第7話

それは、遠い日の記憶。

 親父とお袋と、まだ小さいころの俺、それは幸福な家庭。

 親父はエリート銀行員で俺の家は裕福だった。

 仕事ではバリバリの利益&現実主義のくせして精神論が好きで、正義とか、生き方とか、男としての格好良さとか、そういうのに拘りがあって、その信念や信条に少なからず俺も影響されていた。だから、幼い時の俺はいつだって正義の味方だったし、いじめっ子は許せなかったし、正しく生きることが何より価値のあることだと思っていた。

 タバコも吸わない、酒もたしなむ程度、夜遊びももちろん、女遊びもしない、そんな親父は、お袋にとっても俺にとっても、立派な男だったと思う。

 だが……俺が小学五年生になったある日、事件は起きた。

 銀行に強盗が入り、親父を含む数人の行員と一般客が人質に取られた。

 犯人が一般客に危害を加えようとしたところ、親父はそれに立てついて、争いになった結果、犯人に刺された。それが致命傷となって命を落としたのだ。

 親父は勇敢で、正しくあろうとして、いつだって格好いい正義の味方だった。

 でも、だからこそ、親父は死んだのだ。

 俺は思った。

 親父が勇敢でなければ。

 正義も味方でなく、犯人に立てつかなければ――。

 目立つことなどしなければ、死ななかったのではないか、と。

 だから、

 だから――、

「ほら、そこ! 気絶するのは、まだ早い!」

 そんな声と共に、バチーンッと左頬に痛みが走る。

 俺はハッと我に返った。

 なんだなんだ?

 まさか、今見てたのって……走馬灯ってやつか?

「痛ってえ!」

 俺は思わず頬を抑えて叫んだ。

「戦闘中にボ~っとしない! 本番だったら、死ぬわよ」

 竹刀を肩に担いで、ビシッと指差すのは、当然東雲柚姫である。剣道着姿がまた格別に似合って美しいわけだが、正直俺はそれどころじゃない。

 そうだ。俺は今、東雲に特訓を受けているんだっけ。

 あの特訓宣言から五日、俺は学校にも行かせて貰えず、東雲の家(というか馬鹿でかい庭と主屋と離れとその他諸々のある一大テーマパーク級の豪邸)で泊まり込みの修行をしている。

 朝の五時にたたき起こされ、走り込みなどの基礎トレーニングをこなすと朝食、その後は特製のピッチングマシーンを使った反射神経の訓練、シャルロッテによる魔法力覚醒訓練と対魔法強化訓練、昼食を挟んで今度は剣道三段、古武術二段の東雲柚姫に実践的剣術の訓練を日が暮れるまで受ける。まだまだ終わりじゃない。夕食と風呂を済ませた後は、シャルロッテと東雲の二人による魔法学講座。

 俺が解放されるのは、夜十一時過ぎとなる。

 地獄だね。

 いつもマイペース。いい意味でも悪い意味でも頑張らない生活を送っている俺にとって、こんな生活が五日も続けば、もうナチュラルに失神できる身体の完成である。

 おかげさまで、身体能力を向上させる簡単な強化魔法は習得したし、相手の魔法から身を守る対魔法力は最低限だが身に付いた。純粋な身体能力、戦闘能力も上昇したといえる。だが、それはあくまで、人間としての能力が上がったというだけで、この前みたいな雷神の電撃波の直撃なんぞに対抗できるような身体になった訳では断じて無い。

「ところで東雲、俺は覚醒できそうなのか? その……救世主として」

 十五分の休憩に入ったところで、俺はそんなことを聞いてみる。

「まだはっきりとは分からないけど、今のところその兆しはないわね。魔法の才能も平均以下だし。攻撃系の魔法が全く使えないというのは、致命的ね。最低限、身を守る為の『石装鉱(ゴーレムスキン)』」は合格レベルでできるようにはなったけど、それだけだものね。一応、対魔族用の『取っておき』は仕込んだけど……どうかしら」

涼しい顔でスポーツドリンクを飲みながら言う東雲。

悪かったな。魔法を習うどころか、存在を知って一週間も経っていないんだ。仕方ないだろう?

「……確かに、時間も余裕もない中では、これが限界かもしれないわ」

 真面目な顔をしながら、頷く東雲。

 きっと、俺の特訓の出来栄えを通じて、襲撃に備えてどう戦えばいいかを思案しているのだろう。そういうところは、真面目なんだよな、こいつ。

「……なあ、東雲。お前はどうして戦おうと思ったんだ?」

「……え?」

「え?」

 東雲の反応に、思わず同じ反応をする俺。

「お前が戦う理由だよ。いくら魔法に精通していたとしても、それだけで強大な魔王と戦おうなんて思わないだろ? それも、こんな少人数でさ」

 そこまで俺が言い直すと、東雲は「ああ」と言って、頷く。

「それはね、それが私の……使命だから」

「使命……?」

「ちょっと理由があってね。すべてを話すことはできないんだけど……救世主を目覚めさせ、魔王侵略を止めること、それが私の使命なの」

 使命か。使命ってことは、与えられた任務ってことだ。自分発信の選択ではないのかもしれない。

「……自分の行動で、変えられる未来があるのなら。変えたい未来があるのなら。そのために出来ることをするのは、当然のことじゃない?」

「当然……ね」

 もちろん、俺にとっては、腑に落ちない考え方だ。

 だってそれは、正義の味方の理論だ。正しいことを正しいと思うからする。その理念は、圧倒的強者でなくては、失うものが大きすぎることを俺は知っている。

「それに、これは私の為なのよ。私が私の意思で、戦おうって決めたから。それが正しいと信じたことを、正しく行うのは、大事なことでしょう? 言い訳をして本心を飲み込んでしまうのは、格好よくないもの」

