第14話
「そうか。それは良い案かもしれんな」
ジジの話を聞くと、ブルードは持っていたペンを置いて目を閉じた。
「そちらは任せる。当日は俺も出席しよう。我々連合国の意思を統一しなければならぬ」
任せる、と言われてジジは顔を明るくした。頼られている実感があった。
「ところで、お前が言っていた、最近町で起こっている事件だが」
ジジはブルードに無視されたと思っていたが、彼は聞いていたのだ。それを知って嬉しくなった。
目を開いたブルードは、まっすぐジジの目を見た。ブルードの瞳はブフ王と同じで灰色をしている。角度によって濃淡が変化する瞳に、吸い込まれそうになる。自分はその瞳を受け継ぐことができず、黒い瞳であることに落胆した。どうして、灰色じゃないんだと母を責めたこともあった。ジジは顔もブフ王よりも母似だった。それも嫌だった。
いつも反発ばかりしていたが、母はジジが幼いころに暗殺されてしまった。そのとき、初めて母を拒絶していたことを後悔した。今では母を責めてしまったことを反省している。あの時の悲しそうな顔は忘れられそうにない。それからは、マリーに対して勝手に仲間意識を持っている。彼女もまた、母親を暗殺されているからだ。
「何かわかったんですの?」
ジジはブルードの方へ身を乗り出す。
「やはり、城下の町で起こっている事件の犯人が、王を……?」
ブルードは少し考えるような顔をした。
「俺もそう思ったのだが、それぞれの犯人は少し傾向が違うような気がしている」
「傾向?」
ブルードは頷く。
「町で起こっている事件では、被害者が無残な姿で殺されている。まるで、見せつけるように」
実際の現場を、ジジは見たことがなかった。人伝に聞いただけであるが、皆一様に、現場は凄惨な状態であったと証言する。
「一方で、各国を狙った犯人は、誰も殺していない」
ブフ王の安否はまだ確認されていないけれどーー言いかけてジジは口をつぐんだ。
「俺を襲ってきた賊は、俺を殺そうというよりは、生け捕りにしたかったように思う」
言われてみると、確かにフィリップの偽物はジジを殺そうと思えば殺せただろう。今振り返ってみれば、殺意があったようには思えない。確かに致死量の毒を飲まされはしたが、解毒に成功している。もし本当に殺すつもりならば、わざわざジジの開発した毒を使う必要はないはずだ。
「その性質から、町で起こっている方の事件の犯人は自己顕示欲が強く、各国王を襲った犯人は何らかのメッセージを我々に伝えたがっているのではないかと考える。それに、四つの国の王を襲うとなると、相当な手練れでなければならない。ケチな連続殺人鬼では無理だろう」
ルルの父のことを思い出す。彼がやられるとは考えづらい。もし、彼が死んでいたとしたらブフ王も無事では済まないだろう。
「メッセージ……」
「たとえば、何らかの政治的な声明を出すつもりなのかも知れない。それは例えば大陸の外の国」
近年、王政への批判をする団体の声が大きくなってきた。人によっては、街頭で声高に叫ぶ者、また演劇などのエンターテイメントに思想を紛れ込ませる者、思想を印刷物に起こして頒布する者、様々である。最初は無視していた彼らは、今では大きな団体に成長しており、まるでレジスタンスである。事件の犯人は彼らであると真っ先に疑われ、逮捕者が続出したが、未だ証拠を見付けることが出来ず、真相を突き止められずにいる。外の国が手引きしているのではないかとブルードは思っていた。
「我々はいつだって、悪者扱いだ」
「そんな、だってワタクシ達は王族……」
ふう、とブルードがため息をつく。彼らしくない、弱気な顔だ。それを見てジジは唇を噛んだ。今まで、ずっとブルードを強い人間だと思っていたが、彼もまた、動揺しているはずなのだ。絶対的な存在であったブフ王が行方知れず、加えて、自身も外遊中に襲われている。怪我の治療も出来ぬまま戻ってきたのは、ジジを心配してのことだろう。
「もう、そういう時代ではないのかも知れぬ」
「お兄様……」
「王政はいつかなくなるだろう。民主主義のようなものが広まると俺は思っている」
「それじゃあ、誰が国民を導くのです」
「国民は彼ら自身が導くのだ」
ブルードはたまに、王族らしからぬことをいう。ブフ王に似ているかと思いきや、正反対のことを言ったりする。少し国民に寄り添いすぎなのではないかと心配になる。いつだって、王族は気高くなくてはならないとジジは思っているからだ。そのために、一般人とは一線を画す人間ではなくてはならない。生活だって、豪華でなくてはならない。ゴージャスであることが、アイデンティティなのだ。
王族である自分が、庶民に歩み寄ってどうするーージジは怒りにも似た感情を覚えた。
「グロスアルティッヒに会って、俺はそう考えるようになった」
地下の霊のことを思い出す。あの珍妙な存在は一体、何者なのだろうか。
