第13話

 リビングのソファにシャルロッテを寝かせて、俺はできる限りの治療を試みた。とはいえ、おそらくその殆どが魔法によるダメージだったために、切り傷や打撲の応急処置しかできなかった訳だが。

「大丈夫か? 大した治療もできなくて悪いな」

「いいえ……ありがとう……ございます」

「それで、何がどうなったんだ? さっき、東雲と陛下……? あのアンドロマリウスが、襲われたって言っていたけど……」

「そうなのです……姫と陛下が襲撃を受け、捕らわれてしまったのです」

 ど真剣な顔でシャルロッテは言ったが、俺は正直、それを鵜呑みになんてできなかった。

 当然だよな。少し前まで、東雲とシャルロッテに俺は騙されていたんだからな。

「疑うのは、ごもっともです。あんなことがあった直後ですから……でも、信じてください。今回のは、本当に……」

 俺は包帯と絆創膏が痛々しいシャルロッテを見つめた。

 この有り様だけで何もかも信用するほど能天気なお人よしではないが、それでも、俺は傷を負った彼女を邪険には出来そうもなかった。俺、実はいい人なのか?

「いいから、話してみてくれ」

「信じて、くださるのですね」

「いや、正直疑ってるけど、その傷は本物だからな。とりあえず何が起きたかくらいは聞いておくよ」

 俺が言うと、彼女は悲しそうな顔をしたが、すぐに向き直って「はい」と答えた。

「……あなたが和室を去ったあと、私と姫様は、改めて魔王陛下と話をするため、空間転移をしました。場所は引き続きの校内でしたけど、しっかりと結界を展開し誰にも干渉されないようにしたのです」

 いつもより少し早口で、シャルロッテは話した。

「しかし、その結界をたやすく破って、奴は姫と陛下を襲いました。とっさに私も二人を守ろうとしましたが……この様です」

 傷だらけの体を指して、シャルロッテが言う。

「私も追撃を受け、泣く泣く空間転移で逃げ延びてきたという訳です……お二人を……あの場所に置いたまま……」

 目をぎゅっと瞑り、悔しそうに歯を食いしばるシャルロッテ。

 その頬には、涙が伝っていた。

「それで……二人は、どうなったんだ?」

「襲われた場所にはいますが……一応は無事だと思います」

「どういうことだ?」

「……私が一撃目を庇い、それに反応して陛下が絶対防御魔法を使いました。絶対防御魔法は、上級以上の魔族が人間界で正当に使える魔法の中では、最大の魔法なんです。その効果は、二十四時間の絶対防御壁を展開すること。これは一度成立すると、外部からも内部からも、時間が経過するまでこの魔法を解除することはできません。でもその代わり、これが切れると、一時的に魔力が枯渇した状態に、強制的に陥るのです。だから……二十四時間……あと十八時間後には、魔力が全く使えない状態で、魔王様は刺客の前に姿を現すことになるのです。そうなれば、確実に殺されてしまう……」

 なるほど、そういうことか。

 その絶対防御魔法とやらの展開を確認したから、シャルロッテは、立て直す意味でも一旦転移で逃げたってことか。

 ん? それはいいんだが、それ以前に……、

「あ、いや、ちょっと待て。魔王って魔界では一番強いんだよな? そんな存在を奇襲できるヤツがいるのか? そもそも、そんな防御魔法を使わなくちゃいけないほどの攻撃力をどうやって……」

「人間界との和平条約により、一部の例外を除いて一定以上の魔力を持ち込むことはできないのです。それは王たる陛下も例外ではない……正式な手続きをして人間界にくる以上は、魔力を制限されてしまうのです」

「……つまり、あの魔王様は、こっちに来るにあたり、力を弱められていると?」

「そういうことになります。陛下だけではありません、上級……貴族や陛下の側近、もちろん、姫様も私も、魔法の力を制限されて、人間界にいるのです。でも……当然、抜け道がない訳ではない……おそらく、敵は非合法なやり方で、本来に近い量の膨大な魔力を持ったまま、こちらに来たのでしょう。低級魔族にはできない手法ですが……」

