第11話
目覚めの瞬間なんて、いつも大して変わらないものだが、実際に目を覚ました直後の光景というものは、案外予想とは違っていたりすることも、多々ある。
「また……知らない天井だ」
そんな俺の、瀕死から生還した割には、よくぞ思いついたと称賛されてもいいのではないかと思える、この状況を利用した渾身の一発ギャグも、誰に突っ込まれることもなく、宙を舞った。
二秒くらいして、ぬっと、視界に現れ、知らない天井の大半を覆い隠したのは、まぁ、やっぱりあの圧倒的美少女である東雲柚姫だった。
「……目が……覚めた……」
何度見ても、飽きるどころか新たな『可愛いポイント』を見つけてしまいそうな顔を心配気に歪ませて、驚いたように、呟いたのだ。
「おー、東雲……」
「バカッ!」
軽口を叩く間もなく、罵声が響いた。
「どうして、考えもなしに動いたの? 私を助けたの? 人助けも、正義のヒーローも、バカらしいんじゃなかったの?」
東雲は怒っていた。怒っているのに、顔は辛そうで、今にも泣きだしそうで、それにもっと、きっと色々な感情をグチャグチャに抱えているような顔で、寝ている俺に叫んだ。
「あなたは、言ってることと、やってることがチグハグなのよ! いつもあなたは面倒そうで、やる気がなさそうに見えて、斜に構えているやれやれ系な態度で、英雄も勇者も救世主も馬鹿馬鹿しいって言ってるのに、私が課した訓練は真面目にやるし、世界を救うという戦いにも真剣に取り組んでる。その時点で十分意味不明なのに、なんで自分の危険を顧みずに、私を庇うのよ」
言ってることが支離滅裂だし、結局何に怒っているのかもわからないが、少なくとも俺が生きてきた十六年の中で、女とは意味不明なことで怒るものだ、という教訓があるので何とも思わない。まぁ、何に怒ってるのかくらいは、明確にしてほしいものだが。
「……あなたは、死ぬところだったのよ? ポイズンリザードの毒は、殺傷能力が高いって、説明したわよね。それなのに、なんで……」
「あの……すまん、東雲。俺、死ぬのか?」
「死なないわよ! 私とシャルが全力で解毒したんだから。あなた自身の治癒力もかなり使ったから、今は体力的にも消耗してるけど、命には別条はないわ」
「そうか。ありがとうな。お前は命の恩人だな……ははっ……」
そう呟く俺を、やっぱり東雲は、怒った顔で見降ろしていたが、そのうち、温かい液体が、俺の頬の上に落ちてきた。
「お前ッ……泣いてるのか?」
「見たらわかるでしょ、アホッ。『なんで』なんて聞いたら殴るわよ」
えぐえぐ、と涙を袖で拭いながら、東雲はまた怒った。
「ああ……そうだよな。俺は『救世主』になるかもしれない人間……ここで死んだら……困る……よな」
俺が言うと、東雲が一瞬だけ悲痛な顔した。
「……本当に、どこまでも『半透明』なのね」
言い終える頃には、東雲はいつものクールな表情に戻っていて、スッと俺の視界から、抜け出した。
それを機に、俺はゆっくり、上体を起こした。まるで、シビル戦の和室で目覚めた時と、シチュエーション的には似てるな、なんて思って見回したが……。
「和室……とは全然違うな。ここどこだ?」
ピンクの掛布団に少し高い視界。壁紙は白のエンボス加工で、なんかいい匂いがする。
「私の部屋に決まってるでしょう」
「そうか。俺を運んで……そうだよな」
蜥蜴に咬まれて瀕死の俺をシャルロッテの魔法で運び、看病した。簡単な話だな。
見たところ、俺は上半身裸で、盛大に包帯がまかれている。こんな包帯、アニメか戦争映画でしか見たことねぇよ。
そんな左方から胸、背中を覆うような包帯に、かつての中二病が再発しそうになるのを抑えながら、ふと思いつく。
ん? ここ、東雲の寝てるベッドか?
