第3話
「ねえ、久しぶりにアレをやらない?」
ジジが思いついたように手を合わせる。マリーは嫌な予感がした。彼女が言わんとするアレにはマリーは心当たりがある。昔、よくやっていた遊びだ。
「アレ、って……アレ?」
マリーが恐る恐る尋ねると、ジジは輝くような笑顔で、顔の前で手を合わせたまま頷く。
はあ、とマリーはため息をついた。ちょうど戻ってきたルルに、ジジは目で合図する。今思いついたような顔をしているが、ここにくる前からそのつもりだったのだ。マリーに拒否権はない。表向きは対等だが、実質的にはそうではないのだ。
マリーは女中を呼んだ。
「バトラーを呼んでちょうだい」
執事のバトラー。まるで頭痛が痛いみたいな馬鹿げた名前だが、本人がその名前を気に入っているので仕方ない。バトラーはルルと犬猿の仲なので今日は外してもらっていたが、この際仕方ない。もしかしたら、ジジはルルとバトラーが喧嘩をするのをみたいのかもしれない。二人はともに武闘派であり、互いに連合国随一を自称している。マリーから見れば互角のように見えるが、二人は自分こそが上だと信じており、顔を合わせる度に喧嘩をしている。
「お呼びですか、姫」
バトラーはマリーのことを姫と呼ぶ。マリーはその呼び方がうんざりするほど嫌いだった。案の定、ジジは笑いを堪えた顔をしている。
執事というと、もっと年配を想像する。しかし、マリーのバトラーは少し若い。本当の年齢は知らないが、見る人が見たら、三十代、いや二十代に見えるかもしれない。マリーが生まれた時からバトラーなので、そんな若いはずがないのだが、この男は全く見た目が変わらないのだ。長い艶やかな長髪を、後ろで一本に束ねて、スラリとした長身をしている。ルルのような派手な見た目ではなく、どちらかというと薄い顔をしていて、誰もが振り返るような色気はない。しかし、只者ではない雰囲気を身に纏っていた。
ルルの姿を認めると、バトラーの体がこわばる気配がしたが、彼が何かする前にマリーが言う。
「アレ、やるわよ」
聞くと、バトラーは歯をむいて笑った。彼は見た目にそぐわず暴力的なことが大好きだ。特に闘争心が高ぶると、歯を剥き出す癖がある。
「かしこまりました、姫」
腰を折ると、バトラーは踵を返して城の中に姿を消した。走っているわけでもないのに、どうしてあんなに早く移動できるのかいつも不思議だった。
「ああ、楽しみだわ」
ジジはバルコニーの端に立ち、大きく伸びをした。そこから、前庭がよく見える。庭にいるときはわからないが、このテラスから見ると、チェス盤のマス目のような区切りが見える。もちろん、そのように庭造りさせているのだ。
やがて前庭に、三十二人の人間が出てきた。ジジはいつの間に用意したのか、オペラグラスでそれを眺めてキャッキャと喜んでいる。
彼女らがこれからやろうとしている遊びは、罪人を使った人間チェスだ。ジジはこれが好きだった。マリーがもっと小さい時は、彼女も好きだった。なぜなら、負けたコマは好きなように処刑できるからだ。考えつく限りの処刑方法をマリーは提案して楽しんだものだ。だが、今はそんなに好きではない。やり飽きたということもあるし、そもそもジジはチェスが強すぎる。それに、負けそうになると癇癪を起こすのも嫌だった。
バトラーが手枷をつけられたままの罪人たちを見回す。集められた罪人たちは、これから自分たちが何をさせられるのか何も説明を受けていなかった。口々に文句を言っているのが聞こえる。
バトラーが手を叩くと、一瞬、その場が静まった。注目を受けて、バトラーは大きな声でゆっくり言った。
「負けたものはこの場で即処刑となる。心してかかるように」
言われた途端、場の空気が変わった。戸惑うもの、怒るもの、さまざまである。そのうちの一人で、バトラーよりも一回りも二回りも体の大きい罪人がバトラーに近づいてきた。
「王族だかなんだか知らねえが、俺たちはゲームのコマじゃねえぞ」
バトラーの顔に触れるほど接近して凄んでくる。それを、涼しい顔でバトラーは睨み返した。
「あなたたちは、今、この時点からゲームのコマです」
