第16話 康夫、薬局屋へ向かう

康夫の手によって、故・由布子の遺影の前に年越し蕎麦が奉納された。

「チーンー…」

仏壇の前に座り、リンを鳴らした後、康夫が手を合わせている。

「今年も皆、元気で年を越すことができました。三奈子も音葉もすくすくと

大きくなっているから安心してええよ。なんやわからんけど、今年は赤ちゃんも

我が家にやってきました。由布子…見守っていてくれよ」


チーン―…


もう一回、康夫はリンを鳴らす。


そして、康夫は家族が待つテーブルコタツの前に座った。


「ほな、いただこか」


「今年も皆が幸せな年を迎えられますように……」


「いただきます―――ー」


「いただきます」


ズルズルとお蕎麦をすする音は皆バラバラで個性的な味音を出している。


赤子は疲れて静かに眠っている。


「赤ちゃん、お腹、すかないのかなあ?」

「あ、ミルクってあったかの?」

「牛乳なら冷蔵庫にあったよ」

「いや、ちっと牛乳はまだ早いのう」

「ばあさんのチチは出んのかいな」

「アホかい、じいさん! 出るわけないやろけ」

多江は真っ赤な顔で二郎に向かって強く怒鳴った。

「そうか…」

それでも二郎はケロッとして蕎麦をすすっている。

「困ったのう…朝までもたんわな…次に泣いた時は地獄やで」

「へ?」

一瞬、皆の箸が止まり、多江に視線を向ける。

「それは、おばあちゃんちょっと大げさかも…」

「あ、そういや先月、この先の新山しんざんさんとこが産まれたばっかり

やったな。後でちょっと行って、ミルク分けてもらってこようかね」

「やめとけよ、母さん。こんな真夜中に迷惑やで。新山さん宅も

産まれたばっかで大変だろうし」

「まあ…確かにな…」

「近所の薬局屋が8時には開くんちゃう?」

「年末年始、どこも閉まっとるよ」

「後で薬局屋のしまさんに電話入れとくで、康夫、買ってきんしゃい」

「ああ、わかった」

「おばあちゃん、すごいね。近所の人、皆、知り合いみたい」

「殆ど同級生やからな。気やすいわなあ…」

「おばあは顔が広いけんな」

「持ちつ持たれつでいかなな、人は一人では生きていかれへんしな」


「ねぇ、ベビーベットもいるんとちゃうの?」

「ああ、それはお正月が開けてからでもええよ。とりあえず、

音ちゃんと三奈ちゃんが使ってた赤ちゃん布団があるけん、

それで間に合うやろ」


「三奈子も音葉もそれ食ったら ちっと寝とけよ。数時間後には巫女さん

せなあかんのやから」

「あ、そうやった」

「三奈ちゃんも音ちゃんもしんどかったら今日はええよ」

「大丈夫よ、おばあちゃん。巫女さんの服着るの好きやし」

「私も」

「そうかい。子供が巫女さんしてっとはながあるけん、参拝客も増えるわな」

「今年もたくさんの人はお参りに来るとええね」

「そうやな」


年越し蕎麦を食べ終わると、三奈子と音葉は子供部屋へと戻っていった。


その後、多江は薬局屋の島さん宅に電話を一本入れた―――ーー。


薬局屋の島さんはすぐに開けてくれると言い、康夫は急いで【薬局屋・島】に

向かう。

須崎神社から薬局屋までは車で5分もかからない商店街の通りにあるが、

康夫が玄関を出ると、目の前には雪が積っている。

まだ外は暗くて、どれくらいの量かもわからず、康夫は足を一歩前に踏み出す。

ザック!

その瞬間、康夫の靴がザックリ音を立てすっぽりと雪の中にハマった。


「こりゃ、アカンわ」


仕方なく、康夫は長靴に履き替え、懐中電灯で視界を照らしながら、

【薬局屋・島】を目指して、雪の中をザクザクと進んで行く――ーー。






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