第10話
クロヴィス・フランクライヒ国王が賊に襲われたと聞いて、マリーの心臓が飛び跳ねた。単純に、王のことを心配したからではない。マリーの秘密が永遠に闇に葬られるチャンスが来たと考えたからだ。
マリーと国王しか知らない秘密。それはマリーにとって隠さねばならない秘密であった。
「それで、お父様は無事なの?」
尋ねると、大臣は神妙な顔で頷いた。
「大怪我をされておいでですが、ひとまず命は無事のようです」
それを聞いて、マリーはフーッと吐息をついた。無事でいてくれて嬉しいような、残念なような複雑な気持ちである。しかし、すぐ横でそれを聞いていたイザベルが大粒の涙を零して喜んでいるのを見ると、自分も喜んで見せる他なかった。
「よかったね、お姉様」
イザベルは本当に心の清らかな少女である。あの国王の子供とは思えない。
「それで、国王がマリー様をお呼びです」
「国王が私を?」
マリーは訝しげに首を傾げた。クロヴィスはマリーのことを快く思っていないことはわかっている。マリーだけが、王族の中で鼻つまみものなのだ、とマリーが腐っていることも、クロヴィスは知っている。
「ええ、すぐにと」
大臣が神妙な面持ちで頷く。
とうとう、この国から放逐される時が来たか、それともクロヴィスを襲わせたのがマリーだとでも言いたいのだろうか。
「失礼致します」
マリーがクロヴィスの寝室の扉を開け、スカートを指で摘んでお辞儀をする。
クロヴィスは寝台の中で生気のない顔をこちらに向けた。傍には専属の医師がいたが、クロヴィスが頷くと医師は部屋から出ていった。
「お怪我の具合はいかがですか、王」
いつにも増して正気のない顔に、薄気味悪ささえ感じる。このクロヴィス王は、ブフ王と違い小物である。いつも何かに怯えていて、大国の顔色を窺っている四大王家とはいえ、格が低いフランクライヒである。以前は、四つの国は肩を並べていたらしいが、長い歴史の中で、序列が出来てしまった。そういう一族なのだろう。
「マリー」
痰の絡んだ、ガラガラ声だった。本当に体調が悪そうだ。見たところ、外傷は見当たらない。どのような怪我をしたのかさえ聞かされていなかった。
「マリーよ。お前には随分、悩まされた」
言いながら、昔を懐かしむように微笑んだ。まるで今生の別れのようではないか。
「王、やめてください。弱気になってはいけません」
マリーがクロヴィスに近づき手を取る。枯れ木のように痩せ細って、冷たかった。
「お前には、悪いことをした」
やけにしおらしい。うわごとのように同じことを繰り返す姿は、生命の終わりを感じさせた。
グロスアルティッヒを頂点とするこの連合国では、君主制政治を敷いていた。その中でも小国であるとはいえ、グロスアルティッヒに連なる国である。今、国王に死なれるのはマリーにとっても、この国の議会にとっても良くなかった。せめて、マリーが次代の王であることが暗黙の了解となるような雰囲気を醸成できてからでないと、国を追われてしまうこともありうる。
「お前は王になりたいか?」
驚いた。クロヴィスはマリーを王にするつもりなのだ。妹のイザベルを女王に担ぎ上げるものだとばかり思っていた。
「この国の王になるには、条件があるのだ」
「条件?」
クロヴィスがゆっくり頷く。少し喋るたびに咳き込むのが痛々しい。
「おそらく今頃、他の国の子息子女たちも同じ話を聞いているだろう」
「なんですって? いったい、なんの話をしているのです?」
クロヴィスはマリーの言葉が聞こえていないみたいに、無視した。
「そもそも、我々四大王家は、何を以て王家なのかという話だ」
クロヴィスが咳き込む。
そりゃあ、血の濃さなんでしょうよーーとマリーは口を尖らせた。特にグロスアルティッヒが血の濃さを重んじていることは、周知の事実だったからだ。
「我々は、かつてこの地を開拓した四人からなっている。彼ら祖先を、それぞれ四大王家と呼んだ」
「はい、存じておりますわ、王」
マリーはわざとらしく殊勝に頷く。
「だが、我々全員が、必ずしも当時の四人の血を引いているわけではない」
「どういうこと?」
思わず、普段のような口調になってしまった。今まで、彼らは血の濃さばかりにこだわっていると思っていた。マリーだけではない。他の王族も、一般市民だってそれは知っていることだ。
「国王になれるのは、国に選ばれたものだけだ」
何を当たり前のことを。いかな君主制といえど、治める国の民や議会の理解を得る必要がある。これはマリーでさえわかっていることだ。
「民を大切にするお心こそ、クロヴィス王の王たる所以であることは、私もわかっています」
クロヴィスが胸の上で組んでいる手に、マリーはそっと自分の手を重ねた。
「違うのだ。お前はわかっておらぬ。選ぶのは人ではないのだ」
「どういうことです」
「国だ。国が選ぶのだ」
怪我が思ったよりひどいのだろうか。きっと、意識が混濁しているに違いない。
「マリーよ。地下へ行け」
「地下?」
地下室の存在は知っていた。どの国の城にも、地下室がある。マリーもジジも、地下に自分の実験室を持っている。マリーは拷問室、ジジは薬物の実験室だ。
クロヴィスは布団の中に手を突っ込むと、震える手で、何かを取り出してマリーに差し出した。
「これは?」
古い鍵のようだった。しかし、こんな形状の鍵は見たことがない。先端は鍵というよりも、スタンプのような形をしていた。差し込むのではなくて、形のあったくぼみに嵌めるような。
「地下室へ行け」
それだけ言うと、クロヴィスは目を閉じた。
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