 敵だけ全力を使えるチート仕様で強襲か。中々イイ趣味をしてるな、そいつは。

「お願いします……どうか、力を貸してください、志木城雪臣様。あなたしか、頼れる方がいないのです」

 必死に頼み込むシャルロッテ。

 そうは言われてもな……。

 すでに半分以上信じてる自分を客観視しては、『騙されたばかりだろ? お前どうかしてるぞ?』と、忠告を促してみるも、俺はシャルロッテが嘘をついてるとは思えなかった。

 なんでかって、そりゃあ、あの一件の直後で、もう一度騙してるとしたら、あまりに安易で迂闊すぎるのと、同時にそれは俺を馬鹿にしすぎている訳で……。

 確かにこいつらは、全員で俺を騙していたが、俺を蔑んだり、馬鹿にしたりはしていなかった。魔法を教えるんだって、戦闘の訓練だってシャルロッテも東雲も、本気でやっていたのはわかる。俺が戦えるように、ソッコー負けることがないように。

 まぁ、仮にも親が用意した許嫁を跳ね除けてまで選んだ半ば駆け落ち同然の婚約相手が、最弱過ぎて光の速さでボコされたら困るっていう思惑があったとはいえ、それでもあいつらはそれなりに俺に敬意を払ってくれてはいた。

 だから、こんな風に安易な嘘で担ぎ直そうなどはしないはずだ。

 それに……。

 シャルロッテの涙が、嘘泣きには見えないし怪我も本物だ。

 この東雲柚姫が始めた戯言の騒動の中で、今までで怪我をした者はいない。東雲はもちろん、シャルロッテも、血を流すようなケガをしたことがないのだ。

「……!!」

 そこで、俺はふと気づいた。一度だけあったじゃないか。

 俺が死にかけて、実際に東雲にすら危害が加わりそうになったことが――。

「シャルロッテ……俺が咬まれたあの蜥蜴……ポイズンリザードだっけか。あいつはもしかして、東雲たちを襲撃した犯人が差し向けたんじゃないのか?」

 俺は呟いた。今朝のあの戦闘だけが、妙に異質だった。

 結界を張らないで、襲ってきたこと。

 俺だけじゃなくて、東雲にも積極的に攻撃を行っていたこと。

 そして東雲のあの態度。まるで予定にない襲撃を受けたかのような、そんな感じだった。

「はい。裏はとれてないので、確証はもてませんが、恐らくは。陛下側からの襲撃は、常に事前に連絡がある予定でした。雷神像の時も、シビル様の時も、アルマの時も、私と姫様には連絡がありました。しかし今朝の襲撃は、まったくの予想外。しかも、あの使い魔は単純な命令しか聞くことができない……つまりは、あなただけを襲って、姫様は襲わない、という命令すら実行できないのです。その場に居合わせた者全員を襲ってしまう。そんな危険な使い魔を、姫様と一緒にいるあなたへ差し向けるなんてことは、考えられないのです。事実あれは姫様をも襲い、あなたへも命に関わる傷を与えました。陛下を含め、姫様を大事に思っておられる臣下は、決してそんなことはしないし、あなたにだって、生死にかかわるような攻撃も刺客は放たない……」

「そうか、やっぱりな。それで、東雲と魔王を襲った犯人は誰なんだ?」

「それが……姿隠しの魔法を使っていたので、不明なのです。上級魔族、おそらく貴族階級かそれと同等の魔族の誰かだとは思いますが……」

 上級魔族か、貴族階級。いやいや、こんな分かりやすいフラグ、あってたまるか。なんていうセルフ突っ込みは、心の中に留めておいて。

「相手がわからないと、手の内もわからないか……なぁシャルロッテ、俺が助けに向かったとして、どうにかなる相手なのか?」

 俺が聞くと、シャルロッテは視線を外して、押し黙る。

「……正直、分かりません。相手は、今まで戦った誰よりも強力で、しかも今回は命のやり取りをしてくる。冗談ではなく、あなたが死ぬ可能性は……かなり高いです……でも、このままだと姫様も陛下も殺されてしまう……」

