9
窮奇は、確かに私だった。
目の前で布仙さんが襲われているのを見て、そう思うしかなかった。
しかし、それは、私であって私ではなかった。
なぜなら私は、私が布仙さんを襲っているのを見ているのだから。
右手に鎌のような刃物を携えて、今にも彼女に襲い掛かろうとしている、私を。
これは、第三者の目線なのだ。
主観ではない。
二人でふざけているうちに、いつの間にか見失ってしまった布仙さんの悲鳴を聞いて――駆けつけた私達が目撃したのだ。
そこは、狭い路地だった。
左右は高い生垣に覆われ、おまけに前方はブロック塀で塞がっている――いわゆる袋小路だった。
何故そんな所に彼女が入り込んだのかはわからないが、とにかく、そんな逃げ場のないところで襲撃されていた。
窮奇の噂話に寄れば、背後から気づかぬうちに切りつけられるということだったが。
――二人は、対面していた。
恐らく袋小路で詰まったため、布仙さんが振り向いたためだろうか。
窮奇の性質――犯人を本当に窮奇という妖怪だとするなら――はまだよくわかってないところが多いが、この状況はイレギュラーなのかもしれない。
私と国上は、窮奇と布仙さんが路地の詰まりで対面しているのを窮奇の背後から見ている形である。
というか何より、本当に窮奇が出たことが驚きである。
否、さっきから窮奇窮奇と呼んでいるが、それは私なのだ。
窮奇であり、私。私であり、窮奇。
そして、それを私が私であろうと認識できるからには、動物として、妖怪としての窮奇の形状ではなく――人間の姿形であるのだ。
では、何でそんな私の姿であるにも関わらず、窮奇だと言えるのかというと――。
その尾骨辺りから、大きな尻尾が生えているのである。
白く細長い尻尾が、月の光に照らされ、光沢を持って輝いているのだ。
もちろん、こんな獣の尻尾を持つ人間などいない。
また、頭上には、尻尾同様に白い獣の耳が二本生えている。
まるでテーマパークなんかで頭に付けるカチューシャのように。
否、そんな呑気なものではない。鬼だ、鬼の角のように生えている。
こんな尻尾や耳が生えているなんて、湖木田さんの報告にはなかったはずだ。
否、私は、それを直接聞いていはいないのだ。しかし、こんな特徴があるんだったら真っ先に言うはずである。
湖木田さんが見た私とは別個体なのか。
しかし、だとしたら、こんなわけのわからないものが複数存在することになってしまう。
そして、右手には、月光で反射して妖しく光る大きな鎌を持っている。
でも、だからといって、即窮奇というのは早計かもしれないし、第一、やっぱり窮奇と聞いて思い浮かべる姿とはかけ離れているだろう。
かけ離れ過ぎていると言ってもいい。
それに、何度も繰り返すが、やっぱり私なのだ。
では、これまた何で私だと言えるのか、街灯の薄明りの中、背後から見ているだけにも関わらず。
――それは、私自身でも上手く説明できない。
明確な理由や根拠があるわけではないのだ。しかし、どうしても私としか思えないのだ。
立ち姿、背格好、髪型……その人特有の雰囲気とでもいうのだろうか。
制服やローファーもうちの学校と同じものだった。
いずれにしろ、そんな曖昧な情報やなんかから、目の前に立っている窮奇――私が、私であると確信した。
それは、国上も同じなようで、困惑の顔を表している。
窮奇でもあるし、私でもある。
こんな意味不明なものが、この世にいていいはずがない。
そうだ。こんな混沌としたものは、この世にはいない。
そして、人間は、そんな実態が掴めないぐちゃぐちゃとした、いるはずもないものを――妖怪――と名付けたのではないか。
しかし、そんな悠長なことを考えている場合ではない。
さあ、どうする……。
幸い、窮奇は、背後の私達には気づいていないようだった。
布仙さんは、窮奇の肩越しに私達を見つけている。
恐怖のせいか、声こそ出しはしないが、必死に目線で訴えているのがわかった。
しかし、じりじりと二人の間は迫っている。
僅かな街灯に照らされた彼女の顔は、血の気が引いて青冷めており、今にも気絶しそうに見えた。
一体どんな恐ろしい顔を窮奇――私はしているのか。
かくいう私も、この非現実としか思えない場面に遭遇して、恐怖で脚が震えていた。
な、何もできない……。
私はその場で小刻みに震えながら、息を殺して、じっと見ていることしかできなかった。
情けない、情けない……。
――でも、仕方がないとも思う。誰だってこんな意味不明な状況に陥ったら、私みたいになるに決まっている。
そもそも、こんな状況で私みたいな人間に何ができるというのだ。
こんな状況になっても、自己弁護に走る私。
――本当に、私は、私が嫌いだった。
――私なんて、私なんて……死んじゃえばいいのに……。
