第10話

『うーちゃん』

 聞き覚えがあるのに、誰の声だか分からない。幼い子供の声で、拙い子供の口調で、やけに懐かしい感じがした。

『ゆーくん』

 もう一人、子供声がする。こっちの声を聞くと、さっきの声より、いくらか柔らかくて、音が高い。それで、一人目が男の子、そして二人目が女の子なのだと気づく。

 俺はどういうわけか、二人目の、つまり女の子の姿しか見えない。

 女の子は肩まで伸びた艶々の髪を揺らして、なんだか嬉しそうに笑いかける。

 暗転。夢は、そこで終わった。

「う……ん……」

 それが夢だということ、そして子供の頃の思い出だと理解するのに、時間はかからなかった。誰にでもある小さい頃の思い出というやつだ。俺の場合、小学校の時のあまりにアンハッピーな事件が強すぎて、もう殆ど思い出すことなどしない記憶だ。

 小さい頃の記憶は、どうしたって両親を思い出すから、多分無意識的に思い出さないようにしている。そんな風にしてる内に、最近では本当に思い出せなくなってきていた。

 それが良いのか悪いのかは、わからんが――、

 頭の方で、目覚まし時計が鳴る。

 きっと時刻は朝の五時半で、六時には東雲邸まで行って、特訓を受けなくてはいけない。

 特訓はすでに六日目。

 未だに『魔力剥奪』は飛ぶどころか、ピンポン玉ほどのバウンドすら見せない有様だが。本当に俺はこれを飛ばせるようになるのだろうか。

 というより、手で触れて直接発動するものをどうやって飛ばすのか。想像がつかなすぎてビックリする。

「……そういや、あの女の子……」

 夢の中の女の子は、なんとなく東雲に似ていた気がする。

 あの子の名前はなんだっただろうか。

 随分仲良くしていたはずなのに、苗字も名前も思い出せないとは、我ながら中々薄情なヤツであるとも思うが、そもそもクラスメイトの女子の下の名前すら殆ど覚えていない俺だ。別に不思議なことではない。

 俺は支度を終えると、教科書やらの勉強道具が入った本来の鞄とは別に、スポーツドラムバッグを肩に担ぐ。ポンサックスタイルでも使えるこの小さめのドラムバッグには、タオルとか着替えとか、宿泊に必要なもの(特訓中に力尽きて意識を失った時用)を丸々コンパクトに詰め込まれている。特訓専用バッグだな。

 コケシ・ブレード……いや、コー・ブレードは腰のホルダーにつけて、と。これが微妙にかさばるんだよな。

 誰かに見られたら、制汗スプレーをホルダーで携帯してる痛いヤツみたいになるが、これは現状、俺の唯一の武器なので、手放すわけには行かない。

 そんなこんなで東雲の家に向かう。

 彼女の家は、俺の家から徒歩二十分という、近くもなければ、遠くもない場所にあった。その周辺は駅からも少し離れた反対側で、特別用事がなければ足を運ぶこともない高級住宅街なので馴染みがないのだが、立ち並ぶ一戸建ての中でも、かなり大きな屋敷なのだ。

 いきなりの『自分救世主疑惑』と強制的な泊り込み修行に余裕がなさ過ぎて、東雲の家が豪邸であることはスルーしてしまっていたが、改めて考えると、こいつの両親は何をして稼いでいるのか怪しく思えるくらいには、馬鹿でかい家である。

 早朝の静けさに包まれる歩道を、二十分かけて歩き。

 巨大な門の前に立つ。

 チャイムを鳴らそうとしたその時、自動で門が開いた。

『おはよう。志木城君。時間通りね』

 インターフォンから東雲の声がする。

俺は挨拶を返すと、そのまま門の中へと入っていった。



「知らないわね。私、小さい時はこの辺ではなく、ずっと遠い所に住んでいたもの」

 特訓を終えて学校へ向かう途中、東雲は冷ややかな目で俺を見ながら、いつものように淡々とそんな風に答えた。

 なんの質問に対してか、といえば、それは当然今朝見た夢の話の延長で、もしかして小さい時に俺と東雲は既に一度会っていて、実は幼馴染だった、なんていうラブコメ漫画やラノベやギャルゲーにありそうな展開を期待して聞いてみたものだ。

 結果は即答で『否』であった。

 いやさ、ここはこれだけ丁寧かつ在り来りな伏線を張ったんだから、俺と東雲が実は幼馴染っていうベタな設定はあってもいいじゃないか?

