第5話

 

「失敗したか」

 マリーは舌打ちをした。ガラガラの声で恨み言を呟く。テラスから身を乗り出すようにして、マリーは一部始終を見ていた。あの男は、城にいた名前も知らない召使いの男だった。興奮剤を与えて、ジジを殺すように仕向けた。アッパー系の神経薬は、マリーの開発したものの中で最も有用なものの一つである。拷問にかける際に使うために開発したものだが、こんな風に役に立つとは思わなかった。

 きっと、マリーの仕業であることも彼女にバレているだろう。ジジがこちらを見ていた。表情は見えないが、きっと笑っているのだろう。

 二人は、幼い頃からこうやってお互いを殺し合ってきた。厳密に言えば、殺す手前のギリギリのところでじゃれ合ってきたのだ。もちろん、お互い本当に殺したいと思っていた。しかし便宜上、王女であるがゆえに本当に殺してしまったら互いの国にとって良くない結果になる。だから、ギリギリ死なないようにしているのだ。今回のことも、ジジは致死量に足りない程度の毒を、マリーはルルが撃退できる程度の男をけしかけただけである。逆説的に言えば、お互いを信頼しているということである。

「今から行って、殺してきましょうか」

 いつの間にいたのか、バトラーがマリーの背後から声をかけた。歯をむいて笑っている。彼もまた、暴力の興奮から抜け出せないでいるのだ。マリーは驚いて振り返ると首を振った。

「残念」

 彼の暴力はマリーの知っている中ではずば抜けている。それでも、ルルには簡単には敵わないだろうというのがマリーの見立てだった。ルルは特別だ。彼女の出生についてもマリーは知っていた。

 いつも、本当に死んでしまえば良いのにと考えながら手を抜いている。今回だって、少し筋強化系の薬も混ぜておけばよかったと頭の片隅で考えていた。

 それでも、ルルには敵わないだろう。彼女は強い。どれくらい強いか、マリーも知っている。彼女に一対一で敵う人間は、一人しか思い浮かばない。近衛兵団でもバトラーでもなく、ルルの父親である。彼女の一族は明確に作られた殺人者である。その出自故、小さい頃から殺人術を体に叩き込まれて育つ。王族に仇成すものを確実に葬ることが、従者としての使命だった。グロスアルティッヒというのはそういう国なのである。フランクライヒのような小国と違って、四六時中王族は命を狙われている。

 それでも、あのように生きていられるのは、ルルの一族の力によるところが大きい。ルルの父親は、常に王に付き従っている。風呂のときも、寝るときも、女を抱くときも離れることはないと聞いたことがある。

「大丈夫? お姉さま」

 背後からイザベルの声が聞こえた。自分はもう回復したからって――マリーはまだ怒りが収まらない。彼女の目は充血し、鼻も喉も胃液で焼けて嫌な臭いがこびりついて離れない。胃は震えているし、呼吸だってうまくできない。お抱えの医師が、気休め程度の薬を処方してくれたが、少しも具合は良くならない。気持ちが抑えきれず、医師をナイフで滅多刺しにして殺してしまった。子供の頃からマリーの成長を診てくれていた医師だった。ほんの少しだけ感傷的になったが、一分もしないうちにその気持ちも消えた。次の医師を探してくるように女中に指示する。医師が死んだことに、イザベルは悲しんでメソメソと泣いていた。

「お姉様、ひどい」

 イザベルは非難した。

「うるさい」

 マリーがイザベルの目玉に向かってナイフを振り下ろした。イザベルは恐怖で動けなかったが、それが幸いした。マリーは目玉の直前で手を止めた。イザベルが少しでも動いていたら、ナイフの切っ先が刺さっていただろう。

「どいつもこいつも……」

 空に丸い月が浮かんでいた。マリーはそれに向かって慟哭した。

 

 

 

「ふふ、あの顔見たかしら?」

 話しかけられて、従者のルルはニコリと微笑んだ。

 馬車の中でジジは上機嫌だった。幼馴染みの属国王女に嫌がらせが出来たからだ。

 嫌がらせ、というが、これはジジの愛情表現だった。マリーのことが好きで好きで堪らないのだ。あの顔を見ればわかる。まるで恋する乙女である。

 しかし、彼女はそれをあの女の前では見せない。彼女にとってはいつまでも未完のラブロマンスなのである。ジジとマリーのじゃれている姿は美しくて、ルルはそれを見ているのが好きだった。だからマリーにだけは手を出さない。代わりに妹のイザベルを、マリーから引き離そうとしている。

「はい、いつもお二人とも仲睦まじく」

 答えると、満足そうにジジはルルの太ももに頭を投げ出した。嬉しそうに今日のことを話すジジの頭を、ルルは優しく撫でてやる。この王女は、外では冷淡な態度であるが、本当はこういう可愛らしい性格なのだ。従者のルルだけが知っている。

 ジジには兄がいた。彼が王位継承権の一位であったが、ジジは二位なのである。だからこそ、周りから恐れられねばならない。そのためのキャラ作りであった。

 ルルが頭を撫でてやると、ジジはすぐに眠ってしまった。今日は随分とはしゃいでいたから、疲れたのだろう。あれが、はしゃいでいたで済むのはこの女だけである。ルルは窓の外を眺めながら、苦笑いをした。どいつもこいつもイかれている。

 ジジを見下ろして、ルルは羨ましいと思った。自分は、生まれたときからこのお姫様の従者になることが運命づけられていた。今まで、何も自分の意思で決められたことはない。すべてこのお姫様の言いなりの人生だ。時折、城の女をつまみ食いする程度のことは許されるだろう。

 道がでこぼこしている。馬車にサスペンションのような機構はない。大きな穴に車輪が跳ねる度、薄い尻の肉が下からの突き上げに悲鳴を上げる。ルルは女性でありながら、中性的な美少年のような見た目をしている。男からはモテないが、女からはよくモテた。特別女が好きというわけではないが、暇つぶしには男でも女でも関係なかった。このお姫様のように、本気で人を好きになることなんて、自分には許されないことだとわかっている。だから、いつも遊びなのだ。

 それでもいつかは――そう考えることくらいは自由だろう。空想の中までは束縛されないのだ。

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