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 ひとりぼっちだった私は、本が好きだった。

 否、正しくは、好きになるしかなかった。

 親や学校の先生、同級生達と仲良くできなかった私は、その孤独を読書に求めた。

 孤独を癒すために、たくさん本を読んだ。

 だから、本を好きになるしかなかった。

 まあ元々、本は嫌いではなかった。

 物心つく前から、母に絵本の読み聞かせをしてもらったのを薄っすらとだが覚えている。

 淡く朧気だけど、美しく綺麗な記憶。

 もう二度と訪れることのない儚い過去。

 幼稚園生の頃には、もう自分で絵本や児童書なんかを読んでいた。

 小学校に上がってからも、児童書や子ども向けの伝記やら図鑑、その頃には、漫画なんかも読み始めていた。

 とにかく、色んな分野の、色んなジャンルの本を読むようにしていた。

 父や祖父から貰っていたお小遣いは、全部本を買うのに使った。

 また、買った本だけじゃ飽き足らず、学校の図書室や地域の図書館に通って、気になる本を片っ端から読んでいった。

 小学校高学年の頃には、孤独も極まり、一日の自由な時間全てを読書に掲げていた。

 家に帰ってからや授業の休み時間はもちろん、登校や下校中、授業中なんかも先生の目を盗んでは本を読んでいた。

 今思えば、授業についていけなくなった原因の一端は、ここにあるのかもしれない。

 でも、とにかく、一人になるのが怖かったのだ。

 一人で何もしていないと、何か恐ろしいものに頭が支配されるような気がしてならなかったのだ。

 そんな私には、父親はもちろん、先生やクラスの子達も呆れていたと思う。

 否、そんなのは私の自意識過剰で、みんな私のことなんて全く気にしていないし、眼中になかったのだろう。

 とにかく、結果として、より一層孤立していった。

 そして、更に本を求めた。

 この円環は、中学校に上がってからも変わることはなかった。

 そして、高校生である今もこの輪廻からは抜け出していない。

 否、抜け出すのを自ら強く拒んでいる。

 何故ならそんな私を、私が好きだから。

 人がその一生で体験できることなんて限られている。

 しかし、読書は、体験していないことを体験させてくれる。空想力を高めてくれる。

 その体験は、私の心を成長させてくれた。

 人間は、本も読まず、勉強もせず、何も考えずに生きているだけだったら成長しないのだ。

 薄っぺらい、中身のない、年齢だけ食って、外見と中身が釣り合わない人間になってしまう。

 想像力の足りない人間になってしまう。

 行動という経験値だけを崇高なものとして信じ込んで、若い年代や年下を見下す人間になってしまう。

 何も迷わず、疑わず、すぐに決めつける人間になってしまう。

 そんなのは絶対に嫌だ。

 そんな人間は、生きながら死んでいるのも同然だ。

 そして、そんな人間に限って永遠の生を欲する。生に執着する。

 実にみっともなく、愚かである。

 でも、現実には、そんな人間しかいない。

 だから、人と話しても、人に聞いても、人に相談しても、人と関わっても、碌なことは還ってこない。

 無意味なのだ。

 誰も助けてはくれないのだ。

 その代わり、私は、本を読む。

 本は、それだけで完結している存在だから好きだった。

 無駄がなく、他のものを必要としない簡潔で純粋な存在。

 美しく綺麗な存在。

 また、その読むという面だけではなく、コレクション鑑賞としての面もある。

 本の中を開くと、文字が美しく綺麗に規則正しく並んでいる。

 それを眺めるだけでも楽しいし、何だか気分が落ち着いた。

 私は、色んな分野の本を読んできたが、特に物語が好きだった。

 即効性がある本は、すぐに効果が切れてしまうような気がしたから物語を好んで読んだ。

 文字で書かれたものは、その速さは視覚的なものに到底敵わないが、ゆっくりとじんわり効いてくるような気がした。

