第15話


「ブルード様からうかがっております」

 先ほどの女と同じことを、今度はローブを着た太った男が言った。女の二倍くらいの身幅があるように見える。これだけ大きな体を覆い隠すのに、どれだけの布が必要になるのだろうか。それとも、魔法で布を大きくできるのだろうか。

 男の声はしわがれていて、いかにも魔法使いといった喋り方だった。つまり、おとぎ話を読み聞かせるときの老執事の話し方といえば、誰もがわかってくれるだろうとジジは思った。今度マリーに会ったときの土産話にもってこいだ。そんな声なのに、肌がツルツルで、年寄りと言うには若く見えた。若いと言うには老けて見える。不思議な顔つきである。

 通された応接室は、ブルードの執務室とそっくりだった。きっと、ここを担当していたときに、ブルードがそうさせたのだろう。彼の部屋と決定的に違うのは、なにやら不穏な臭いがするところだ。

 この臭いの感じは知っている。

 毒だ。

「これから、ワタクシを殺すつもり?」

 唐突に言ったものだから、太った男は慌てて両手を振った。向かい合ったソファに、ジジはどっかりと腰を落ち着かせ、足を組んでいた。組んだ腕をほどいて、細い指先を湯飲みに向ける。

「め、滅相もございません」

 語尾に向かってどんどん語気が弱くなっていった。汗っかきなのか、ローブの中にハンカチを持った手を突っ込んで、せかせかと顔を拭いた。

 毒の臭いがするのは、目の前のローテーブルに出されたお茶に違いないとジジは思っていた。彼らのような得体の知れない人間が出したものなんて触りたくなかったので、確かめようがないが。

「この臭いは、魔法の触媒の臭いです」

「触媒? そんなものが必要なの?」

 再び腕を組むと、顎をそらして見下ろすように男を見た。男は逆に、ソファの中にめり込んでしまうのではないかと言うくらい縮こまっていた。

「ええ、我々魔法使いは、何もないところから何かを生み出すことは出来ません。材料の質と、魔法の質は、きっちり等価なのです」

 ジジはため息をついた。夢のない話だ。ジジの想像では、何もないところから何でも取り出せる、まさに錬金術のような技術だと思っていたのだ。

「それじゃあ、科学と変わらないじゃない」

 この言葉に、男は何度もうなずく。

「はい、はい。魔法は科学でございます」

「白けちゃったわ」

 ジジは一気に興味を失ってしまった。

「まあまあ、見たらすぐにわかります」

 言って、男はなにやらガサゴソと袋から取り出す。その視線に気付いたのか、男はニヤリと笑った。

「これはドラゴンの爪とマンドラゴラの根です」

 ドラゴンの爪、という言葉にジジは少し反応してしまった。しかし、白けたと言ってしまった手前、こんなにすぐ食いつくわけには行かない。その心境をルルはわかっていて笑いをこらえている。