「当然でしょう」
いや、それは何というか。
学校一の美少女のベッドで眠っていたなんて、それはそれで、こう……グッとくるものがある訳だよ。俺も一応、健全な男子高校生だからな。
「……もう大丈夫みたいね」
東雲は、勉強机用のチェアに座っていた。
「ああ、ホント、すまなかったな。助かった」
「いい? 志木城君。あなたは、あなたの命を優先しなくちゃダメ。絶対に。私を庇って死ぬなんて、絶対にダメ」
「それじゃあ、お前を見殺しにしろっていうのか?」
俺が言うと東雲は黙り込んだ。
何かを言いにくそうに悩んだ挙句、小声でつぶやく。
「見殺しに出来ないから、自らが犠牲になってでも助ける――それはね、英雄の考え方なのよ」
そう言われて、俺はどうしても親父が頭をちらつく。
そしてその瞬間、俺の闘志というか、先ほどまで確かにあった『東雲を見殺しになんて出来ない』という気持ちを、閉ざして仕舞いこんでしまうのだ。
「……そうだよな。あの時の行動は、あまりに俺らしくなかった。悪い……気を付けるよ……」
そう、目の前の誰かを庇って自らの命を危険に晒すなんて、俺らしくない。そういう行為は、俺が一番避けていた、嫌っていた行為じゃないか。
俺の家が、家庭が、ありきたりで幸せな世界が、壊れた理由になった行動じゃないのか。
東雲は、床に落としていた視線を、静かに俺の方へと向けた。
「人間の本質ってあるでしょ?」
「なんだよ、いきなり」
「心の奥にあるもの。根底にあるもの。それは意識下であり、無意識下でもある。それってね、殆どが生まれ持った潜在的なものなんだけど、もちろん、それだけじゃなくて。幼い頃……そうね、大体三歳から、五歳までの経験や作られた価値観をもとに完成するの」
「完成? その本質が、五歳までに完成するのか?」
「ええ。三つ子の魂百まで、とはよく言ったものよね。人生において、良く働くもの、悪く働くもの。どちらにしても、私たちはその『本質』に支配されて生きることになる。例えば、ギャンブルがやめられないという本質を持っていれば、それは未来永劫、人生の根本を変えるような出来事に出会わない限り……いいえ、或いは出会ったとしても、変わることはない。カエルの子はカエルってわけね。実際には、本質というものは、千差万別な上にとても複雑だから、そんな簡単な話ではないのだけど……」
そこまで言って、東雲はふっと、自らを嘲り笑うように鼻を鳴らした。
「何が言いたいかっていうとね。本質は、変えられないってことよ。あなたの中に、誰かを命がけで助けてしまうような価値観があるのなら、それはとてもあなたらしい行動であって、それがあなたの本質なの。どれだけ嫌っても、否定しても、呪ったとしても、自分が自分であることをやめられないように、本質からは逃れられない」
「……それが、俺が救世主たる所以か?」
「かもしれないし、それは関係ないかもしれない。でもね。英雄とは、絵空事を有言実行するものよ。ある時は、高慢なほどにね」
東雲の瞳は、すごく慈愛に満ちた目をしていた。女神のような、なんて表現は、こいつに心底参ってしまっている東雲ファンクラブのメンバーしか出さない例えだと思っていたが、案外その認識は広く知れ渡る価値観なのかもしれない……こんな俺でも、思ってしまうんだから。
「……やっぱり、柄じゃないな」
と、言ったところで、東雲のスマホが鳴った。
「はい、シャル? どうしたの?」
電話越しに途切れ途切れに聞こえてくるのは、推測するにシャルロッテだ。ってことは、俺を東雲と一緒に助けてくれた後、学校に向かったってことか。
「襲撃!? 待ってよ、志木城君も私も学校にはいないのに? ……そう、分かったわ」
最後に、『すぐに行くわ』と言って電話を切った。
「なんだ? 襲撃って、あのアルマなんとかって女か?」
「ええ……アルマ・ピリスが今、学校で生徒を人質にとって、あなたを探してるって……」
「ちょっと待て。そもそも今は何時なんだ」
全然忘れていたが、確か登校途中であの蜥蜴と交戦したんだよな? それで、俺が意識を失っていて……
「今は十五時半よ。丁度終了のホームルームが終わって、放課後になったタイミングね」
おいおい、そんなに眠ってたのか。
「むしろ、数時間で目が覚めた方が奇跡よ」
そう言って、東雲は立ち上がる。俺もそれに続いて立ち上がろうとして、
「何をしてるの?」
「いや、だから、今から行くんだろ? 学校」
至極当然のことだと思って俺は言ったが、返ってきたのは、深いため息だった。
「あなたは毒に侵されていたのよ? まだ体調も回復していない。無茶よ」
「無茶でもなんでも、俺が行かなきゃダメだろう。相手が探してるのは、俺なんだからさ。それに、毒はもうなんとかしてくれたんだろ?」
「解毒は済んでいるけど、毒がなくても、あなたは咬まれているのよ。その傷はどうやったってすぐに完治しないわ」
東雲の言葉を、それは黙って聞いていた。聞きながら立ち上がり、シャツを探す。ブレザーも見当たらないが……やっぱり、先の戦闘でおしゃかになったか?
「……ブレザーとシャツは血まみれだったから、捨てたわ。牙で穴もたくさん開いていたしね」
「そうか。すまないな。ブレザーもシャツも、一応予備がある。家に寄ってから、向かうか。ひとまず、何か羽織れるもの、あるか?」
東雲は答えを返さなかった。
「……分かってるよ。らしくないのも、柄じゃないのも、キャラじゃないのもさ。でも、こんな俺でも、救世主として訓練したり、実際に戦ったりしてれば、嫌でも使命感ってのが生まれるさ。放っておけねぇよ。それに、今回は学校の奴らが巻き込まれてるんだろ? 自ら進んで人助けはしないけど、それが手の届く範囲で、自分に助けられる力があるなら、やる以外の選択肢はないだろう」
まだ黙り続ける東雲を、俺は静かに盗み見た。こちらを、じっと見つめていた東雲と目が合う。彼女の目は、不安と期待と、そしてどこか喜びの色に染まっていた。
「……あなたが今行った決断、当然のようで、出来る人は少ないのよ。自分の手の届く範囲で、自分が助けられる力を持っていて、自分は救世主だと言われていても。それでもね、痛む傷をおしてまで、助けに行こうとできるのは、あなたが、紛れもなく特別な魂を持っているからなの。……私の目に、狂いはなかった。あなたを選んで、間違いなかった」
先ほど東雲が話した、『本質』の話。そして今の自分の決断。わかりやすいくらいにうんざりするほど、俺は……親父の息子だった。
「……私のシャツを貸すわ。男物だから、着られるはずよ」
「男物……?」
「シルクシャツ……大きいサイズを寝間着にしているの」
ああ、なるほど。いや、それ以上考えるな。そんな男子高校生として健全なことを考えてる暇はない。
「今は夏服移行期間だから、ブレザーはなくても大丈夫よね。そのまま向かいましょう」
俺は、シャツを借りると、それに頷いた。確かにサイズの合うワイシャツがあるなら、わざわざ俺の家にとりに行く時間が惜しい。
俺たちはそのまま、学校へと向かった。
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