 まあ読書に、「効果」なんてものを求めるのがそもそもの間違いだと思っているけれど。

 そもそも、メリットや役に立つという考え方を読書――本に当てはめるのが筋違いなのだ。

 本は、道具のように特定の機能だけを持たされたものではない。

 言ってしまえば、無くてもいい存在なのだ。

 無駄なのだ。余剰なのだ。

 余裕なのだ――心の。

 小説や漫画、絵本に児童書、そこに物語が紡がれていれば何でも読んだ。

 これら物語は、基本的に一人の人間によって描かれている。

 だから、人が嫌いで怖くて、できるだけ関わりたくない私でも楽しめた。

 物語を紡ぐことができるような人間は、優しくて繊細で――その心に触れても痛くなかった。

 作品を通して、その作者と孤独を共有しているような気分だった。

 ジャンルも色んなものを読んだ。ホラーやミステリーに、ファンタジー、SF、学園物、青春物、恋愛物、時代物、医療物、ギャグ物等々。

 でも、ノンフィクションはあまり読まないようにしていて、フィクションの方を好んで読んだ。

 何故なら、私は、私が生きているこの現実世界がたまらなく嫌いだったのだ。

 現実は、辛く苦しく悲しいことばかりで――それ以外は、何もない。

 虚無なのだ。

 それに比べて空想の世界は、どんなに楽しくてわくわくして素晴らしいことか。

 私は、この世界にすっかり魅了され、どんどん引き込まれていった。

 さらに、その中でも、妖怪が出てくる物語が大好きだった。

 妖怪は、いつも呑気で楽しそうで――私も早くそうなりたいと思った。

 一時期人間嫌いが高まり過ぎて、人間が出てくる物語を読めなくなった時は、妖怪に随分と助けられた。

 その流れで、怪獣や動物達が出てくる物語も好きでよく読んだ。

 また、探偵物やヒーロー物も好きだった。

 私と違って頭脳明晰で身体能力も高くて、強くて優しくて勇気があって、どんな逆境でも絶対に諦めなかった。

 だから、物語の主人公をはじめとして登場する色んなキャラクター達は、私の理想だった。

 私もこうありたいと思うようになった。

 そして、いつか私もこんな物語を描いてみたいと思った。

 ――小説家になりたいと思った。

 それを普通人は――夢というのだろうか。

 でも、私にはそんな夢のような願いは叶いそうもなかった。

 私は、空想の物語を読む度に、残酷な現実に立ち向かう気力と勇気をもらった。

 だから、私は私のままで、何とか今まで生きてこられた。

 しかし、いつまでもそんな、その場しのぎの治療が続くわけではない。

 ――現実が空想を凌駕してきたのだ。

 小学生から中学生、高校生と位が上がるにつれて、その残酷性も上がっていった。

 いくら物語の世界に入り込もうとしても、常に私の背後には、現実が監視していた。

 私がそれに気づいて後ろを振り向く度に、その恐ろしい顔がこちらを見ていた。

 現実世界の引力があまりにも強過ぎるのだ。

 ――そうして、現実に戻される。

 私の心の力は、どんどん不足していった。

 摂取量と消費量、需要と供給が全く釣り合っていない。

 元々ギリギリのバランスで均整を保っていたものが完全に崩壊したのだ。

 それでも摂取しなければ生きていけない。

 少しでも補給しなければ、明日の命だってわからない。

 物語――空想の世界とは違い、私は、現実で生きている以上、明日も生きていかなければならないのだ。

 現実の世界は、物語が終われば、そこで何もかもお終い、というわけにはいかない。

 そして、必要最低限の分を摂取して、本を閉じる度に私は思った。

 このままこの世界にいたい。

 この世界に入り込んで生きていきたい。

 空想の世界で生きたい。

 楽園は、空想の世界にしかない。

 ――空想が現実を凌駕する。

 ――神様。どうかお願いします。

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