右手に持った鎌が上げられ、布仙さんの顔に勢いよく振り降ろされそうになる。
「きゃああああああ!!」
恐怖の限界に達したらしい彼女は、絶叫を上げて座り込んだ。
恐らく腰が抜けたのであろう。
そして、その顔は、恐怖と絶望でぐちゃぐちゃになっていた。
私はそれを見て何故か――恍惚感のような、何とも形容し難い異様な感情が腹の底から浮かび上がってくるのを感じた。
まるで長年底に澱固まっていたマグマが吹きあがってきて噴火するように。
「美濃ちゃんの偽者!美濃ちゃんはそんなことしないぞ」
国上が懐中電灯で背後から窮奇の頭を照らし、大声でそう叫んだ。
動きを止めた窮奇は、ゆっくりと私達の方に振り返る。
もう布仙さんは気絶しているようで、涙を流しながらその場に倒れ込んでいる。
窮奇――私はどんな顔をしているというのか。
怒っているのか、笑っているのか、悔しがっているのか、はたまた……。
国上の懐中電灯を持つ手が震えていて、焦点が定まっていない。
彼女も怖いのだ。
でも、国上は、こういう時こそ勇気を出して行動できる人間なのだ。
自分に余裕がない時にこそ、他者を思いやることができる本当の優しさを持った人間なのだ。
辛く苦しい時に出てくるのがその人の本性とはよく聞くが、彼女は、本性もなにも、裏表がない。
誰にでも、公平に平等に接するのだ。
彼女は、私とは違って、優しくて強い子なのだ。
そして、そんな揺れる光の中、浮かび上がってきた顔は――。
――やはり、この世のものとは思えなかった。
顔は、顔のパーツは――なかった。
無であった。
虚無であった。
その顔は、闇と同化して昏く、何も見えなかった。
しかし、ある一点を除いて――。
また、何故か前髪を上げ、例の青色のヘアピンで留めていた。
これは、湖木田さんの報告通りだった。
しかし、今はそんなことどうだっていい。
――口だけは、あったのだ。
そして、その口は、大きく裂け、両の頬まで達していた。
そうして大きく開かれた口は、笑っていた。
中から窺える鋭利な歯は、昏い顔とは対照的に真っ白で、余計に目立って見えた。
「口裂け女……」と私は云った。
「ドッペルゲンガー……」と国上は云った。
その刹那、背後から肌を裂くような旋風が吹き、いつの間にか――私、窮奇、口裂け女、ドッペルゲンガー――は、私達二人の背後に立っていた。
「私、綺麗……?」
その化け物はそう云うと、手に持った鎌で国上に襲い掛かろうとした。
「い、いや……」
国上は、絞り出すような声で云った。
私は、またもどうすることもできない。
目の前で唯一の友達――親友が襲われようとしているのに。
身体全体が震えて制御できず、指先一つ自分の意思で動かすことができない。
ああ、もう鎌が顔の前まで迫っている。
私は、見ていられなくなって、目を強くつむった。
現実から目を背けた。
――あぁ、神様どうかお願いします……私達を助けてください。
否、私はどうだっていい、せめて国上だけでも――。
この期に及んで神頼みをする私。
都合のいい私。
そんな罰当たりな私を助けてくれる神様なんて、いるはずもない。
これは、きっと不信心な私に対する天罰なんだ。
国上ちゃん、ごめんね……ごめんね……。
私は、そう心の中で繰り返し懺悔した。
――ぱりん。
何かが割れるような音が空高くから聞こえた気がした。
――すとん。
何かが静かに地面に降り立ったような音が聞こえた気がした。
「ぎゃああああああ!!」
……断末魔?
しかし、それは、襲われた国上のものではなかった。
一体何が起こったのだ。
私は、恐る恐る目を開けてみる……。
「いやあ、遅くなってすまない。思ったより準備に手間がかかってしまってね、怪我はないかい?国上君」
それと、隣のお姫様、と黒衣の和装を身に纏った男は云った。
男の上には、おかっぱ頭で着物姿の少女が肩車されていた。
「ご主人様、私こんなよくできた世界初めて見ました!」
おかっぱの少女は周りを見回しながら、楽しそうに云った。
そして、男の隣でどろどろに溶けるように消滅していく化け物――否、私。
「あ、あなたは……」と国上は云った。
国上は、この男を知っているような反応を示した。
――私は、もう何もかも意味がわからなくなっていた。
何だか一気に力が抜くて、意識が遠くなるのを感じた。
「それにしたって、なんだい、この紛い物は……。こんな複雑な奴は、僕も初めてお目にかかるよ」
「……あ、美濃ちゃん!ちょっと大丈夫!?」
男と国上の声が遠くに聞こえたが、それっきりだった。
暗転する視界。
真っ暗闇の世界。
――あぁ、これは、本当に現なのか……。
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