 男は大仰な動作でグネグネと体を動かし、何やら呪文を唱え始めた。ローブの女がカーテンを引く。部屋の中が真っ暗になった。

 まるで奇術の演出だ。そう思った瞬間。

 ボッ、と目の前が明るくなった。

 火だ。火の柱だ。

 目の前に突然、火の柱が出現した。その光で、男の顔が照らされる。まるで悪魔のように見えた。

 ジジは驚嘆の声を上げた。

 火の柱はすぐに消え、それを合図にカーテンが開けられる。

「いかがでしたでしょう」

 男の顔は、先ほどまでと同じだった。

 ジジの胸はまだドキドキしていた。

「今のは何ですの?」

「火の魔法です」

 見たままだった。

「もちろん、触媒の質や量によっては、辺り一帯を焼き尽くすほどの力を現すことも出来ます。今のは、まあ、デモンストレーションと言ったところでしょうか」

「ワタクシでも出来るのかしら?」

 前のめりになって質問する。ギュッと握った手に、汗をかいていることすらジジは気付いていなかった。その様子を見て、男は満足そうに頷いた。

「もちろん」

 それを聞いて、ジジは立ち上がる。

「さあ、教えてちょうだい。ワタクシも魔法を使えるようになるわよ」

 ジジはルルを振り返って言う。すさまじい早さの手のひら返しだなと思って、ルルは我慢できずに吹き出してしまった。

「頑張りましょう、ジジ様」

 誤魔化すように、ルルはジジの手を取って、まっすぐにジジの目を見ると励ました。が、また吹き出してしまった。ジジは興奮していて、ルルが笑ったことすら気付いていない。

「喉が渇いたわね」

 先ほどまで、得体の知れない毒だと言っていた湯飲みを掴んで、ジジは無造作に飲み干した。

「あら、美味しい。これも魔法?」

 ジジが甲高い声で言う。よほど美味しいものを口にしたときの声だ。最近は聞いていなかったが、この声が出るのは久しぶりである。

「ええ、そうです」

 男が自慢気に説明を始めようとした。

「これはですね……」

「ちょっと待って」

 ジジがそれを遮る。

「これは……お酒ね?」

 今まで味わったことのない、清涼なる液体だった。微かに鼻腔をくすぐるフルーティな香りと、飲み込んだ後に鼻から抜けてゆく花の香りとが脳を混乱させる。植物なのか果実なのか。

これは酒に違いない。ジジはルルの分まで勝手に口をつける。今度は一気に飲み干さず、舐めるように飲んだ。

「うん、きっとそう。お酒よ」

 湯飲みから顔を上げると、男の顔がやたら歪んだ、不自然な顔に見えた。若いのか老いているのかもわからない。

「お酒を作る魔法ね」

 意気揚々と男に指を突きつける。

 男は気まずそうに頬をかくと「いやあ」と言葉を濁した。

「まあ、酒という見方もあるかもしれませんね」

 ルルがジジから湯飲みを奪って口をつける。なるほど、フルーティで飲みやすい。飲んだ後に何か脳を侵されるような感覚は、酒に似ているが、酒と表現するには違和感があった。

「気分を楽にするような作用のある水です。酔ったりはしません」

 口に含むたびに、口の中に花が咲くようだ。氷が入っているわけでもないのに、冷たい花が口の中で弾ける。

「ソーダ水ですよ」

 ソーダ水は知っている。古くは、天然の温泉や鉱泉の発砲したものに果汁を加えたものだったはずだ。しかし、これはソーダ水と言うには美味しすぎる。

「これは真珠を果汁に入れて溶かし、真珠の主成分である炭酸カルシウムが酸に溶けて発生する炭酸ガスで作ったソーダ水に、さらに魔法をかけています」

 話を聞きながらも、湯飲みを傾ける手が止まらない。何故湯飲みなのだろう。グラスの方が飲みやすそうだ。湯飲みの底に丸いものが見える。これが真珠だろうか。なるほど、グラスだとこれが入っていることが最初からわかってしまうから隠していたのか。

 ジジが喉を鳴らす。舌先に甘みを感じた後、喉を通る爽やかさとわずかに感じる酸味が脳を溶かすようだ。一体、どんな魔法をかけたらこんな味になるのだろう。

 もう口の中には残っていないはずなのに、余韻で舌が痺れる。

 口から唾液なのかソーダ水なのかわからないものが垂れる。

「ジジ様、ちょっと、ジジ様。大丈夫?」

 ルルがジジから湯飲みを奪おうとすると、獣のようにジジがうなり声を上げて威嚇する。

「おい、何を飲ませた」

 ジジが振り上げた腕を押さえながら、ルルは男に尋ねた。その隙に、ジジがルルに噛みついた。まるで獣だ。

「ソーダ水ですよ」

 男は同じように言った。

 なおも攻撃的なジジはルルの腕に噛みつく。ルルが怪我するだけなら良いが、このままではジジの歯が折れてしまうだろう。人間の歯はそんなに強く出来ていない。そうなってしまっては、ジジに傷が残ることになる。それだけは絶対に避けねばならない。

 ルルは舌打ちをしてジジの顎を軽く殴った。ジジの脳が揺れて、ルルに向かって倒れ込む。

「許してくれよ、ジジ様」

 ルルはジジをソファに寝かせると、男のローブをねじ上げた。

「ぼ、暴力はおやめください」

 男は怯えたように両手を挙げる。降参のつもりだろうか。

「やめるはずないだろ」

 ルルが男を殴る。見た目の通り、分厚い肉の感覚。いや、ゴムボールだろうか。妙に弾力がある。手応えはあるのだが、ダメージを与えられている感じがない。あまりにも反発が強すぎる。

