第11話
カツンカツンと靴の音がする。国や城を取り巻く環境の大きさは違うが、城の設計思想自体は、グロスアルティッヒもフランクライヒもあまり変わらない。このことはずっと不思議だった。だから初めてグロスアルティッヒに行った時も、迷子になることはなかった。そのうち、残りの二つの王家であるスパニエンやスイーテンへ行った時も、同じことを思った。これには何か訳があるのだろうか。
グロスアルティッヒの廊下を歩いていたときに、自分の靴の音が、いつも歩いている自分の城と同じように響くので、今、自分が本当にグロスアルティッヒにいるのか混乱したものだ。
壁の照明も同じ間隔で並んでいる。油臭い照明だ。一つ一つ火を灯す。どこで換気しているのかわからないが、確かに新鮮な空気がどこかから入ってくるのを感じる。この城を設計した人間が、流体について明るかったのだろう。
地下への入り口は一つだ。城の隅に監視塔が建っていて、塔へ登るための螺旋階段の始まりに、鍵のかかった階段室がある。特段、隠されているわけではない。しかし、そこへの鍵を持っているのは王族だけである。衛兵も見張り番も持っていない。その入り口の鍵は、クロヴィス王に渡されたような形ではなかった。
城の地下は広い。マリーもその全てを網羅しているわけではないが、それでも記憶にある限り開かない扉に出会ったことはない。
地下への階段室の扉の前に立つと、いつもよりも緊張した。国王の顔がフラッシュバックする。鍵を強く握った。
階段を降りると、埃っぽい臭いがする。埃っぽいというか、カビ臭いというか、とにかく不快な臭いだ。
地下は広いと言っても、部屋がたくさんあるわけではない。迷路のように道が入り組んでいて、おそらく、城が襲われた時に王族が逃げるためにわざと複雑にしてあるのだろう。とはいえ、もうずっと城が襲われるようなことはない。少なくとも、マリーが生まれてからは一度もない。
地下室の手前の方に部屋があり、そこまでの壁には照明が取り付けてある。元々ついてはいたが、朽ちており手直しが必要だった。そこから先はずっと入り組んだ廊下が続いており、照明はない。一度、松明を持って先へ進んでみたが、怖くなって引き返した。それ以来、先へは行っていない。城の地図にも、地下は載っていなかった。当然だ。王族が逃げるための通路に地図があったら意味がない。恐らく、代々の王族にだけ教えられていたのだろう。代替わりの前にクロヴィス王がああなってしまったのだから、マリーは自力でこの地下迷宮を攻略しなければならないのだ。
マリーは松明に火をつける。ゴクリと喉が鳴った。
「お姉様」
突然、背後から声がした。驚いて松明を落としそうになってしまった。
振り返るとイザベルが立っていた。
「ごめんなさい、お姉様。気になってついてきてしまって」
「貴方、地下は暗くて怖いから嫌だって言っていたじゃないの」
「でも、お父様から何か賜ったのでしょう」
「どうして……」
ポケットの中の鍵をギュッと握った。
「ごめんなさい、実は聞いていたの。怒らないで。だって、私だってお父様の子だもの。それなのに、私だけ何も知らないなんてあんまりじゃない? 知る権利はあると思うの」
マリーが口を挟めないくらい、イザベルは一気に捲し立てた。それに、その作戦は成功していた。彼女の勢いに、マリーは圧倒されてしまった。いつものマリーなら言い返すこともできたかもしれないが、今は少し揺らいでいる。むしろ、彼女の登場を心強いとさえ思ってしまっている。
「ちゃんと着いてきなさいよ」
マリーはそれ以上何も言わず、通路を先に進んだ。
「どこへ向かっているんですか、お姉様」
どれくらい歩いたろう。窓もなければ時計もない。暗い地下の道を歩いていると、時間の感覚が狂う。もう何日も歩いているような気がしていた。イザベルも疲労の色を隠せない。