「賊はもしかしたら、地下の秘密を知っていたのかも知れない」
ブルードが呟くように言う。ジジが立ち上がる。
「まさか。ワタクシだって知らなかったのに。歴代の王しか知らない秘密を、どうして外の国のものが知っているのです」
「わからぬ。我々を殺さなかったのではない。殺せなかったとしたら、どうだろう。この国を治めるには、この鍵を受け継ぎ、国に認められねばならぬ。その手順を知っていたからこそ、彼らはブフ王を、俺を生け捕りにしようとしたのではないか」
だとすれば、ブフ王がまだ生きている可能性はある。
「もし、すでにブフ王が俺に鍵を渡したことがわかったら殺されてしまうかも知れない。それに、俺が鍵を持っていると知られたら……」
ジジはハッとした顔をした。
「だから、ワタクシを地下に連れて行ったのですね」
もしブルードが死んでも、グロスアルティッヒに認められたジジが生きていれば良いと言うことだろう。
「そんな……嫌よ。お兄様が死んだらワタクシも死ぬ」
ジジがヒステリックに叫んだ。
「ジジ」
叱咤されるかと思ったが、ブルードの声は優しかった。恐る恐る目を開けると、ブルードは小さい子供を慈しむような目をしていた。
「これは宿命なのだ。我々がグロスアルティッヒである宿命だ」
ジジは顔を覆った。
「事件についてだが」
ジジが落ち着くと、ブルードは咳払いをしてジジに向き直った。ジジの表情は先程よりも引き締まっている。元々凜とした雰囲気であるが、変わったなとルルは感じていた。
「現在、騎士団が警備にあたっている」
「なんの成果もあげられていないようですけど」
普段だったら絶対言わないような嫌味を、兄に言ってしまったことをジジは後悔した。いけないーージジはまだ動揺していた。
ブルードは唸った。グロスアルティッヒが誇る騎士団は、大陸一と言って良い強さだった。国の強さは武力に依ると言うのは、ブフ王の言であるが、ブルードもそれを是としていた。ジジは騎士団のことはわからない。ブルードは騎士団を束ねる立場でもあった。
ジジは騎士団には興味がなかった。それよりも魔法局の方に興味があった。魔法、と言うものはそれほど世に出回っていない。王家だけに伝わる秘術である。だからだろう、武力の表の顔としての騎士団と、裏の顔としての魔法局とは同等の力を有しており、その役割からお互いを忌避している。それに、魔法局は騎士団はもちろん、城の中にあっても情報がほとんどなかった。誰が魔法使いで、なんの魔法があるのかさえわからない。門外不出の秘密の部隊だった。
「私は騎士団を束ねている。お前には魔法局を任せたい」
ブルードが言った時、ジジは飛び上がって喜んだ。先ほどまでの陰鬱な気持ちが一瞬にして吹き飛んだ。これがジジの良いところだ、とルルは思う。感情の切り替えが早い。
ジジはブルードの頬にキスをして、鬱陶しがられるほど喜んだ。ブルードはこれを見越して、先に陰鬱な話をしたのだ。
「どうして、ワタクシがそうしたいとわかったんですの?」
ブルードは答えず、分厚いファイルと鍵束を取り出した。
「魔法局のことが書いてある。それと、これは魔法局の鍵だ」
ジジはファイルには興味を示さずに鍵束だけ取ると、再び飛び上がって喜んだ。
「ルル、ルル」
ジジが踊るようにルルを振り返る。
「そのファイルを読んでおいて。面白いところだけ読み聞かせてちょうだい」
「かしこまりました」
いつも通り、面倒なことはルルが担当である。学校でも、試験の重要なところだけを抜粋してルルがジジに教えていた。ジジは決して馬鹿ではないのだが、とにかく面倒くさがり屋なのである。そのくせ、自分の興味のあることだけは没頭するのだ。本気を出せば、国の誰よりも利口なはずなのにとルルは思っていた。残念でならない。
「早速行くわ」
ジジが足を踏み鳴らすようにして部屋から出て行った。ルルが慌ててそのあとをついていった。
魔法局と言うからには、地下の奥深いところか、森の中や洞窟の中をイメージしていたジジは、あまりにも普通の建物だったことに落胆した。
騎士団の兵舎の近くに、木の蔦で覆われた建物が建っていた。騎士団の宿舎は白く塗装されているのに対して、魔法局は黒光りした塗料で塗装されていた。見る角度によっては虹色に変化し綺麗だったが、何かイメージと違った。
建物は二階建てであり、入り口が見当たらなかった。
「ジジ様」
ルルに呼ばれて振り返ると、蔦で覆われてわかりにくいところに階段があった。階段の上に扉が見える。そこが入り口だろう。ジジは蔦をかき分けて階段を上がると、ノックもせずにドアノブを掴んだ。しかし、それはびくともしなかった。確かに、ジジは女の中でもさらに非力な部類ではあるが、少しも動かないなんてことあるだろうか。