「その相手の目的はなんだ? 魔王を殺してどうする?」

「魔界は、実力社会です。強い者が統治することになる。しかし、魔王族は、その力を継承する為、強い力が代々継承されるのです。それは、ちょっとやそっとの努力や鍛錬では、追いつけない差なのです。大規模なクーデターなどで魔王を孤立させ、総力戦で叩くか、特殊なアイテムや条件、あるいは救世主の介入によって、魔王が一時的に弱体化した時に叩く以外、魔王との力の差が覆ることはありません」

 シャルロッテは続ける。

「実は、公的に正式な外交などの場合は、力の制限を受けることはありません。よって、本来なら、魔王様が力の制限を受けることなどまずありえないのですが……」

「……そういうことか。今回の魔王様の訪問は、正式な外交じゃない……」

「ええ……今回はあくまで陛下が、身内の我儘を諫める為の実に個人的な理由での訪問。そこで力が制限されてしまうのを、見越しての襲撃でしょう」

一連の騒動と、魔王の行動を知っていた上級魔族の反乱ってことか。……だから、それってもう犯人決まってね? いや、まだその根拠が弱いか。

「それじゃ、東雲と魔王を殺したら、その犯人が、今度は魔王になるってことか?」

「……魔王を殺せば、その力の一部が手に入ることになります。そうなれば、おそらくその者に勝てる魔族はいなくなる……新たな魔王の誕生です」

 シャルロッテの説明を聞いて、俺は頭を掻いた。

 なんだよ、この切迫した状態。数時間前までの微妙なアホな茶番劇はどこに行ったんだ?

「ちなみに聞くが、さっきのあの状態? 制限されている魔王と俺がガチでやりあったら、どうなってた?」

「ほぼ百パーセント、陛下が勝っています。制限されていても、陛下の力はあなたの数倍はあります」

 そうか。気が滅入る情報をありがとう。

「……で、その魔王陛下様を圧倒する力を持ってるんだろ? その犯人というやつは」

「はい……そういうことになります」

 なるほど。それはまずいな。

「あ……ちょっと話はずれるけど、あのまま東雲の計画が順調に行ってたら、少し後だとしても、俺は魔王と戦っていたんだよな? そこに勝算はあったのか?」

「姫様の計画では、陛下とあなたの接触は、最後の最後……概ねあなたの力と存在意義を示した後の予定でした。対峙……という形ではなく、あくまで話し合いの場で、顔を合わせるつもりだったようです」

「そうか。東雲も、俺が魔王に勝つどころか、いい勝負すらできないと踏んでいたってことか……泣けるぜ」

「それは、仕方のないことです。普通の人間と魔王では、埋められない差はあります。ましてや、この数週間ではなおさら……」

「……と、ここまでで、俺が助けに行っても無理っぽい要素が確認できた訳だが……」

「切り札がない訳ではないんです。あなたに譲渡されている力『魔力剥奪(ロイヤル・プリバレッジ)』……それはその呼び名の通り、『ロイヤルプリバレッジ(王族特権)』……つまりは、王族以外の魔族を強制的に魔力使用不能にする力。王族でない魔族なら、当たりさえすれば、無力化できるのです」

 シャルロッテが、力強くそう言い切る。

「そういう仕組みだったのか。だから、あの魔王様相手には、まったく意味がなかったと」

 そう呟いて、いや待てよ、と俺は思いとどまる。

 この力は王族特権な訳だよな?

 ってことは……

「少年、貴様の考えてることはわかるぞ」

 突然。本当に突然、リビングのドアあたりから、聞きなれない声がした。

 俺はビクッとなりながらも、声の方を向く。

 そこには、いつかの金髪イケメン黒マント、痺れる排泄口こと、シビル・ケツァーナと、狂乱の処女、アルマ・ピリスが立っていた。シビルは普通の黒スーツに着替えており、アルマは……あ、そのままか。

「な!? お前ら、どうしてここに」

「姫と陛下の一大事だ。何もできなくても、来るほかあるまい」

「シトロニア姫と陛下の襲撃は、アタシが生徒たちの後処理で、学校から離れた数分の間に起こったの……アタシがついていれば、もう少し違っていたかもしれない……」

 夕方のハイテンションリストカットが嘘みたいに、真面目でローテンションなしおらしい口調で話すアルマ・ピリス。

 お前、実は『職業ハイテンションビッチ』か?