松明は二時間ももたないはずだ。これが消えていないと言うことは、そんなに時間が経っていない証拠だろう。それに、これが消えてしまったら、真っ暗になって帰れなくなってしまう。帰りのためにもう一本あるが、念のために早く戻る必要があるだろうか。
奥へ行くにつれて、空気が澱んでいるように感じる。まるでこれからの人生を暗示しているようだ。空気が粘性を帯びてくる。一歩進む足への負荷が、進むたびに強くなる。
「もう嫌……帰りたい」
イザベルが座り込んでしまった。
この迷路はどこまで続いているのだろうか。もしかしたら、どこへも繋がっておらず、ただ無闇に同じところをぐるぐると回っているだけの可能性もある。方向感覚はすでにない。途中、何度か分岐があったが一つも曲がらずにまっすぐに来たが、緩やかに道が曲がっているかもしれない。
城で言えば、ここはもう城の外になるのではないだろうか。
「ねえ、お姉様。息が苦しいの。早く外へ行きましょう」
「何言ってるの。ついてきたがったのは貴方でしょう」
マリーも不安だった。腹も減ったし、息苦しいし、イライラしていた。勝手についてきたくせに、こんなところに座り込んで。いっそのこと置いていくかーー。
マリーは頭を振った。だめだ。彼女を見捨てるわけにはゆかない。妹だから、というだけではない理由がある。
松明の火が弱まってきた。慌てて、予備の松明に火を移す。
諦めて引き返そうかーーポケットの中から鍵を取り出した。ギュッと握る。その瞬間、どこからか風が流れてくるのを感じた。
その風に、思わず目をつぶった。目を開くと、急に目の前に扉が現れた。驚いて鍵を落としそうになった。
「イザベル。ねえ、ちょっと」
マリーは混乱した。確かに、そこには何もなかったはずだ。
「ねえ、これ」
マリーは扉を指差した。指先が震えていることに、少し遅れて気づいた。イザベルは気が抜けた顔で扉を見ると、顔を輝かせた。
「外に出られるの?」
何を馬鹿なことを言っているのだろう。こんな怪しい扉に入ろうと思うのか。突然現れたのだ。突然消えるかもしれない。
イザベルはマリーの静止も聞かずに、扉にしがみついた。
「おかしいわ。取手がない」
イザベルが扉をまさぐる。確かに、どこにもドアノブのようなものは見当たらない。ドアノブがあるはずのところに、何か模様が見えた。
マリーはポケットの中で鍵をつかんだ。取り出すと、その模様を眺めた。
これかーー。
扉にしがみついているイザベルを引き剥がすと、マリーは鍵を模様に合わせた。
カチリーー何かが外れる音がした。
「ああ、ああ」
扉が動き出した。イザベルが再び扉にしがみつく。よほどここから出たいのだろうが、この扉の先も地下道である。外であるはずがない。こんなことなら来なければよかったのに。
扉は少しずつ開いていった。何か動力があるのかと思うが、それらしき機構は見当たらない。
扉の先から光が漏れていた。
体が入るだけの隙間ができると、イザベルがすり抜けていった。マリーも気になるが、小柄なイザベルよりも、マリーの方が背が高かったので、入れるのにもう少し隙間が必要だった。
先に部屋に入ったはずのイザベルの様子はどうだろう。何も聞こえないが。
やっと扉が開いて部屋の中に入れた時、マリーは言葉を失った。
真っ白な光の中に人が立っていた。
いや、人ではないかもしれない。とにかく、人のような何かが、そこに立っていた。部屋の中は、真っ白だった。そこに光以外の何も存在しないみたいに、ただ白くてまぶしい。この空間だけが、切り取られているみたいに感じた。
イザベルはその人のような何かを見て口を開けたまま呆然と立ち尽くしていた。
マリーが人のような何か、と思ったのは、それ自体が淡く発光しており、青白い肌に赤い目をして床より少し高い位置に浮かんでいたからである。