「無いわよ。そんなもの。そもそも私、小さい頃の記憶ってあまり覚えていないのよね」

「じゃあ、違うがどうかも定かじゃないだろう」

「……いいえ、ないわね」

 だから、なんで言い切るんだよ。

「だって、肝心なあなたにはないのでしょ? 私と昔会っていた記憶なんて。それじゃあ、その時点でないのよ。しかも、こうして話題にしてるのに、何も思い出さないってことは、きっとなかったのだわ」

 そんなに『ない、ない』言わないでくれる? なんか悲しくなるから。

「そうか……それじゃあ、あの夢の子は誰なんだ……?」

「初恋の相手とか?」

「そう……と言いたいところだが、その辺の記憶もないんだよな……」

 東雲が言った通り、実際問題、俺にその記憶が曖昧というか、ない時点で俺たちは知り合いじゃなかったのだろう。

 でも、何というか、何かモヤッとした感じだけは残るんだよな……。

 首をかしげなら歩いていると、ふと手首の腕時計を見つめた東雲が、ハッとした表情で立ち止まる。

「ん? どうした東雲。まるで世界の秘められた真実に突然気づいてしまったような顔をして」

「志木城君、あなた、腕時計は持っているかしら?」

「いや、持ってないな」

 生憎先日のラブレター事件の朝、裏山から転げ落ちるのを阻止した際の犠牲となって以来、金も時間もなかったので、新調などしていない。

「それじゃあ、スマートフォンは? 時間を見て欲しいのだけれど……」

 俺はスマホを取り出して時間を確認する。

 八時十五分。

 予鈴は八時三十分で、この場所から学校までは、少なく見積もっても二十分。

 なるほど。これはピンチだな。ピンチなのだが……、

「どういうことだ?」

「そうね……さしずめ、ゆっくりし過ぎた、というところかしら。いつも通りの時間に訓練を終えて、支度も滞りなく済ませたつもりだったけれど」

「待て、俺は玄関でいつも以上にお前を待った感覚があったが、それじゃないのか?」

「髪が決まらなくてね。それが、予想以上に時間を侵食した……ということね」

「何か大ごとのように言ってごまかすな。っていうか、そこから時間見てなかったのかよ」

「それはあなたにも言えることでしょ?」

 確かに返す言葉もないな。東雲はそういう時間の管理とか得意だから、その辺は丸投げしていたんだっけ。

「……遅刻か……」

「いいえ。まだ方法はあるわ」

「まさか――」

「ええ、そのまさかよ。あなたも知ってるでしょう? 無銭神社を突っ切る裏山ショートカットコース」

「お前のようなお嬢が、あんな地獄のルートを知っているとはな」

「たまに使っているのよ、あそこ」

 マジかよ。なんて、考えているうちに東雲が走りだす。

「行くわよ。ついてきなさい」

 タンッと、強く地面を蹴った音がしたと思ったら、すでに数メートル先に移動している東雲。

 あいつ、足早いな。運動神経全般がいいからな。

「はぁ……」

 俺も仕方なく、その後に追いつくよう、全力で走りだした。

 学校一の美少女と朝のジョギング……なんて、シチュエーションはかなり美味しいものかもしれないが、それが死に物狂いの山道となれば、そうそう楽しいばかりではない。

 というか地獄だな。

 いつぞやのように高い石段を六十三段きっかりと登り切り、すでに満身創痍になりながら、無線神社の境内を突き進む。少しだけ前を走る東雲のペースは一向に落ちないワケだが、こいつの体力はどうなっているのだろう。バキバキのアスリート体型とは程遠い、華奢な体格であることは間違いないのだが。