 『格好良くない』か。確かにそれは大事なことだ。

 それに東雲の言っていることは概ね正しい。だが、時に正しすぎる光は目をくらませる。

「ヒーローの考え方だな。正義の味方の思考だ。立派だよ」

 だけど、それは蛮勇だ。

「……違うわ。私は……」

 東雲は少しうつむいて言葉に詰まった。

 続きは語られないまま、俺の方に向き直る。

「志木城君、あなたどうしてそんなに目立つことを嫌がるの?」

 俺はため息を吐いた。これはいつものとは違い、本当のため息だった。

「これは、俺の生き方だよ。何を大人ぶってって思うかもしれないけど、俺はもう、人生においてのテーマを決めてるんだ」

「それが、その事なかれ主義なの?」

 彼女の言葉が、チクリと刺さる。もう随分と、気にしなくなったはずの痛みだ。でもたまに、こうして予期せぬタイミングで痛みだすと認識せざるを得ない。

 俺の棘は、未だに刺さったままで、それは全然体に馴染んでなんていないのだってことを。

「優秀な人間は妬まれる。逆に劣った人間は蔑まれる。どっちも負の感情を抱かれるんだ。他人にも、そして、運命……っていうか、めぐりあわせにもな。もちろん、それを跳ねのけるほどの強さが有ればいい。でもそうじゃなかったら? 俺は、うっかり目立って覚悟もないままに妬まれたり、蔑まれたりしたくない。世界の理不尽に不満を言うつもりはないけど、理不尽を回避する手段があるなら、俺はそれを優先したいって、それだけの話さ」

すると、東雲はじっと俺を見たまま、眉をひそめた。

「何か、あったの?」

「何も……別に特別なことじゃないさ」

「あなたは今、一人暮らし、なのよね?」

「ああ、どうせその辺は調べたんだろ? その通りだよ」

「あの……」

 東雲が、恐る恐ると言った様子で言葉を続ける。こんなに控えめに何かを口にする彼女は、俺の知る限り珍しい。

「ご両親は……?」

「死んだよ」

「えっ?」

「親父は事故……ようなものに巻き込まれて死んだ。その後を追うようにお袋が病気で死んで……今は、叔父さんが保護者になってくれている。暫くは叔父さんの家に居候させてもらってたけど、高校に上がるのをきっかけに、放置していた自分の家に戻った。そこからは、一人暮らしだ。充分な保険金は降りたし、叔父さんたちもしっかり援助してくれている。毎日家事に追われる以外は、幸せな毎日さ」

 簡潔に、分かりやすく、無感情に話す。

 こういう時のために、俺はこの手の話の『話し方』を準備している。別に詳しく話す必要なんてない。ただ両親とも死んでいて、一人暮らしをしていて、保護者は居るしその人との関係も良好で、現状生活は苦しくないってことが伝わればよいのだ。

 だが、それを聞いた東雲の表情が、あからさまに曇っていく。

「あ、あの……」

 東雲の小さな口が何かを言おうと動く。

「もう六年も前のことだ。気にすることじゃない」

「あの、悪かったわ。そんなことになっていたなんて、知らなかったから」

「だから、いいって。お前がそんな顔をすることじゃないよ」

 言っても、東雲は表情を変えなかった。

「もうとっくに、踏ん切りはついている」

 変わることなく冷静に告げると、彼女は俺を見つめたまま、続けて口を開く。

「踏ん切りはついていても、悲しみが消える訳ではないでしょう」

「……それは……まぁな。だけど逆に、悲しんでいても、死人は蘇らないからな」

「事故って、どんな?」

 俺は親父がどうして死んだのか、なるべく感情を入れずに淡々と話した。感情を乗せると、どうしたって同情を誘う話になる。

「そんなことが……。だからあなたは、目立たないように生きることにした……のね?」

「俺なりの結論、処世術ってやつだよ。……いや、もっと情けないものかも。そう考えなければ、やってられなかったっていうね……」

「ごめんなさい。あなたは、そんなことを経験していたのに、私は……。なんて、愚かで軽率だったのか……」

 どういう訳か、東雲は神妙な顔でポツポツと呟いた。その真意は今一つわからなかったが、それでも彼女が、俺の境遇を聞いて動揺していることだけはわかった。

「……やめないか? 不幸自慢みたいで嫌なんだ。これを話すのって」

「そんな風には思わないわ」

「俺が思うんだよ。自分でさ。『俺は可哀相なヤツだ』って、不運なヤツだって、嫌でも自分に言いたくなる。そうなったら、負の連鎖だ。そうやって鬱になるのは、小学生の間ずっとやってたから、飽きたんだ。もういい」

「本当に、ごめんなさい」

 東雲はもう一度謝った。

「……悪いな」

 俺が言うと、東雲はどこか遠くを見て、小さく口を動かした。

「そう……それが理由……」

 消え入りそうな声で、何かが聞こえた。

「えっ?」

「いいえ。なんでもないわ」

 東雲が殆ど無理矢理に、パッと明るい顔を見せる。

「じゃあ、訓練再開よ。あ、因みに明日から学校に行っても大丈夫。一応最低限死ににくくはなったから」

 いつもどおりの東雲柚姫に戻った。

 っていうか、やっと行けるのか、学校。

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