第6話


 城に戻る頃には、すっかり夜が更けていた。

「着きましたよ、王女様」

 ルルが優しく体を揺すると、ジジは駄々をこねるように縮こまった。ルルはため息をついて、彼女を背負った。我が儘なお姫様だ。

 馬車から降りて、城門を抜ける。赤い絨毯に足を乗せると、そこから先は空気が違った。ピリピリと肌が痺れるような緊張感がある。フランクライヒのような小さい国とは違う。ここは魔窟だ。

 ジジの部屋へ向かう途中、ぞくりと背筋が凍えた。その空気に、さすがのジジも目を覚ましたのか慌てて背中から飛び降りた。

 階段から、グロスアルティッヒの王であるブフが降りてきていた。存在感が強い。遠くにいるはずなのに、今にも踏み潰されそうだ。ブフ王の目の下に大きなクマがあり、皺の寄ったまぶたの下からギョロリとした目でこちらを見た。視線が交差してしまう前に、ルルは端に寄って腰を折る。隣では、蒼白な顔をしたジジも同じように頭を垂れていた。

 ジロリ、とブフ王がジジとルルを一瞥する。それだけで、重力が強くなったような気がした。我が儘な王女のジジでさえ、王の前では借りてきた猫である。それだけ、王は絶対的な力の象徴なのであった。

 下げた視線に、王の足だけが映る。ブフ王は高齢であるが、それを感じさせないくらい力強い歩みだった。さらにもう一人、その後ろから着いてくる。ルルの父だ。

 いつも、二人の足音が聞こえなくなるまで頭を下げ続なければならなかった。黙っていれば、足はすぐに遠ざかる。ジジは王が自分に興味がないことはわかっていた。

 王の足がジジの前で止まる。ドキリとした。何か粗相をしただろうか。高速で思考を巡らせる。思い当たる節がありすぎる。

 突然、頭に何か当たる感触がした。

 殺されるーージジはぎゅっと目をつぶったが、頭を何かが這いずるような感触だった。

 これはーー頭をなでられている? 気づくまで少し時間がかかった。思わず顔を上げると、ブフ王はいつも通りの無表情だったが、その手は間違いなくジジの頭をなでていた。

 慌てて顔を伏せる。ブフ王は何も言わない。

 やがて、ブフ王はジジの頭から手を離して、また歩き始めた。二人の足音が聞こえなくなるまで、その姿勢を保ち続けた。

「ふう」

 顔を上げると、ルルは吐息をついた。横を見ると、ジジからは先ほどまでの怯えた表情はすでに顔から消えていた。

「なんだったのかしら」

 ルルも首を傾げた。

「お腹がすいたわ。食事の準備をしてちょうだい。その間にお風呂に入るわよ」

 ルルはフフフと笑ってしまった。この王女の図太いところが好きだ。

「何を笑っているの。私はおなかが空いているの。早くしてくれないと、貴方を食べてしまうわよ」

 ジジはしっかりとした足取りで階段を昇って行った。

 

 朝日を浴びて目を覚ますと、すでに寝台の横にはパリッとした格好のルルが控えていた。

「今日の予定は?」

 起き上がりながら、あくび交じりに尋ねる。それにルルが答えると、その内容にジジは完全に目を覚まして悲鳴を上げた。

「何てこと。せっかく昨日は楽しかったのに、今日は地獄の底にいるみたい。これが悪い夢ならそう言って頂戴」

 まるで女優のように顔を覆って、ジジは寝台に再び潜り込んだ。

 なぜ彼女がこんなことを言うのかというと、今日はスパニエン国の王子であるフィリップが登城する日だったからである。

「私、あの方が大嫌いなの。少しの可愛らしさもない]

 ジジが起き上がって頬を膨らませる。

 スパニエン国の王子は、連合国の中でもグロスアルティッヒに次ぐ格の王族である。始まりの四大王家と呼ばれる王族の血統だ。連合国の中にある国の名前は、王家の名前になっている。この四大王家は血の濃さにこだわりを持っていた。そのため、血が濃くなり過ぎてしまうことが多々あった。それでも、外の血を入れようとはしなかった。特にグロスアルティッヒの一族は厳格だった。ジジと兄以外の子が言葉を喋る年になる前に死んでしまったのも、血が濃すぎるが故である。

 フィリップは小さい頃から知っている。初めて顔を合わせた瞬間から、とても好きになれないと思った。声が大きくて、頭の中身まで筋肉で出来ていそうで、典型的な騎士の家系の男の子だった。四大王家の中でも、とくにスパニエン家は騎士の家系である。この国の軍事を司るのもスパニエン家である。ああいう暑苦しいのは苦手なのだ。美しいものだけ見て生きてゆきたい。