ブルードに鍵をもらったことを思い出す。それで開くはずだ。意気揚々と鍵を取り出したが、今度は鍵穴が見当たらない。気の短いジジは地団駄を踏んで、扉を蹴った。その拍子にピンヒールの踵が折れた。ジジは靴を脱いで扉に投げつけるが、扉はびくともしない。残った方の靴も投げつけた。靴は扉にあたってどこかへ飛んで行った。ルルがいつものことだと言わんばかりの顔で、懐から代わりの靴を取り出して履かせようとしたが、ジジはその靴も扉に向かって投げつけた。
「第一王女、ジジ・グロスアルティッヒが命じます。開けなさい」
壊れそうなほど暴力的に扉を叩いたが、扉はびくともしないどころか、中からの応答もない。
ジジの怒りは頂点に達した。無茶苦茶に蹴りながら、ルルに武器をもってこいと叫ぶ。
「ジジ様、落ち着いて」
ルルが彼女を嗜める。口の中に飴を放り込んで頭を撫でてやると、口の中で飴玉をカラコロ舐め回すことに忙しくなって、扉を蹴るのをやめた。
「鍵を拝借しますよ」
ルルがジジから鍵を取り上げる。注意深く観察したが、ドアノブには鍵穴がない。さて、どうしようかと考えたが、鍵の先端を見て首を傾げた。薄汚れた簡素な鍵に見えるが、よく見ると、それは汚れではなく、何かの魔法文字(スペル)のように見えた。つまり、この鍵自体になんらかの魔法がかけられているのだ。
目を近づけて見てみても、どんなスペルが書いてあるのか読めない。そもそも読める言語ではないのかもしれない。ルルは魔法について明るくない。どちらかというとフィジカル派である。
ルルは鍵をクルクルと回してみていたがやがてそれに飽きて、ドアや壁に押し付けてみた。扉にあたるたびにカンカンと硬質な音が鳴る。跳ね返されたらまた別のところに、それを繰り返す。
カンカン……音が消えた。扉や壁は跳ね返すが、ドアノブに鍵を当てると、鍵はその中にめり込んだ。慎重に突き入れてゆく。
カチリ。
鍵が開く音がした。
「どうしたの? 開いたの?」
飴玉を噛み砕きながら、ジジが尋ねた。
「そうみたいですね」
恐る恐る扉を押してみる。先ほどまでと違って、手応えがある。
ジジがドアノブを掴んで捻った。スルリとドアノブが回転して、扉が開いた。
「やるじゃない」
ジジは上機嫌でルルから鍵を奪った。
扉を開けると、化学的な臭いが漏れ出した。ワクワク胸を躍らせ扉を開けると、卓が一つ置かれていた。椅子が二脚、卓を挟んで向かい合っている。卓の向こう側の椅子には、陰気なローブを着てフードを被った肌の白い女が座っていた。
「ようこそジジ様。ブルード様から伺っております」
女はフードをとると、椅子から立ち上がった。手を差し出す。握手のつもりだろうか。ジジはその手を見下ろすだけで、触れようとはしなかった。
女ははにかむように笑うと、手を引っ込めた。
「ワタクシがここを統括することになったジジ・グロスアルティッヒよ。案内してちょうだい」
女は困ったような顔を浮かべる。拒否したいが、なんと言って良いのかわからない、といった感じだろうとルルは思った。自分が歓迎されていないとわかっていないのはジジだけである。本来なら、ジジがこの扉を開けようとするまでもなく、三つ指をついて迎え入れるところだ。彼女が諦めるまで無視を決め込んだ挙句、ただの女一人を迎えに寄越すというのは、はっきりと拒絶の意思を感じる。
制裁をすべきだろうか。ルルが腰に仕込んだナイフを取り出そうとすると、ジジがそれを手で制した。驚いてジジを見上げると、彼女はフッと笑った。
「ワタクシは心が広いけれども、この従者が暴れないうちに言うことを聞いた方が良いと思うわ」
なんと言うことだ。ジジはわかっていたのだ。幼稚で愚かだと思っていたが、彼女もまた成長しているのだと、ルルは感動すら覚えた。
ローブの女もルルの手元を見て気付いたのか、ただでさえ青白い顔をさらに青くした。
「も、申し訳ありません。こちらへどうぞ」
女が部屋の奥に進むと、扉が現れた。どういう仕組みかわからないが、何もなかったはずの壁に、突然扉が現れたように見えた。
驚いてジジとルルは顔を見合わせた。
女が扉を開くと、さらに驚いたことに、この建物の大きさからは考えられないくらいの広い部屋があった。しかも部屋は吹き抜けになっており、らせん階段を降りるとさらに広い。ホテルのロビーのような部屋だった。
「どうなっているの」
「空間認知の魔法です」
女は振り返って言う。聞いても意味はわからない。
受付のようなブースには、女が着ているのと同じローブを着た、同じ顔をした女が立っていた。それにも驚くが、このロビーにいるクラークは全員同じ顔をしていた。
この現象について尋ねようという気も起きなかった。どうせ、空間認知の魔法です、とだけ言われるに違いない。
「同じ顔の人がたくさんいる」
ルルがつぶやく。
「空間認知の魔法です」
女が言った。やっぱりねーージジはため息をついた。
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