 男が何か言おうとするが、ルルは殴る手を止めない。

 何かおかしい。男はダメージを受けているように見えない。

 先程のローブの女が部屋に入ってきた。まあ、という口をして見せたが、止めようとはしなかった。

「何なんだ、お前ら」

 ルルは男をローブの女に投げつける。

「その細腕のどこにこんなに力があるのだろう、物理法則が通用しないのか」

 投げ飛ばされて、男はのんきにそんなことを口にしていた。男はローブの女にぶつかって、女を押しつぶした。

「やっべ」

 殺しちまったか、とルルは焦った。だが、男の下で女がもぞもぞしているのを見て、安堵のため息をついた。

 男は床の上をゴロゴロと転がって、起き上がりこぼしのように勢いよく立ち上がった。

「何なんだよ……」

 ルルがつぶやく。


「落ち着きましたかな」

 ローブの男はソファに座り直して、ルルを見た。あれだけ殴られたのに、痣一つない。ルルは無意識に袖口に隠している刃を撫でた。不穏な目つきになっていることに、本人は気付いていない。

 ジジは目を覚ましたが、不機嫌になって口をきいてくれない。

「それで、何飲ませた」

 ルルがジジを指で示しながら言う。

「本当に、おかしいものなんて入っていないんです。ちょっと魔法をかけたソーダ水です」

「そのちょっとかけた魔法が問題だって言ってんだろ」

 再び拳を振り上げると、男は震え上がる。ダメージはないくせにーールルは振り上げた手を下ろした。

「美味しくなる魔法ですよ」

 ローブの男の隣に、ローブの女が座っている。彼女が答える。

「精神操作か? 薬物か?」

「いえいえ、そんな物騒なものじゃあありませんよ。ただ、好き嫌いをする子供に野菜を食べさせるために開発された魔法でして……」

「はあ?」

 バツが悪そうに男がはにかむ。

「そんなこと信じられるか。副作用は?」

「ないない、そんなものありません」

 男が首を振る。顔の肉がぶるんぶるんと震えた。嘘をついているようには見えなかった。

「とりあえず、ジジ様は無事なんだな」

「ええ、もう魔法の効力は切れていると思います」

 ジジを見ると、手をひらひらさせている。

 ルルはうんざりした。一体なんなんだ、こいつらは。

「ジジ様、どうします?」

 ジジは頬杖をついていたが、ふう、とため息をついた。

「魔法の効果はわかったわ。とりあえず、もっと実用的な魔法を開発しましょう」

「いや、この魔法はすごく有用で、私の子供なんか……」

「うるさい」

 男が得意になって説明しようとしたのを、ジジがピシャリと止めた。

「貴方たち、今、この国がどういう状況かわかっていて?」

 ジジがじろりと睨む。男と女は気まずそうに顔を見合わせた。

「敵が攻めてきているの。それに、私たちが一番にしなくちゃいけないのは王を探すことでしょう?」

 ジジが二人を交互に睨む。

「そういう魔法はないのかしら」

「あのう……」

「なに」

 ジジが鋭く睨み付ける。

「片方の靴をなくしたときに見つける魔法ならあります」

 ジジは男の顔の中心に湯飲みを投げつけた。


「そういえば、あの男の名前は何だったかしら」

 プリプリと怒りながらジジは言った。捜索の魔法を作れと指示して、ジジは建物を後にした。

「ヤッパリ聞いていなかったんですね。局長の方がマギル、秘書がマギナです」

 あの男は局長だったのか。考えてみれば、王女が来るのだから、局長が対応するのは当たり前か、などとジジは的外れなことを考えていた。

「あの秘書も魔法使いなんでしょうね」

「あそこのスタッフは、みんなマギナの分身らしいです」

「へえ、魔法ってそんな便利なことにも使えるのね。もっと普及すれば良いのに」

「それも聞いていなかったんですか。魔法が世に広まったら、倫理が失われて大変な混沌が起こるから国が管理しているんですよ」

 ジジは自分の興味のあることしか聞かない性質がある。彼女に倫理を説くなんてことは無駄であった。

「ふうん、そうなのね」

 興味なさそうに答える。

「ほら、そういうところ。良くないですよ。これからはジジ様が魔法局を背負って立つんですから」

 ジジはあまりにも興味がなさ過ぎて、自分の髪の毛を指先で遊び始めた。

「お説教は嫌」

 ジジが口をとがらせる。

「なんで、たった二人しかいないのかしら。しかも、あんなぼんくらしか」

「魔法って難しいらしいですよ」

「あんなぼんくらが使えるのに?」

 辛辣である。

「よく彼らは怪我をしなかったものね。ほら、貴方が滅茶苦茶に暴力を振るってもケロリとしていたじゃない」

 自分がしたことを棚に上げて、とルルは思ったが黙っていた。

「それも魔法でしょうね」

「便利なものね。ほしい魔法はないけれど」

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