「シビル様、アルマ……」

 シャルロッテが二人を振り返りながら、そう呟く。

「志木城雪臣……貴様は今、考えたはずだ。『ならば、魔王でも姫でも、魔力剥奪を使えば、襲撃犯の魔力だけは封じることができるのでは』……とな」

 シビルが話を戻してそう言う。

「……そこも、今回の襲撃の要因の一つでもあるの」

 続けるように、今度はアルマが話す。っていうか、アルマ。君はキャハハハ言っていないと、普通過ぎて無個性だな。見た目以外は。

「要因の一つ……? どういうことだ?」

「あなたが持っているその力は、唯一無二の特権的能力ということ。譲渡、貸出すれば、もともと持っていた者の手元からはなくなる。本来魔王陛下だけが持ち、それを条件付きで譲渡するユニークスキルのようなものなのよ。それを、シトロニア姫は勝手に持ち出した。あなたが、アタシたちと渡り合うための、唯一の切り札とするために」

「それに、私はまんまとやられたという訳だ」

 シビルがつまらなそうに言って、そっぽを向く。

「それじゃあ、東雲も魔王も、今はこの力を持ってないってことか」

「そういうことになります。だからこそ、あなたが最後の希望なのです」

 シャルロッテは向き直る。

 シビルは、自分の手のひらを見つめながら口を開く。

「私はまだ魔力が使えないし、例え使えたとしても、この制限がかかっている状態では敵の一撃をまともに食らえば、命を落とすだろう。肉の盾にはなれても、相手にダメージを与える攻撃を放てるとは思えない」

「アタシの魔術も、束縛と操作がメインだし、毒や麻痺も使えるけど、正直魔力制限もかけられていない、魔王陛下すらも殺せる魔力をもつ敵には、有効とは思えないわ。相手の魔術耐性にもよるけど、全力で血を浴びせても、一時的に動きを止めるのがやっと……ってところかしら」

 シビルとアルマは、苦い表情で吐き捨てる。重い空気がより一層重くなり、沈黙が続く。

 ぽつり、と、そっと置くように、シャルロッテが話し始める。

「魔界への門は、敵によって、とっくに封鎖され、援軍も呼べません。ここにいる私たち四人が、姫様と陛下が殺されるまでに使える、全戦力なのです……」

「陛下を……姫様を救ってくれ。盾が必要なら、私のこの身を差し出そう」

「……主であり、妹のようなものなの。大切な家族なのよ。シトロニアは。もちろん陛下も……アタシたちには必要な存在。アンドロマリウス様が統治しているからこそ、アタシたちの領地は平和だし、人間界だって干渉を受けずに済んでる……アタシも、この命で救えるなら、いくらでも差し出すわ」

 真剣な顔で各々呟く二人。この二人は、本当に魔王と東雲の忠臣なんだな。

「待ってくれ。お前たちの気持ちは分かるし、俺だって、助けられるなら、助けたい。でもな、それは助けられるだけの力があればって話だ。現状じゃ確かにこの中じゃ俺が一番可能性があるかもしれない。だが、それでもあまりにリスクの方が高すぎるだろ? 勝ち目がなさ過ぎるし、出る犠牲の方が多い。うまくいったとしても……仮に俺が助かったとしても、シビルやアルマ、シャルロッテが命を落としたら? その責任の一端を、俺にも担えと? 他人の命の責任を、二つも三つも負えって、重すぎるだろ」

