第2話




 フランクライヒ国王・クロヴィスは玉座で頬杖をついていた。そして深くため息をつく。その様子は、娘であるマリーとそっくりである。普段の彼らを見ている世話係や衛兵や城のすべての人間は、彼らを本物の親子だと疑わない。見た目と声以外はそっくりなのだから。

「どうなさいました、王」

 たった今、国の状況について報告したばかりの大臣が、いくらか不満げに眉を釣り上げる。

「困った」

 それだけいうと、クロヴィスは再びため息をつく。そうして、懐から古ぼけた一本の鍵を取り出す。一国の主が持つには不似合いな鍵。だが、この国にとって、王族にとって命よりも大切な鍵である。クロヴィスの悩みの大部分は、この鍵に由来していた。

 今まで、何度となく誰かに相談したいと思ってきた。しかし、その度に約束を思い出す。

 繰り返されてきた問答。王のはっきりしない態度に、もう聞き飽きたとばかりに、大臣が立ち上がる。この大臣は国政には聡いが、この国の秘密、この鍵については何も知らない。

「マリー様のことでございますか」

 マリー、という名前を聞くと、クロヴィスは一層、眉間にシワを寄せた。鍵以外でクロヴィスの頭痛の種は、いつだって娘であるマリー第一王女のことである。あの娘に比べたら、国民の理不尽なクレームでいっぱいの書類にサインをする作業のほうがまだマシである。

「おい」と大臣に声をかける。机の上の水差しはすでに空である。代わりに持ってこられた水差しは、キンと冷えていた。

 玲瓏(れいろう)と澄み切った水を飲み干す。水が食道を通って胃に着地する感覚が心地良い。少しだけ頭痛が和らぐ。

 いつからこうなってしまったのか。

 わかりきった問いだ。答えは、あの日、鍵を使って契約をしてからだ。

 その時のことを思い出し、クロヴィスは天井を見上げ、ふたたびため息をついた。

 

「久しいわね」

 マリーが城の廊下を歩いていると、耳障りな声が聞こえた。この、耳にまとわりつく蚊の羽音のような声音は、グロスアルティッヒ国の第一王女ジジである。いつも通り従者を一人だけ連れて、優雅にこちらへ向かってくる。城の女中達が黄色い声を上げた。ジジが連れているこの従者は、どんな女も虜にしてしまう美しい相貌を持っており、本人もそれを自認して最大に活用している。

「久しぶりね。最近、あなたの名を聴かないから、とっくに死んだものと思っていたわ」

「いやだわ、ワタクシは貴方のように下品なスキャンダルばかり起こす甲斐性がないだけよ。こう見えて、貞淑なのワタクシ」

 ジジは黒いお下げ髪を揺らしながら、口元に手を当てて「オホホ」と笑った。グロスアルティッヒ国は、フランクライヒ国を含む連合国の頂点である。ジジはその国の第一王女であり、当然、国としての格はこのフランクライヒとは雲泥の差だった。つまり、マリーが逆らえない相手なのだ。このような軽口をたたけるのも、同窓の友人同士であるが故に許されているからである。

 彼女の国であるグロスアルティッヒは、単体でもフランクライヒが100個入ってもまだ余裕があるほどの大国である。敷地面積をとっても、国力をとってもだ。グロスアルティッヒ、フランクライヒ、スパニエン、スウィーテンの4つの国が連合国として集まり、それをジジの父であるブフ王を頂点とする王室が治めている。だから、いつも彼女は自信満々である。彼女の一挙手一投足を、国民はもとより城の人間さえ固唾をのんで見守る。機嫌を損ねたら、即死刑だからだ。そういう傲慢なところが、マリーと似ているのだが、マリーはこの女が嫌いだった。黒いお下げ髪にほっそりとした顎、少女のような風貌のくせに、いつも見下したような目で私を見る。狡猾な獣の目だ。顔の作りは幼いのに、目だけが鋭く切れ長で、流し目のように見るクセがあった。まつげが長く、触れたら刺さりそうだ。大嫌いなのに、美しいところばかり目について嫉妬してしまう。そういう自分に気付いて、また彼女を嫌いになる。

「今日は良い紅茶が手に入ったから、お裾分けに来たの」

 指を鳴らすと、後ろに控えていた従者が箱を差し出した。宝石でゴテゴテ装飾された、下品な箱だ。なにより気に入らないのは、その箱を持つ従者のルルである。あろうことか、王女であるこの私にウインクしてみせる。

 この従者は、すらりと背が高く、手足などは枯れ枝のように骨ばっていて細い。その肌はきめ細やかでシラカンバの様に白くなめらかだ。顔は彫刻のように整っており、従者が来ると城の女どもが浮き足立つ。しかし、従者は女なのだ。女のくせに、男のような格好をして髪も雑に伸ばし、その色香でいつも必ず城の女を誑かして行く。一体どういうつもりなのか、ジジ以上にわからない。

