第16話




 ジジからの案内が来たとき、マリーは「げっ」と声に出してしまった。この手の招集がかかることは予想していた。未だ寝台から起き上がれないクロヴィスも、その準備をしておけとマリーに指示していた。彼はもうすっかり王座を譲った気でいる。まだ、何の手続きもしていないのに。しかし、彼にとっては、あの鍵をマリーに受け継いだ時点で、自分の役目が終わったと思っているのだろう。手続きなどは形式上のものだ。誰がやっても良いのだ。とはいえ、フランクライヒには、まだマリーかイザベルか選ばれていない。いつ選ばれるのだろうか、クロヴィスが死んだ時だろうか。

 マリーは胸に手を当てた。あの光の力を、今は感じない。それでも、確かにそこにあることはわかる。

 ジジからの手紙には、王座の引き継ぎについても書かれていた。そのものズバリは書かれていないが、次期国王、女王の光を宿す皆様へと書かれていた。それを読めば、わかるものはわかるだろう。

 ジジとブルードは当然として、フィリップはまだ昏睡から目覚めたとは聞いていない。ただ、スパニエン国の次期国王はフィリップの姉のはずだ。だから問題ないと踏んだのだろう。名前をなんと言ったか……男勝りの豪傑で、ナヨナヨした優男のフィリップよりも、よほど男らしい人だった。彼女はブルードと同級だったはずだ。あの二人が仲良くしているところは想像できない。

 それと、スウィーテン国のダーク。彼女はマリー、ジジと同級である。ダークには双子の弟がいて、非常に社交的であることが印象に残っている。元々、スウィーテン国は外交を得意している国である。弟が社交的なのはわかるが、次期王女であるはずのダークは社交性のかけらもない。まともに話しているのを見たことがない。

 なんにせよ、ジジがやると言っているのだ。マリーに拒否権はない。観念してさっさと返事をしてしまったほうが、彼女の機嫌を損ねずに済む。

 それから数日は平和だった。


「ダークから返事が来ないの」

 またしてもアポイントメントなしでやってきたジジが、バルコニーでティーカップを傾けながらぼやく。返事を出したくない気持ちもわかる。

「あの子のことだから、手紙の前でウジウジしているんじゃあないの」

「そうねえ」

 ジジは頬に左手の甲をあて、首を傾げた。

「迎えに行きましょう」

 まるで名案を思いついたように目を輝かせ、ジジは立ち上がった。その目は真っ直ぐにマリーを見ている。

 嫌な予感がする。

「きっと、ワタクシ達に気兼ねしているのよ。可哀想に」

 心から慮るような顔で、ジジがいう。彼女の場合、本気でそう思っているところがタチが悪い。

「忙しいんじゃないの。スウィーテンだって国王が襲われて伏しているというじゃない。国をまとめるのは大変だってあなただってわかるでしょう」

「ワタクシにはお兄様がいるから」

 あっけらかんというところが、彼女らしい。彼女には優秀な兄がいるが、マリーの国にもダークの国にもブルードはいないのだ。

 マリーはもうずっとクロヴィスに代わって国を治めることが大変だと感じていた。とはいえ、マリーも面倒なことはイザベルに全部放り投げている。ジジのことは言えないはずだが、やはりそこは似たもの同士なのである。

「迎えに行ってあげましょう」

 嫌な予感が的中した。行きたいならどうぞ一人で、と言いたかった。しかし、ジジの期待した目がマリーに思ってもいないことを言わせる。

「そうね、私たちで迎えに行きましょう」

 言ってから後悔した。

 そもそも、ジジと一緒にスウィーテンへ行くのも嫌だったし、ダークに会うのも嫌だった。そもそも、率先してダークにちょっかいを出して揶揄っていたのは、ジジなのだ。どの面を下げて迎えに行くと言っているのだろうか。ジジが迎えに行くなんて、むしろ逆効果でしかない。

 一緒に行きたいと言うイザベルを置いて、マリーは馬車に乗った。

 馬車では、ジジとルルが隣同士に座る。ルルは足が長くて、向かい合ったマリーは邪魔だと思った。

 マリーの付き人としてついてきているバトラーが、ずっと歯をむき出しにして笑っていた。ルルを威嚇しているつもりなのだろう。この馬車にいる誰もが気にしていなかった。彼の考えていることは、マリーにもわからない。とにかく自分より強い人間に対して強い敵意を持つのだ。罪人の中でも腕っ節の強いものを相手に無法を行っているのも知っている。バトラーが完膚なきまでに敗北したところを、マリーは一度しか見たことがない。相手はルルの父である。未だに根に持っているのだろう、クロヴィスがグロスアルティッヒ国へ行くときはついて行きたがる。わかっていてクロヴィスは連れて行かないが、マリーが女王になったときには連れて行かざるを得なくなるだろう。そうなったら粗相をしないか不安である。