「待って!!」

 境内の真ん中あたりで、急に声をあげる東雲。俺は合図通りに立ち止まった。

「今度はなんだ? 止まっている余裕なんて……」

「来るわ。構えて!!」

 首だけでわずかに振り返り、その鋭い視線を見た途端に、何のことだが理解した。

 俺は全身に力を込めて、『石装鉱(ゴーレムスキン)』を纏う。あのシビルと戦った時よりもスムーズで強力な力を纏えているはずだ。

「来るって、襲撃か? でも、それはまだのはずじゃ……」

「分からない……でも、これは低級の魔族……それか、使役されるような魔物(モンスター)の気配……コー・ブレードを構えて臨戦態勢。方角がわからないから、全方位に気を配って」

「マジかよ。いつもながら、超展開だな!!」

 俺は腰のホルダーに入っているコケシ・ブレードよろしくな武器を取り出して構える。

 ヴゥンッとやっぱりどう聞いても、寺院で修行しているのに騎士を名乗る人々が持つ光の剣と同じ音を立てながら、禍々しいレーザー的な刀身がニュルニュルと飛び出す

 この武器にも大分馴染んできたな。

「どこから来る?」

 確かにこの『石装鉱(ゴーレムスキン)』は、基本的に薄い全身防御ではあるが、攻撃が来る場所が分かれば、その部分だけを丈夫にすることもできる……と、聞いた。

 風に煽られ、木々の葉擦れの音が聞こえる。

 遠くに車のエンジン音、空からはスズメの鳴く声も。

「……ん?」

 俺は気づいた。これまでの襲撃とは、この時点で違う。何が違うって、俺には今、周囲の音や空気がしっかりと感じられている。

 つまり、これは何かっていうと、いつものように空間を隔離されていないということだ。

「……空間隔離を行わずに、襲撃……??」

 恐らく東雲は、俺よりも先に気づいたようだ。

「やっぱりそうか。いつもみたいな、変な違和感がなかったからな」

 まぁ、本来襲撃とはオープンワールドで行うもので敵を光にしたがる某勇者王みたいに、わざわざ空間湾曲させていた今までが特殊なのだ。

「ありえない。こんなことをしたら……」

 東雲がそんな風に考えこんでいる背後に、突然大きな黒い影が現れた。

「東雲!」

 俺はとっさに東雲の腕を掴んでこちらに引き寄せた。その拍子に、背中に腕を回すような形で抱き留める。

 ズゥンという重い音と共に、今まで東雲がいた場所は、形の不揃いなハニカム構造みたいな模様の付いた黒紫色の何か押し潰された。

 俺は彼女を抱えたまま、本能的に後ろへと飛びのいた。

「大丈夫か、東雲」

「ありがとう」

「ありゃあ……」

 なんだ? と言いかけて、俺に戦慄が走る。大きすぎることで、俺の認識と判断能力がバカになっていたが、よく見ると爬虫類的なものの前足だった。歪んだハニカムっぽく見えたのは、ウロコだ。

 俺はその前足の付け根を辿るように視線を上げていく。

 二階建てのバスくらいだろうか、視界が四メートルほどの高さに到達した時、それは明らかになった。

 それはそれは大きな、蜥蜴だった。硬質で温度のなさそうな、爬虫類特有のウロコに覆われた体は黒紫色で、体色イメージはコモドオオトカゲに近いものの、形はかなりシャープなヤモリのように感じる。爪の鋭い超巨大なヤモリ。顔に対しても大きすぎる目が、無感情にこちらを見つめている。