 俺は至極まっとうな意見を言った。

 ビビリと取られるかもしれないが、俺の言い分には間違いはない。

 それはどうやら、この場にいる全員の共通認識でもあったのか、俺に反論するものはいなかった。

 俺だって、この状況がわかっていない訳じゃない。

 王の命の価値は、その他大勢の民と同じではないことくらいわかってる。シビルもアルマもシャルロッテも、ここにいる四人全員が犠牲になったとしても、魔王と東雲が助かるなら、それは十分上出来な結果なのだろう。

 だが、俺はそんなの認めない。

 そういう考えが、親父みたいな結末を招くんだ。英雄的思想を、俺は否定する。

「姫様は……」

 再び、静かにシャルロッテが口を開く。

「姫様は、かつての友人であったからという理由だけで、志木城様を相手に選んだのでは、ありません」

シャルロッテが、重々しく言葉を綴る。

「……姫様は、かつてのあなたに、憧れたのです。幼い頃のあの日、あなたは、近所の子供たちに揶揄われていた姫様を、助けたのです。理由も理屈も、関りもなかったあなたは、虐められている女の子を見て、勇敢にも止めに入った。姫様は、その無償の正義に、強く憧れました。そしてそれは、生涯を通じて、姫様の胸に焼き付いているのです」

 俺は黙っていた。

 そうか。だから、あいつは……。まるでかつての……親父が死ぬ前の俺を知ってるような、そんな期待に満ちた目をしていたのか。

「この計画を相談された時、私も問いました。なぜ、彼なのかと。なぜ、志木城雪臣なのかと。すると、姫様は仰ったのです」

 シャルロッテの言葉の続きを、俺は内心、拒絶していた。言わないでくれと。聞きたくないと。それを耳にすれば、きっと俺はまた悩み、揺らぐことになる。両親がいなくなって、一人で生きていくために掲げた『人生論』を、考え直さなくてはいけなくなるから。

 けれど制止の言葉はまったく俺の口から出る気配はなく、続きをただ黙って聞いていた。

「『志木城雪臣は、私のヒーローなのよ』と……最初に出会ったあの時から、ずっと。困った時、助けてほしい時には、いつでも来てくれる、ヒーローなのだと……」

 やめろよ。

 それは何年前の話だ。

 あの頃とは、もう何もかもが違うんだ。

 俺は正義に失望したんだ。ヒーローに絶望したんだ。

 正しいことを、正しいと言い、弱い者の味方であり、悪を砕くヒーローには、何の意味もないと、何の力もないと知ってるんだ。

 だから……だから!

「あなたなら、助けてくれると、姫様は確信しておられました。何年も会っていなくても、例え姫様との記憶が消されていても、頼れば、助けてくれると、そう信じていたのです。ですが、十一年ぶりに会った実際のあなたは、少し雰囲気が変わっていた……姫様は戸惑ったようですが……」

「そうだよ。俺は、東雲が知ってる俺じゃないんだ……」

「それでも!! あなたは、協力してくれました、渋々でも、仕方なくでも、あなたは付き合ってくれました。命をかけて、戦ってくれました。姫様は……」

「……おだてて掲げられて乗るほど、俺はおめでたいヤツじゃないのは知ってるだろう?」

 突き放すように俺は言う。だが、シャルロッテは、俺をじっと見つめ、言葉を続けた。

「姫様にとってのあなたは、昔も今も、きっとこの瞬間でさえ、ヒーローなのですよ」

 流れる涙を堪えながら、シャルロッテは言い放った。

 俺は眉を顰めた。その感情は、一度認識すると俺の胸を締め付けてくる。目を伏せて、歯を食いしばり、拳を握りこんでも、その胸の苦しみは、和らぐことがない。

 きっとそれは、『泣く』という感情に似ていた。

 とても寂しくて、とても懐かしい。

 俺はそれを、ずっと昔に置き去りにした。ついてこないように決別して、逃げおおせた。

 それでもそれは、中々俺を追いかけることをやめなかった。それが時折寂しそうに俺を見ても、見ないふりをして、見えないふりをした。

 無視するのが当たり前になって、見えないのが当然になって、そしていつしか、それは俺を追ってこなくなった。

 捨てきれたのだ、と。諦めたのだと、俺は思い込んでいた。

 だけど、違っていた。

 捨てたはずのそれは、俺が忌み嫌っていたはずのそれは、ずっと、今までずっと、俺の後をついてきていた。俺が、『見たくない』と望みすぎて見えなくなっていただけだったんだ。

