身体中から血が流れていた。

「バトラー!」

 マリーが戻ろうとするが、バトラーはそれを手で制した。

「逃げてください、マリーさ……」

 言い終わる前にバトラーは虫に覆われた。

 ルルはそれを見て「あなたのところの護衛はバカね」と笑った。余裕そうに見せているが、彼女の息が上がっていることにマリーは気づいていた。

「あんた、強いんでしょう。戦いなさいよ」

 マリーが声を荒げた。

「無理無理。人間相手ならいくらでも戦うけど、虫はムリィ〜」

 絶叫に似た心の吐露だった。

 マリーとルルとジジは、城の外まで逃げたが、中庭で虫に囲まれてしまった。

「もうダメだわ」

 マリーがつぶやいた。どこを見回しても虫、虫、虫ーー地獄のような景色である。これが夢ならばどれだけ良いだろう。

 空は陽が落ちかけていた。中庭には篝火が焚かれている。その光を反射して、虫は一層気味悪く見える。

「貴方たちも、少しは絶望というものがわかったかしら」

 城から、ゆっくりとダークが歩み出てくる。彼女の歩く場所だけ、虫が綺麗に避けていった。

「わ、私は何もしていないじゃないの」

 マリーが叫ぶ。それを聞いて、ダークは目を剥いた。

「何もしていないですって? よくもそんな恥知らずなことが言えるわね」

 ダークが金切り声で叫ぶ。

「私は今まで、絶望ばかりの人生だった。己の人生を呪ったわ。でもね、私の絶望には意味があった」

 ダークが胸に触れる。淡く光るのが見えた。

 ダークはにやりと笑うと、また奇声を上げた。すると、虫が大挙してマリーに向かってきた。

「えっ、ちょっと、無理無理」

 マリーは逃げようとしたが転んでしまった。膝から派手に血が出たが構わず這うように逃げる。しかし、当然虫の方が速い。

 もうだめだーー押し寄せる虫の大群に、マリーは観念して頭を抱えた。ギュッと目を瞑る。今までの人生が走馬灯のように頭を駆け巡った。城下の罪人を、バトラーと一緒に切り刻んだこと。無礼な使者を切り刻んだこと。自分の命を狙った暗殺者を切り刻んだこと。その暗殺者を差し向けたいとこの家族を全員切り刻んだこと。

 そして、自分がフランクライヒ家に迎え入れられた日のこと。

 あの日のことを思い出すと、マリーの全身に怒りが満ちる。

 世界のすべてを憎んだ日。

 生まれたことを憎んだ日。

 必ず世界に復讐しようと心に決めた日。

「まだ死ねない!」

「願いは聞き入れた」

 胸の裡から声が聞こえた。

 その瞬間、虫がマリーの体を覆った。


「マリー!」

 ジジがマリーに駆け寄ろうとしたが、それをルルが止めた。

「ジジ様、もう手遅れです」

「放しなさい。マリーが死んでしまう」

 マリーが死ぬなんて、絶対に嫌だった。マリーはジジの大切な片割れなのだ。誰にも打ち明けたことはないが、ジジは心からそう思っている。ルルは気付いていたが、あえて尋ねはしなかった。だから、マリーがこうなってしまったらジジが命を投げ出して助けるだろうと言うことも予想していた。

「だめです。貴方はグロスアルティッヒなんですよ。責任があるんです」

 グロスアルティッヒの責任。何度も何度も、子供の頃から言われてきた。しかし、そんなものはマリーの命に比べれば些細なことだ。

「マリー一人助けられないなら、グロスアルティッヒなんて意味がない」

 ジジが取り乱すのはいつものことだが、いつもとは気迫が違う。自慢のお下げ髪を振り乱し、口の端から泡を吹いている。彼女のこだわる美を捨てた取り乱し様だ。

 マリーに覆い被さる虫が増えて行く。それを見て、ダークが狂ったように笑った。

 ジジはダークを睨み付ける。

「絶対に許さない。貴方、殺すわ」

 ジジは全身の毛が立ち上がるような感覚に襲われる。

 こんなに細い体のどこに力があるのか、ルルはゾッとした。圧倒的にルルの方が腕力は上のはずなのに、ジジを抑えておくことが出来ない。少しでも力を抜いたら負けてしまう。ピンと張ったゴムのように、今の彼女は力をためている。

 もう抑えていられない、とルルが諦めかけたとき、突然、マリーを覆っていた虫が燃えた。

「は?」

 声を発したのはダークだった。

「マリーが燃えてしまう」

 ジジが叫んだ。

 虫を焼く炎は、どんどん大きくなって行く。

「なんなの、どういうこと」

 ダークがうろたえた。何が起こっているのか、この場の誰もわからなかった。

 目を開けていることすらつらいほどの炎の中から、何かが這い出てきた。

「マリー?」

 ジジが喜びの声を上げる。しかし、それが人間ではないとわかったとき、ジジの歓喜の表情は絶望に変わった。それは人の形をしていなかった。

 虫だ。芋虫のような形をしたものだった。それが焼けて石膏のように堅くなっている。

 ダークの表情が安堵に変わった。虫が姿を変えたに違いない。だって、あれはまるでーー。

「サナギ?」

 ジジが呟く。急に、体の力が抜けてしまった。ルルの腕の中で、ジジが脱力して行くのを感じる。先程までの力が急に失われたようだった。

「もうだめね」

 ジジの口から弱音を聞いたのは初めてだった。いつだって彼女は諦めないはずだった。それが彼女のアイデンティティだ。

 絶体絶命だ。ルルは頭をフル回転させた。ジジは諦めてしまった。ダークに敵う術はない。生き残るには、逃げる以外にない。

 チラ、とルルは中庭の先を見た。城門まではかなり距離がある。城の様子がおかしいことに気付いた使用人達が集まってきていた。

「マリー」

 抜け殻のようになってしまったジジが呟く。この状態のジジを担いで逃げるのは難しいだろう。

「間抜け面ね」

 マリーの声だった。

「マリー?」

 ジジが顔を上げる。

 幻聴だろうか、とルルは思ったが、ジジにも聞こえていたようだった。一体、どこから聞こえたのだろう。目の前には、謎のサナギと燃える虫の山しかない。あの炎の中で、マリーが未だに生き残っているなんて考えづらい。

 ルルが考えていると、目の前のサナギにひびが入った。割れ目から液体が漏れ出す。

「マリー」

 ジジはおかしくなってしまったのだろうか。先程から、マリーの名前を呼ぶことしか出来ないでいる。それに、あんな虫の出来損ないがマリーのはずがない。ルルはサナギに向かっていこうとするジジを抱き留めた。

「ジジ様、気を確かに」

「嫌よ、離して」

 暴れるジジを抱きしめながら、ルルは正体を現そうとするサナギの中身を見つめた。

「蝶ね」

 ダークが嘆息を漏らした。サナギの中から、白く発光する羽が立ち上がった。その光に見覚えがあった。

 妙に胸がざわつく。神々しい光のはずなのに、ジジとダークは胸騒ぎがした。自身の胸に宿ったあの光の存在を苦しいほどに感じていた。

 果たしてサナギが割れて出てきたのは、光に包まれたマリーだった。

「ああ、マリー。無事だったのね」

 ジジの目から大粒の涙がこぼれた。

「何よその顔。貴方らしくないじゃない。それに、私が死ぬと思ったの?」

 ジジは首を振る。

「思わないわ。だって、貴方を殺すのはワタクシだもの」

 ジジがマリーに抱きついた。

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