その口調に腹が立ったのか、罪人はバトラーに向かって枷の着いたままの両手を振り上げた。その瞬間、バトラーは罪人の鳩尾に拳を突き立てたーーように見えた。罪人はその場に倒れ込んだ。彼の体の下からは急速に血だまりが広がって行く。バトラーの手は血まみれだった。血まみれの指をしゃぶりながら、罪人を振り返る。
「指示に従わないものは殺します。皆さん、勘違いしているようですが、貴方がたは罪人であって、すでに人権はありません。つまり人ではないのです。だから、今、ここで私が貴方がたを何人殺したとて問題はないのです。わかりましたか?」
シンと静まり返った。滅茶苦茶な暴論である。罪人達は一様に青い顔を下に向けた。
バトラーが一人ひとりにチェスの駒にちなんだ役を与えて行く。それが終わると、バトラーは庭の中央に立った。耳に魔道具をつける。テラスのマリーとジジがつけている魔道具と一対になっており、お互いの声が聞こえる魔法がかけられている。
「始まりますわよ」
ジジがわくわくした様子で顔を紅潮させた。鼻息がここまで飛んできそうだ。まだ、どちらが先攻かも決めていないのに、ジジが駒を動かす指令を出した。位の高い王女様は、もちろん選択権があるのだ。マリーは文句を言わない。
庭の青々と茂った芝生を見ているとクラクラしてくる。なんだか、先程からマリーは気分が優れなかった。そのせいか、ジジに小突かれるまで、自分の番が来たことに気付かなかった。
「貴方の番でしてよ」
ジジが急かす。ジジの初手は見なくてもわかる。定石通りのE4である。つまり、クイーンの前のポーンを二歩進めるのだ。マリーはこれをE5で迎え撃つ。そうするとジジが喜ぶからだ。彼女は真っ向勝負を好む。
バトラーが大声でポーンに指令を出した。彼の声はバルコニーまで聞こえる。あれは地声だろうか。密かに、彼の魔法なのではないかとマリーは考えている。
それからは、いつも通りの展開だった。あと何十手かさしたら、マリーが負けるのだ。これもいつものパターンだ。そう思っていた。
ビショップが斜めに飛んでくる。最初に駒をとったのはジジだった。彼女は声を上げて喜ぶ。
とられたポーン役の駒は、困った顔でバトラーを見た。
バトラーは笑顔でポーン役の駒に歩み寄ると、どこから取り出したのか、刃の薄い剣でポーンの首をはねる。それを見た罪人達から、一斉に悲鳴が上がった。
同時に、ジジが歓声を上げる。彼女はそれを見るのが好きだった。マリーも罪人が刻まれて行くのを見るのが嫌いではないが、自陣営の駒が殺されていくのは、あまり嬉しいものではない。
駒達は逃げようとしたが、それより前にバトラーが大きな声で「待て」と言った。空気が震えるほどの大声だった。
「私の指示以外で動いたら、問答無用で殺します」
バトラーが言う。彼の足下に転がった首と、だらしなく血を垂らす胴体とを、たっぷり三往復も見てから、駒達は震える足で自分の位置へ戻った。
「よろしい」
バトラーは再び庭の中央へ戻る。死体の片付けは、召使い達が慣れた手つきで行った。
不意に、マリーのナイト役の駒が手を上げた。今まで、そんな主張をした罪人は見たことがなかった。
意見を求めるような顔で、バトラーがこちらを見ている。マリーが許可すると、バトラーはナイトの元へ移動した。ここから見ても、バトラーの移動速度は速かった。
「なんかよお。意見させてもらっても良いかい」
バトラーの魔道具を通して、罪人の声が聞こえる。それに対しても、マリーが許可する。
「ちょっと、早くしてちょうだいよ」
ジジが焦れったそうにマリーを睨んだ。
「手早くね」
マリーが言うと、遠くでバトラーが手を振った。
「なんかよお、俺っちの命っていうのはこんなに軽いものなのかねえ」
非難めいた声色だ。
「まあ、罪人ですので」
こともなげにバトラーが言う。
ナイトの罪人は頭をかいた。何日も風呂に入っていないのだろう、フケがまき散らされる。それが掛からないよう、バトラーはさっと身を引いた。
「それならよお、少しでも生存確率を上げられるような戦略をよお、考えても良いかね」
それを聞いて、ジジは「まあ」と口を押さえた。
「厚かましい罪人ね。ワタクシ達よりも高尚な頭脳を持っているとでも?」
