第24話 じいじの死

屋敷を出て私とママは手を繋いだまま暫く 直線距離を歩いていた。


「なあ、さっちゃん…さっきの質問の答えやけど、もう少し時間をくれないかい 」

「どれくらい?」

「そうやね、さっちゃんがもう少し大きくなってからかのう」

「大きくって?」

「さっちゃんが中学生くらいになったら本当のことを話してあげるから、それまで

待っててくれないかね?」


私が理由もなく聞いたことをママは真剣に考えてくれていた。

その気持ちがわかっていたからこそ、私も「うん、わかった」と、

なにげなく返答する。私自身もそれほど深くは理解していなかったと思う。


私が小学校に上がり3年生の頃にはママと呼んでいた人のことを、いつの間にか

「おばあちゃん」って呼び名が変わっていた。物心がついた頃、三奈ねぇと音ねぇは私が「ママ」と呼ぶ人のことを「おばあちゃん」と呼んでいた。その頃から私は

「おばあちゃん」と呼ぶようになった。仏壇の写真の人が三奈ねぇと音ねぇのママ

だってことはその時、教えてもらった。だけど、なんとなく私とは似ていない気がした。だから、おばあちゃんがママじゃないことも知っていたし、仏壇の写真の人が

ママじゃないことも、すぐにわかった。

それでもおばあちゃんは「さっちゃん、さっちゃん」と私を自分の子供みたいに

接してくれた。そんなおばあちゃんを見ていると、何も言えなくなった。

私が三奈ねぇと音ねぇに聞いたのは、おばあちゃんがママじゃないことだけだった。

『詳しい事はまたおばあちゃんから話があると思うから』と2人とも口をつぐんだ。

私もそれ以上は何も聞かなかった。

その後、『何があっても私達は3姉妹だからね、さっちゃん』と、2人に言われた

言葉に心が救われた。


そして、『中学生になったら本当の事を話す』と言ったおばあちゃんの言葉を

私は待つことにした。

多分、その頃になると私の脳も『ある程度のことを理解し受け止めれるだろう』と

おばちゃんは思っていたのかもしれない。


真実を知った所で何かが変わるかもしれない。

だけど、真実を知っている須崎家の人々は私をいつも家族のように接して

くれていた事はまぎれもない真実だった。



そして、私が小学校6年生となった運動会の朝にじいじが故人となった。


人の死を見たのは初めてだった。


じいじは私と話をしている時に急に心臓を押さえながら倒れ込んだ。


5分も立たないうちに動かなくなってしまった。


それから10分後に救急車が到着したが、間に合わず、

    じいじは戻ることなく、あっけなく逝ってしまったーーー。



心筋梗塞だった――――ーー。


通夜は身内だけが集まり、葬儀は控えめに静かに家族葬がり行われた。


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