「ここに入れたと言うことは、フランクライヒの家系か」
マリーが持っている鍵を見ると、それは言った。いや、口は動いていない。言葉が脳に響いてくるような感覚だった。
マリーは言葉を失ってしまった。なんと答えて良いのか、相手が何者なのか、全くわからない。
「神様なのね」
唐突に、イザベルが跪いて、手を組んだ。礼拝堂で神の像に祈るときのように、熱心にそれを見つめている。
「お前から、フランクライヒの血を感じる」
イザベルを見て、それは言った。
「だが、お前。お前は……」
それが言い終わる前に、マリーは指を唇に当てて見せた。
イザベルが振り返る。
「何? 何なの?」
「あなたは何者なの。なぜ、こんなところに。いいえ、ここは何なの」
マリーが尋ねる。ようやく、脳が事態を受け入れたようだ。それでも、口の中がカラカラに乾いていることに変わりはないが。
「私はフランクライヒ」
「どういうこと?」
「そのままの意味だ。私が、私こそが国。フランクライヒ。始まりの王の一人」
おとぎ話だと思っていた。この連合国が、始まりの四人によってつくられたという、この国の誰もが知っているおとぎ話。
「そんなの、ずいぶん昔の話じゃない。貴方、一体いくつなの。それに、どうして」
浮いているの、と尋ねたかったが、馬鹿馬鹿しくてやめた。
それ、自称フランクライヒは、少し考えるような仕草の後、真っ直ぐにマリーを見る。イザベルはなぜか一心にフランクライヒに向かって祈りを捧げている。
「私に年齢という概念はない。肉体ならとうに朽ちている」
「そんなの……説明になってない」
「お前たちのいうところの、霊のようなものだ」
「霊、ね」
こんなこと、普段のマリーなら信じられない。実際に、目の当たりにしているのだから、否定できないが、心のどこかでは、まだトリックなのではないかと疑っていた。
「この国も含めて、四つの国は、我々始まりの王の英霊に認められたものでなければ国王になれない。つまり、お前たちは、クロヴィス王に次期フランクライヒ王として認められたということだ」
フランクライヒがマリーの持っている鍵を指差す。
「それを託されたもの、つまりクロヴィスはお前が次の王だと思っているようだ、マリー・フランクライヒ」
「どうして私の名前を……」
フランクライヒは音もなく、滑るようにマリーに近づいてきた。マリーの頭に手を置く。その瞬間、映像が頭の中に流れ込んできた。
意識がものすごい速度ですっ飛んで行くような感覚。ジジが遊びでマリーにメタアンフェタミンを注射した時に覚えた感覚に似ている。体はそのままに意識だけを成層圏へ強制的に上昇させられたのを覚えている。
やっと体が止まったと思ったら、見覚えのある男女四人が焚き火を囲んでいた。
始まりの四人の王だーーマリーは教科書の中でしか彼らの話を聞いたことがなかったし、肖像画でしか彼らの姿を見たことがない。それでも、一目見てすぐに彼らがそうなのだと分かった。血が騒ぐような、そんな感覚だ。
ここに国を創立する話をしている。
そのとき、強烈な光が地面を覆った。四人が慌てて立ち上がるが、光は彼らを覆う。
やがて光は四つになり、四人それぞれの体に入り込む。
不思議と、四人とも何も説明されていないのに理解した。自分たちの役目や、この先のことを。
年月が経ち、簡素な村だった土地に人が集まり、都市が建設され、壁がそれを囲い、さらに人が集まり大きくなってゆく。
四人の子孫は王になっていた。途中、王座を争うことがあったが、必ずしも、王になりたい人間がなれるわけではなかった。あるときは、妾に産ませた子供が王になったこともあった。全ては光が決めていた。光こそが国なのである。王はその器にすぎなかった。
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