 大きく、息を吸い込んだ。

「……ああ……ああああああああああああっ!」

 たまらなくなって、俺は突如声をあげた。驚いた顔をしたのは、多分みんなだ。

「……分かった。全然わかってないけど、分かった」

 自分でも驚くほど、苦しそうに絞り出した声だった。

「相手は、上級魔族で、力の制限もなくこっちに来てて、魔王すらも殺せる力を持っていて……こちらは、魔法の使えない魔族と、攻撃魔法が不得意な魔族と、物質転移がメインの使い魔と、一撃必殺は持ってるものの、それ以外はほぼ常人なヘタレだけ。勝機は全然、これっぽっちも見えないが、ああ、いいさ。助けに行こう」

 血迷ったことを言っているのは分かってる。

 こういう決断が、あの日の親父の悲劇を招いたことも十分理解している。

 だけど……。俺だって、東雲柚姫に死んでほしくないって、普通に思うんだ。

「志木城様……」

 シャルロッテを筆頭に、みんなが俺を見る。

「助けには行くが、無駄死にはごめんだ。作戦が必要だな。とはいっても、こちらの手札は絶望的だ。でも、俺が『魔力剥奪』をぶち込めれば勝てる。それは事実なんだよな?」

「はい。それは間違いないです。その力は、『無力化』という直接命を奪うものではないこともあって、どんな条件下でも、相手が王族以外であれば、本来の力を発揮します」

 シャルロッテの返答に、俺は頷く。

「つまり、俺がその敵? に、一撃食らわせる以外は、全部敗北って条件になる訳だから、そこから組み立てていかないといけない」

 俺は思考を巡らせた。

 こうして仕切っていなければ、プレッシャーでどうにかなりそうだからだ。死なないために考える……まさか、リアルでこんなことをするとは思わなかったよ。

「……攻撃はまず意味がない。俺の完全な憶測だが、例えクリーンヒットしても、きっと致命傷は与えられない。違うか?」

「魔力が制限なしに使えるということは、それを防御にも回せるということ。お前の推測であってるな」

 シビルが答えた。

「攻撃は無意味、か。たとえ攻撃するにしても、それは囮やフェイク。……みんな、使える魔法でも、アイテムでも、なんでもいい。全部を目いっぱい使ったら、どれくらいの防御力になる? 敵の攻撃を受けても、致命傷にならない位の防御力は、作れるか?」

 俺の質問に、各々が考える。

「魔法を多少はじく道具なら、姫様の家にいくつかありますけど、おそらく相手の一撃に耐えられるかどうか、わかりません」

「アタシの魔術を防御に全振りしても、そうね。即死級じゃなければ、二回くらいは耐えられる……かな」

「私は魔力が使えないが、かろうじてコレなら、なんとかまともに使えそうだ」

 シビルは言いながら、懐中時計をポケットから取り出す。

「それは?」

「魔鉱金属の時計……そうか! ユニークスキルですね!」

 シャルロッテが閃いたようにつぶやく。

「魔鉱金属? ユニークスキルって、東雲の『茨蔦』みたいなやつか?」

「はい。確か、あなたも持ってましたよね?」

「ああ……」

 言いながら、俺は袖をまくり、ブレスレットを見せる。

「これだろ? でも、使えたためしがない」

 一応言われたとおりに身に着けている。発動させたことがないし、発動しないから役に立たないけど。いっそ超絶丈夫な盾か、超加速能力とかのスキルだと良かったのだが……。

「あの……それが、私と姫様とで、あなたのユニークスキルを一応調べたのですが、どうやらそれ、常に発動状態にはなってるみたいなのです」

「は?」

 なにそれ、初出の情報なんだけど。

 しかもこのタイミングで?