「ポイズンリザード……」

 俺の腕の中から、するりと抜けながら、東雲が呟く。

「毒蜥蜴か。ってことは、もちろん、毒があるんだよな?」

「牙と爪に毒があるわ。毒を飛ばすことはしてこないけど、攻撃を受けるとアウトね。それに、」

 東雲が言い終える前に、視界が揺れた。いや、揺れたと認識した時には、今の今まで視界の大半を占めていた巨体が、消えた。

「左よ」

 その声に従い、俺はまたもや、東雲を抱えて前に飛んだ。

「ちょっと!!」

 抱えられた東雲がそんな風に言うが、その声は地響きにかき消された。

 ポイズンリザードの鉤爪だ。俺は東雲ごと、体を反転させる。

「早いな」

「あなた、バカなのね?」

「あ? どうして」

「言ったでしょ? 戦闘経験も能力もそして、瞬発力も私の方が上なのよ? あなたは自分が避けることだけを考えて動けばいいの」

「んなこと言っても、近くに居たし、殆ど無意識だ」

「…………とにかく、見ての通りの速度よ。気を付けて……」

「気を付けろって言ったって、今の二回、避けられたのは、奇跡だ。次は自信がない」

 蜥蜴野郎から視線を外さずに、視界の端で、東雲の表情を盗み見る。

「ええ。私でも、あの速度から逃げ続けるのは、厳しいわね」

「何か策は?」

「そうね」

 そう答えると、東雲は一歩、前へと踏み出した。

「おい……!」

 俺の制止も聞かず、蜥蜴の正面、かなり近い位置へと歩みを進めた。蜥蜴は動かない。

「…………」

 東雲は黙ったまま、蜥蜴を見つめる。見つめ合って、お互いの隙を伺っているようだ。

「……どういうこと? あなたは……」

 そう呟いたあたりで、嫌な予感を感じた。

 蜥蜴が動く。いや、襲い掛かってくるという確かな感覚があった。

「東雲!!!」

 俺は駆け出していた。

 彼女までは、やや距離がある。

 俺のトップスピードから、身体能力を考えて、先ほどの蜥蜴の高速移動を考慮すると、東雲を庇うのが精一杯。これまでのように抱えて飛びのく……なんてことは出来そうにない。

「クソッ!!」

 間に合わない。

 そう思った時、すでに東雲は視界から消えていた。早い。駆けだした俺は、東雲にはもちろん、もう蜥蜴すらいない場所を目指して突進した状態になってしまっていた。

 俺の視界が捉えた情報では、恐ろしく早い蜥蜴の爪による薙ぎ払いに、それ以上に速い回避行動で避けた。

 東雲は……?

 体ごと視界回転させて東雲を探すと、丁度俺の斜め左後ろにいた。

「東雲!!」

「私は大丈夫。でも、あなたを庇う余裕はないから……」

 言い途中で、蜥蜴の爪を一振り、二振りと避けていく。

 空を切れば、『ブンッ』という風切り音が、地面に当たれば、『ドンッ』という敷石や土の破壊音が響く。蜥蜴の攻撃は早さもさることながら、そのどれもが重量級だ。

 いや、……っていうか、あいつ、なんであんな早く動けるの?

