第9話


 国の一大事は、あるもの達にとっては好機だったようだ。ブフ王不在を今とばかりに、王室の分家をはじめとした、各地を治めている貴族諸侯たちが押し寄せた。彼らは素早く元老院を抱き込んだ。元々は、元老院自体も貴族の集まりである。王不在の現在では、誰がその責任を負うかという議論だけが勧められており、そこに田舎貴族がつけ込んだ形である。本来なら、地方を統治するだけの権限しか持っていなかった彼らが、中央を掌握するには、ちょうど良い騒ぎだったのである。それに、今までさんざん分家であることから割を食わされてきた者たちは、自分たちこそがこの国の正当後継者だとくだを巻いているのを、ジジも知っている。

 ブフ王は政治実権を握り手腕を振るうタイプの国王だった。事実、政治的事項のほとんどを王が決定するため、元老院はほとんどお飾りと言って過言ではなかった。ブフ王のいなくなった今、彼らはただの烏合の衆である。それを貴族も知っていた。

 ジジは貴族たちの思惑を感じ取っていたが、どうにもできないでいた。寝台から起き上がれるようになった後、彼らの動きを掴んだときにはすでに遅かった。さすが長年に亘って地方を治めていた貴族たちである。ものの数日で、彼らは我が物顔で城を闊歩し、ジジが座る椅子はなくなっていた。

「ジジ様は、今やこの国の象徴なのです。どんと座っておいでなさい」

 円卓会議場に顔を出すと、元老院の議長がにこやかにジジを追い返した。

「ワタクシが呑気に寝ている間に、完全に乗っ取られてしまったわね」

 ジジが自重気味に鼻を鳴らす。

「仕方ありませんよ。昨日まで寝台から起き上がることすらできなかったじゃないですか」

 ルルがジジの背中を撫でる。

「こんなことでは、王に顔向けできないわ。帰ってきた時、がっかりされてしまう」

 ジジは爪を噛んだ。ブフ王は絶対に無事であると固く信じていた。

 今更怒りが込み上げてくる。この国の王女である自分を追い出すなんて、貴族の分際で生意気だ。一番気に入らないのは、元老院の議長が、王の椅子に座っていたことだ。もう自分が王になった気でいるのが我慢ならない。

 ジジは踵を返して会議場の扉を荒々しく開けた。会議場で談笑していた貴族たちが、一瞬のうちに静まり返る。

「貴方たち、ワタクシが誰だけお分かり?」

 ジジが声を張る。

「ほら、貴方、言ってごらんなさい」

 最も近くにいた貴族を指す。まるまると太って、鼻の赤い男だった。一度だって、この城で見たことがない。

 彼は困ったようにジジと、その他の貴族たちの間で視線を行ったり来たりさせた。

「貴方はどう?」

 別の男を指す。彼も城で見たことのない男である。気取ったカツラなんてかぶってはいるが、ジジが睨みつけると下を向いた。

「ワタクシは。このワタクシこそは、この国の王女ジジ・グロスアルティッヒ。頭を垂れなさい」

 ジジは腕を組んで吠えた。会議場はシンとした後、誰かが笑った。それに続くように、全員が笑い始める。

「これはこれは王女様。ご機嫌麗しゅう。今、国の大事な政の相談をしていますので、後ほどお相手差し上げます」

 誰かがそう言うと、さらに笑い声が大きくなる。

 ジジは怒りで顔を真っ赤にした。完全に舐められている。

「随分、楽しそうだな」

 不意にジジの頭上から声がした。卓についている全員が、青ざめた顔でこちらを見ている。

 この声には聞き覚えがある。

「お兄様」

 ジジの兄、グロスアルティッヒの王位継承権第一位の王子、つまり次期国王である。身長が高いので普段から人を見下ろすような格好になる。高い鼻がつんと上をむいて威嚇しているように見えた。

「こ、こ、こ、これはブルード様」

 議長が慌てて駆け寄ってきて頭を垂れる。他の貴族諸侯も同様に腰を折った。ブルード王子は、グロスアルティッヒの王子に相応しい、厳然たる風格を携えており、それは、まだ二十歳という若さでありながらブフ王と遜色ない。事実、ブルードがひと睨みしただけで、それまで悪態をついていた貴族たちは一人の例外もなく震え、今にも小便を漏らしそうな顔をしている。

「顔を上げよ。議長、説明を」

 ブルードの声に、議長は飛び上がった。うまく説明できずにモゴモゴしていると、ジジが割って入った。

「簡単なことよ、ここにいるブタどもが、ワタクシたちの愛するこの国を乗っ取ろうとしているの」

「じ、ジジ様、お戯れを……」

 議長がジジに縋り付いた。先ほどまでの余裕は微塵も感じられなかった。

「本当のことじゃない」

 ジジが議長を蹴飛ばす。ヨボヨボの年寄りですら、ジジは容赦しなかった。

 ブルードは彼らを睨みつけると、何も言わずに議長の席に座った。

「それで。貴公らの話を聞こうではないか。国を乗っ取ろうとするくらいだ、冴えた名案があるのだろう」

 貴族たちは一人として顔を上げられずにいた。

「くそ、戻ってこられるはずがないのに」

 貴族の一人が呟く。

「何か言いたそうだな」

 ブルードが鋭い声と共に、つぶやいた貴族を指差した。長い腕がさらに伸びて見える。

「いえ、何も……」

 貴族は脂汗を浮かべて、取り繕うような笑顔を貼り付けたまま手を揉んだ。

「知っての通り、私は外遊中であった。しかし、国の一大事と聞いて駆けつけたのだ。不自然な妨害にあったが、私にとって障害ではなかった」

 ブルードが低い声で言う。彼は全てわかっているのだ。その上で、この茶番を続けている。

 ジジはブルードのことを敬愛している。理知的で、王の風格を持ち、誰も疑いようのない素養を持っている。これこそが、男の求めるものである。こんな完璧な兄がいるからこそ、ジジは他の男に興味を持てないでいるのだ。

「もう良い。貴公らの処分は追って伝える。過分な野心は捨てよ。帰る家があるうちに」

 貴族は悲鳴をあげて部屋から走り出ていった。元老院議長は、ブルードの靴を舐めるように足に縋りついた。ブルードはその姿を興味の失せた目で見下ろしていた。

「奴らがどんな手を使ったとしても、この国の王にはなれぬ」

「お兄様がいる限り」

 ジジが後を繋ぐように言う。しかし、ブルードは首を振った。

「そういうことではない。いずれ、お前にもわかる」

 そういうと、ブルードは部屋から出ていった。

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