 ルルもフィリップに対して、あまり良い印象を持っていない。家柄も良く、男らしいので人気者だったからだ。容姿ではなく、その性質で人気を攫う人間が理解できない。それに、女性からの人気を少しでも奪われるのが嫌だった。それと、スパニエンはとても陽気な一族である。だから、相手をしていると疲れる。フィリップだけでなく、フィリップの一族全員がやかましいのだ。男も女も声が大きくてパーティが好きだった。寡黙なブフ王とはキャラクタが違うように感じるが、なぜか昔からブフ王はスパニエン家と仲良くしていた。

「どうやらもう来たみたいですよ」

 ルルが窓の外を見る。姿は見えないが、拡声器を使ったようなバカでかい声が城中に響き渡っていた。

 あの声は間違いない。あんな大声で喋る人間は、世界中どこを探してもフィリップしかいない。どうして、あんなに声が大きいのか。一キロメートル先にいたって、存在に気付いてしまう。

「どうか、あの声が聞こえない場所へ行きたいわ」

「それなら、国を出ないと無理でしょうね」

 ジジの絞り出すような声に、ルルは澄ました顔で答えた。

「我が姫はどこか!」

 耳をふさいでも声が聞こえてくる。

 いつにも増して、やかましい声だ。頭が痛くなる。どうして、ブフ王はあの男を自分の娘と結婚させたがるのだろう。政略結婚であることはわかる。それ自体は否定しない。しかし、だからといって何も四大王家の中でもやつでなければならない理由がわからない。それに、この四つの国は不思議にも、親戚筋の分家は明確に格下と見做される。グロスアルティッヒの分家でさえ、ほとんど一般人と変わらない扱いである。だから、他国の親戚筋との政略結婚は非常に稀であった。それほどまでに、直系血筋にこだわる理由はなんなのだろうか。そのおかげで、王位継承争いが少なくて済むのかもしれない。

「愛しの姫よ。顔を見せておくれ」

 もう耐えられない。ジジは耳を塞いで部屋から走り出た。

「お黙りなさい」

 城から出ると、すぐにフィリップは見つかった。あれだけ大声を出していれば、嫌でもどこにいるかわかる。

「おお、我が愛しの姫よ」

 フィリップは跪いて、ジジに手を伸ばした。姿を見るだけでうんざりする。もっと美しい男が好きだ。フィリップのように汗臭そうな筋肉だるまは好まない。ルルのように細くても強い人間がいるのだから、あんなに筋肉をまとう必要がわからない。鍛えるなら頭を鍛えてほしい。少しでも知性があれば、もう少しマシなのに。

 幼い頃から、フィリップはこんな感じだった。生まれる前から結婚させられることは決まっていた。だから、出会った頃からフィリップはこうだ。だから、今までジジに近づくような、フィリップを敵に回すほどの男気がある男はいなかった。だからだろう。ジジはマリーにばかりちょっかいを出す。男は嫌いだった。

「何が愛しの姫なのかしら。馬鹿みたいな声でそう言われるたびに、鳥肌が立つわ。貴方の口いっぱいに毒を含ませて、針と糸で縫い合わせてあげましょうか」

「それが君の愛ならば、やってみてくれ」

 フィリップは目を輝かせる。その姿を見て、ジジは吐き気がした。

「今日は何の用かしら」

 ジジが尋ねると、フィリップはハッハッハと笑った。

「今日はブフ王から晩餐会への招待を賜ったのだよ。王は僕と君との仲をもっと発展させたいらしい」

「貴方と食事をするくらいなら、神経毒用の虫をすりつぶしてビーカーいっぱいに飲むほうがずっとマシだわ」

 いくら拒絶しても、フィリップは忠犬のようにジジを見詰めた。

「ああ、来るなら貴方じゃなくてマリーが良かった」

「あのお転婆娘かい。あの子と君とでは格が違いすぎる」

「あら、そんなことはないわ。フランクライヒだって、立派な四大王家の一つ」

「ああ、フランクライヒはね」

 含みのある言い方である。

「どういうことかしら」

 その様子に、ジジはムッとした。まるで馬鹿にされているように感じたからだ。

「あんな子のことはどうだって良い。今は君と二人だけの時間を楽しみたいんだ」

「お生憎様。あんたとうちの姫様を二人きりになんて、私がさせないよ」

 ルルがジジの背後から現れる。

「ナイト様のご登場か。使用人の分際で、この僕に意見できると思っているのかい」

「私はあんたの使用人じゃないんだよ」

「人間の格の話をしているのさ」

「なんだい、格って。嫌味な男は嫌われるよ」

 フィリップは立ち上がって膝を叩く。

「我が姫、晩餐会までこの僕とお散歩にでも興じませんか」

「興じません」

 ジジは顔を背けると、ルルに「行きましょう」と言った。去り際、ルルはフィリップに向かって威嚇するように歯を剥く。バトラーの真似だった。やってみると少し楽しい。

 その様子に、フィリップは笑顔で腰を折った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る