 見ただけでわかる、特訓を積んだ俺よりも、二倍か三倍は早い。

その高速のやり取りに、下手に干渉するわけにもいかず、東雲と蜥蜴の攻防を目で追うくらいしかできることがない。蜥蜴のターゲットが俺に向かない限りは。

「だけど……どうやって倒すんだ?」

 俺は思わず、呟いた。

 確かに東雲は、身体能力はずば抜けているが、対人外用の攻撃手段を見たことがない。圧倒的なスピードで攻防を繰り返す、東雲とオオ蜥蜴。それを目で追うので精一杯な俺。

 クソッ、役に立たないな、俺は。

 右に、左に、上に、下に、マジでバトルアニメを見てるようだな。それかVFX満載のヒーロー映画か。

 蜥蜴が、一際大振りな一撃をすかした時、東雲が動いた。少しだけ大きく飛び退くと、滞空中に首元に手をかざして、鎖のようなものを取り出した。

 おそらく、首にかけているネックレスだ。

 確か、アレは魔鉱金属で作られたアクセサリー。

 オリジナルスキルを使用する為のアイテムだったはずだ。

「〝茨蔦(プリンセス・ラバー)〟」

 東雲はそう、宣言した。すると、手にしていたネックレスのチェーンが、長く大きな茨の鞭へと形を変えた。

 そのまま東雲が、茨を引き上げる。茨はしなり、うねって、蜥蜴の両前足を捉えた。

「強く縛れ」

 東雲の言葉に反応するように茨はまるで、意志でもあるかのように自発的にと蜥蜴の足に絡みつき、グルグルと縛りあげていく。

「ふっ!!」

 追加で掛け声が聞こえ、茨の棘が所々巨大化して楔となり、テントの杭よろしくサイコパスの残虐奇行がごとく蜥蜴の前足を地面に打ち付ける。

 両前足を固定された蜥蜴は、勿論動くに動けない。すげーな。動き封じちゃったよ。

「さて……あなたの召喚主は誰?」

 ストッと、当たり前のように華麗で軽やかに着地した東雲は、そのまま冷ややかな顔で、そう問いかける。

「まぁ……教えるはずもないか……あなたの階級からして、単純な命令を遂行する以外の権限も知能も与えられていないものね」

 何も言葉を発しない(当たり前だけどな)相手に向かって、東雲は言葉を続けていく。

「ふぅ、まったく何を考えているのかしら」

 誰に向かって、何に向かってそう呟いたのかは分からない。彼女はやれやれと、目を伏せながら首を左右に振った。

 僅かな間――ほんの一秒にも満たない時間だが、必然的に瞼は閉じられ、おそらく彼女の視界から、蜥蜴が消えた瞬間だと思う。

 ポズンリザードは、動いた。

 これまでと何ら変わらない速度で。

 違うとすれば、動き始めから、トップスピードまでの時間が、コンマ数秒、遅かったくらいだ。そして、それは自らの前足を引きちぎる時間だった。

 当たり前のように、ごく当然のように、状況的にいうなれば、蜥蜴がしっぽを自ら切り離すようにあっさりと、そいつは両前足を捨てたのだ。

 俺は、それをスローモーションのように見つめていた。

 多分あれだな。体感時間が引き延ばされて周囲の時間経過がゆっくりに見えるというなにがしかだ。自分もついに超感覚が目覚めたか!? なんていうくだらないことを考える余裕もなく、俺は反射的に足を踏み出す。

 ビチャッと、引きちぎられた足の付け根から、血液的なものが飛び散る。

 大きく頭をうねらせ半開きだった口が全開になる。間違いなく、噛みつくモーションだ。

 一方、東雲はまだ首を振っている状態から、頭も視線も上げてはいない。

 ダメだ。やられる。

 一秒をコマ割りにするように、ゆっくり、ゆっくり時間が流れる。

 俺は間に合うのか? いや、そんなことはどうでもいい。

 とにかく早く、今までのどの瞬間よりも早く動いて、東雲を助けなくては。

 そんな考えで、頭が一杯だった。

 空気が重い。ああいや、違うぞ。場の空気が気まずいとか、そういうんじゃない。ただ、自分が考えられる一番早いと思えるスピードで動いているのに、それはまるで、見えない空気の層の中を、かき分けて進んでいるように、体に感じる空気的なものが、ひどく重く感じた。高圧な水の中を進んでいるようだ。

 と、そんな空間との摩擦勝負な感覚と、俺の目が捉えるスロー再生は、突然終わりを告げた。

 突然加速した世界で、俺はなんとか東雲を突き飛ばすことには成功したっぽい。手ごたえがあったからな、『ドン』っていう。

 おお、間に合った、とかなんとかいうささやかな達成感と、エッヘン、ドヤ、なGJ幸福感は、えげつないほどの痛みによってほぼかき消された。

「……あ、あがっ!!!」

 激痛と衝撃に無意識に声が漏れる。

 ええと、なにこれ?

 なんか俺の右肩、蜥蜴の口に覆われてない?いや、ちょっと自分でも把握しきれないんだが、どうにもこれ、かまれてるみたいだな。丁度こう……首下から斜めにバクッと、脇腹あたりまで噛みつかれてる。ええと、ほら、吸血鬼が首筋に噛みついて血を吸うじゃん? あれの超ウルトラやりすぎバージョンみたいに、斜めに持ってかれているわけ。