 窓の外を見る。ここはもうスウィーテンの領土である。関所のようなものはない。連合国内は自由に行き来できる。遠くにスウィーテン本国の城壁が見える。それを見ると、嫌でもダークのことを思い出す。


 ダークは名前の通り、根暗な女だった。ジジやマリーは大国の第一王女らしく、派手好きな女だった。ダークは逆で、いつも地味な格好をしていた。

 学校に通うことを許された女性は多くない。王族か有力な貴族の娘くらいだ。それでも、わざわざ学校へ通うような奇特な女は少なかった。そんな中、四大王家の子女は学を修めることを義務づけられていたこともあり、それぞれの国の王女はグロスアルティッヒにある、大陸随一の学校に通っていた。奇遇なことに彼女ら、ジジ、マリー、ダーク、ダークの弟リブスタ、スパニエン国のフィリップは全員同学年であった。ダークの弟リブスタは過保護な弟で、いつも姉を気にかけていた。いつも姉の世話ばかりしていて、マリーは彼のことが苦手だった。それはジジも同じだったらしい。ジジとマリーがダークにちょっかいを出すのは、リブスタがいないところだけだった。いつからか、ダークはリブスタから離れなくなったので、ちょっかいを出すことはなくなっていった。

 最初の頃は、ジジとマリーはダークを小さい声でボソボソ喋る変な女だと思っていた。大人しいことを良いことに、ジジやマリーがダークにちょっかいを出していた。

 ジジはよくダークに毒を飲ませて試作の実験をした。マリーもダークを虫でいっぱいの水槽に突き落としたりした。彼女の指の骨を折ったのは自分だったかな、とマリーは思い出していた。彼女らは断片的にダークのことを思い出している。それくらいしか、彼女の印象がない。しかし、実際はもっとえげつない行為をダークにしていたことを、彼女らはすっかり忘れてしまっている。

 城門の前には入城のための行列ができていたが、馬車は彼らを素通りして門の中へ入って行く。グロスアルティッヒ国の紋章が付いた馬車を、うっかり引き止めようものなら首が飛ぶことを門番は熟知していた。

 ジジは窓から門番に向かって手を振る。全員が馬車が見えなくなるまで敬礼をし続けた。

 王城には城のものがずらりと列をなして歓迎した。ジジは彼らを一瞥すらせずに城の中に踏み込む。迎えに出た執事すら無視した。この城のことなら勝手知ったるとでも言わんばかりである。城の作りは各国でほとんど同じだからである。それは、恐らく地下の霊に秘密があるのだろう。

「何しに来たのよ」

 王室へ向かう階段を上ろうとすると、階上から男の声が降ってきた。見上げると、ダークの弟リブスタと、その後ろにダークが隠れていた。

「と、姉が言っています」

 ニコリと爽やかな笑顔を向ける。あの爽やかさが苦手である。リブスタといい、フィリップといい、どうして王子達はあんなに爽やかなのだろう。例外なのはブルードだけである。

 リブスタの後ろから、ダークが何か囁く。

「帰れ、と姉が言っています」

 リブスタがニコリと笑う。言葉と表情があっていない。癖のある栗毛が可愛らしく、少年の面影を残している。後ろに隠れている根暗女とは正反対である。本当に姉弟なのか疑問である。

「黙りなさい。このワタクシがここまで来てやったというのに労うことすら出来ないのかしら。出来損ないの根暗女」

「まあまあ、ジジ様。落ち着いて」

 階段を上ってきて顔をのぞき込むジジとダークの間に、リブスタが体を滑り込ませる。

「黙りなさい。それか死になさい」

 ジジがリブスタをじろりと睨む。この可愛らしい男の子にそんなことがいえるのは、世界広しといえどジジだけだろう。何歳になっても変わらないなとマリーはジジを見て思う。

「ふふ、ジジ様怒ってますね」

 まるで楽しんでいるみたいに、ルルがマリーに囁いた。

「ギャア!」

 バトラーが吠えながらマリーとルルの間に体を滑り込ませる。過保護な男がここにもいた。

「どいつもこいつも面倒くさい」

 バトラーがルルに向かって歯をむいている。

「やめなさい、バトラー」

 バトラーは威嚇の表情のまま、マリーの後ろに下がる。

「よく躾けられた犬ですね、マリー様」

 ルルが笑う。笑い終わる前にバトラーが殴りかかった。ルルはそれを身軽に避ける。

「あんた達まで……」

 マリーは頭を抱えた。

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