第4話
「あの男面白いわね。恩赦を与えても良いわ」
「かしこまりました」
バトラーはそう言って、残りのジジの陣営を殺して回った。ジジはその虐殺を眺めて、心の平静を保った。
「うわー、いつ見ても野蛮だねえ」
ルルが鼻をつまんだ。ここまで血の臭いが漂ってくる。その横で、ジジが爪をかんでいる。その様子を見ると、マリーはムクムクと感情がわき上がってきた。
「あれだけコケにしていた私にやられる気分はどう?」
マリーは我慢できなかった。散々虐げられてきたのだ、止まらない。
「ご自慢の頭脳戦で負けた気分はいかがかしら~、それも、ただの罪人風情にしてやられたのよね」
笑いが止まらない。ジジの歯ぎしりの音がここまで聞こえてくる。
ジジがオペラグラスを床に投げつけた。派手に壊れる音がした。
しまった、とマリーは思った。言い過ぎたかーーチラとジジを見ると、彼女は怒りに震えてはいたが、マリーを睨み付けるだけで何も言わなかった。それどころか、目に怒りを宿したまま、口元がニヤリと笑った。
どうしたことだろう。いつもの彼女なら、キンキン喚いて大暴れするはずなのに。その静けさが不気味だった。
ジジがテーブルに戻ってきた。新しいティーカップが用意されていた。
「さっきの話だけど」
今のゲームで機嫌を損ねた彼女から、気をそらしたくて話題を変えた。
グロスアルティッヒ国内で起こっている事件のことだ。ジジの話にとぼけてはいたが、実はマリーも知っていた。興味深いニュースだからである。フランクライヒのような小国でならまだしも、グロスアルティッヒのような長大な連合国内で、そのような罪を犯して逃げ切れるわけがない。衛兵の数も段違いだ。それなのに、犯人は未だ捕まっていない。それどころか、犯人の素性すらわかっていない。
「貴方がそんなつまらない異常者に殺されないことを願うわ」
「あら、ありがとう。殊勝なのね」
「貴方を殺すのは私なのだから」
マリーがジジを射抜くように見つめる。いつか本当に殺してやりたい。
ジジはフフと笑った。機嫌が直ったのだろうか。何にせよ、いつもみたいに怒り出さなくてよかった。しかし、今日は妙に機嫌が良い。今までなら、ゲームに負けたら大暴れするはずなのに。
「貴方も気をつけるのよ。貴方がワタクシを殺すのではなくて、ワタクシが貴方を殺すのだから。例えば、紅茶に毒が入っていないか飲む前に確かめたりするべきだわ」
言われて、先程から感じていた具合の悪さにピンときた。気付いたら余計具合が悪くなったように感じる。
「あんた……」
「ふふ、お口が悪くなっているわよ」
「うるさい。毒を盛ったの?」
話しているうちに、マリーの口の端から唾液が溢れてきた。
ジジは可笑しそうに笑った。
「気付かないなんて鈍感ね。百歩譲っても、貴方の妹がああなってしまったときに気付くべきだったわ」
確かに、イザベルが唐突に嘔吐したところで気付くべきだった。この女ならやりかねない。
「だって、あんただって同じものを飲んでいるじゃない」
可笑しさが堪えきれないと言った様子で、ジジが笑った。
「馬鹿ねえ。解毒剤を持っていないとでも思ったの? 当然、紅茶をいただく前に、すでに解毒剤を服(の)んでいたわよ」
声高に笑う。だから、ずっと機嫌が良かったのだ。
狂っている。この女は狂っている。マリーを困らせたいというだけの理由で、自分まで毒を食らうのだ。
マリーの気持ちとは関係なく、胃が悲鳴を上げている。胃から苦い胃液があふれてきた。絶対にこの場で吐くものかと腹に力を入れた。しかし、それでも自然現象には敵わない。マリーは我慢した分、盛大に嘔吐した。それを見て、ジジは狂ったように笑う。
「貴方のその顔。傑作ね。でも安心して。死にはしないわ。死にたくなるくらい苦しいかもしれないけれど」
息が出来ないくらい笑ったので、ジジは過呼吸になったみたいだった。目から大粒の涙がこぼれ、嬉しそうにマリーを見下ろしている。
マリーは毒の苦しさに、地面をのたうち回った。ジジと同じように大粒の涙をこぼす。しかし、こちらは少しも楽しくない。
「ルルも解毒剤を持っていったから、イザベルのことは心配しなくて良いのよ。苦しむのは貴方だけ。いつその顔が見られるのかと思って、笑うのをずっと我慢していたのよ」
嘔吐物の臭いの中で、マリーは気を失いたくても失えないでいた。頭が狂ってしまうかと思った。
どれくらい時間が経ったのか、あたりはすでに日が落ちかけていた。西日がまぶしい。
何度も意識を失いかけては、ジジに紅茶をかけられて覚醒させられる。その繰り返しでだんだんぼんやりしてきた。それが終わって意識がはっきりしてくると、顔中がぐしゃぐしゃであることに気付く。目からは涙があふれ、鼻からは鼻水が溢れ、口からは胃液が出るのを止められない。それでもようやく落ち着いてきたので顔を上げると、女中が遠くから心配そうにこちらを見ている。近付いて来られないのは、ジジが睨みつけているからだろう。いつの間にか、イザベルがテーブルに戻ってきていた。
「お気づきかしら」
マリーが顔を上げたことに、ジジが気付いて微笑んだ。
「貴方の顔、とっても面白かったわよ。それが言いたかったの。それじゃ、また来るわね」
ジジが立ち上がる。なにか恨み言を言いたかったが、声が出なかった。
「まあ、最後まで楽しませてくれるのね。まるでおとぎ話の怪物のようなうめき声だわ」
ジジは愉快そうに笑うと、反吐まみれのマリーの口にキスをした。口の中を丹念に舐めとると、ジジは満足したようにマリーの顔をなめ回した。
呆気にとられているマリーを尻目に、ジジは手をひらひら振ってバルコニーから出ていった。
「あの子をからかうのは楽しいわね、ルル」
「はい、ジジ様」
ジジが思い出し笑いをしながら城門をくぐったとき、城の中から奇声を上げた男が走ってきた。
「殺す! 殺す!」
男は口の端から泡を飛ばし、興奮気味に叫んでいた。手には短剣を携えている。見ていた女中が悲鳴を上げた。男の狙いは明らかにジジだった。
男は視点の定まらない目で、ジジに飛びかかった。ジジはその場から一歩も動かない。
男が短剣をジジに向かって突き出そうとしたとき、ルルが素早く男の腕に手刀を叩き込んだ。短剣を落とした男は、諦めずにジジに飛びかかろうとする。しかし、その手はついぞ彼女に触れることはなかった。男は口から血の泡を吹き、全身の力が抜けたようにその場に倒れ込んだ。その直前、ルルの親指が男の喉を貫いていた。急激に血を失ったことで、男は気絶したのだ。そのまま、目を覚ますことなく絶命した。
ジジは男の血を全身に浴びた。先程まで体内を巡っていた血は生ぬるく、油のようにぬるついていた。その生臭さに、鼻がヒクヒクする。
「大丈夫でしたか、ジジ様」
ルルが見ると、ジジは恍惚とした表情で震えていた。血の雨を浴びて、彼女は絶頂していたのだ。ルルもまた、そんな彼女を見て絶頂した。
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