ジジが目を釣り上げて怒っているのを見て、マリーは少し愉快な気持ちになった。
「面白いじゃない。良いわよ。バトラー」
マリーが指示すると、バトラーがナイトに魔道具を一つ手渡した。ナイトは魔道具を見たことがないのか、珍しそうにしげしげと眺めたあと、バトラーのまねをして耳に押し込んで首をかしげた。バトラーはその魔道具をあとで捨てようと思った。
「これで声が聞こえるのかい」
「そうよ」
マリーが返事をすると、ナイトは驚いて尻餅をついた。
「へえ、こんな便利なもんがあるんだなあ」
「それで、何か作戦があるって言うじゃない。早く言いなさい。それと、これは相手にも聞こえてるからね。気をつけて発言しなさいよ」
この魔道具の弱点は、個別に連絡が出来ないところだった。ジジが文句を言いたそうな顔でこちらを見ている。いつもなら、すでに怒りが爆発しているはずだが、今日はおとなしい。不気味である。
ナイトは何か考え込むように唸り始める。そもそも、罪人風情がチェスなんて知っているのだろうかと、今更マリーは不安になった。
不意に動き出す。
「勝手に動くのは……」
「待って」
バトラーが剣を構えたのを見て、マリーが制止した。ナイトはバトラーが剣を構えたことに気付いていないようだった。何やらブツブツ言いながら歩を進める。F6に止まる。それを見て、ジジはすぐさまマリーのビショップの首を刈る。実際に刈るのはバトラーだが、ジジは自分が相手の駒の首を落としているように錯覚して、高揚が押さえられなかった。あまりにも気持ちよすぎて、漏らしてしまったかと思うほど下着を濡らした。
「ふん、結局口だけね」
ジジは嬉しそうにマリーを振り返った。
マリー陣営の恐れ様と言ったら、見ていて不憫になるほどだった。罪人と言っても、全員が殺人犯のような気骨のある罪状を持っているわけではなく、ほとんどがただの盗人などの軽犯罪者だ。ここに選ばれてきてしまったのは、不運としか言い様がない。
無礼にも切り込んできたビショップを、マリーはクイーンで仕留める。次のターンで、またナイトが勝手に動いたかと思うと、チェックメイト、とつぶやいた。
「はぁ?」
ジジの怒気を孕んだ声で、鼓膜が破れそうになる。
「どこがチェックメイトなのかしら。貴方、チェスのルールを知っていらして?」
あまりにもわめくので、マリーは魔道具を外してしまった。確かに、ジジの言うとおりチェックメイトではない。
「すまんすまん、言ってみたかっただけなんだ」
ナイトは悪びれる風もなく言った。その言い方が、またジジの機嫌を逆撫でした。
ジジは怒りにまかせて、自分のティーカップを叩き壊した。銘品なのに、とマリーは心の中でため息をついた。
マリーは勝負の行方などどうでも良かった。早く負けてしまいたい。もうずっと、そう思っている。事実、何度もわざと負けている。ジジの機嫌を損なうことなくゲームが終われば、それが一番である。ジジの機嫌が悪くなると、マリーが面倒なのはもちろん、クロヴィス王にも文句を言われるからだ。クロヴィスはとことん他国の顔色を窺う性格で、そこがまたマリーを苛つかせる。
そのあとは、ジジは執拗にナイトを殺そうと狙っていった。ナイトはナイトで勝手に動くものだから、マリーは手持ち無沙汰になってしまった。自分が動かないターンも、勝手にバトラーに指示を出している。ジジの金切声がうるさくて魔道具を外しているので、そうしてくれるとありがたい。
ナイトの動きは狭い盤上を逃げ回るには難しいはずなのに、一向にやられる気配はない。それどころか、ジジは気付いていないようだが、着実にジジを追い詰めている。
「チェックメイト」
「あの男、また」
ジジがバルコニーから落ちそうになるくらい身を乗り出した。
「ジジ様、残念ながら本当にチェックメイトです」
言うや否や、バトラーはジジのキングの首を切り落とした。それを見て、ジジが悲鳴を上げる。その後ろで、気付かれないようにマリーはガッツポーズをした。
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