第17話 夜泣き

それから30分が経った頃、康夫が帰ってきた。その手にはミルク4缶と哺乳瓶が

入った買い物袋と紙おむつをさげている。

康夫が居間に入ると、多江は赤子が眠る布団の隣に自分の寝床をこしらえていた。

「ただいまー」

「あんた、えらい遅かったなあ」

「ああ、雪が積っててな、歩いて行ってたんだわ」

「まあ、そりゃ大変やったな」

「これ、台所のテーブルに置いとくで」  

そう言って、康夫は台所に向かうと、テーブルに買い物袋を置く。

「ああ、ありがとな」

「あれ、父さんは?」

「ああ、もう自分の寝床さいったさ」

多江は布団を敷き終わると、台所のテーブル前に座る康夫の所まで歩み寄る。

「あんた、紙オムツも買ってきたん?」

「ああ、島のおっさんが持っていけってうるさくてな」

「そうか…」

そして、多江は買い物袋の中身を確認する。

「哺乳瓶。あんたにしちゃ気がきくでないの。わても後から『しまったあ、言うの

忘れてしもたあ…どないしよか…と、思とったとこやったんよ」

「それも島さんがサービスやて言うて入れてくれたんよ」

「へ?」

「島さんとこ、来月、店じまいするみたいやな。店の前に売り出しセールの貼り紙

貼ってた」

「え? なんで?」

「ここ数年で景気がよくなかったみたいって言うとったけど」

「そういや、前にお客も減ってきちょるってゆうてたなあ。しかし、急やな。

また、時間ができたら行ってみるかいな 」

「その方がええな」

「ミルク缶や赤ちゃん用品、買いだめしとかなあかんなあ…隣町まで

遠方にわざわざ行かれへんし…」

「暫くは大丈夫やで」

「え」 

「ミルク缶もオムツも赤ちゃん用品、置いといてって頼んできた」

「あんた…どないしたん? 頭、さえてるやん」

「どうせ、母さんのことだ。赤ちゃん、育てる気なんやろ?」

「一人育てるんも二人育てるんも三人育てるんも一緒や」

「そう言うと思とったよ。三奈子も音葉も弟妹きょうだいができたみたいで

嬉しがってたし…」

「無表情やった じいさんもほんまは嬉しかったと思うよ」

「え?」

「赤ちゃんがおるだけで明るくなってええ。我が家に福がきたみたいやな(笑)」


台所から居間にかけてガラス扉一枚で繋がっており、ガラス扉を開けると台所から

居間が一望できる。料理をしている時はガラス扉を閉めている時もあるが、普段は

殆ど開けっ放し状態である。

康夫と多江の視線が居間で眠る赤子に向く。

「母さん、ここで寝るのか?」

「ああ、産まれたばかりの赤ん坊をあちこち動かしたらあかんでな。

首が座るまではなるべくミルク以外は寝かしといた方がええ」

「しかし、よく寝てんな。赤ちゃんって、こう…もっと泣くもんかと

思とったで。三奈子や音葉ン時はワンワン言って泣きよったし…。

特に音葉の時は夜泣きが凄かったもんな」

「そうやね…。そのたんびに由布子さん、起きてきて母乳あげよったさ。

あんたはグーガーゆうて隣で寝て起きへんしな」

「なんで母さん、知ってん? まあ、あたってるけど…」

「あんたのいびき、わてらの寝室まで聞こえよったさ。

寝れんで起きてきたら由布子さんが母乳あげてたさ」

「そりゃ、すまんかったな…」

「あんたはじいさんに似たんやな」

「え」

「じいさんもいびきすごいもんなあ。一緒に寝られへん」

「っていうか、一緒に寝てるやん」

「あんまり、ひどい時は鼻つまんでるで(笑)」

「マジか?」

「そういや、由布子もオレの鼻、しょっちゅう つまみよったなあ…。

なんや、懐かしいわ」

「それ、わてが教えてやったんだわ。そうすっと、いびきも止まるゆうてな」

「そんなアホな」

「『一瞬、止まった後、またいびきかいたんですよ、お母さん』って、

由布子さん笑ってたで」

「そうか…」

「ええ、嫁さんやったな…」

「ああ…オレにはもったいないくらい…」

「そうやな…」

「そこ、納得せんでも…少しは否定したら? 『そうやない、オマエによく似合ってた嫁さんやよ』とか…」

「アホか、なんで、わてが息子にお世辞言わなあかんのや…」

「そうやな…」

〈この母には逆らえんわ、、、由布子もそうやけど…子供を産んだ女は強いわな…〉


時計は2時を回っている。


「あんた、こんな時間やで、そろそろ寝た方がええんとちゃうか」

「ああ、そうやな…。しかし、この子は静かな子やな…。大丈夫か?

全然泣かんけど…」

「赤ちゃんは寝るんと泣くんが仕事やからな」

「ほな、寝るわ」

「ああ、その方がええな…」

康夫が腰を上げた瞬間、『ん?』と、多江の顔つきが変わる。

「母さん? どうした?」

「もうすぐ泣くで…」

「え?」

「こうしちゃおらん、はよミルク作らんと」

多江は急いでミルクを作り始める。


5・4・3…


多江の脳裏に赤ちゃんが泣くまでの秒数がカウントされた


2…1…


赤子は目覚めると目尻に涙をためて「うっぎゃああああ…」と、

思いっきり泣きわめいた。

「はいはい、もうちっと待ってさ、すぐにミルク作るけんな」

多江の声も届かず、赤子はお腹がすいたと強調するように「わあーん、わあーん」

泣きわめく。その声は甲高く、屋敷全室に響き渡る。


多江は急いで赤子のそばまで行くと、その手で優しく赤子を抱き、

人肌に温ためたミルクが入った哺乳瓶の先を赤子の口にくわえさせた。・


落ち着きを取り戻した赤子はゴム状のちくびを懸命に吸いながら栄養素となる

ミルクを頬張って飲んでいる。よほどお腹がすいていたのか、あっという間に

その量はみるみるうちに減っていった。

お腹いっぱいになった赤子はまた眠りに入る。


「ほな、母さん、おやすみ」

「ああ、おやすみ」


康夫は静かに居間を出て行った―――ーー。


だが、それは束の間の休息ーー


その後、多江は朝方にかけて2回のオムツと1回のミルクで起こされたのだった。










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