「いやいや、発動状態って、今、この瞬間も?」

「はい。ですが、その……肝心の能力というか、効果というものが、全くもって特定できない状態でして……何か特別な条件下で作用するスキルの可能性はあるのですが、それもやはり、調べた限りでは不明な状態でして……」

 わかった。つまりは『使えない』ってことだな。うん。

 くそっ……ワンチャンあると思っていたユニークスキルまで無能なのか、俺は。

 そこで一瞬、瀕死になれば使えるスキルなんじゃないか、なんてことを考えてもみたが、ポイズンリザードに噛まれて生命的にピンチになっても発動しなかったことが頭をよぎり、最後でささやかな希望的観測も、俺は静かに飲み込んだ。

「よし、俺のはノーカンで」

「……私のユニークスキルは、『明滅(スケープゴート)』。一日に三秒だけ、攻撃を無効化する能力だ」

「は? 三秒間無敵ってことか? あんた、すげー強い能力じゃん」

 俺は思わずそう言った。

「まぁな。だが、使いどころが難しいのも事実だ。発動中はあらゆる物理攻撃、魔法攻撃が効かず、衝撃なども吸収する。まさに『無効化』だ。発動は三秒間。三秒は分けて使うこともできる。一秒ずつ、二秒と一秒、といったようにな。弱点は色々あるが……まずは当然だが、三秒以上続く攻撃を無効化できない。そして、発動タイミングを間違えても、無効化できない。もちろん、意識できない攻撃……例えば、長距離からの狙撃なども対応できない。また、タイミングが合えば、他者に付与することもできる。三秒だけなら、お前を無敵にもできるという訳だ」

「かなり使えるな。アルマとシャルロッテのスキルも教えてくれ」

「私のは、非戦闘向きです。私のスキルは『衛生兵(インスタントリカバリー)』、瀕死の状態、命の危機的状態から、一先ず安全圏に入るまで治癒する能力です。中途半場な回復魔法みたいなもので、止血はできても傷はふさがらなかったり、毒を致死量から下げるだけで、毒自体は残っていたりと、本当にその場しのぎの命をつなぎとめる能力です」

「その能力で、ポイズンリザードから助けてくれたのか?」

 シャルロッテが頷くと、次にアルマが説明を始めた。

「アタシのスキルは『血液増加(ヴァンパイアナイト)』……アタシの術は血を使うから、その分の血をストックしておいて、補填できるって能力。アタシの魔法専用なんで、使い道はほぼないわ」

 そ、そうか。そういうパターンもあるんだな。

「それと、俺の『魔力剥奪』……う~ん……」

 俺は考えこんだ。

 中々惜しいスキルは集まっている。きっと、じっくり考えれば、最善策にはたどり着けそうだ。……そんな時間はないんだけどな。

 一瞬だけ攻撃を無効化できる『明滅』と魔力が使えないシビル。

 血で他者を操る魔術を使えるアルマ。

 物質召喚と空間移動魔術、致命傷からの回復ができるシャルロッテ。

 触れられれば、相手を無力化できるポンコツ魔法使いの俺。

 俺は、ない頭で何とか考え抜いた、恐らく唯一とも言える作戦をみんなに話してみた。

「少ししゃくだが、それしかなさそうではあるな」

 シビルは言った。

「死なない、とは言い難いけど、現状の手札を使って、死ににくいのは確かね」

 次にアルマが言う。

「……かなり、無茶な話だと思います。何より相手の力量と得意魔術がわからないのが致命的ですが……やるしかない、ですよね」

 シャルロッテも概ね納得してくれた。

「では……そうと決まれば皆さん、特に志木城様は休んでください。あなたはまだ今日乱発した『魔力剥奪』の魔力が回復してないのですから。……そうですね。五時間ほど眠れば、回復するはずです」

 確かに、シャルロッテの言う通り、自分で感じる魔力量はかなり少ない。

「残り十五時間。まずは睡眠をとって、なるべく体力と魔力を回復させて臨みましょう」

 おー! って、あれ? いつの間にかシャルロッテが仕切っている?

 いや、まぁ、いいんだけどな。

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