「ちょっと……志木城君!!」

 付き飛ばされたものの、多分一瞬で体制を整えてこっちを見た東雲が、今まで聞いたこともないような必死な声で、俺の名前を呼んだ。

 咬まれている『歯型』の圧力が消え、その歯型通りに、牙が体から抜ける感触がして、俺はそのまま、地面に倒れ込んだ。

 噛み千切られて、右肩から、胸、脇腹くらいまでと泣き別れする可能性も考えていたが、どうやらそれは免れたらしい。

 蜥蜴は、一度俺から口を離したのだ。

「『茨蔦(プリンセス・ラバー)』!」

 東雲は再度、そう口にしてさっきまで蜥蜴の前足を縛っていた茨の鞭が、強烈な勢いで、蜥蜴を弾き飛ばした。

 衝撃で、十数メートルほど吹き飛ぶポイズンリザード。

「……志木城君!! 私を……庇ったの?」

 東雲に半身を半ば引きずり上げられるように炊き抱えられ、そう問いただされる。

 咬まれた時の万力のような押しつぶされた痛みと、牙による鋭痛、そしてなんだか正体不明のジンジンとした妙に熱を帯びた痛みに苛まれながら、俺はなんとか、言葉を発しようとした。

「……あいつが、無理やり……動くの……が……見えた……から……」

 思った以上に、言葉が離せない。麻痺にも似たような、そんな感じ。

「志木城君、しっかりして!! くっ……毒が……」

 東雲の言葉を聞いて、そういえばあいつが『ポイズン』って呼ばれていたことを思い出す。牙と爪を受けるとアウトなんだっけ。ああ、俺、完全にアウトじゃん。

「……なんで……どうしてこんなことに……」

 抱きしめるように覗き込みながら、東雲が苦しそうな表情で俺を見つめる。

 なんだ、東雲、泣いてるのか?

「はは……泣いてても……こんなに綺麗なんだな……お前」

 心の中で思ったはずのことが、声に出ていた。

「バカ……何をしてるのよ? こんなの、あなたが一番嫌う下らない行為のはずでしょ?」

 そうだ。誰かを助けようとして英雄的な行為をして目立てば、それはきっと『運命』とか『神様』とかいう連中に目をつけられて、時には『勇敢な死』をもたらす。親父がそうだったように。……って、そうか。俺は、同じことをしちまったってことか。

「……下手、こいた……な……でも……なんかさ……お前が、『やられる』って思ったら……もう……う……ごいて……いて……」

 あ、マジでダメだ。体の感覚な急速になくなっていく。

「少し、待っていて」

 抱きかかえられていた俺の体が、ゆっくりと床に置かれる。

 視界から東雲が消え、俺は朦朧とする意識の中、そのまま霞む空を見上げる。いや、霞んでいるのは、それではなく俺の目か。

「……我、特権の一つをここに使役する……」

 そんな東雲の声が、なんとなく聞こえた気がする。

 東雲の声は、確かに間違いなく彼女のもののはずなのに、どうにも今までに聞いたこともないくらいに冷たく聞こえた。

 俺は声のした方に、ゆっくりと首を動かす。マジでやばいな、仰向けで転がっている状態から、首だけ横に動かすのが驚くほどつらく、そもそも殆ど力が入らない。

 スカートを翻しながら、迷いなく蜥蜴に向かって歩いていく東雲の後ろ姿が見える。

 だがなんだろう、この体の外郭からにじみ出るような黄色と紫のグラデーション的な光は。

これが、東雲の魔法……或いは、オーラ的な何かなのだろうか。そんなことを考えながら見つめていると、瞬きもしていないのに、突然東雲の姿が消えた。

そして、その直後には、東雲越しに見えていた蜥蜴が、霧散した。

「……あ……え?」

 失神ギリギリの状態の俺だったが、きっとそれは声に出していたと思う。

 霧散した、というと少しイメージが違うかもしれない。

 ポイズンリザードは、外側から何かに押しつぶされるようにして、粉々に飛び散ったのだ。

 ぇえ~? 意味わからない。

 びちゃびちゃと肉片と血液的なものが、地面に飛散すると、『トン』とローファーを鳴らして、東雲が着地した。

 その動作に、『そうか、高速で飛び上がったから消えたように見えたんだ』とか、自分の中で納得したあたりで、俺の意識に限界が来た。

 なんだよ、東雲、お前、めっちゃ強いじゃん。

 最後にそう思って、俺の意識は闇に飲まれた。

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