「まあ、それは良いわね。すぐにお茶の用意をさせましょう」

 今日は紅茶を持ってきたって? 貴様の国が奴隷を使って作らせたものだろうーーマリーは心の中で悪態をついた。

 紅茶はお茶の味がしない。血生臭く、一滴一滴が体に届く度に悲鳴を上げる。血と呪いのお湯割りだ。

「せっかくだから、バルコニーでお茶会をしましょう」

 マリーが言う。

「まあ、良いわね」

 ジジはニコニコと上機嫌だ。

 バルコニーからは、城の前庭がよく見える。今の時期は気候が良く、花が美しい。ジジがこの場所を好きなことをマリーも知っていた。

「良い香りですね、お姉様」

 紅茶の香りに誘われたのか、やってきたイザベルが顔をくしゃくしゃにして笑う。

「今日も可愛いね、イザベル」

 ルルがウインクしてみせると、イザベルは頬をバラ色に染めた。

 茶番だ。何もかも茶番だ。うんざりしすぎて腹も立たない。ジジが姿を見せるのは、この国の調子が良いときだ。誰が飼い主なのか、忘れさせないように。ルルは自国の代わりにこの国で好き勝手に女を抱くために。イザベルはルルに劣情を抱いている。つまり、誰もが欲望を排泄している。マリーは排泄物の中で息が出来ないでいる。

 ひとしきり、つまらない社交界の話をして過ごした。話をしているうちに、マリーは何だか頭痛がしてきたが、具合が悪い素振りなど少しもみせなかった。ジジに舐められたくなかったからだ。

 ジジがふっと息を吐いた。まるでスイッチが切り替わったように、彼女の声音が一段低くなる。

「ねえ、貴方。知っていて?」

「何を?」

 背筋をシャンと伸ばしてこちらを見るジジは、人形のように美しかった。逆に言えば、人間らしさの全くない女とも言える。

「最近、ワタクシの国でちょっとした生臭い事件が起こっているのよ」

 血生臭い、と言った時のジジの顔は、少しも嫌そうではなかった。むしろ笑いをこらえているようだった。後ろで立っているルルも、ニコニコしている。

「なんでも、ちょっと残酷なおイタをする方がいらっしゃるらしいの」

「おイタ?」

 マリーが聞き返すと、ジジはニヤリと笑った。ジッと彼女の口元をみていると、気付いたようにジジは手で口元を隠した。黒いレースの長手袋が、彼女の可憐な口元を隠す。

「ええ、そうなの。なんでも、人の皮を剥いだり、肉を削いだり、時には目を焼いてみたり」

 横でイザベルが「うえぇ」と気分が悪そうな声を上げた。ソっとルルが彼女の背後から、背中をさすってやると、イザベルは喜びに体を固くした。

「ふうん。犯人は貴方じゃないでしょうね」

 マリーが椅子にふんぞり返ってジジを見る。ジジは少しも気分を害した様子もなく、むしろ微笑んですらいた。この二人は、いつもこうだ。互いに火花をちらし合っている。かといって、仲が悪いわけでもない。ルルはこの二人を見て面白がっていた。

「御冗談。ワタクシは貴方こそ犯人だと思っているわ」

 イザベルがハラハラした顔で二人を見ていた。その様子は可愛らしい。イザベルはまだ女学生で、社交界には慣れていないからだ。

「大丈夫だよ、二人はジャレているだけさ」

 ルルがイザベルの耳元で囁いた。すると、イザベルは顔を真っ赤にした。恥ずかしさを紛らわせるためか、カップに残っていた紅茶を一気に飲み干した。すると、みるみるうちに顔色が悪くなり、その場で嘔吐してしまった。

「大丈夫?」

 ルルがイザベルの背中を優しく撫でる。恥ずかしいのか、イザベルはどこかへ走っていってしまった。マリーはそれを横目で見る。少しも心配しようという気持ちはない。

「可愛いねえ」

 ルルがイザベルの後ろ姿を眺めながら口笛を吹いた。

「あまりからかわないでもらえるかしら。あの子は貴方が思っているよりも初心(うぶ)なのよ」

「申し訳ありません、マリー王女。お許しを」

 ルルが神妙な面持ちで頭を垂れた。そしてひざまづいてマリーの手を取る。しっとりとして吸い付くような手だった。見上げる顔は、はっとするような美しさだ。ジジとは違う、中性的な美しさに、女なら誰もが逆らうことが出来ないだろう。マリー以外には。

 マリーはルルの手を振り払った。ルルがイザベルを陵辱しようが連れて帰ろうがどうだって良い。しかし、妹である彼女が舐められるということは、自分が舐められているということである。それを許しはしない。

「失礼。手にハエが留まっていたもので」

 マリーが再びジジに向き合う。ジジは涼しい顔をしていた。ジジがルルに対して目で合図した。ルルは頷いて、イザベルの後を追っていった。

「過保護なのね」

 マリーが言うが、ジジは何も答えない。

 マリーが合図すると、女中がやってきてイザベルの吐瀉物を片付けた。それを見ているうちに、何だかマリーまで具合が悪くなってきたような気がした。

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